August 4, 2014
イラクで2番目に大きい都市モスルはその宗教的多様性で知られ、紀元前6000年に移住したとされるペルシャ人やアラブ人、トルコ人、あらゆる宗派のキリスト教徒の故郷となっている。また、現代的な都市の境目には、非常に古い街でアッシリア帝国の首都が置かれたニネベの遺跡がある。
ところが現在、モスルは「イスラム国(Islamic State: IS)」に制圧されている。
ISは、最近まで「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」として知られていたスンニ派の過激派組織。6月10日にモスルを制圧して以来、多様な歴史を物語る証拠を抹消しようとしている。
一部の推定によると、10年前はモスルに6万人のキリスト教徒が住んでいた。しかしISが改宗と退去、死のいずれかを選ぶことを迫ったため、現在ではほぼゼロに等しいという。
また、ISはイスラム教に関する自分たちの厳格な解釈に従わない信仰体系の物的証拠を消し去ろう・・・
ところが現在、モスルは「イスラム国(Islamic State: IS)」に制圧されている。
ISは、最近まで「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」として知られていたスンニ派の過激派組織。6月10日にモスルを制圧して以来、多様な歴史を物語る証拠を抹消しようとしている。
一部の推定によると、10年前はモスルに6万人のキリスト教徒が住んでいた。しかしISが改宗と退去、死のいずれかを選ぶことを迫ったため、現在ではほぼゼロに等しいという。
また、ISはイスラム教に関する自分たちの厳格な解釈に従わない信仰体系の物的証拠を消し去ろうとしている。すでに12カ所以上の墓や像、モスク、聖廟が除去または破壊されていて、その中には預言者ヨナの墓や、アダムとイブの三男と考えられている預言者セトの聖廟も含まれていた。
モスルの物質的、精神的遺産が失われることについて、イラク生まれでイギリス育ちの考古学者ラミア・アル=ガイラニ・ウェアー(Lamia Al-Gailani Werr)氏に話を聞いた。ウェアー氏は、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン考古学研究所の名誉上級研究員、ロンドン大学中近東言語文化学科の上級研究員を務めている。
◆2003年にバグダッドのイラク国立博物館が略奪に遭った時、あなたは市内にいましたか?今回モスルで起きていることと共通点はありますか?
略奪の後でしたが、同じ年にバグダッドへ足を運びました。当時はイラク国立博物館から遺物が略奪され、遺跡が違法に荒らされました。ですが今回モスルで標的となっているのは、宗教的遺構がほとんどです。
◆アメリカがイラクに介入して以来、モスルは大きく変わりましたか?
モスルはもともと多様性に富んでいました。イスラム教やキリスト教から分かれたさまざまな宗派が存在していたのです。しかし、2003年を境に原理主義者がモスルで影響力を持ち始めたことは確かです。
◆ISがイスラム教にとっても重要な建造物を破壊しているのはなぜですか?
彼らが破壊しているのは聖廟です。ISや原理主義的なサラフィー主義者たちは、死んだ人間を崇めることを認めません。だから、彼らはあらゆる聖廟を破壊する。標的はモスクではなく聖廟です。
◆彼らはモスルに840年前に建てられたとされる傾いた尖塔の破壊を試みたものの、今のところ失敗に終わっているようですね。
はい、まだ無事です。隣にもう一つ聖廟があるのですが、それを破壊しようとしたようです。周囲に爆発物を設置し、近隣住民に退避するよう命じたそうです。
ところが、地元住民はそれに強く反発し、別の民兵組織がやってきて周囲を取り囲んだため、ISのメンバーはその場を立ち去りました。今のところは破壊を免れていますが、今後何があるかわかりません。私はこの尖塔が破壊されることを何よりも恐れています。
◆それはなぜですか?
ヨナの墓よりもさらにモスルを象徴するものだからです。イラク人やモスル市民は皆、この尖塔をとても誇りに思っています。本当に美しいのです。12~13世紀頃に建てられたもので、複雑な装飾が施されたレンガでできています。
◆こういった尖塔や聖廟の文化的価値について教えてください。
非常に価値があります。イスラムの聖廟の多くには、とても特徴的なドーム型の構造が見られます。ところが、イラクに存在するドームのほとんどはレンガ造りのため、現存するものは多くありません。
◆モスルの歴史上、多様性がこれほど脅かされたことはありますか?
過去にキリスト教徒が全員退去させられたことなど一度もありません。さまざまな人々が共に暮らすというのは、イラクの素晴らしい一面だったのです。ところが、政治が介入してしまいました。今回はイスラム原理主義です。これには怒りを禁じ得ません。バビロン捕囚のときからイラクに住んでいたユダヤ人は1950年代以降、政治が理由で住み続けることができなくなりました。今度はキリスト教徒たちが出て行っています。私が幼い頃、父に幼馴染みが3人いたことを覚えています。一人はユダヤ教徒、一人はキリスト教徒、もう一人はイスラム教徒でした。当時のモスルを象徴しているように思います。
PHOTOGRAPH BY AP