とある純血の後悔3
蒼矢視点。
だが、その嬉しい気持ちもすぐにしぼんでしまった。
三人を探して建物を散策している途中で、ある可能性を考えてしまったのだ。
三人を助けたら、願いを叶えたら幽霊は消えてしまうのではないか?
泣いた幽霊に差し出したハンカチを渡しそびれたこと、あのキーホルダーを返してしまったことを後悔した。
そのどちらかでもあれば、もしこのあと幽霊が消えても、その後の縁が再びあることを信じられたのに。だが、その後、何度差し出しても幽霊は受け取ってくれなかった。
とうとう気配のする扉を前にした時に、蒼矢は不安を口にしてしまった。
本来ならこんな場でする会話ではないとは思ったが言わずにはいられなかった。
しかし、必死の蒼矢に幽霊はなんでもないことのように言うので思わず怒ると幽霊は約束してくれた。
「お願いですから、今は三人を助けることに集中してください。
そのあとのことなら『後』でちゃんと聞きますから」
何気ない『後』という言葉に蒼矢は願いを叶えた後もこの幽霊が存在するのだと解釈した。
今後もこの幽霊は自分の前から消えない。そう感じて、なぜかひどく浮かれた。
なぜ、そこまで浮かれてしまったのかわからない。
ただ、その言葉に浮かれすぎて失敗してしまった。
扉を開け双子の気配を探り、小部屋を見つけて扉を開いた。
その部屋には折り重なるように縛られたまま転がされた双子と聖利音の姿があった。
薄暗い中ではあるが、蒼矢にははっきりと室内が見えていた。
暗闇の奥に天城の姿も確認して、舌打ちする。
少し離れていたが、彼女も縛られ転がされている。
心配したとおりだった。彼女は助けに来て逆に捕まってしまったようだ。
周囲の気配を探るが、近くに他の人間の気配はない。
人質をこんなところに放り出して犯人がどこに行ったのか気にはなったが、彼らの安否を確かめるのが先決だと、双子に近づいた。
双子の安否を確かめていたとき、翔瑠の意識が一瞬だけ戻った。
その瞳はしばらく状況を飲み込めないようにさまよっていたが、蒼矢の背後に飛んだときなぜか驚いたように見開いた。
その視線の先を確認すると、幽霊がいつの間にか蒼矢の後ろまで来ていた。
だが、翔瑠が幽霊を知っているはずはない。ならば何に驚いたのだろうか。
疑問に思ったが、それ以上の思考はできなかった。
次の瞬間、感じたことのない激痛にあっけなく意識が飛んだ。
なんたる失態か。今思い出しても火が出そうなくらい自分が情けない。
それからの記憶は本当に断片で、次にはっきり意識を取り戻したのは病院でだった。
病院では勝手な行動をとったことをしこたま親族に怒られた。
無謀な行動と勇敢な行動とは違うことを母親に耳にタコができるくらいに説教されたのは本当に嫌な思い出だ。
もともと外傷があったわけではなかったため、簡単な検査のあとすぐに家に帰された。
蒼矢はその足ですぐに幽霊を探したかったが、さすがに心配させた手前親族に拘束されて、身動きがとれなかった。
だが、それすら後悔の種だ。なぜ、あの時すぐに探しに行かなかったのか。
もしかしたらあの時にはまだあの場所に、あの幽霊はいたかもしれないのに……。
どうして自分は……。
****
「…る、透!」
突然耳元で呼ばれた名前に、蒼矢はハッとする。
横を見れば暮先愛理香の美麗な顔が不機嫌なことを隠すことなくあった。
その顔で蒼矢は今自分が本宅の自室にいることを思い出した。
あの誘拐事件の日から三日ほど経っていた。
その間事実関係がはっきりするまでと外出を禁じられていた。
一度だけ現場検証であの場所に行ったきり、一度も行けていない。
「……愛理香?」
「ちょっと、聞いてましたの?」
「……悪い、なんだっけ?」
謹慎を命じられている間にたくさんの人間が蒼矢を訪ねてくる。
月下騎士会のメンバーも訪ねて来てくれて、黄土兄弟には親族付きで頭を深々と下げられた。
その中でも愛理香は特に足繁く通ってくる。
正直一人になりたい気分の蒼矢にとって、あまり嬉しくない訪問なのだが、家同士が決めた許嫁のため、邪険にもできなかった。
「もう、聞いてませんでしたの?
謹慎が解けたら、気晴らしに買い物に行きましょうといったんですの!」
「…この間も行っただろ?それに買い物って言ってもお前のものを買うだけじゃないか。俺と一緒に行く意味ないだろ?」
「あら、そんな意地悪なことを言わないでくださいまし。未来の旦那様の為にキレイでいたい乙女心ですもの。それに一番見てもらいたい人と一緒に行きたいんですのよ」
上目遣いで、蒼矢の座るソファの横に座り、愛理香が腕を絡めてくる。
豊かな胸が腕に押しあたり、その柔らかな感触を伝えてくる。
だが以前ほど彼女の色香に男としての欲を覚えることはなかった。
「…ん、もう!なんですの?アタクシが触れているのにその反応は?」
確かに愛理香は美しいし、魅惑的な体をしている。
許嫁という立場から色々面倒なので実際に手を出してはいないが、触れ合う程度のスキンシップは過去何度もあったが、今は煩わしいだけだ。
(…もっと、触れておけばよかったな)
手に残る幽霊の頬に触れた時の感覚を思い出す。
決して体つきは愛理香のような蠱惑的なラインではなかったが、十分に柔らかく、手に吸い付くようなすべらかな肌が、手に心地よかった。
蒼矢はそっと、私服のジャケットのポケットに手を忍ばせ、あるものをその手に握った。
だが、その仕草を目ざとく愛理香が反応した。
「…あら、なにか隠してますの?もしかしてアタクシへのプレゼント?」
愛理香の無遠慮な手が蒼矢のポケットに伸び、それを蒼矢の手ごと無理矢理引きずり出す。
「っ!こら、愛理香!ちがっ!」
愛理香の勘違いに蒼矢は抵抗するが、その手にしたものの脆さを考え、思わず引っ張るその手にそれを渡してしまった。
「なにかしら?アクセサリー?もう、透ったらアタクシへのプレゼントならすぐに渡してくれれば…てあら、なにこれ?」
愛理香の手に握られたそれは幽霊に返したはずのキーホルダーだった。
あの現場にぽつんと残されていたと、黄土の隠密から見せられたモノを自分のものだと嘘をついて奪い取った。
あの場に確かにあの幽霊がいた証拠のような気がして、あれ以来肌身離さず、持ち歩いていた。
「なにこの安物。透もいつからこんな趣味の悪……あら。
なにかしら。これ、何か呪いがかかってますわね?
あら、この呪いは…なんてこと!」
なにか納得したように、愛理香が満面の笑みを浮かべ、抱きついてくる。
愛理香の言葉の意味が分からなかったが、蒼矢は抱きついた愛理香の手からキーホルダーを取り返そうとその手を捉えようとするが、捕まえられなかった。
「透ったら、ようやくその気になってくれましたのね?嬉しいですわ!」
「何を言っている?返せよ、それ」
「いや、ですわ」
ふふふ、と不気味な笑いで愛理香が軽やかに蒼矢から離れた。
愛理香が動くたびにシャラシャラと鳴るキーホルダーが壊れないか蒼矢は心配だった。
あの時蒼矢はあのキーホルダーを大事に持つ幽霊の姿を見ている。
本当に大事そうに持つ彼女に、男からの贈り物かと思わず聞きそうになった。
結局聞けなかったが、あのキーホルダーが今や彼女と蒼矢をつなぐ最後の繋がりになってしまった。
万が一あれが壊れてしまったら、と思うと柄にもなく蒼矢は恐怖した。
「愛理香、それを返せ!それはお前へやるわけじゃない!」
その言葉に愛理香の動きが止まった。
みるみるこわばる彼女の顔に嫉妬の色が濃く出る。
その変化に蒼矢は首を傾げたが、今はキーホルダーを取り返す方が先決だ。
「……それでは誰に?まさか、峰岸に?」
「……誰にもやらん。それは俺のだ。返せ」
「まさか、既にもう一対を誰かに?」
訳のわからないことを言う愛理香に苛立ちが増す。
「いいから、返せ」
「……返しませんわ」
手で要求するが、愛理香はそっぽを向いて拒否した。
「ふふ、誰にあげたかわかりませんが、アタクシを甘く見ないことですわね?
アタクシにかかれば相手など簡単にわか……ひっ」
「……それを返せ。愛理香」
気がつけば、愛理香の腕を掴んでいた。
少し、力を込めればぎしりと骨が軋む音がした。
「きゃあ!」
愛理香が痛みに悲鳴を上げて、キーホルダーを取り落とす。
慌てて、愛理香の腕を振り払い、床に落ちそうになるそれを空中で掴み取る。
手の中でシャラりと音を立てたそれの無事を確認して、蒼矢はホッとため息を吐いた。
ひと目で安物とわかるそれだが、白味がかった透明感のあるそのクリスタルがどこかあの幽霊の瞳を思い出させた。
思わずそっとなぞるが、それは冷たく、あの幽霊の何も伝えてくれなかった。
蒼矢はなぜか切なくなった。
「っ!なっ、なんですの!いきなり!」
蒼矢の行為に目尻を釣り上げる愛理香に目も向けず、蒼矢はそっとため息を吐いた。
「悪いが、出て行ってくれ。…気分があまり優れない」
「…なんですの?今日も?最近いつ来てもそれではありませんか?」
手首を抑え、高い声で喚く愛理香の声が耳障りだ。
普段から聞いているため、さほど気にならないはずのそれが、今日はなぜかイライラした。
「……愛理香、俺はお願いしているんじゃないんだ。……わかるな?」
力の一部を発露させ、愛理香に見せれば彼女の顔がさっと青くなる。
いくら貴重な女吸血鬼とは言え、所詮彼女は純血ではない。
力の差が明白な蒼矢が、脅せば引っ込むしかない。
だが、内心面白くないのだろう。愛理香は蒼矢を睨みつけた。
「もう!最近なんなのですか!気分が悪いです!帰ります!」
そう言いながらも、愛理香はこちらを伺うように見て、動かない。
明らかに蒼矢が機嫌を取ることを期待しての行動に蒼矢はさらに力を漏らした。
「……愛理香?」
「わ、分かりましたわよ!もう!また明日にしますわ!」
これだけ脅しているのにまた明日という彼女の根性にはいつもながら苦笑を禁じえない。
断りたいが、あまり追い返しすぎると親族連中がうるさいため、今日追い払えただけでも、満足するべきだろう。
愛理香が完全に出て行ったのを確認して、蒼矢はソファに寝転んだ。
仰向けに寝た頭上で手にあるキーホルダーを室内の照明にかざした。
だが、中央のクリスタルはただ照明を受けて鈍く光るだけで、持ち主の何をも伝えなかった。
目を閉じ、あの時の断片的な記憶を思い出す。
思い出せるのは真っ赤な視界と紅くて甘い甘露の味。
断片的な記憶で蒼矢は自分が力に飲まれて暴走したことを覚えていた。
だが、その割に建物にそれらしい傷が一切なかった。
蒼矢が理性なく暴走すれば、あのあたりの森が全て吹き飛んでもおかしくなかったというのに。
一体何が自分を止めたのか。わからないが、ひとつの可能性はあった。
それはもうひとつの記憶の断片。
すべらかな制服の襟元から覗く白い首筋と赤い甘露。
そして苦痛に歪む幽霊の姿。
泣かせたくなかったのに、最後に覚えている顔は苦痛に歪んで泣いていた。
正直蒼矢にはわからなかった。
あの時に起こった出来事はまるで幻のように曖昧だ。
この手に残る暖かさや感触は本当に現実のものだったのか。
そもそも、あれは本当に幽霊だったのか。
唇に残る肌の感触と甘い蜜の味。
あれは間違いなく生きた人間の味だ。
だが、あの時発見された中に幽霊に該当する人間はいなかった。
あの時既に建物は黄土の隠密に囲まれており、人っ子一人逃げられる状態になかった。
だが、幽霊は消えた。
まるで本物の幽霊のように。
そしてそれきり幽霊の姿は見えない。
あのあとこっそり人目を盗んで最初に会った場所に向かった。
誘拐事件の影響で休校になった学園内に人の姿はなかった。
もちろん幽霊の姿も、どこにも。
(やっぱり俺がお前を消したんだろうか?)
思い出すのは苦痛に歪む幽霊の姿。
幽霊の首筋に突き立てた牙と甘い甘露の紅い雫。
意識してでないとはいえ、無理矢理血を奪ってしまった。
どのくらい血を奪ったか知らない。
だが、血を奪ったことが原因でもし幽霊が消えてしまったとしたら…。
取り返しのつかないことをした、と泣きじゃくる彼女の姿が脳裏に痛かった。
「……約束したじゃないか?」
思わずつぶやく言葉は広い自室内に虚しく響く。
答える人間はもちろんいない。そして幽霊も。
後で話を聞くと。
後で、と約束したのに、どうしてお前はいなくなった?
「約束は守れよ」
勝手なのはわかっている。
ひどいことをしたのはこちらだ。
もう二度と会いたくないと思われても仕方がない。
でも会いたい。ただ会いたいだけだ。
会ってその存在をもう一度確かめたかった。
蒼矢はそっと目を両手でおおった。
涙は出ない。しかしなんだか無性に泣きたい気分だった。
暮先愛理香様。覚えてますか?
あんまり久しぶりすぎる登場で、作者もだれだと思ってました。
「親衛隊」の回で聖さんを囲んでいた親衛隊の人です。
忘れた人はよければ読み返すと面白いかも☆
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[拍手してやる]
7/20 新しいSS拍手公開。但し鬱系になりますのでご注意を。(7/27全五話アップ)拍手2回すると出ます。
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