公園にて
紅原視点。
キリがいいので、二話連続投稿します。
閑静な住宅街にその公園は存在していた。
なんの変哲もない公園だ。遊具があり、砂場と水飲み場が存在する小さな公園。
昼間は子供の声であふれる公園も、深夜を過ぎる時刻になれば、誰の姿もいない。
ただ一人ベンチに座った老婦人以外は。
スポットライトのようにベンチを照らす街灯の下で、老婦人は身動き一つしなかった。
濃い色のストールを巻きつけ、ただじっと寒さに耐えているのか丸くなったまま微動だにしない。
何かを待つようなその姿の前に、不意に暗がりから男の姿が現れる。
男は恭しく老婦人に礼をすると、そっと老婦人に近づいた。
「…おばあ様、ありがとうございます。助かりました」
街頭に照らされた男は紅原円だった。
環と別れた時と同じ服装に少し疲れた表情が覗いていた。
だが紅原の言葉に老婦人はなんの反応も示さない。
老婦人は紅原の母方の祖母だった。
祖父は随分前に亡くなり、以来一人暮らしをしていた。
かつては地方に住んでいたが、老齢を理由に紅原の家の近くに越してきていた。
とはいえ、まだまだ現役で仕事もしており、決して老人と呼べない闊達さがある。
なぜ、彼女が引越しをしてきたのか、彼女は老齢を理由にして語りたがらないが、おそらく一人娘である紅原の母を心配してのことだと紅原は思っていた。
普段彼女は紅原たち親子と距離を置いて生活しているが、母親が事あるごとに遊びに行っていた。
彼女が近くに来てから、母親の精神がかなり安定しているのを紅原は知っていた。
紅原は正直この祖母が苦手だった。
幼少の一時期彼女と共に生活した時期があった。
そこで紅原は徹底的に躾を受けた。
ともすれ虐待ともとれるくらい厳しい物言いもされたが、おかげで紅原本家に連れ戻されても、躾のことで親族連中に母親が嫌味を言われる回数は少なかったように思う。
とはいえ、幼少時の記憶は早々薄れるものではなく、未だに彼女の前に立つと紅原は落ち着かなかった。
近年は月下騎士会や学校の用事を理由に祖母の下に一緒に行きたがる母親の手を掻い潜り、会いに行かなかった。
しかし、そんな苦手な彼女だが、紅原はある頼み事をせざるを得ず、電話した。
その頼みごとというのは環に関することだった。
近所のおじさんと環のいう男が竜輝の下に逃げ去った時、携帯のメール着信に気が付いた。
車が到着したというメールとともに竜輝からも同じ内容のことを告げられた。
環への誤解の件もあるので、できるだけ早めにここを出なければならないと思っていた紅原に、なぜか番犬が噛み付いてきた。
リムジンが迷惑だといった番犬の言葉は至極もっともで、商店街に隣接した大通りにそれを待機させれば迷惑なのは紅原も重々承知だ。
紅原はあえて大きな車を呼んだのだから。
大きな車であれば、細い商店街の先にある藤崎堂まで車が入ってこれない。
藤崎堂に直接車を乗り付け、環に紅原との関係を疑わせるような事実を残すことはできなかった。
また車に周囲の目を集めれば、紅原がどこから出てきたかもごまかせる。
環との関係を少しでも疑わせるようなものは排除しておきたかった。
だが、別の問題に気が付いた。
紅原に突っかかってきた番犬に環が彼のそばに寄った瞬間、このままこの場を紅原が去れば、おのずと番犬と環が二人きりになってしまう。
環は恐ろしいことに、これほどわかりやすい番犬の気持ちに全く気付いていない。そのため全くと言っていいほど警戒心がない。
先ほどのおそらく番犬に噛みつかれそうになったのも気づいてはいまい。
環と番犬を二人きりにするのがなぜか紅原は嫌だった。
もちろん、せっかく、関係性を疑わせないよう速やかにここから出るのが、最良だとはわかっていた。
しかし、環と竜輝が仲睦まし気に話している様子に、苛立ちなぜか我を忘れた。
気付いた時には、たまたま聞いた環の秘密を盾に脅して、見送りに連れ出した。
だが、連れ出して、すぐに後悔した。当たり前だ。
環との関係を疑われないために、わざと大きな車を呼び、和菓子店から離れた場所に待機させたのに、本人を連れてきてどうする。
それも、二人きりで歩けば、どう考えても紅原との関係がありますと宣伝しているようなものだった。
苦肉の策として、環を先に行かせて自分が後ろを歩いた。
どこにどんな目があるとも限らない。
環をおびえさせず、尚且つ店から連れ出す方法を紅原は離れて歩く以外思いつかなかった。
不審者が環を狙っていないか常に監視しながらの道は正直疲れた。
しかし、環にそれを伝える気はなかった。
彼女の後ろ姿を見ながら、彼女の様子を思い出す。
今日の環はなぜか学校であった時より、ずっと自然でそして饒舌だった。
学校ではほとんど話をすることもなく、無口な印象だった。
考えていることはわかりやすいほどわかるが、感情の起伏が少なく、怯えているか不機嫌にしているかのどちらかしか見たことがなかった。
しかし、今日の彼女は今までで見た姿とはまるで違っていた。
藤色の着物をきた彼女はやわらかい雰囲気をまとい、気の置けない友達と屈託なく話す姿ははっきり言って学校とは別人のようだった。
学園での彼女は浮いた存在だが、あそこにいた彼女はどこにでもいる普通の女子高生に見えた。
そんな環に紅原の抱えるきな臭い事情を伝えたらどうなるか。
ただでさえ環は紅原に対し、怯えている。
これ以上、怯えさせては、彼女は紅原から離れていってしまう気がして話せなかった。
今日、環と接してその距離が近づいたと思うのは紅原の気のせいだろうか。
最後の難関は環に気付かれることなく、そしていかにして紅原と関係ないように別れるかだった。
さすがに、案内を頼んだ手前、環が紅原の車に寄って行くのを止めることを紅原はできなかった。
なんとか環には車に近づかせず、紅原が乗り込み、その場を無関係なフリして立ち去ることはできないか。
考えた末に、頼んだのは車に同乗しているはずの祖母だった。
祖母の存在はあまり知られておらず、面も割れていない。
それに環はお人好しなので、老人を無視して歩き続けたりしないだろう。
環を背後から追いつつ、祖母に連絡する。 そうして、実行した作戦は思いの他うまくいった。
だが、去り際の、環の「裏切られた」というような顔は胸に応えた。
自業自得とは言え、事情もはなさず挨拶もなしに別れたのだ。
案内を頼んでおいて礼もなしに立ち去る男。
さぞかし、環の中で紅原の評価は下がっていることだろう。
(…まあ、もともとそれほど高い評価があったとは思えへんけど)
内心皮肉っぽく顔をゆがめた。
それでもやはりあの環の悲しそうな表情が頭から離れなかった。
いくばくかの思考の後、数分が過ぎていたが老婦人は微動だにしなかった。
そろそろ紅原も心配になってきた。
まだまだ元気で、六十を超えているとは思えない祖母だが、年寄りのことなので、万が一ということもある。
「お、おばあ様?どこかお加減でも悪いんですか?」
ただ、黙っているだけの老婦人にその身に近づいて肩に手をかけようとした時だった。
「…こんの、ろくでなしが!」
ぱかんっ!
突然どこから取り出したのかスリッパで頭を叩かれた。
顔面を思いっきり叩かれ、目に火花が散る。
「あんな健気で礼儀もわきまえた良い子にあんな顔させてよってからに!そんなんじゃ、地獄に落ちるで?」
仁王立ちで紅原の前に立っているのは、確かに環に服をあげた老婦人だった。
だがその雰囲気は環とともにいた時の上品さはない。
威圧感が漂い、人外である紅原もその迫力に気圧された。
「全く、なんてええ子やったんやろね?あたしの話にも嫌な顔一つせず付き合うてくれて。」
お前たちとは大違いやわ、と盛大にため息を吐かれれば、ちょっとたけ反発心が芽生える。
「…とはいえ、あの場はああするしか方法が…」
「言い訳すんな!男が見苦しい!そもそも、あんたがあん子を一緒に店から連れ出さなければよかった話やろ?」
それを言われると弱い。
紅原は地に視線を落とした。
「…そうですが」
「しかも情けないことにこんな老人引っ張り出してからに。自分のケツも拭けん子供が反論すんな」
そこまで言われれば、紅原にはなにも反論する余地もない。
「あと、そのかしこまった喋り方やめえ。気色悪いわ」
「…ばあちゃん、ごめん」
素直に謝ると、少しだけ祖母の目の剣幕が取れた。
「そうや、素直にあやまんのが一番や。で、次から気をつけて行動せえよ!」
「…わかった」
「…分かりました、や」
「分かりました」
そこまで言ってようやく祖母の顔がにやりと笑った。
「よろしい。子供は素直なんが一番や。そんな円にご褒美や」
祖母が差し出した紙袋を受け取る。
「これは?」と目線だけで聞くと、「開けてみ?」と目線だけで返された。
恐る恐る開けるとそこには、冷えて硬くなったタイ焼が一匹だけ入っていた。
一体これがどうしたのか。
子供であるまいし、そろそろ紅原も食べ物をもらって大喜びする年でもないのだが。
だが、祖母はそれを満足そうに笑ってみせた。
「なんやね、親子の血っておかしなもんなんやね。同じことしよる人間好きになりよる」
「え?」
祖母の言葉に、一瞬紅原は思考が停止した?
好き?誰が、誰を?
だが、そんな紅原に気付かず、祖母は続ける。
「あんたの母さんと父さんもおんなじ事したんよ」
祖母の話によれば、紅原の父親は最初のデートの時に母に洋服を贈ったらしい。
それが、ブランド物の良い服だったらしく、それが母親の逆鱗に触れた。
施しはいらん、と突っぱねた母親に困った父親は、これは古着で、大した値段でないと嘘をつき、受け取らなければ捨てると脅してまで受け取らせた。
紅原の母親はそんな父親にお礼としてタイ焼き贈ったということだ。
「あんたに頼まれてあの子に着物を渡してくれ、て頼まれたときからなんか、変な予感はしよったんよね」
確かに紅原は祖母に環への足止めと別にもうひとつの依頼をしていた。
それは環に洋服を贈ることだ。
それとなく話を振って、今日のお詫びも兼ねたそれを受け取ってもらおうと思ったのだが、環は即答全力で拒否した。
紅原が過去に贈り物をしようとして断られたことはない。
紅原は自分が美形と呼ばれるべき顔立ちであることは知っていた。
そんな紅原から送られるものは女性にとって、一種のステータスであるらしく、どんな女性も紅原から送られるものは受け取ってくれていた。例え紅原を見下す一族の女であってもそれは変わらない。プレゼントは処世術の一環で、紅原にとってさほど意味のあるものではないのだが、それでも断られたのは初めての経験だった。
しかも環のような、言っては悪いが学校すら親のお金で満足に通えない苦学生に断られるとは思いもしなかった。
もらう謂れはないと環は突っぱねたが、そんなことを言われたのも初めてだ。
そもそも女性への贈り物などいつも適当な理由で送っていたし、それで受け取りを拒否されたことはない。さも当然とばかりに受け取られていたので理由など考えたこともない。
しかも今回は自分の方が無礼を働いているので、十分な理由であったはずなのに彼女は受け取らない。
環のように最初から受け取りすら拒否する女の子に出会ったのは初めてなので正直対応に困ってしまった。
実は環に贈った洋服は既に買ってあったものだった。
昨日、仕事の合間に母親につかまり、無理矢理買い物に付き合わされた時、マネキンに着せられたあのカーディガンがなぜか気になった。明らかな女物のそれに紅原が目を止めたのはなぜなのか自分でもわからない。
だが目に止めただけで、立ち止まりもしなかったのに、何か勘違いした母親が勝手にそれを購入して買い物後、お駄賃として紅原に押し付けたのだ。
女物のそれを紅原にどうしろと言うのか。だが捨てるわけにもいかず、迷った挙句、意図的に車に置きっぱなしにしたそれを色のある洋服をあまり持っていないという環に贈ろうと思ったのだ。なぜ、そう思ったのかは、あのカーディガンは環によく似合うと思ったからとしか答えようがない。
だが、環は紅原からは受け取らないと断った。
だが紅原としても自分が持っていても仕方なく、環にどうしても着て欲しかった。
そこで祖母に「古着と偽ってもいいし、受け取らなかったら捨てると脅してもいいから受け取ってもらってくれ」と伝えた。
事実古着と偽った祖母の言葉に難色を示したものの受け取ってくれたらしい。
「あんたに言われて、案の定一筋縄じゃ受け取らんあの娘に、あんたのお父さんがお母さんに言った台詞をまんま使ったら、同じように引っかかってくれてな。
で、お礼に鯛焼きや。なんだか驚きを通り越して涙が出てきてしもうた」
初めて聞く話だった。
紅原にとって父親は決して身近な存在とは言えなかった。
力の弱い紅原は目の前に立つだけで父親の威圧感に押しつぶされそうなほど強い存在だった。
むしろただの人間であったほうが、彼の力を感じない分、相対していられるだろうが、下手に力を持っているだけに、彼の前に立つと震えが止まらない。
そんな彼が、母親相手にそんな行動をとっていたとは意外を通り越して信じられなかった。
しかも、図らずも同じような行動を紅原は祖母を通じてやったなど。
「血は争えへんね。歴史は繰り返す、いうけど。
本当にまさかこんなことがあるとはね。
あんた、あんな良い娘、手放したらあかんよ?
あたしはあの娘気に入った。
こんな老人の話、気長に聞いてくれる若い娘なんざ、そうはおらへんからね。
幸いあんたは紅原の跡取りやない。場合によっちゃ紅原と縁を切って暮らせばいい」
「紅原と縁を…」
そうすれば、環と表を堂々と歩けるのだろうか?
あんなふうな顔をさせずに、堂々と別れの挨拶を交わして…。
それ以前に。
(…俺が、環ちゃんを好き?)
考えてもいなかったことだった。
指摘されても正直実感はない。
最初に会ったとき不思議な存在だと思った。
『古き日の花嫁』をなぜか知っていた得体の知れなさが気になった。それを知るのが自分だけだということに優越感さえあった。
二度目に出会ったときにはなぜか命の危機にあった。
救いはしたが、救われたことにも気づかない鈍さにはひどくイラついた。
そして三度目、学校では見たことのない彼女の本当の顔を知った。
心配してくれた顔、他人に向けられた笑顔を自分にも向けて欲しいと思った。
他の男に無防備な彼女に腹が立ち意地悪も言った。
でも、紅原が苦しそうにしているとき、そっとそばに寄って来てくれた。
誰にもわからない、紅原自身もわからない感情に答えをくれた。
紅原にとって父と母はただ尊敬出来るだけの相手ではない。
一族は母を“父を堕落させた悪女”と罵った。
そして、その子供である紅原は生まれてはいけない子だったのだと。
最強の吸血鬼である父と常に比べられ続けた最弱の息子。
それが一族中から呪いのように言われ続けた言葉。
紅原にはわからなかった。父と母の選択が正しかったのか。
それはそのまま自分の存在自体を肯定できずに育つ結果につながった。
だが、環は言ってくれた。
『周囲が何を言っても、結局決めるのは本人たちですから。
選ぶ権利も責任を負う義務も良いと思うか悪いと思うかも全部本人だけが持っているものです。
外野が何を言っても同じです。言わなくても同じ。』
それは、まるで父と母の行為を肯定しているような言葉だった。
ひいては、紅原自身を肯定もしてくれているようで。
もちろん、そんな訳はなかった。
環が紅原の事情を知るわけもない。
話の流れだけ考えればあれは岩崎たちの関係性について言われたのだろう。
それでも紅原は思わず泣きそうになった。
その表情は環にも見られたはずだ。だが何も言わなかった。
ただ話題を変えてくれた。
そうしてくれて良かったと思う。
だってそれは泣くようなことではないから。
環の優しさとは一見見えにくいものなのかもしれないと思った。
(そんな彼女を、俺は…?)
どくん、と突然胸が大きくなった。
次の瞬間視界がぐらりと揺れ、目の前が真っ赤になった。
(……る、さない…)
耳鳴りがする。
突然激しい痛みを感じて、紅原は蹲った。
「っ!円?円?どうしたんや、突然!」
紅原の常ならぬ様子に、さすがに異常を感じた祖母が慌てて駆け寄るが、紅原はそれどころではない。
その痛みに覚えがあった。
数日前、環を救ったあの特別校舎の時にも襲われた痛みだ。
だが、その痛みはあの時の比ではなかった。
わんわんと、激しい耳鳴りと、まるで心臓を鷲掴みにされるような痛みの中、赤い何かが頭を過ぎる。
(…ゆる、さない…許さない。…円…あたしのまどか)
(な、なんや?)
赤い印象、白い腕。どこからともなく耳につく女の声?
(……許さないわ、円。一人だけ幸せになるなんて。だって貴方は、あたしを…)
その時フラッシュバックするように見えた。
裏戸学園。
校舎、投げ出された白い腕、血まみれの制服。
炎と何か焦げる匂い。
そして…蹲る今よりやや幼い自分。
うつろな瞳、その口は真っ赤に染まっていた。
―――――――――あなたがあたしを殺した。
「うああああああああああああああああああああああ」
紅原は絶叫した。
それから、糸が切れたように意識を手放した。
えらいところで終わってますが。
紅原連続出場の回はこれで終わり。
紅原が次に出るまでちょっと時間があきます。
あしからず。
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[拍手してやる]
7/20 新しいSS拍手公開。但し鬱系になりますのでご注意を。(7/27全五話アップ)拍手2回すると出ます。
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