幽霊検証
蒼矢視点。主人公出ません。
(逃げられた…)
制服姿の少女の幽霊は闇に溶けるように消えていった先を呆然と見つめる。
追いかけようとしたが、脚が動かなかった。
否、立ち上がろうとしたが失敗したのだ。
いつの間にか腰を抜かしていたらしい。
こんな失態、幼かったころはともかく就学してからはなかったのに。
思わず、動かない足を拳で叩く。
(…っ、くそ。あの本のせいだ!)
風紀委員が持ってきた生徒から没収されたものの中にあった本をただ何気なく手に取ったのが運のツキだった。
それは学園七不思議を題材に扱った学園ホラーの漫画だった。
何気なく開いて、流し目で読んでいたのだが、その怖さに早々に気分が悪くなり、何度も読むのを辞めようと思った。
しかし、途中で本を置くと、むしろ続きが恐ろしく想像されて、読むことを止められず、結局全部読んでしまった。
そのことで、次に予定していた仕事が押してしまい、結局日が落ちた現在、校舎内に残るはめになった。
夜間の校舎内は夜目の利く吸血鬼である蒼矢にとっても不気味で、あんな漫画を読んだ後ならなおさらだった。
蒼矢は幽霊とか心霊とかつくものが大の苦手だった。
自身が吸血鬼で人でない者なので、何を言っているのかと言われそうだが、苦手なのものは苦手だった。
おそらく原因はかつて乳母に枕元で語ってもらった百怪談が原因だと思われる。
乳母は時に厳しく、時に優しく、普段家にいない母親の変わりに蒼矢の面倒を見てくれた。
蒼矢にとって大切な人間なのだが、蒼矢が聞き分けがなかったり、悪いことをするとその都度怖い話をするのだ。子供に対して『いい子にしないとお化けがくるぞ』的な話であればよかったのだが。
かつて演劇少女だったと語る乳母の話はそれはそれは臨場感たっぷりで、幼い頃聞きながら意識を飛ばすことなどざらだった。
そのため今でも幽霊、心霊、怪談と言ったものは苦手中の苦手だった。
だが、そのことを知っているのは乳母と一緒にその話を聞いていた紅原だけだった。
乳母は『純血の吸血鬼たるもの無闇に弱点を広めるものではありません』と両親にすら話さなかった。
小学部に上がってからは、学校が忙しくて、乳母の怪談を聞く機会も減り、月下騎士会として裏戸学園を支える生徒代表として暮らす中で、その記憶自体だんだん薄れ始めていたのだが…。
(…まったく、まさか今更、あんな漫画ごときにトラウマに呼び起こされるとは…)
情けなさに頭痛がして、蒼矢は額を押さえた。
幼心に残った傷は案外根深かったようで、蒼矢自身もあんなフィクションでこれほどまでに、心を乱されるとは思っても見なかった。
更に蒼矢は出会ってしまった。
校舎裏の幽霊に。
(まさか、我が学園に出るとは…)
その姿を不意に思い出し、身震いした。
びしょぬれに濡れた乱れた長い黒髪、青白い肌に髪の隙間からのぞく唇だけが妙に赤くて…。
思わず、先ほど読んだ漫画を思い出して、あまりの恐怖に失神までしてしまったのだ。
その漫画の中の七不思議の一つに校舎裏の幽霊と言うものがあった。
いじめを受けている最中に屋上から転落死した少女の幽霊が、死に際の未練で地縛霊と化して、生徒たちを次々と黄泉路に引きずり込もうとする話だった。
(だが、あの幽霊。漫画とは少し違っていたな)
当たり前のことなのかもしれないが、蒼矢が見た幽霊は漫画とは異なっていた。
漫画では「うらめしい、うらめしい」と血走った瞳で、深い憎悪の念を生きている人間に向けていたが、今日見た幽霊はどちらかというと、物静かな性質だったように思う。
目を開けた瞬間、一瞬だけ見えた瞳はどこか澄んでおり、虚空を見つめるようにとらえどころのない視線が印象に残っていた。
憎悪にまみれているわけでもない、かといって死んだようなにごった瞳でもない。…いや、死んでいるのだから、この言い方は正しくないか。
ただ超然としており、その姿だけがぽっかり現の風景から切り取られているように見えた。
(…今思えば、こちらに害意はなかったな)
漫画の記憶が生々しく、思わず未練を聞いてしまった。
漫画では、幽霊の少女はいじめの主犯の生徒に取られた大事な形見の人形を欲しており、主人公がそれを探し出して幽霊に返したことで、幽霊が消えたからだ。
もし、この幽霊が何か未練を持ってこの場にいるのならそれを叶えさえすれば消えると思った。
蒼矢は自慢ではないが、地位も金も権力も持っている。月下騎士会会長の名前は伊達ではない。また、蒼矢グループの次期総帥としての未来も約束されており、蒼矢に叶えられないことはほとんどないと思っていた。
もちろん結婚しろとか言うのは無理だが物理的なことであれば、蒼矢は何でもするつもりがあった。そしてそれを叶えるだけの力もあった。
だから、幽霊に問うたのだ。『なにが心残りだ』と。
しかし、その言葉に帰ってきたのは、蒼矢にとって予想もつかない言葉だった。
『馬鹿じゃないですか?』
意外にしっかりとした、低音だが耳になじみのいい声で何を言われたのか、瞬間分からなかった。
言われたことのない言葉に首をひねるが、教えてはくれなかった。
(言葉の意味はとりあえず、後で調べるとして。)
結局、幽霊は近づくな、としか言わなかった。
こんなことは蒼矢にとって初めてのことだった。
蒼矢自身、大抵の願いは何でも叶えられる環境にあるため、その分力を使うところはよく見極めた上で使うように躾けられている。
蒼矢は誰でも何でも願いを叶えてやるなどとは言うわけではない。
その分、一度口に出したことは絶対の約束としてどんな手を使っても叶えるつもりはあった。
今まで蒼矢に願いを口にしたものは、それこそ数え切れない数いた。
しかし、「叶えてやる」とこちらから言って、何も言われなかったのは初めてのことだった。
蒼矢の家では「有言実行」が家訓だった。
一度「叶える」と言った手前、何もしないでは蒼矢の教示に関わる。
もちろんあの幽霊が蒼矢がどんな存在なのか知らないから何もいわなかった可能性もある。
しかし問題はそこではないのだ。
気付けば、脚の震えも収まっていた。
蒼矢はようやく動くようになった足で立ち上がり、服についた埃を払った。
それから、瞬間目を閉じ、開いた瞳は赤い光が灯り、普段は押さえつけている人にはない力を解放する。
蒼矢を中心とし、ぶわりと砂埃が舞う。風もないのに木々がざわめき、その中に潜んでいた、小さな生き物が一斉に逃げ惑う。校舎の窓がびびっと音を立ててきしんだ。
その音に蒼矢は気付き、やや力を抑えた。
夜の王者たる吸血鬼の純血。
半分しか血を持たない他の吸血鬼など足元にも及ばない力。
蒼矢がその力を本気で解放すれば、このあたり一帯焦土と化すことも決して不可能ではない。
すでに生徒のいない学校内。
誰かがいれば、力の奔流に気絶し、心の弱いものであればショック死するかもしれない。
空を見上げれば新月よりやや面積の多い月が浮かぶ。
吸血鬼の力は月の満ち欠けによって変化するため、最も弱る新月に近いこの夜は蒼矢とてその力の半分も使えない。
それでも周囲に反意を起こさせない絶対の力を蒼矢はまとっていた。
不意に、乳母の声が耳に蘇る。
『蒼矢の宗主は"有言実行"。
できないことは決して口にされないお方でした。。
そして歴代のご当主も。坊ちゃんは当主を継がれるお方。
蒼矢の血には一度口に出したことは何があってもやり遂げなければならない。
言葉は言霊。言葉は誓いです。
その誓いの上に現在の蒼矢の繁栄があることを忘れてはなりません。
もちろん安易な約束はしてはなりません。
しかし一度約定を結べば、決して違えてはなりません。
自らが滅びようとも、決して。
それは蒼矢の誇り。それが蒼矢が蒼矢たる所以なのです』
赤い目を光らせ、蒼矢はあたりを睥睨した。
今ここにいない、相手に向かい薄く微笑む。
普段の彼を知るものであれば、驚くような酷薄な笑みだ。
『…貴方に、あたしの望みなど叶えられない』
透明な視線の名も知らぬ幽霊の言葉が甦る。
そんなことはない。
(なぜなら俺は蒼矢透だからだ)
蒼矢の名を背負う以上、そんな屈辱は受け入れられない。
人より優れた力を持ち、成績も学年トップをキープし、走れば陸上部のエースにも負けはしない。
もちろん努力もした。
叶えられないものなど蒼矢に存在させるわけにはいかない。
たとえ相手がこの世ならざるものでも。
(どんな手を使っても)
胸に決意を灯らせた、蒼矢の目には人でない証ではない強い光が宿っていた。
決意を胸に、その場を後にしようとした蒼矢は不意にその視界の隅に光る何かを感じた。
それは通常の力を抑えた状態では、気付かなかった小さな光。
蒼矢がそっと茂みに近づいた。
そこに落ちていたのは一目で安物と分かるクリスタルのキーホルダーだった。
(落し物か?)
拾い上げて、確認する。
赤やピンクの紐とビーズが複雑に編まれ、それでクリスタルを支えているつくりで、一目で女の落し物だと分かる。
一瞬、あの幽霊の落し物かと考えるが、その割にはキーホルダーは新しい。
蒼矢が記憶する限り、ここ数年でここで死人が出た記録はない。
だとすれば、古い時代の人間だと考えるのが妥当だ。
あの幽霊のものとするにはこれはあまりに新しすぎる。
だが、なんとなくそれをそのままにするのも気が引けて、蒼矢はそっと持っていたハンカチに包み、ポケットにそれをしまい込んだ。
落し物なら、職員室にでも届ければいいだろう。
それきりキーホルダーの存在を頭の隅に追いやった。
幽霊の正体を探る方法を考えながら蒼矢はその場を後にした。
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7/20 新しいSS拍手公開。但し鬱系になりますのでご注意を。(7/27全五話アップ)拍手2回すると出ます。
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