国際【話の肖像画】反日に染まりながら母の教え忘れず「日本人はすごく親切よ」 評論家・呉善花(57)(2)+(1/2ページ)(2014.8.5 03:14

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【話の肖像画】
反日に染まりながら母の教え忘れず「日本人はすごく親切よ」 評論家・呉善花(57)(2)

2014.8.5 03:14 (1/2ページ)話の肖像画

 〈1956(昭和31)年、自然豊かで開放的な気風とされる韓国・済州島に生まれた。母の影響もあり、日本への憧れが育った〉

 済州島の東海岸側で生まれました。故郷はいつも日の出が美しくて、そういう景色をずっと見て育ち、海のかなたを思っていました。家族は両親と姉が2人、兄と弟と妹が1人ずつ。私は真ん中でした。母は日本の話をよくしてくれました。戦前、大阪に親類がいて、母は一時期、一緒に暮らしていました。母は父と結婚して一度韓国に戻り、そして鹿児島に行き、父とともに親類親子と一緒に終戦になるまで働きました。母からよく聞いたのは「日本人はすごく親切なのよ」「日本には泥棒がいないのよ」といった、思い出話でした。とにかく、日本人にどれだけ親切にされたかを具体的に話してくれました。母の話は鮮明に覚えています。

 小学校に上がると反日教育があり、私もどんどん反日に染まっていきました。来日した時は「悪い日本を変えてやらねばならない」という気持ちが人一倍強かったのですが、次第に日本人とは何かということを自分で探ろうと思うようになったのは、子供の頃に母から聞いた「よき日本の思い出話」が大きかったと思います。

 〈海のかなたに憧れる少女は高校、看護学校を経て1976年に軍隊に入る〉

 1970年代、西ドイツが韓国から看護師を受け入れていたので、看護師になって西ドイツに行こうと思い、看護学校に入りました。ところが入学直後に西ドイツが韓国からの看護師受け入れをストップしてしまいました。それで、1カ月で看護学校を退学しました。親には申し訳なかったですが、私はどこかで夢を追っていたんです。外への夢です。

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