高知の母は元気です

私の母は数か月前より住み慣れた原宿から高知に転居して静かに暮らしています。
戦時中に焼夷弾の雨から家を祖父たちと護り、山口から上京した父と出会い、そして長く暮らした原宿の家は知人から「お山」と呼ばれる小高い土地にありました。私もそこで生まれ育ち、中学に上るころには本宅から新宅を父や母が自ら設計して子供たちが住みやすい家を新築しました。もう40年以上前の事です。ちなみに家の瓦の色は私の意見を取り入れて下さり海の青となりました。思い出がたくさん詰まった家でしたが、父が亡くなる前に宗教団体に寄付しました。
 父が亡くなってからだと思いますが、母はその宗教団体の役職を離れたのが原因か住み慣れた自宅の家賃を請求されることになりました。寄付した団体から今までの感謝の代わりにお金を請求されることはきっと戸惑われたと思いますが、もともと祖父の代からその団体に生活費を除いたものは定期的に多額の寄付がされていたので、それにならっておられたのかもしれません。
  しかし、いつの日からか私たち子供や孫がその土地に入ることを許さないという予想外の事態となりました。その組織に入っていない人は「部外者」として立ち入り禁止と言うわけです。結果として、母は高い家賃を払いながらも自宅で子供や孫やひ孫にまで会う事の出来ない状態になりました。母の悲しみは深かったと思います。
 一緒にその場所で生まれ育った思い出の故郷は、寄付した団体の監視下に置かれ自由を奪われたわけであります。恩をあだで返されたとはこのことです。母はストレスが溜まったのか体調を崩しました。
 ことここに至っては母を自由にさせてあげたいという姉たちは、姉の住む高知へと母を誘い出して生活するようになりました。母は体調を日に日に改善させ今、悪い夢が覚めたように楽しく自由に暮らしています。
 
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 何よりも自由なのは会いたい人に自由に会えるという事です。あたりまえの権利を母は取り戻すことが出来ました。わたしはそれから高知には二回訪ねていきましたが、なにぶん不便な場所で手元不如意な私たちは頻繁には通えないので毎月畑の野菜や獲れた海産物などを送っています。電話の声も明るく元気なので何よりも安心しています。大雨が高知を襲いましたが住んでいる場所にはほとんど影響もなく安堵しています。これからもっともっと楽しい余生を暮して戴きたいと思っています。
 

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母の事

私の母は90歳になり10月で91歳になります。この前お目にかかった時に
「まさか90になるとは自分でもおどろいているわ」
と笑っておられました。一時期ストレスでもあったのか体調を崩しましたが、今は姉のところでゆっくりと自由に静養中で前のように元気になりました。一緒に土地の産土神社に行ったり農協の直売所に行ったりしましたが、足も達者になりました。何よりも驚くことは、他の高齢者に比べるととびぬけて姿勢や立ち姿がピンとしているのです。なんだかとても嬉しくなりました。
 
長崎で無農薬で作った野菜やスイカなどを定期的に今は送って喜んでもらっています。
昨日は潜ってサザエを採ってきたので、今晩はサザエご飯のモトをこしらえて2合づつ炊けるようにして
冷凍便で送ろうと思っています。母は今でも歯が達者で二本以外は全部自分の歯だそうです。
いつまでもお元気で自由で楽しい余生を送っていただきたいと念願しています。
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ある投稿者からの転載

谷口清超先生御著書『愛と希望のメッセ−ジ』

第6章 8 卑劣な光景


谷口清超先生は、この御著書に、新聞で報ぜられた京成電車内においての事件を取り上げられています。

電車内で、数人連れの男性が女性をからかっていたので、それに注意をした車掌さんが、その後で、その一団から何発も殴られたのでした。

被害者の車掌さんは、非常ベルを押して駅員さんを呼んだけれど、その間一人の乗客が車掌さんを護ろうとしただけで、

居合わせた人達は遠巻きにして見ていただけで、助けてもらった女性らも、いつの間にかいなくなっていたそうです。



P245より

>この京成電車内の事件のようなものが新聞紙上に報ぜられると、何ともいえず悲しい気分になる。

この日本の社会に「何をし、何をなすべからざるか」の訓練が不足していることを示している。

そして世の中を美しく気持ちよく住みよくすることに「自らのり出さない」ようにしつけられている卑怯な人々が多い証拠である。

 人はそのようなことを全て“専門家”にまかせてしまっている。

この場合は車掌であろうが、しかし車掌は他に色々の仕事もあるから、無法者の監視ばかりするわけには行かない。

乗客の中に、協力者が出て来なければならず、「善への行動」が何らかの形で開始されなければならない。

つまり、ただ自分だけが「大人しい」だけではいけないし、自己の殻に閉じこもって「平和」をむさぼるなということである。

 日本自体もそれと同じく、国際社会の中で、ただひとりだけ「平和に徹する」といいながら、

非武装で、中立で、原発反対で、原潜反対であればよいものかどうか・・

もし集団的侵略的暴力が発生した時“孤立した日本”が果たしてどうなるのか、ということである。

何故「集団的自衛権」を発揮しないのか。

 そこでどうしても日本は「ひとり孤立して大人しくする」にとどまらず、

何か無法や暴力に対する歯止め的行動をやらなければならないということになる。

それには、孤立主義や鎖国主義ではダメであって、気心の知れた、人々と(国々と)協力しあい、

「平和で、愛ふかい行動のとれる国作り」

即ちそういった国際関係をきずき上げて行かなければならない。

そして又その目的のためには「国家的孤立主義」や「利己主義」をすて去ることが大切ではなかろうか。

単なる「憲法の解釈」第一主義ではダメである。<



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次世代の党に注目

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次世代の党 綱領
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日本よ、永遠であれ。

我々は、永遠の時の流れにあって、祖先から受け継いできた日本国と日本民族の歴史と伝統、そして文化を次世代に引き継ぐ責務を負っている。
有史以来、国内における争いや天災だけでなく、外国からの干渉や襲来を乗り越えて、我々の祖先が日本を守り抜いてきたことを決して忘れてはならない。
現代の日本に生きる我々の使命は、世界文明の大転換期にあって、日本の独立と繁栄を守り、我々の子供や孫、まだ生まれぬ将来世代に対し、誇るべき日本を確実に引き継ぐとともに、世界の平和と人類社会の進歩に貢献していくことにある。

他方で今、我々は、日本の将来に強い危機感を抱いている。
国際的な大競争時代の下、国内では急速な少子高齢化が進展し、日本の国力は多くの分野で停滞・弱体化すると同時に、過疎化により地方の活力も衰えてきた。また、自分自身や自国に誇りを持つことを許さない教育、長引く不況や労働市場の硬直化等の結果、将来に希望を持てない若者が急増している。

これらの根本原因は、国家にとって重要な課題であればあるほど決断できない政府の意思決定の仕組み、すなわち憲法そのものにある。
その結果、投票権を持たない将来世代にあらゆる負担と弊害が先送りされてきた。
憲法上、国防に関する規定が置かれなかったことにより、国家の自立が損なわれただけではない。
個人の自由には責任が伴うことが忘れ去られ、無秩序な社会が出現した。
家族や地域の絆が断ち切られたことにより、政府への依存を助長し、個人の自立が損なわれた。

我々は、「自立」「新保守」「次世代」の理念の下、国民の手による新しい憲法、すなわち自主憲法を創り上げる。

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(「明窓浄机」草創篇・昭和五年〜十二年 P.257−258より)

私は『生長の家』と云う大いなる団体を作って、その主宰者となり、自分の団体の勢力を拡張したいとは思っていない。ただ私の心の中には国家あるのみであり、人類あるのみである。ここに私は『国家』と『人類』との二つを同格に並列せしめて語ったが、私にとっては『日本国家』と『人類』とは同格なのである。日本国家が栄えることによってのみ、人類は栄えるのである。
 『生長の家』で説く『實相』は、既往の仏教者の大多数が誤って『實相すなわち空なり』と説いたような『空』ではない。『實相』とは空気のような、エーテルのような空しき無常の存在ではない。實相とは無限荘厳の組織体である。だから實相が顕現するとは、無限荘厳の組織体がこの世界に顕現しなければならない。そしてヘーゲルも云ったように『国家は最高の組織体である』が故に、完全なる国家の顕現が、實相の顕現であるのである。
 而して世界にありとあらゆる国家組織体のうち、日本国家“のみ”が最高完全の組織体である。<その理由は、その中心(すめろぎ)が万古不易(ばんこふえき)永遠に続いているからである。外国の国家のように中心定まらず、時々交代するようでは最高完全の組織体とはいいがたい>。それ故『日本国家』は神の理念の最高顕現であり、無限荘厳の實相の顕現であるのである。
 而して『日本国家』が広がり行くことは實相の顕現がひろがり行くことになる。『日本国家』のために尽くすことは『人類』のために尽くすことになる。人ややもすれば『国家』的立場は一つの執着の立場であり、人類的立場は一層高き普遍平等的立場であると思いたがろうとするのであるが、日本国家に於いてのみ、国家的立場は人類的立場と完全に一致するのである。国家的立場と家族的立場とは悉く『まこと』(實相)の一つに於いて一致する、これが生長の家の光明思想である.
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『生命の實相』 より

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純真

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うちの猫族にも認知されて、走り回って遊ぶようになりました。
 
純真な姿に・・・孫が居るような気持ちになります。
 
幸せに大きくなりますように!

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放置ブログですみません

相変わらず放置ブログになってしまいすみません。過去記事などが興味のある方は眺めてください。
無職になってから数年間の田舎生活の断片が自分でも懐かしいです。
 
最近はほとんどFacebookばかりに写真や動画を発表しているので、そちらもご覧ください。
同姓同名の先客が漢字表記の名前を使っていたので、やむなく横文字
Takayasu Taniguchi となっています。検索して友達になってください0(笑)()
横文字にしてアップしたらブラジル人の申請が多くなり・・・誰が誰だかわからないのに友達だらけになりましたーー
 
とりあえず、捨てられた子猫ちゃんは元気に育っていますのでご安心ください。離乳食とミルクと交代であげていますので普通食になる1か月後以降になれば譲渡可能となります。トイレも猫砂でするようにしつけ中です。
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