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ダークファンタジーで乙女ゲームな世界で主人公のルームメイトが生き残りをかけてあがいております(書籍版:ダークな乙女ゲーム世界で命を狙われてます) 作者:夢月 なぞる

2章 帰郷

とある吸血鬼の苛立ち2

紅原視点

 たまたま訪れたあの場所で環を見つけたのは、本当に偶然だった。

 ここ一週間ほど紅原は家の手伝いのため、学校に行っていなかった。
 みっちりと組まれた予定をこなしていたのだが、突然予定がキャンセルされ、ポッカリと時間が空いた。
 どうしようか考えていたとき、偶然出会ったのが岩崎だった。
 彼が恋人に会いにいくと言うので、無理を言って連れてきてもらったのだ。

 紅原は一族の中で力弱い分、情報でそれを補うことにしている。
 一見どうでもいいことでも知っておくのと知らないのとは違う。
 岩崎食品は紅原電機ほどでなくとも大きな企業だ。
 その跡目争いに発展しそうな事情を自分の目で見ても損はないと思ったのだ。
 まさか、その先で環に出会うとは思っていなかった。
 岩崎の恋人の親友だったとは、世間は意外に狭いものだと感じた。

 岩崎に買い物があると待たされた商店街の雑踏の中、人より聴覚の良い紅原の耳にどこかで聞いた声を聞いた。
 雑踏に紛れて、意識して聞かないとわからない程度の音だったが、紅原はまさかと思いつつ耳を傾けた。
 どうしてこんなところで環の会話を聞くことになったのかわからないが、普段とは違うリラックスした柔らかな声音に思わず集中してしまう。
 中学時代のエピソードが語られ、思わずほほえましさに笑みさえ浮かんだ。
 さぞ、他から見れば、おかしな様子だっただろう。
 途中までは問題はなかった。
 だが、途中で環の友人らしき弟が出てきたあたりから、なぜか心がざわついた。
 なんだか妙に胸騒ぎがした。嫌な予感と言い換えてもよいかもしれない。
 会話に耳を傾けながら、買い物を終えて紅原に向かってくる岩崎を迎えたあたりで、その予感は最高潮に達し、思わず紅原は駆け出していた。
 気が付けば、声の聞こえた店に飛び込んでいた。

 店に入ると同時に環が紅原に気づき、いつものように怯えた目を向けてきた。
 そんな環を背後にかばう男がいた。
 幼馴染だというあの男。岩崎には竜輝と呼ばれていたか。
 明らかに環に気があり、紅原に敵意をむき出しにしてきた。
 その様子は番犬と呼ぶにふさわしいように思えた。

 最初、紅原の登場に固まっている環を庇うように立ちふさがり、強い目で威嚇してきた。
 番犬に敵認識されたらしい。
 ともすれ唸りさえ聞こえるような睨み方に、多少ほほえましさは感じるものの、その背に環が隠れていることを思うと俄かに苛立ちを覚えた。
 思わず睨み返してしまい、その体を硬直するのを見て、しまったと思った。

 紅原は力が弱いとは言え、人ではありえない力を持っている。
 紅原の能力は視線を介して、相手の行動を縛る。
 以前、天城を抑えた力は別の力だ。相手の力をねじ伏せる力は極微弱で、吸血鬼相手ではほとんど使えないものしか持っていない。
 どちらも、ほとんど人間相手に使うことはめったにない。
 だというのに、思わず感情のままに使ってしまうとは。
 しかも学外で人間相手だ。
 これが紅原本家に知られれば、また母への嫌がらせの原因になるかもしれない。
 それを思って憂鬱になった。

 以前はこんな風に感情に任せた使い方をしなかったはずだ。
 先日の天城との一件といい、最近術を使う回数が増えている気がする。
 自己制御が出来ていないことに焦りを感じたが、それを表に出すようなことはしなかった。

 呼びかければ番犬の後ろから友人に引き出されるように環が現れた。
 その表情は全く優れず、先ほど入る前に見た友人に対する柔らかさも笑顔も微塵もなかった。
 紅原は環がどんな表情をしようと別にどうでもよかった。
 むしろ最初は自分相手に恐怖を示す彼女のことが気になっていたはずだった。
 だが、その時はその表情がひどく苛ついた。
 先ほどの番犬にはそんな表情ではなかったはずだ。

 もちろん対する相手は幼馴染で、紅原自身環に微塵も好かれていないことは百も承知だ。
 それでも、無防備にほかの男に笑顔を向ける環に無性に腹が立った。
 紅原に笑いかけてくれたことなど一度もないというのに。

 だから、意地悪心に火が付いたというのは言い訳に過ぎないか。
 先日の出来事を拡大解釈して、彼女の友人らしき二人に紅原と環の関係を誤解させた。
 もちろん、ほんの悪戯心だ。
 後で、冗談だと言うつもりだったが、思いがけず環が強く否定するものだがら、紅原もつい向きになって誤解を煽った。

 結局言質を取る形で環が叫び、それを友人二人に聞かれた環が真っ赤な顔をしてこちらを睨んでくる様子を、少しの罪悪感と少しの優越感で苦笑したとき、岩崎が合流してきた。
 岩崎亮介は実は紅原が高等部に入学する前の月下騎士会の人間だった。
 本来月下騎士は六色家の者しかなれないが、六色家が全くいない、或いは月下騎士になる能力に欠ける者しかいない時期というのも存在する。
 現在は三年から一年まで揃っているが、近年ではただでさえ数の減っている六色家の吸血鬼たちが揃ってすべての役職についていることの方が稀なのだ。

 ちょうど今から二年前の裏戸学園には六色家がいたものの、月下騎士に不適合とされた者しかいなかった。
 その場合、通常の学園選抜が行われ、その時の優秀だと認められた人間がその任に就く。
 ただし、その人間で構成された月下騎士会には現在の月下騎士に認められている強い権限はない。通常の学校の生徒会がもつ権限しか与えられないという大きな違いがあるが。

 岩崎とはおなじ月下騎士として出会った。
 その当時から家柄も性格もよく仕事も勉強もよくできる岩崎はみんなに人気だったが、一つのあだ名で呼ばれていた。
 トラブルメーカー。
 彼はなぜかそこにいるだけであらゆる厄介ごとを持ち込んだ。
 実際に一緒に仕事をする機会はなかったので、紅原自身感じたことはなかったのだが、まさか学外で今更知る羽目になるとは思わなかった。

 岩崎が語った紅原の過去の事件について、紅原には全く覚えがなかった。
 中学時代の紅原は無難に中学三年を終えたはずだ。一族からの嫌がらせはあったものの、何事も要領の良い質の紅原はそれを躱してみせた。
 平穏だったなはずの中学時代。それなのに、まるで岩崎は重大な事件が紅原の身に起こったように話す。
 岩崎との記憶の食い違いは彼の勘違いとしか言えないもので、笑って否定すればよいだけのはずだった。

 だというのに岩崎の言葉を紅原は笑い飛ばすことができなかった。
 彼が語るその事件について考えようとすると、靄が広がるように意識が曖昧になる。
 そのことに紅原は衝撃を受けた。

 明らかにこれは記憶が封じられているときの症状だった。
 紅原も力は弱いが精神に対して作用する力を持っている。
 その力からもわかる。自分には封じられている記憶がある。
 一体誰がそんなことをしたのか。思い出そうとしてもピリピリと細かなノイズ音とともに頭痛がして、先に進めない。
 記憶の欠如に呆然としていると、環が何か話しかけてきた。
 しかし、紅原にそれに応える余裕はなかった。
 生返事をしている間にいつの間にか環の姿が、幼馴染だという男の影になった。
 それを視認した瞬間、考えるより先に紅原の腕は動いていた。もはや反射とした言いようがなかった。
 彼女の襟首をつかみ勢い任せに引っ張った。
 環の体は短い悲鳴の後、後ろに傾いだ。それを受け止め、片手で包んだ瞬間、ふんわりと何か甘いにおいがしたのは気のせいか。
 柔らかく暖かな感触に思わず手放したくなかったが、頭痛は収まっていないため、力が入らずすぐ逃げられた。
 惜しくも思ったが、環の姿を見て頭痛も惜しさもすべて吹っ飛んだ。
 意図してのことでないとはいえ、和服姿の彼女の襟を引っ張ったことで、彼女の服が大変なことになっていた。
 そして、どうしてそこまで無防備になれるのかわからないほど、そのことに気付かず、目のやり場に困っているこちらを心配する彼女に指摘すれば、ようやく事態を理解してくれて、悲鳴を上げて奥に逃げて行った。

 店内に彼女の幼馴染の男と取り残された紅原は、正直どうすればいいのかわからなかった。
 ちらりともう一人取り残された男を見ると、一瞬目があった。
 首まで真っ赤な様子からおそらく彼も環のあの姿を見ていると思うと、なぜか面白くなかったが、自分のせいなのでなにも言えなかった。
 少しの間沈黙があたりを支配するが、先に口を開いたのは意外にも幼馴染のほうだった。

「…で、あんた。…どうするんだ?」

 聞かれて、一瞬何に対して言われているのかわからなかったが、自身の今後の予定のことだと思い当たり、少しだけ苦笑した。
 おそらくこの番犬は紅原をここから追い出したくてたまらないのだろう。
 しかし、それを直接出せるほど躾が行き届いていないわけではないようだ。
 律儀に聞いてくる彼に今後の予定を組み立てる。

「…車呼んで、帰るわ。少しだけ待たせてもらうけどええか?」

 紅原の答えに、一瞬だけ嫌そうな顔をしたが、竜輝はただ「そうか」としか言わなかった。
 明らかに迷惑そうだが、客商売をしている家に生まれた手前、番犬よろしく吠えて相手を追い返すこともできないらしい。
 難儀な性格だなと思ったが自分も大概なので何も言わなかった。
 無言でいつの間にか壊れていた店内のディスプレイを直し始める彼に背を向け、先ほど環に案内されかけた椅子のあるスペースに移動する。

 腰を落ち着け、早速家人に連絡をして車の手配をした。
 その際に、ちょっとしたアクシデントが起こった。
 運転手が言うには、手配した車の近くに紅原の祖母がおり、どうやら紅原を乗せる前に祖母を乗せて車は来るらしい。
 会いたくない相手ではあるが、仕方がない。
 憂鬱な気分で運転手の返事を聞いてから、電話を切り、外をそっと窺った。
 窓に面したその場所から藤崎堂のある商店街の光景が見えた。
 古いアーケードのその風景に紅原は少なからぬ、郷愁を覚えた。
 幼い一時期、紅原本家を出た紅原親子は下町で暮らしていた時期があった。
 その頃紅原は吸血鬼でもなんでもなく、ただの人間として、人間の子供と混ざって生活していた。
 自分が、吸血鬼だなんて知らなかったし、その力が吸血鬼にしては弱く、それが一族にとって侮蔑の対象となるなど考えもしなかったころだ。
 その頃の母親は今みたいに精神的に不安定になることもなく、元気いっぱいで口やかましい存在だった。
 母方の祖父母も近くに住み、ただ普通の家族として何の心配もせずに幸せでいられた時の記憶だ。
 その時住んでいた場所にこの商店街はどこか似ていた。幼馴染の家ということだが、環もこのあたりで育ったのだろうか。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか環がそばにいた。
 さっきの今で彼女のほうから近づいてくるとは思わなかった。
 思わずまじまじと見て、そのことを指摘すると、一気に彼女の顔が真っ赤に染まる。忘れているわけではないらしい。
 赤面しながらも、おそらく自分に言い聞かせただろう「水着と露出はおなじ」という言葉に思わず、紅原が環の水着姿を想像しかけたが、「想像したらたたき出す」の言葉に素直に謝った。
 環はとりあえず先ほどのことはなかったことにしたいらしく、手打ちと言って話を締め切った。
 とはいえ、紅原はしっかりと環のあられもない姿を見てしまっている上、それが自分のしたことということで、罪悪感は少なからずある。
 お詫びをしようと話を振るが、彼女は突っぱねるだけで謝罪も何も受け取ってもらえなかった。

 困っていた時に不意に彼女の言葉が引っ掛かった。
 彼女は何かにつけて、自身のルームメイトを引き合いに出すことが多かった。
 正直紅原は聖利音に興味はない。<古き日の花嫁>であるということは珍しいと思うし、彼女自身のわけのわからないパワーのようなものに圧倒される部分もあり面白いと思うこともあるが、常に気になるほどではない。
 彼女よりよほど環のほうが気になるのに、環はそれをまったくわかってくれない。
 ルートがどうとか、わけのわからない言葉を並べてごまかす彼女に苛立ちを覚えるが、自分の感じている素直な意見を口にする前に邪魔が入った。
 近所の店の店主という初老の男の登場に環はあっさり紅原への対応を放り出して、向かってしまったのが面白くなくて、会話に割って入ったのがまずかった。
 初老の男はあろうことか環と紅原の関係を大きく誤解した発言をした。

 正直、この発言に紅原は焦った。
 学園内ならともかく、外の世界で紅原との関係を誤解されることは危険を伴う。
 紅原は名誉職とはいえ大企業、紅原電機の会長である父親の一人息子だ。
 能力の無さで跡取りにはなっていないが、それでも紅原一族に恨みを抱いたり、利用したいと考える者にとっては、かなり美味しい誘拐対象だった。

 幼い頃は一族と離れて暮らしていたため、そんな危険に遭遇することはなかったが、紅原家に家族で連れ戻されたときより、幾度となく誘拐の危機にさらされてきた。
 普段は学園から出ることもない上に、外に出ても車での送迎があるため、危険に晒されることはない。
 それに、紅原は人ではない。
 その力は弱くとも人相手なら十分に対抗出来た。
 わざとつかまり、誘拐犯を逆に捕まえて、帰ったことも一度や二度ではない。

 しかしあるとき、業を煮やした誘拐犯が、紅原の友人にターゲットを移してきた。
 友人を一緒に攫うことで友人を人質に取り、紅原をおとなしくさせるのが目的だった。
 幸い未遂で済んだが、紅原は絶対に安全な場所以外で友人と会うのを避けなければならなくなった。
 少しでも紅原との関係が疑われれば誘拐の危機に晒されるかもしれないからだ。
 それでも今までであれば、紅原の周りには護衛を雇えるほど財力のあるものしかいなかった。
 一緒にいるところを万が一見られても、護衛が彼らを守ってくれる。
 だから、紅原は気をつけつつも、学友たちと外で交流を持つことはできた。

 しかし、環は違う。
 庶民でしかない彼女に護衛などいない。
 まして、彼女自身なんの力もない非力な少女なのだ。
 紅原との関係が歪曲して漏えいし、万が一誘拐犯の的になっては大事だ。

 それに、今日制服以外の環を見て、認識させられたが、環はなかなかの美人だ。
 聖利音や他の吸血鬼の花嫁たちのような絶対的な華やかさはないものの、すらりとした長身にきれいな黒髪、どこか底知れなさを感じる黒い理知的な瞳に白い肌は落ち着いた美を醸し出していた。
 一体何の術使いか、学園での彼女は実に地味に風景に溶け込み、その素顔と存在を目立たせない。
 普段顔を隠している重い髪をアップにし、藤色の着物を着ただけでこれほど変わるとは。
 その変貌に紅原は最初に彼女を見た時、一瞬誰だかわからなかったくらいだ。
 なぜ、いつも髪で顔を隠し、地味な服装を好んで気配を殺し生きようとするのかわからない。

 だか、その分心配がより増した。
 もし、彼女が紅原の代わりに誘拐されたら、誘拐犯が男だったらどうなるだろう。
 環は見れば見るほど無防備で、自分が魅力的な女性だと全く気づいていない。
 紅原は環の幼馴染二人に誤解を与えるような発言はしたが、後で冗談であることを言うつもりだった。
 それに彼女たちは学生で環の友人である。
 そんな彼女たちと大人でよその家の人間である目の前の初老の男性は違う。

 紅原は内心焦りつつも、誤解を増長させていく男性の言葉を遮った。
 紅原から飛び出す流暢な標準語に環が驚いているが、今は構わず視線に力を添えて男性の意識を操る。
 環との関係は誤解であることを植え付け、少し後にそれを忘れさせると言う暗示だ。
 なんとか成功したらしく、男性の言葉が途端おかしくなる。
 術をかけたときに紅原の異常に気が付いたのか、男はいつのまにか戻ってきていた竜輝の言葉で慌てて紅原から逃げて行った。

 その姿に少しだけ自嘲の笑みを乗せれば、環の視線を感じた。
 紅原の言葉遣いに驚いている様子だった。
 実は紅原の力は弱いため、暗示かけなどとの力を使うためには視線だけの力だけでなく、言葉での補助が必要だった。
 その言葉は相手に正確に意味を伝えないと暗示にかけられない。そのため、暗示をかける時だけ標準語になってしまうのだ。
 しかし、そんな真実を環に語れるわけがない。
 適当な理由を言って、環にも誤解を受けるようなことを言わないようにと釘を刺せば、どこか冷めた目が返ってきた。
 その瞳が先ほどまでの柔らかい対応の環から出会った時のかたくなな環に戻ったように思えてなぜだか少し寂しかった。
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7/20 新しいSS拍手公開。但し鬱系になりますのでご注意を。(7/27全五話アップ)拍手2回すると出ます。



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