帰国したら田舎の小学校世話人から「同窓会とリサイタル」の案内状が来ていた。同窓生49人のうち女子23人(3人は既に冥界)は全員が結婚し、それぞれに複数の子供を授かっている。
数年前に既に古稀を迎えた者たちとはいえ、地方で子供たちを健やかに育て、家庭を上手く切り盛りしてきた者ばかりで、核家族でない2世帯、3世帯同居者も多い。
ツアー仲間も同窓生も共に若者世代ではないが、少子化防止のヒントを与えているように思えてならない。
日本の子供たちが支える日本
前述の週刊誌で「結婚や出産は義務ではなく権利だと思っている」という発言には、特に違和感があった。
この考えは正しく家族や国家を無視した現憲法の結果そのものだ。「権利」というのは唯我独尊で個人至上主義であり、国家という共同体に生きるために最小限必要な共生の概念がすっぽり抜けている。
こうした考えでは少子化は際限なく進むであろうし、当人にはロビンソンクルーソーの世界で生きるよう提言したい。
こうした考えが主流であるならば、「骨太の方針」が掲げる50年後の1億人維持、そのため2030年に出生率を2.07に回復させるというのは、机上の空論に終わるだろう。
合計特殊出生率が2005年の1.26から、2013年に1.43に増加したとはいっても国家的な施策やインセンティブで、結婚・出産を奨める以外にない。かつては地域の共同体や家庭がその奨め役であった。
クローンやロボット(人間同様の働きをするとして)、さらには外国人労働者の多数受け入れを快く思わない筆者は、日本人女性が産んだ子供たちが日本の社会を支えてほしいと願っている。
個人的なセクハラ攻撃は断じて許せないが、女性有識者は「結婚、出産は個人の権利であって、義務ではない」と主張するばかりでなく、生老病死をはじめ祖父母や孫たちと同居し人生の悲喜交々が展開される家庭の専業主婦は大変遣り甲斐のある仕事であるという点にも目を向けてほしいものである。
日本社会の構成員であるからには、個人の主張以前に社会の一員(成員の方が自覚を伴った用語かも知れない)として存在しているという自覚を忘れてはならないと思う。