幽霊
前髪に伝う雫が重力に負けてぽたりぽたりと落ちていく。
滴り落ちる雫を追って地面を追えば、あたしの周囲の地面だけが濡れている。あたしはそっと目を閉じてため息を吐いた。
放課後の渡り廊下の脇。
相変わらず人通りの少ない特別教室棟のすぐ傍だ。
例によって例のごとく、棚橋先生の届け物をした帰りだった。
あのいじめ現場目撃事件の経験より近道なんかするもんじゃないと悟ったあたしです。
今度はきちんとした正規のルートを通っているときに、それは突然起こった。
持っていた鞄を突然背後から来た知らない女子生徒に奪われて、すぐさま校舎の傍にある茂みのほうにそれを投げられたのだ。
あたしは慌ててそれを拾おうと茂みに入った瞬間、頭上から水をかけられた。
上空では、くすくすと意地の悪い声が聞こえてくるが、見上げる先に人の姿はいない。
見回しても先ほどあたしの鞄を奪って投げた生徒も姿はすでに見えない。
一瞬の出来事だったため、顔もおぼえていない。
犯人は分からない。
目星はつけられそうだけど、下手に突っついて薮蛇で死亡フラグだったら目も当てられない。
考える間もぽたりぽたりと髪から滴る水があたしの視界に入る。
あ~、くそ。これってバケツの水?
汚水じゃないといいんだけど。
ため息を吐いて、あたりを見回す。
少し離れた場所にあたしの鞄が見えた。
割と投げられた位置が遠かったため、濡れていないみたいだ。
不幸中の幸い。教科書なんかが濡れたら大変だ。
本当に先生の用事を終わらせた後でよかった。
もし頼まれ物を持っていて濡らしたら大変だった。
体や服は拭いて乾かせばいいけれど、紙類はそう言うわけにいかない。
着替えを思い浮かべて、そういえば今日は体育がなくて、ジャージも寮の中だと思い出す。
ついてない。そういえばタオルなんかもないな。
数日前からいじめに警戒して学校においていた私物は寮の私室の中に持って帰って学校には必要最低限のものしかなかった。
そうです。今現在もあたしはいじめの対象になっています。
結局あの後、いじめグループは反省をしなかったようだ。
停学処分があけた後、実に陰湿な嫌がらせが始まった。
まず靴箱に画鋲、机に分かるか分からないかの鉛筆の落書き、進行方向にバナナの皮など、実にせこい。
あ、でもあれはよかったな。
今朝、寮の部屋の前になぜか丸のままの冷凍鶏がおいてあった。
血抜き処理の施された高級な奴だ。
おそらくだが、嫌がらせのためにおいたのだろう。
よくいじめとかで猫の死体とかおく奴があるじゃないか。
あれと一緒だ。でも良くも悪くもこの学園の生徒はお嬢様だ。
おそらく死体が用意できずに、売っているものでグロテスクなものを選んでおいたのだろう。
鶏は冷凍しておいてある。
近いうちに調理して、まず聖さんに食べさせてやろう。…毒見役で。
…それにしてもあたし、落ち着いてるな。いじめ受けているのに。
うん、あれだ。あたしがいじめを受けるのは初めてではないからだ、これは。
一年の最初のころはあたし個人に対するいじめがあった。
その際に自己防衛の方法はすでに編み出してある。
まず自分の持ち物は肌身離さず持ち歩く。悪戯されそうなものは学校に置かない、一目のないところには行かない。先生の近くにいるなど、だ。
幸いと言うか今のところ直接的な暴力とか、カツアゲとかはない。
まあ、あまり大事を仕掛けると月下騎士会が出てきかねないからだろうが。
あたしはこのことを聖さんにももちろん月下騎士会にも知らせてはいない。
確かにあたしが彼らに申告すれば、彼らは彼女たちに牽制をしてくれるだろうが、元々彼らに近づきたくないあたしは彼らに頼るつもりは毛頭ない。
だが、その姿勢がだんだん彼女たちを増長させている気もする。
最初はまるで反応を見るかのように嫌がらせかそれとも単なる偶然なのか分からないようなものが続いていたのだ。
だが、あたしがあまりにも無反応で月下騎士会にも動きがないため、だんだん調子づいてきたらしい。
さすがに今日のは少しやりすぎだ。
まあ、あたしも油断していたのもあるけれど。
だが、月下騎士会に頼れない以上、自力でどうにかするしかない。
しかし、あたしはあくまでも地味なだけの一般生徒だ。
彼女たちの行動を制限する権限など持たない。
どうしたら、彼女たちのいじめを辞めさせられるのか、全く思いつかなかったりするのだが…。
考え込んでいたら、いつの間にか頭から垂れていた水滴はなくなっていた。
変わりに肌に張り付いた服に風が吹いて体が震えた。
うう、さすがに濡れたままこんなところにいたら、いくら春先とはいえ風邪を引いてしまう。
鞄を濡らさないように拾った時、すぐに帰るわけには行かない理由に気付く。
それはキーホルダーだった。
先ほどまで鞄についていたのは分かっているから、おそらく投げられたときに外れてしまったのだろう。
あのキーホルダーはあたしが中学時代の友人たちから貰った大事なものだ。
困った。あれを無くしたら次に会った時、何を言われるか分からない。
そもそもあれはあたしのこの学園で暮らすためのお守りみたいなものだ。
無くしたままと言うわけにはいかない。
あたしはため息を吐いて、鞄を置いて捜索にかかる。
だが、その作業が困難を極めそうなことは容易に見て取れた。
鞄の落ちた場所は茂みの中なのだ。
地面を探るにしても、茂みが邪魔で見通すことができない。
草を掻き分けて、小さな目標を探すというのはいかにも困難に思われた。
しかも、今は濡れそぼったままだ。あまり体を冷やして寝込んだりしたら目も当てられない。
(だけど、あれは大事なもの)
あれがあったからきっとこの生活に耐えられた。
中学時代の楽しさがあったから今を絶望せずに生きられる。
あのキーホルダーはその思いでそのものだ。放置して帰れない。
探して二十分ほど経ったが、いまだ見つからない。
だんだん冷えた体が震えてがちがちと歯が鳴った。
さすがにこれ以上はまずいかもしれない。
指先も震え始めて、体をさすったがまったく効果はなかった。
あたりはだんだん薄暗くなってきた。
さすがに諦めて明日にしようかと思ったときにその声は響いた。
「…だれかそこにいるのか?」
聞こえた声にぎくりとする。
その声はよく知る声優の声だ。
だがこの世界にその声優さんはいない。
いるのはその声優の声を持った別の人間だ。
蒼矢透。
月下騎士会会長であり、純血の吸血鬼だ。
なぜそんな人間がこんな人のいないところに?
混乱する頭で、似た声の別人である可能性を祈りながらゆっくりと振り返る。
「っっ!!!!!」
その他の人である可能性は打ち砕かれて、思ったとおりの美貌の吸血鬼が立っていた。
だが、なんだか様子がおかしい。
ひどく驚いたかと思うと、ぱたんと倒れてしまった。
「え?」
あまりのことに呆然としてしまう。
わかっていることはあたしは何もしていないこと。
そして蒼矢会長が勝手に倒れたことだ。
そっと近づいて、見るとやはり気を失った蒼矢会長が横たわっている。
様子を覗き込もうとかがんだ際、自分の前に垂れた髪にとある可能性が沸いて、鞄から慌てて鏡を取り出した。
「っ!こ、これはこれは…」
薄暗い中であまりはっきり見えないが、今のあたしは濡れた髪が顔に張り付き、冷えて青白くなってしまった顔がまるで幽鬼のようだった。
自分でいうのもなんだけど、ホラーだね。
そして、蒼矢会長は何を隠そう幽霊が大の苦手だ。
おそらく、今のあたしの姿を幽霊だと驚いて気絶してしまったのだろう。
…人外がなに言ってんだって感じなのだが、かつて戒めの意味をこめた怪談話を夜な夜な乳母から聞かされたため、その手のものが大の苦手なんだそうだ。
ドラマCDで百物語をするという設定で強がりながらもずっと声が震えてて、最後には気絶してたな。
…俺様で普段威張ってるのに。
この人、今思っても色物キャラだな。
公式ではまるでメインキャラクターのように扱われていたのに、なんだか蓋を開けてみれば、残念すぎる美形だ。
でも、そこが可愛い!って年齢の高いファン層に人気だと、雑誌に載っていた気がする。
年上キラーか。侮れませんな。
だが、一応意図してではなかったとはいえ、気絶させてしまったのは申し訳ないし、このまま放置と言うわけにもいかない。
だが、下手に目を覚まして、お知り合いになりたくない。
もうこれ以上人外の知り合いは要らないのです。
誰か知り合いを呼べればいいけど、蒼矢会長の知り合いって言ったら月下騎士会だろうしな。
…一瞬会長と親戚筋の赤毛眼鏡が思い浮かんだが、打ち消した。絶対、関わりたくない。
そもそも、あたしこんな姿だしな。守衛室に行って変な誤解を受けたくないし、いい加減帰りたいし。
う~、めんどくさいな。放置しようかな?
そんなことを思っていたら、「うっ…」といううめき声が聞こえた。
え?起きた?
慌てて覗き込むとうっすらと開いた切れ長の瞳がのぞいた。
あわわわ、やばい。逃げなきゃ!
だが腰を浮かしかけたあたしに会長の声が響いた。
「待て!何が心残りだ!」
は?心残り?
あまりに妙な問いかけに思わず去りかけた脚を止めてしまった。
だが、その間も蒼矢会長は至極まじめにあたしに問いかける。
「お、俺は幽霊は心残りがあるから成仏できないと聞いている。
お前の心残りはなんだ。言ってみろ。
俺が叶えられるなら何でもしてやる!」
そのかわり成仏しろよ!と一方的にあたしに指を突きつけてくる。
はて?どういうことでしょう?
どうやら会長があたしを幽霊として認識したままであることはえらそうに指を 突きつける割には震えて狙いが定まらない様子でわかる。
しかし、なぜに苦手な幽霊の願いを叶えてやろうなどというのか?
「…お前のその姿、裏戸学園の生徒だったんだろう?
俺は今の代の月下騎士会会長だ!
いつの時代か知らないが、裏戸学園の生徒が困っているのを黙って見過ごすことなどしない!
それが月下騎士としての義務だからな!」
高貴なる義務。
月下騎士会には王様と似たような最高の権力が与えられると同時に、全校生徒に対するその権利を守る義務を負う。
それは月下騎士となるための義務であり誇りでもあると聞いたことがある。
彼らは生徒たちの声に耳を傾け、真摯にそれに対応する。
その姿勢は歴代のどの月下騎士たちにも受け継がれ、彼らがこの学園に君臨する謂れにもなっているものだ。
おそらく、会長はあたしが幽霊だとしても制服を着ている以上、その保護にあたいすると思ってこんなことを言っているのだ。
あまりのことにあたしはつい本音が漏れた。
「…馬鹿じゃないですか?」
「?馬鹿とはなんだ?」
聞き返されるとは思っておらず、あたしは思わず目を丸くした。
「馬鹿は馬鹿でしょ?」
「…だから馬鹿、と言うのはなんなんだ?」
本気で知らない様子の会長にあたしは唖然とした。
まさか、馬鹿という単語を知らないのか?
それとも優秀すぎて今まで言われた事がないとか?
…いや、まさか。それこそ馬鹿な。
「本気で分からないんですか?」
「…なんでも言わせるな!聞いたこともない言葉だ!」
幽霊然としたあたしに顔は青いが、どこか不機嫌にうなり始める会長。
だが、言っている内容が内容なだけに人外でも全然怖くない。
「…辞書でも調べてください」
「お前、幽霊の癖に円みたいなことを言うな?」
おい、言うに事欠いて、あんなセクハラ会計と一緒にするな!
「…それより、願い、聞いてくれるんですよね?」
もう、会話するのも馬鹿らしくて、無理やり話を戻す。
すると、青ざめた顔ながら会長がこちらをまっすぐ見た。
「ああ。俺にできることなら何でも…」
言いかけた、会長の言葉は最後まで聞く気はない。
あたしはせいぜい幽霊に見えるように、手を胸の前にブラさげた。
そして、じりじりとすり足で後退しながら、できるだけ幽霊っぽく細い声を出した。
「…じゃあ、近づかないでください」
「なぜだ!」
…何でも叶えてくれるんじゃなかったのか?
望みを言ったのに全然こたえる気はないのか。
あたしはため息をこっそり吐いた。
「…貴方に、あたしの望みなど叶えられない」
そもそも今のあたしの望みは会長が視界から消えることだ。
あたしが後ずさりしているのに気が付いた蒼矢会長があたしを追うため腰を浮かしかける。
ひやりとするが、腰を抜かしているのか、立ち上がろうとして失敗したようだ。
どこまでも情けない、残念な人だよ。本当に。
「ま、待て!」
待ちません、当たり前です。
最後に一瞬だけ振り返って言ってやった。
「あたしの望みを叶えてくれるのであれば、あたしに二度と近づかないで」
呆然とした表情の蒼矢会長を置いて、あたしは暗闇に身を翻した。
あー、もう!キーホルダーは明日探してやる!
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7/20 新しいSS拍手公開。但し鬱系になりますのでご注意を。(7/27全五話アップ)拍手2回すると出ます。
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