麻雀は面白いよ、という話
『考える生き方』を読んでいて、ふと手を止めた箇所がある。
考える生き方 |
|
finalvent
ダイヤモンド社 2013-02-21 |
第二章「家族をもって考えたこと」の中で、家族でボードゲームをしている、というお話が出てくる。実に楽しそうだ。カタンやドミニオンといったドイツ・ボードゲームは、シンプルながらも戦略性がある。それに毎回違う感覚でプレイできる点も飽きない秘訣だ。
その面白さを強調するためか、finalventさんは以下のように述べている。
私は麻雀などをしたことはないが、賭けという要素を除けば、ドイツ・ボードゲームのほうが楽しいのではないだろうか。
ブロガーとしても文筆家としても人生の先輩としても、私がfinalventさんに抱く感情には「敬」の文字が含まれていることは間違いないが、それでも上記には反論したい。いや、「ドイツ・ボードゲームのほうが楽しい」と断言されているわけではないのだから、反論とはちょっと違うかもしれない。
ともかく、麻雀はドイツ・ボードゲームと同じぐらい楽しい。賭けの要素を取り払っても、それは変わらない。自分のバイアスを全開にさせていただくなら、麻雀のほうが遙かに面白い、とすら言える。まったく賭けないでも、徹マン(徹夜で麻雀すること)ぐらい余裕である。
私はボードゲーム好きなので、いろいろプレイしているし、将棋も囲碁も最低限は打てる。それにビデオゲームだって結構プレイしている。ゲーマーなのだ。でも、「一番面白いゲームは何ですか?」と問われれば、即座に「そりゃ、麻雀でしょ」と答えを返す。それくらい面白いゲームなのだ。
ただし、麻雀の面白さは一緒に卓を囲む相手に影響されてしまう部分はある。強すぎる相手や、弱すぎる相手とプレイしても、それほど面白みはない。その点は、他のゲームでも同じであろうが、四人でプレイする点が「対戦相手を揃える」難しさを生み出している。比較的近いレベルの人間を、四人揃えるのは簡単ではない。それが、麻雀の面白さが普及していない理由かもしれない。
見える部分・見えない部分
では、麻雀の何がそんなに面白いのだろうか。
麻雀は他のゲームに比べると運の要素がとても強い。
※だからギャンブルとして使われる。
まず各プレイヤーの初期状態が異なる。将棋や囲碁は双方イーブンな状態でスタートするが(囲碁は先行が有利なのだが)、麻雀ではスタート時の手配はまったくのランダムである。良い手牌のときもあれば、思わず勝負を投げたくなるような手牌のときもある。
次に見えない部分が多い。カタンでは、サイコロの目は不確定であるが、それぞれの開拓状況は全プレイヤーに開示されている。資源カードも記憶力さえ確かならオープンな状況だ。ドミニオンも記憶力しだいでは、全てのプレイヤーの状況は把握できる。
※ただし、デッキが分厚くなってくると、次のターンどうなるのか徐々に予想しにくくなる。
が、麻雀で自分の視点から見えるのは、自分の手牌と、全ての捨牌だけ。次に自分が何を引いてくるのか、相手がどんな形で進行しているのかはヴェールに覆われている。
総じて言うと、実に不確定なゲームなのだ。
そこから「麻雀なんて所詮運ゲーでしょ」みたいな発言が出てくるのだが、もし完全に運によって決まるのならば、長期的に成績を計算すれば、勝率はそれぞれ25%ずつになるはずである。で、そうなるかというとなっていない。勝つ人は勝つし、負ける人は負ける。実力があるのだ。
運の要素はあるのだが、運だけで決まるものでもない。そのバランスが実に絶妙である。ある部分では確率の計算が絶対的に必要なのだが、それだけで勝ちきれるものでもない。不確定要素がある以上、どこかでリスクを引き受けなければならない。その判断ができなければ、平々凡々以下の成績になってしまう。
複数人の対戦
もう一つ、相手が三人もいる点も大きい。
二人でプレイするゲームの場合、基本的には「敵と味方」に分かれる。わかりやすい構図だ。囲碁の場合であれば、「ここの陣地は譲るけど、かわりにこっちもらうね」といった戦略的譲り合いが発生することもある。でも、それは双方が味方になったわけではない。一時的な、なあなあ、である。
麻雀は一人ひとりの対戦にみえて、実は複雑なパワーバランスのもとにゲームが進んでいく。一人抜け出るやつがいれば残りの三人が協力するし、二人が頭一つ抜け出せば上位チームと下位チームができあがる。もちろん、一人ひとりが独自に進める場合もある。途中で場面が変われば、敵味方もやっぱり変わってくる。その辺りの呼吸がわかっていないと、だいたい勝てない。なにせ、自分は常に一人で戦っているのに、他のメンバーは必要に応じて協力関係になるのだ。不利なこと極まりない。
もちろん、協力関係と言ったところで、後ろから牌を回すようなイカサマをするわけではない。相手が必要そうな牌を捨てて鳴かせたり、高い手ができそうな場面で安上がりしない、といった「気遣い」を行うだけだ。それだけでも、劇的に盤面は変わってくる。ただし、その変化は見えにくい。なにせそれぞれの手牌は確認できないのだ。でも、そういうのは感じられるものである。まあ、それは日本的空気読みのスキルに依る部分が大きいかもしれないが。
配られる手配は毎回違うし、相手やそのときの戦況によっても、とるべき行動は変わってくる。毎回上がりを狙えば良いと考えているのは初心者の証拠だ。理屈と運のバランス。どれくらいリスクを引き受けるのかというジャッジ。そして、プレイヤー同士の関係性の変化。
いろいろな要素が組み合わさった結果、簡単には「必勝法」が生まれないゲームができあがっている。
さいごに
麻雀というゲームは、
- わかっている情報とわからない情報がある
- 自分にわかるのは、今の手配とこれまでの捨て牌だけ
- 相手が何をやっているのかは推測するしかない
- 次に何が起こるかは、確率的予想はできても、確実な予言はできない
- 最初に配られた手配は、変えられない
- 各ターン一枚ずつ引いてくる牌を使って、少しずつ変えるしかない
- 他の人と協力関係になったり、敵対関係になったりする
- そして、それは固定ではない
- でも、最終的にそれぞれのプレイヤーはソロである
- 高得点を狙うなら、リスクを負わなければならない
- 守ってばかりでは(相手が三人いるので)、だいたい勝てない
- (運の要素があるので)理不尽なことが簡単に起こりうる
- それでも、ゲームは(終わるまで)続いていく
という性質がある。
これって、そう、人生みたいなものじゃないかな、と。