(2014年8月4日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
第1次世界大戦の悲劇を伝えるドイツの有名な象徴の1つに、悲しみに打ちひしがれてひざまずく父母の彫像がある。
母親は胸の前で両腕を交差させ、頭を垂れて祈りをささげている。涙が頬を伝っている。となりの父親は背筋を伸ばし、自分の胸を腕で堅く包み込むような姿勢で、怒りを漂わせながら真正面を向いている。
芸術家ケーテ・コルヴィッツによるこの作品はドイツで非常に高い評価を受け、瓦礫だらけになった第2次世界大戦後のケルンの街にその複製が設置された。そして今年には、2つ目の複製がロシア領内のドイツ軍墓地に設置されることになっている。
この作品のオリジナルを見たことがあるドイツ人はほとんどいない。オリジナルはベルギーのヴラズロという町のドイツ軍墓地にある。この父母の像は、1914年10月に19歳で戦死したコルヴィッツ夫妻の息子ペーターの墓前でひざまずいているのだ。
ここには、夫妻の息子のほかに2万5600人のドイツ人が眠っている。かつて西部戦線だった地域の墓地には、第1次大戦を戦ったドイツ軍兵士が計90万人埋葬されている。
ドイツ人が訪れないドイツ軍墓地
しかし、こうしたドイツ軍墓地では、ドイツからの訪問者よりもベルギーや英国、フランスからの訪問者の方が圧倒的に多い。ベルギーで最もよく知られるドイツ軍墓地ランゲマルクでは、年間の訪問者18万5000人のうちドイツ人の割合は1~2%にすぎない。大多数は英国人だ。
個人的な追悼のしるしとして残されるものも、修学旅行で訪れた英国の生徒たちが置いていくポピーの造花*1ぐらいしか見当たらない。これらの造花には「亡くなられた方々すべてに敬意を表します」といったメッセージが添えられている。
昔からずっとこうだったわけではない。1920年代や1930年代には、フランス軍墓地や英国軍墓地と同様にドイツ軍墓地にもたくさんの人が押し寄せた。その多くは、戦場で命を落としたクラスメートを悼む若者たちだった。しかし、ドイツの20世紀の歴史には第2次大戦が非常に大きな影を投げかけているために、1914~18年の第1次大戦のことは記憶からほとんど取り除かれてしまっている。
*1=戦死者を追悼するシンボルとして英国では広く用いられている