プロレスライター・フミ斎藤、新コラム開始のゴングが鳴る!――「フミ斎藤のプロレス講座」第1回

―「フミ斎藤のプロレス講座」第1回 ―

プロレスライター・フミ斎藤 みなさん、こんにちは。本日より連載コラムがはじまりました。いきなり試合開始のゴングです。選手紹介、ではなくて自己紹介をさせていただきます。プロレス・ライターの斎藤文彦――フミ・サイトーFumi Saitoとも呼ばれています――と申します。

 この仕事をはじめて33年になります。1983年(昭和58年)の創刊以来、契約記者としてお世話になってきた『週刊プロレス』を“退団”し、より大きな、広いリングに活動の場を求めることになりました。もともとサラリーマンではなくてフリーランサーではありましたが、20代前半から“所属選手”のような形でホームリングとしてきた編集部に別れを告げ、文字どおり、自由の身になったわけです。

 プロレス・ライターの仕事とは、プロレスの試合やプロレスラーを取材し、プロレスに関する記事、コラム、エッセーなどを書くことです。そもそも、プロレス・ライターはこの地球上にいったい何人いるのかというと、日本国内ではスポーツ新聞各紙、専門誌の社員記者・編集者を含めてもおそらく100人以下、プロレスの本場といわれるアメリカでは本業は10数人程度といわれています。ひじょうにレアな職種といっていいでしょう。

 ことしは日本のプロレス史の幕開けである力道山&木村政彦VSシャープ兄弟の歴史的な一戦(1954年2月19日)、力道山対木村の“昭和巌流島の決闘”(同12月22日)がおこなわれてからちょうど60年。力道山は戦後ニッポンのヒーローであり、街頭テレビの主人公であり、昭和のスーパースターでした。

 力道山が復興の時代の象徴だとすると、力道山のまな弟子であるジャイアント馬場とアントニオ猪木は高度経済成長の時代、カラーテレビの時代のヒーローということになります。力道山がアメリカから輸入したプロレスは、馬場・猪木というふたりのスーパースターによってメディアスポーツとして発展をとげ、平成のプロレス界ではその馬場、猪木の後継者世代、馬場チルドレン、猪木チルドレンのそのまたあとの世代が活躍しています。

 ……といったようなことは今後、ゆっくりと語っていくことにして、今回はまずはご挨拶と、今後の展望を提示するにとどめておきます。

 この連載コラムは、日本のプロレス文化をとことんまじめに論じる空間です。プロレスの歴史、人物、事件、そしてプロレスというジャンルそのものについてじっくり考えていきます。ウェブサイトならではの読者のみなさんとのインタラクティブなページづくりをめざしています。どんなご質問にもお答えしていきます。どうぞご期待ください。

文責/斎藤文彦 イラスト/おはつ

※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
※このコラムは毎週更新します。次回は、8月12~13日頃に掲載予定!

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