ハンカチとキーホルダー
泣いたため、さらに呆とする頭をなんとか叱咤し、緩やかに会長の腕から逃れた。
案外ゆるい拘束だった腕は簡単に外れた。
暖かい体温が体から離れる寂しさを感じるのは多分、風邪のせいだろう。
会長を信じていないわけではないが、彼らがいつ移動してしまうかわからない以上、こんなところで時間を食っている暇はない。
今は三人救出に専念すべきだ。それ以外のことは考えている暇もないし、正直考えられなかった。
涙で濡れた視界をクリアにするため、袖口で涙を拭うが、濡れそぼった全身のせいであまり効果がなかった。
何度かそれを繰り返すうちに後ろからため息が聞こえた。
「…お前、ハンカチも持ってないのか?」
そんなもの持っているわけがないだろう。
そんなに女子力高い人間にお思いか?そもそも会長にとってあたしは幽霊だろ?
幽霊にハンカチを持つ能力があるとでも?
…いかん、なんかおかしな方向に思考が行く。思わず眉間に手を当てていると、するりと視界に差し出されるものがあった。
それは綺麗にプレスされたハンカチだ。男物だろうそれは綺麗な蒼だ。
それを差し出した人とハンカチが結びつかなくて目をしばたかせる。
「…なんだ。一応、未使用だぞ?内ポケットに入れていたから濡れてもないし」
いえ、そんなことを思っていたわけではないのです。
こういう気遣い系のイベントはどちらかというと副会長のものだったし、会長はどちらかというと聖さんを振り回す系のイベント多かった。傍若無人で傲慢な月下騎士会の会長だけど、だれより繊細で気遣いのできる面倒見の良い人だ。
紅原との子供の頃のエピソードはその内面を実にうまく描いでいたな。
確かに面倒見はいいのだが、それは会長が特に気にかけている相手にであって、一般女子、しかも幽霊にハンカチを差し出す会長の姿はあまりにゲーム本編からはかけ離れていた。失礼ながら不気味だ。
「…なんか失礼なこと考えているだろ?」
うおっ、心を読まれた。
紅原といい、やはり人外には心を読む能力があるのか?
けれど、ハンカチは受け取れません。
受け取ったら絶対後日返さなければならなくなる。
今日以降かかわり合いになるつもりはありません。
それはごめん被る。
しかし、そんなこちらの内情を知らない会長はただ親切だけなのだろう、ハンカチを押し付けるように差し出してくる。
「なんでもいいから、使え。お前、女だろ?少しは見目に気を使えよ」
うおぅ。なんか腹の立つ言い方だな。
自身がこんなに綺麗で、常に女子力の高い美貌の女の人に囲まれている人に言われるとイヤミにしか聞こえない。
大体あたしは幽霊なんだろ?見目なんて関係ないじゃない。
「いいから拭け」とあたしに会長はハンカチを押し付ける。
あたしは受け取れないとその手を押し戻す。
正直こんなことをしている場合ではないとは思うのだが、案外しつこい会長に苛々したときだった。
何かがするりとハンカチの隙間から滑り落ちた。
かつんっと音を立てて落ちたそれにあたしは目を見開いた。
「…ああ、それは…」
会長の声が聞こえたが、あたしはそれどころではない。
それは先日なくしたと思っていたキーホルダーだった。
慌てて拾い上げ、クリスタル製のそれが割れていないか確認する。
幸い、傷もつかずにすんだようでホッとした。
「…お前のだったのか」
あたしの突然の行動に驚いているのだろう。
驚く彼の姿に、どうして会長がこれを持っていたのか疑問が頭をよぎる。
あのいじめの時に落としたのだから、あの場で会長が拾った可能性は否定しないが、なぜ落し物を届けもせず、自分で持っていたのか正直一時間くらいかけて問い詰めてやりたいところだが、今は手元に戻ってきただけでよい。
あたしは、そっと頷いた。
「…はい、ありがとうございました、拾ってくれて。
大事な人からもらった大切なものなんです」
香織からもらった大事なものだ。…しかも、恐ろしい呪い付きだ。クワバラクワバラ。
ともあれ、手元に戻ってきてくれたことが嬉しくて、あたしはそれを胸にぎゅっと抱いた。
ふう、これで不幸が回避されたか?
もうこれ以上の不幸は必要ありません。これ以上状況が悪くなりませんように、とキーホルダーに願いをかけていると、会長の声が聞こえた。
「……それは…誰に…」
独り言にも近いその言葉の最後はあたしには聞こえなかった。
なぜか、会長の顔がこわばっている。
その顔にあたしは急に不安になった。
まさか、聖さんたちになにかあったのを感知したとか?
「…あ、の。…もしかして三人に何か…?」
「え?あ、それは変わりないが」
会長の言葉にホッとする。
それから改めて気を引き締める。
こんなところで時間を食っている暇はない。
あたしはキーホルダーを制服のポケットにしまった。
なぜかその行為に何か言いたそうにしていたが会長は意外にも何も言わなかった。
何が言いたかったのか謎だが、お礼も言っているし、もともとあたしのだ。
気にせず、ぽんっと戻ってきたキーホルダーの感触を布越しに確かめた。
さあ、キーホルダーも戻ってきたし、ドサクサでハンカチの受け取りも拒否できた。
これは幸先良いのではないか?
改めて双子と聖さんを助けに行きましょうか!
主に会長に頑張ってもらって、さっさとこんなところから脱出してやる!
その後のことを考えるとなんだか頭が痛い気がするが、今は気にしまい。
会長さえいれば、人間の犯人など後れを取ることなどない。
あたしはゲーム内の会長の強さに微塵の不信も抱いていなかった。
だが、それが過信であることをその時のあたしは気がつかなかった。
****
会長の気配探査能力をつかってたどりついたのはホールへと続く入り口だった。
どうやらこの建物は廃業したホテルを改築したもののようだった。
廊下を中心にたくさんの扉があるのはそのせいで、部屋数の多さに惑わされながらも、あたしたちは気配を追ってここまでやってきた。
どうやら劇場も併設してあったらしいそのホテルがどうして廃業に追い込まれたのかは知らないが、いたんでいるがしっかりとした佇まいを見せる目の前の扉に自然と緊張感が高まった。
「ここに三人がいるんですね?」
「そうだな…」
緊張高まるあたしとは対照的になぜか会長の声は先ほどから考え込んでいるように上の空だ。
「どうかしましたか?もしかしてここじゃないんですか?」
「いや、それはない。ここで間違いないぞ」
じゃあ、なぜそんなに歯切れが悪いのか。
「なにか気にかかることでも?」
「……なあ、お前。三人を助けたら、消えるのか?」
聞かれている意味が分からず首をかしげると、珍しく会長が自信なさげに視線を揺らしている。
「その……幽霊は、望みがかなえば消えるものなんだろう?俺はそう聞いているが」
ああ、そういうことか。
確かにその法則でいえば、あたしは望みを言って会長がかなえた時点であたしは消えるな。
だが、今それはどうでもよいことだと思うのだが。
「そんなことはどうでもいいんです。それより人命がかかっているのでそちらを優先で……」
「どうでもいいことじゃないだろう!?」
なぜか怒鳴る会長にあたしこそが怒鳴りたい。
「いいですか?今あなたはあたしの願いを聞くためにここにいるんですよね?違いますか?」
あたしの言葉に会長がたじろぐ。ああもう!なんだっていうだ、面倒くさい。
「蒼矢に二言はないのでしょう?」
それを言われればさすがの会長も黙る。
「お願いですから、今は三人を助けることに集中してください。そのあとのことなら後でちゃんと聞きますから」
「っ!本当だな」
あたしの言葉になぜか会長が身を乗り出してくる。
「本当に願いを叶えた『後』聞いてくれるんだな?」
「…はい。だから…」
「わかった。それなら早く片付ける」
突然元気になった会長を不思議に思ったが、その心強さに安心もしてあたしは会長が扉を開けるのを見守った。
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7/20 新しいSS拍手公開。但し鬱系になりますのでご注意を。(7/27全五話アップ)拍手2回すると出ます。
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