地域や国の成員であるということは、その成員としての責任があるということではないだろうか。その責任は国家が沈没しないように、また地域社会が存続できるように努める義務を生じさせる。
少子化が最大の問題である時には、それに貢献する行動が義務として権利以上に重く考えるべきことではないだろうか。
日本は共産主義国家ではないが、貧富の差が少なく、社会主義的国家に近い。国家を国民全体が共同して背負う観点からは、健康などの問題がある特殊な場合を除き一義的にはすべての男女が家庭を築き、子供を産み育てる義務があると意識するのが基本であり、公平ではないだろうか。
二者択一の問題ではない
そもそも結婚・出産は個人の義務か権利かという二者択一的な性格のものではなく、義務と権利は表裏一体であり、義務であり権利であるという考えがあっていいのではないだろうか。
結婚も出産も権利だと主張して、「しない」ことを選択する人は税金を多く負担するとしても青春時代をわが世の春と謳歌して過ごすことができよう。そして、税金をたくさん納めるから老後の面倒は他人の子供にみてもらう権利があり、他人の税金で育てられた子供たちは税金を納めた人たちの面倒を見る義務があるとでも言うのだろうか。
そこには税金と子供が等価交換できるものとした観念が働いているように思われる。実際は税金と子供は等価交換できるものでないことは容易に理解できよう。強いて言えば税金は国家の必要条件ではあるが十分条件ではない。他方、子供は必要かつ十分条件である。
極端な思考であるが、等価交換できるものとみて皆が他人の子供を当てにした暁には、少子化どころか理論的には限りなく子供ゼロの日本だって有り得ることになる。
今日では結婚・出産についての言説は個人の領域だからセクハラだと騒ぎ立てる風潮になってしまった感じであるが、それは違うのではないだろうか。結婚しているか、子供は何人いるかは、今や個人の問題から昇華して国家の問題となっている。
そうであればこそ、国や地方の存続と活性化のために、未婚者は早く結婚しなさいと言われる道理があり、既婚者は2人以上を生んでくださいとお願いされる理由がある。
企業の意識改革が大きい
NHK7月16日ニュースウォッチ9は少子化問題の1つの事例として建設機械メーカーのコマツを取り上げていた。
製品価格決定にも影響を与え、外国語での交渉も必要である調達本部(120人)を石川県小松市に移したというのである。従業員4万人超を抱える大企業の中での百余名は0.3%にも満たないが、少子化防止に明るい展望を与えてくれる。