Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第21回:女の一生とカップ・オブ・ティー
仕事帰りにバス停に立っていると、見覚えのある中年女性が車椅子に乗っていた。車椅子を押しているのは、いつの時代の少女だよ。と思うような恰好をしたティーン。バレエのチュチュを鋏でギタギタに切ったものがスカート代わりで、上半身には自分で描いたらしいニナ・ハーゲンの似顔絵のTシャツ。いや、おばはんも極東国で16歳の頃まったく同じ恰好をしてましたよ。と目を細めつつそのペアを見ていると、先方もこちらをじっと見ている。
「あなたは慈善施設の託児所ででわたしの面倒を見ていたことがありますね」と、ニナ(・ハーゲンのTシャツの子)が言った。
「あ。そうだと思う。いっやー、大きくなったね。I love your T-shrit!」とわたしが言うと、車椅子に乗った女性が「おおおおおお」と鈍い低音で笑う。
顔の半分はうまく笑えていない。麻痺しているように見えた。
「母は具合が悪いんです」とニナは言った。
わたしはようやく彼女たちが誰なのか思い出していた。
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トレイシー・ソーンが雑誌にヴィヴ・アルバータインの自伝の書評を書いていた。ヴィヴ・アルバータインとは、女子パンクのパイオニア、ザ・スリッツでギターを務めていた人だ。
1976年、21歳のときにヴィヴは祖母の遺産分けで貰った200ポンドでギターを買う。「ディオンヌ・ワーウィックのレコードをぶった切っているようなギターの音を出したかった」そうだ。ヴィヴは、ミック・ジョーンズの恋人で、シド・ヴィシャスの親友だった。そしてそのギターを抱えてアリ・アップ、テッサ・ポリット、パルモリヴのザ・スリッツに加わる。
『服、服、服、ミュージック、ミュージック、ミュージック、ボーイズ、ボーイズ、ボーイズ』というのが自伝の題名だが、これはヴィヴの母親が当時の娘を表現した言葉だったらしい。この題名だけ聞けばロンドン・パンクの青春回顧録かと思う。たしかに前半はそうだ。が、後半は世界が一変する。ザ・スリッツ解散後のヴィヴの人生は、リアリティという重い鉛の玉を足首に巻かれてゆっくりと沈んでいくようだ。中絶、流産、IVF、子宮頸癌。と進む後半部からは、女の赤黒い血の匂いがする。エアロビの先生になったり、映画製作者になったりするが、キャリアもパッとせず、男たちは彼女を失望させる。「ほとんどの自伝は(そしてほとんどの人生は)前半のほうが楽しい」とトレイシー・ソーンも評している通り。
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車椅子に乗っていたのはKだった。
底辺生活者サポート該施設にいたアンダークラスのアナキストの一人。高学歴のお嬢様が道を踏み外し、恋人たちの子供を産み続けているうちに階級を這い上がって行けなったタイプのシングルマザーだった。子供は4人か5人いたと思う。みんな普通なら学校に行く年齢だった。普通なら、というのは、彼女もアナキストなので政府の出先である学校など信じておらず、ホームエデュケーションを行っていたからだ。
が、そのホームエデュケーションがまともに行われていないとして、福祉が介入してきた。ニナ(・ハーゲンのTシャツの子)は、当時10歳ぐらいだったと思う。妹や弟の手を引いて、底辺託児所に来ていた。彼らは全員フォスターファミリーに預けられる方向で話が進んでいた。
が、Kは土俵際で鮮やかなうっちゃりをかました。
お洒落なミドルクラスの親たちが子女を通わすことで有名な私立校、シュタイナー・スクールの校長に自らの状況を話し、「自分が無報酬で教員アシスタントとして働くから、子供たちを学費無料で学校に受け入れてくれ」と直訴して、それが受け入れられたのである。
アナキストな母親たちはシュタイナー校にはこっそり憧れていることが多かった。所謂オルタナティヴ教育と呼ばれるシュタイナー・メソッドは、芸術に重きを置く点や、エコっぽい点でも彼女たちの趣味趣向に合致する。「金持ちだったらシュタイナーに子供を通わす」と言っていたアナキストを何人も知っている。
ホーム・エデュケーションが理由で子供を取り上げられそうになったKは、子供を学校に通わせねばならなかった。だから自分が子供を通わせたい唯一の学校に背水の陣で乗り込んで行ったのである。
「高学歴の人はいいね」「コネだろ」という子持ちアナキストたちの羨望を尻目に、Kと子供たちは一緒にシュタイナーに通い始めた。ソーシャルワーカーも、シュタイナー校に子供たちが通い始めたとなると文句は言えない。K一家の話は、底辺サポート施設関係者で一番のサクセス・ストーリーだった。英国というのは、普通はあり得ない話が現実になる国だとわたしも感心したのを覚えている。
そのKが、4年後には車椅子に乗っていた。
顔だけでなく、体半分が麻痺しているようだ。脳卒中か何かの後遺症にも見えた。
ニナ(・ハーゲンのTシャツの子)が、汗で額に張り付いた母親の前髪をかき上げると、Kは顔を緊張させ、ふわりと歪める。
それは不快そうにも嬉しそうにも、もうどうでもいいようにも見えた。
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ヴィヴは子宮頸癌にかかったが、アリ・アップも乳癌という女の癌にかかった。が、ラスタファリアンだったアリは一切の治療を拒否して48歳で他界する。
一方、癌治療で生き残ったヴィヴは、再びギターを弾き始める。「過去の栄光を台無しにするのはやめろ」と言った夫と別れ、ミドルクラスの主婦という椅子から立ち上がり、57歳で初のソロアルバムを発表する。
「ヴィヴはサヴァイヴァーだ」とトレイシー・ソーンは書く。
が、サヴァイヴするということは必ずしも幸運なことではない。
生き残ったら、また生きて行かねばならないからだ。
ここからはちょっと不謹慎な話。
少し前に東京で焼身自殺を試みた人のことは英国でもテレビや新聞で報道された。
「『君、死に給うことなかれ』という有名な詩の一節を言って、自殺を図ったらしい」
ある英国人にそう言ったら、先方はきまり悪そうに頬を緩めて口元に手を当てた。
「ごめん。でもなんかそれ、モンティ・パイソンみたい」
たしかに、「お前、死ぬなよ」と言って死のうとした、という事実だけを客観的に見るとそうだと思った。
戦争とか自決とか、ウヨク用語はだいたい「死」に向かっているので、右傾化というのは死にたい人が増えているということかと思っていたが、左翼も「命をかける」という話になればもう右も左もみんなスーサイダル・テンデンシーだ。
が、どれだけ社会がスーサイダルになろうと、世の中はスカッと終わったりしないし、戦争だってそう簡単に始まるものではない。人というものは残念ながら、なかなか死なないのだ。
70年代のパンク・ガールズは往来でよくウヨクに襲われたそうだ。実際、アリは娼婦のような恰好をしているとして道端で何回も刺されている。
それは危険でも楽しい時代だったろう。衝突は狂熱を生む。が、狂熱はそう長くは続かない。それじゃ寂しいってんで、ずっと衝突を探して拳を上げ続ける人もいる。が、時代の流れに任せて淡々とした日常にまみれる人もいる。
「自伝を読んでヴィヴを称賛する気にはならない。一緒に座って紅茶が飲みたくなる」
トレイシー・ソーンはそう書いている。
サヴァイヴするということは、闘争やファンファーレじゃない。一杯のカップ・オブ・ティーなのだ。
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バスが停車すると、ニナは慣れた手つきで昇降口から車椅子用スロープを下ろした。
Kはわたしのほうを見て、「がっらー」と言った。ように聞こえた。
意味不明だったが、呼びかけに応えて「See you. God bless」と言おうとして、なんとなく後半部分は言うのをやめた。
そしてわたしも別のバスに乗り込み、座席に座ってから、ふと、「がっらー」ってのは「Good luck」だったのだろうか。と思った。
「Good luck」
「God bless」
と普通に続けとけば良かったと思った。
サヴァイヴするのは必ずしも幸運なことではない。
だからこそ、別れ際に交わす挨拶は幸運を祈る言葉なのかもしれない。