とある幼馴染の苦悩1
※竜輝視点
可愛いと評判の竜くんの内情。
けっこう悶々としてます。
「あたしがずっとそばにいるから」
そう言って自分も不安だろうに、精一杯笑顔を浮かべる幼い姿が忘れられない。
安心させるように抱きしめる子供特有の高い体温と、不安を訴える震え。
それでも彼女は決して泣き言は言わなかった。
昔から彼女はそうだった。
いつも何かを我慢して、笑うのだ。
周りに心配かけないように、悲しい思いをさせないように。
そんな彼女を愛しいと最初に感じたのはいつからだっただろうか。
******
「わははは、環ちゃん。さあ、もう一度乾杯だ!」
「え?おじさん。あ、はい」
一体何度目かわからないグラスがぶつかる音を聞きながら竜輝はため息を吐いた。
朝の母親の宣言通り、その日の夕食は滅多に藤崎家ではお目にかかれない牛肉を使ったすき焼きが振舞われていた。
中央に座卓の置かれた畳敷きの居間には台所で用事をしている母親以外の藤崎一家と環が揃っていた。
すでにすき焼きは食べ終わり、それぞれがくつろいでいる時間だ。
完全に出来上がっている父親が陽気に環に絡んでいる。
酔っ払った父親はやたらと陽気になり、人に絡みたがる。
普段であれば止めに入るのだが、環が困り顔でありながら、どこか嬉しそうにしているため、竜輝は口を挟まなかった。
環は紅原を送っていくと出て行ったきり、長い間帰ってこなかった。
日も完全に落ち、その間紅原と二人きりの状態であることに気が気でなかったが、店を放り出すこともできず、待つしかなかった。
ようやく買い物から帰ってきた母親に店番を頼んで、環を探しに行こうとしたら、なぜか彼女は父親と一緒に帰ってきた。
お人好しの彼女は話し好きの老婦人に話し相手として捕まっていたのだと言う。
そこに父親がたまたま通りかかり、そのまま一緒に帰ってきたらしい。
なぜ紅原を送りに行ったはずの彼女が老婦人と一緒だったのか謎なのだが、聞いても彼女は苦笑いを浮かべ「自分でもよくわからない」と答えるだけだった。
不可解な彼女の言葉だが、紅原とは本当に大通りまで案内してすぐに別れたらしく何度も確認してようやく安心できたのはつい先程だった。
とりあえず安心した竜輝は座卓から少し離れ、壁に背を預けて環と父親の様子をぼんやり見ていた。
「ちょっと、父さん!環が困っているでしょ?いい年して、みっともない」
声に視線を向ければ父親と環を挟んで、反対側に座る姉が目尻を釣り上げている。
香織は母親が帰る直前に帰宅していた。
岩崎とは一緒に入った喫茶店で別れたらしい。竜輝にとっては一人店番に残された時間はとんでもなく長く感じたが、姉の方は随分と短く感じていたようだ。
帰ってきた姉は短い逢瀬に幸せそうで、どこか寂しそうな顔をしていた。
岩崎と一緒にいる姉は竜輝にとって今まで知っているどの姉とも違い、正直何とも言えない気分になる。恋とはここまで人を変えるものなのかと思い知った気分だった。
「香織。あたしは別に大丈夫だから。ね?」
「まったく、甘いわ!環。なんであんたはそうお人好しなわけ?そこが相手をつけあがらせるだけなのに」
そんな彼女だったが、今では岩崎を思ってため息を吐いていた乙女の部分が嘘みたいに消えて、普段通り傍若無人な様子だ。基本口下手な竜輝は姉に口で勝った試しがない。
父親に確かに甘い環はそれでも彼女に立ち向かうらしく、反論を試みている。
「それはよく聞いたけど、でも別におじさんは」
「そうだそうだ。いいだろ?久しぶりにもう一人の娘が帰ってきたんだ。少しくらいハメを外させろよ!」
調子に乗った父親が環の頭を豪快に撫でている。
環に触れる手に少し苛立つと共に、自分の父親にさえ嫉妬してしまう狭量さに嫌気がさした。
そんなこちらの思いも知る由もない、環は髪がクシャクシャにされながらも嬉しそうにしている。
彼女は万時そんな感じだ。
構われたいのに、いつだって我慢して何も言わない。
構ってやると嬉しそうにするのに、自分から何も言わないのだ。
そんな彼女の姿をなぜか見るのがなぜか苦しくて、竜輝は掛け合い漫才のような三人を置いて部屋に引き上げようと立ちあがる。
「あれ、竜くん。どこいくの?」
居間を出る直前竜輝に気付いた環が声を掛けてきた。
気づいてくれた嬉しさと、無言で立ち去ろうとしていた罪悪感で気まずくて首だけで振り返った。
「部屋に戻るだけだけど……」
「え?だってもうすぐおばさんがデザート……」
環が見る先の台所では確かに、母親がケーキを用意しているはずだった。
「ショートケーキって言ってたよ?竜くん好きだったよね」
「……一体いつの話をしてるんだよ?子供扱いするなよ」
確かに今も好きだが、なんだかショートケーキが好きなど子供扱いされているような気がして、思わず睨んでしまう。すると環は目に見えて落ち込んだ。
「あ。ごめん。そんなつもりはなかったんだけど」
「竜、てめえ。環ちゃんになんて口の聞き方してんだ?」
横から父親の加勢が煩わしくて、竜輝は逃げるように居間を後にした。
廊下に出てスグある階段を上がってそのまま二階に向かう。
店舗の二階部分が藤崎家の居間と台所以外の住居スペースで、廊下の一番奥に竜輝の部屋はある。
部屋に入ると、思春期の男にしては小奇麗な空間が見えた。
小奇麗、というより極端に物が少ないと言った方が正しいか。
部活が忙しく、家業の手伝いでなかなか家にいない竜輝の部屋はものが少ない。母親が勝手に入って掃除を行うため、滅多なものがおけないと言うのも理由の一つだが、もともと物持ちが良く、物欲の少ない竜輝の部屋は小学校から使う学習机とタンスとベッドのみが置かれた、殺風景な空間だった。
電気もつけずに、カーテンから漏れる明かりだけを頼りに壁際のベッドに仰向けに寝転び、先ほどの環の落ち込んだ顔を思い出した。
罪悪感を抱くが、素直に謝れない自分がいた。
環の求めているものはわかっていた。
ただ可愛い昔の弟分。環を姉と純粋に慕う弟を演じれば環は笑ってくれる。
けれど、それは竜輝には無理だった。
環は竜輝にとって姉なんかじゃなく、女の子なのだから。
先ほどの父親の言葉を反芻する。
もう一人の娘。
藤崎家にとって環はそんな存在だった。
両親同士が学生時代からの友人で、生まれる前からの付き合いだ。
環の父親が病気になり、環の母親が働きに出なければならなくなったとき、両親の申し出で環は藤崎家に預けられた。
それこそ朝早くから夜遅くまで環は一緒にいた。
泊まっていく回数も多く、実際に竜輝も彼女のことを幼い頃は実の姉だと信じて疑わなかった時期もあったくらいだ。
そんな姉に対する感覚が、いつから女性に対するそれに変わったのか。明確な時期は覚えてはいなかった。
一度深くため息をついてから、昼間のことを思い出した。
**********
配達から帰ってくると、朝に電話で聞いたとおり環が一年ぶりに見慣れた姿がカウンターにいるのが見えて思わず嬉しくなった。
しかし同時に複雑な思いも胸に広がった。
一年間。
そんなに長いあいだ竜輝は環と離れていたい時期はなかった。
生まれた時から家にいることすら当たり前の相手に、一年ぶりに出会ってどんな顔をしていいのかわからなかったのだ。
意を決して店に入ると、すぐに環は気づいてくれたが、不意にその姿に違和感を覚えた。
一年ぶりに会う彼女は最後の会った姿より、どこか別人に見えた。
中学から高かったスラリとした長身に真っ黒な長い髪を結あげ、竜輝のことが分からず姉に指摘されるまで気づくこともなかった迂闊さもいつだって少し寂しそうな様子もそのままなのに。
その原因に気づいたのは、彼女の顔が自分の視線より下にあることに気付いた時だった。
中学まで竜輝の身長は前から数えたほうが早い位のもので、彼女の顔はいつだって見上げるものだった。
しかし、一年ぶりに会った彼女の顔は明らかに竜輝より下にある。
竜輝の身長はここ一年で実に劇的な成長を見せていた。
あまりに急な変化だったため、骨が成長する音が聞こえた気さえする。
もともと父母、姉と小さい方ではなく、彼だけが家族の中で小さかった。
そのことで一時期は食べ物も喉に通らないほど、不安に駆られたこともあったが、今はそれが杞憂だったことがわかっている。
竜輝自身視界が変わったことを自覚はしていたが、一年をかけて徐々に変化していったため、特別気にしていなかった。
低身長で馬鹿にされなくなって嬉しいとか、部活に有利とかくらいにしか思わなかった。
しかし、その日姉の友人にして幼馴染である多岐環との一年ぶりの再会で自分が変わったことを深く実感せざるを得なかった。
「あの、お客様?」
竜輝をお客と勘違いしたまま、上目遣いに竜輝の顔を覗き込む彼女の様子に不覚にも抱きしめたい衝動に駆られた。
これまで身長差から竜輝が環を抱きしめようものなら、しがみついているようにしか見えなかったが、今なら彼女をすっぽり覆い隠せる気がした。
いつの間にか小さく感じるようになった彼女の体を抱きしめてみたい。
思わず誘惑に負けそうになって、彼女から目を離すが客と勘違いしたままの環は必死で誘惑と戦う竜輝の理性を試すように何度も視界に入ってきた。
それは彼の姉が、それを笑いながら指摘するまで続いた。
姉の一言でなんとかその場は理性を保てたが、そのことで蓋をしていたはずの自分の彼女への思いが、ここ一年まったく変わらなかったのを自覚せざるを得なかった。
あの日、中学の卒業式と同時に彼女が全寮制の高校への進学を決めて、竜輝の前から姿を消した。
そのことを環は藤崎家の誰にも、親友だったはずの竜輝の姉にすら相談せずに決めていた。もちろん竜輝にも断りなどあろうはずもなく、聞かされたのは全ての進学手続きが終わった時だった。
その頃になるまで竜輝は環が姉と同じ高校に進学し、自身も同じ学校に一年遅れで入学してずっとこれからも一緒なのだと、なんの根拠もなく信じて疑わなかった。
しかし、現実は竜輝の甘ったれた漠然とした未来を採用しなかった。竜輝も環の家庭事情は知っていたが、高校にいけないほど切迫していたとは知らなかった。
ずっと一緒に育った、ずっと見てきたその背中が遠くなった気がした。
そんなことも知らなかったことが、自分でも衝撃的でそんな不甲斐ない自分であるから環に相手にしてもらえないと感じ、あの日一度彼女への思いを捨てた。
中学三年になり、身長が伸びたこともあり、それまで竜輝の身長のことを馬鹿にしていた女子たちが急に態度を変えて、告白してきたということが何回か起き、一時は環への思いを断ち切るために彼女たちと付き合ったこともある。
しかし、彼女たちと会うたび、出掛ける度に環との違いを思い知らされる。
環ならこう返事をするとか、こんな反応はしないはずだとか。今思い出してもあまりにも彼女たちに失礼な話だったと思う。
そんな自分の態度に彼女たちの方が気づいて、去っていった。
そんなことを二、三人繰り返したあと、その事を噂で知った姉に鉄拳制裁をくらったあと、やめた。そろそろ虚しくもなっていたし、高校受験でそれどころではなかったと言うのもあった。
改めて目の前で笑う環を見ていると、環への思いを甘く見ていたのは自分なのだと気付かざるを得ない。
環は今まで付き合ってきた彼女たちとは明らかに違う。
いつだって心配かけまいと笑う姿も、いつだってどこか寂しさに揺れる瞳も、一挙手一投足目を奪われる。目の前に立つだけで抱きしめたいと思うのも彼女だけだ。
中学に上がった時にははっきりと自分の気持ちを自覚して、呼び慣れた「環姉」の呼び名を無理矢理苗字の呼び捨てに変えた。
周りにからかわれたというのもあるが、なによりいつまでも姉と呼んでいてはいつまで経っても環の弟から脱却できないと思ったからだ。
環と竜輝は当たり前だが一年の年の差がある。
小学校と中学校。一年だけ学校が離れているあいだに、姉から聞かされた話は竜輝にとって焦りを生んだ。
中学一年の頃、環は仲の良いクラスメイトに何度となく告白を受けていた。
彼女自身自分のことを地味でモテないと思い込んでいるが、竜輝にすればとんでもない。
スラリと高い身長に真っ直ぐな日本人形みたいに切り揃えられた蒼みを帯びた長い髪、どこか儚げな風情の姿は男の庇護欲を掻き立てる。飛び抜けて美人というわけではないが、それなりに顔立ちも整っており、十分可愛らしい。
だが、持ち前の鈍感力を遺憾なく発揮し、すべてを冗談と流した彼女の様子を姉は面白おかしく語ってくれたが、そのことで改めて竜輝は危機感を募らせた。
竜輝はただでさえひとつ年下というハンデを抱えている上に、弟としか見てもらえない。その上、離れている一年の間に他の男に環を盗られるようなことになったら、目も当てられない。
そこで、離れている間に環が他の男の目に止まらないように策を講じた。
環が心酔する女弁護士を引き合いに出し、他の男の目に止まらないように地味で目立たない格好をするように仕向けたのだ。
もともと目立つのが極端に嫌いで素直な彼女は、竜輝の思惑に気づくことなく、竜輝の勧める地味な姿を採用した。さらに彼女が行き過ぎて、目立たないよう気配の消し方などの研究をしてひたすら地味さに磨きをかけたのは誤算だったが。
今でもその洗脳は効き過ぎるほど聞いているらしく、彼女の私服姿は見事なまでアースカラーだ。背の高いスラリとした彼女にはどんな色でも似合っているが、それでも昔よく着ていたパステルピンク色のような淡い色の洋服の方が、彼女を何倍も可愛く見せる。そのことを知っているのは竜輝だけでよいと思った。
だから少しだけ今日紅原と別れた後、出会ったという老婦人からもらったという綺麗な色合いのカーディガンを嬉しそうに身に着ける彼女を見て。
見知らぬ老婦人に対し、少なからぬ嫉妬を抱いてしまったのは竜輝だけの秘密だった。
独占欲丸出しのワンコです(・皿・)しゃー
環視点で書いていたときはそう感じませんでしたが、
思春期の特に欲望に弱い時期の子ですので、まあいろいろ……。
環に幻想を抱きすぎているな、と書きながら思う今日この頃。
誰だよ、この女w
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[拍手してやる]
7/20 新しいSS拍手公開。但し鬱系になりますのでご注意を。(7/27全五話アップ)拍手2回すると出ます。
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