ミュージック・ポートレイト「松坂慶子×上沼恵美子 第1夜」 2014.07.24

ものすごいきれい。
銀幕の女王とテレビ界の女帝。
自分らしい生き方を貫きながら仕事と家庭を両立する2人が大切な10曲を持ち寄り人生を語り合います。
ちょっと飲もう。
飲もうか。
きぇ〜!では姫様どうぞ。
私が引っ掛かってのこのこ出かけてくと思ってるんでしょ。
高校生で映画デビュー。
妖艶な美貌で人々を魅了し数多くの映画やドラマに出演。
そして歌手としても大ヒット曲を生み出しました。
・「きっと愛」名作を数々残し映画賞も総なめ。
その女優人生は栄光に彩られていたように見えます。
しかしその陰に想像を絶する葛藤の日々がありました。
そんな苦難の日々を支えた音楽とは。
後押ししてくれる曲でこれが。
「行け〜!今行け〜!」みたいな。
歯に衣着せぬ発言で今や全国の主婦たちの絶大な支持を集める…そんな上沼さんのデビューは17歳。
姉と海原千里・万里を結成しアイドル的な漫才師として大ブレークしました。
そうでしょ。
何が残る?歌と踊りと芝居と3,000万の現金しか残らんよ。
バラ色の人生を送ってきたように見える上沼さん。
しかし彼女のこれまでの日々は驚くほど険しいものでした。
そんな彼女を支えてきた音楽とは。
・「いつものように幕があく」大女優と名司会者。
芸能界の頂点を極めた2人が大事にしてきたのは…初めて語られるのは壮絶な女の一代記。
心に残る音楽を通して2人の人生を見つめていきます。
上沼恵美子さんは1955年兵庫県淡路島で生まれます。
3人兄弟の末っ子で大自然を走り回る島一番のおてんば娘でした。
そんな彼女がかつて芸能界を夢みた父親の影響で足を踏み入れた芸の世界。
それは父親が家族をメンバーに結成した劇団でした。
父はやりたかったから腹話術それから奇術。
それで姉の踊り私の歌。
それでみどり劇団っていうのを作って父はあちこちの老人ホーム慰問したり公会堂自分で借りて町内会の人に見てもらったりはいしてました。
もう恥ずかしくてね。
慶子さん嫌でね。
本当に嫌でした?本当に嫌でした。
父親に連れられ劇団で淡路島の島じゅうを回り歌い続けていた上沼さん。
この時よく歌っていたのが父親が大好きな畠山みどりの曲。
この曲は父と過ごした昭和の思い出を鮮やかによみがえらせてくれます。
いい歌詞でね。
いい歌詞なんです。
「今に見ておれ」なんですよ。
口には出さない。
でも頑張るというね。
あれはやっぱり子ども心に力強いいい歌だなあと思いましたね。
私が小学校2年か3年でしたかね洲本公会堂っていう所に畠山みどりショーが来た時父が子どもの私を連れていって「後援会入ってるんです」って言って。
マネージャーさんが「後援会入ってる人たくさんいるから行って行って。
向こう行って」って言われたんですけど畠山さんが楽屋の向こうから「いいですよ。
入ってもらって」ってお優しく言って下さって写真を撮らせて頂いた事ありました。
もう憧れの方。
もうとにかく私は…笑われるんですけど歌手になりたかったんです小さい時から。
そうなんですってね。
はい。
それで父が芸能界に入れたかったというか自分が入りたかったのを夢かなわずして子どもを入れたっていう形なんですが。
父の影響父の犠牲なんです。
父のおかげなんです。
だから全部ですね。
父が私の人生を作ったんですね。
出産予定日より2か月以上も早い未熟児で生まれた彼女は両親の深い愛情で大事に育てられました。
そんな松坂さんの家でいつも流れていた音楽。
それは父親の大好きなレコードの音色でした。

(カナリアの鳴き声)ここが好きで。
カナリアが鳴いてる。
あ〜鳴いてる。
お庭の外かと思ったら違いましたね。
カナリアの声が入るところが子どもですからねあそこが好きで聴いてたんですけど。
だから私が初めて聴いた洋楽がこの「青いカナリア」。
ふだんはねオルガンで私に童謡を歌ってくれてたんですよ。
お父様が?うん。
うちの父も歌が大好きで歌手になりたかったんですようちの父は。
いや〜。
父親の強い勧めで松坂さんは合唱団に入ります。
幼い娘は父親の果たせなかった夢を託されたのです。
母が言うには脚がまっすぐになるようにって正座させないとか水仕事させないとか。
女優にもしたかったんでしょうね。
歌手や女優や。
それで私は本当おとなしいぼ〜っとした子でもう両親は心配で心配で。
どうするんだろうこの子はって。
もうその嘆きを聞きながら大きくなってきましたよ私。
当時はまだ女性が仕事を持つ事すら珍しかった時代。
少女たちは先見の明があった父親の思いを託されその夢をかなえていく事になります。
芸の鬼である父親に鍛えられた上沼さん。
その後出場するのど自慢大会で次々に優勝。
のど自慢荒らしの名を欲しいままにしていきます。
しかしそんな彼女を恐怖へ陥れる人物が現れます。
当時「ちびっこのど自慢」っていうのがあって私は16回チャンピオンなんです。
初期の頃です。
15回チャンピオンが今の天童よしみさん。
そして16回が私だったんです。
うわ〜。
だから15回の方に私が入れられてたら天童よしみに取っていかれたんですよ。
本当そうなんです。
こんな差ありました。
当時から彼女はよしみちゃんは吉田芳美ちゃんっていってたんですけど天才でした。
ところがグランドチャンピオン大会がある。
天童よしみが来る!当然よしみちゃんが優勝。
グランドチャンピオンです。
もうね悔しかったです。
トロフィーこんな大きなのをよしみちゃんがもらう。
私たちは拍手するんです後ろで。
落ちた連中が。
その時本当に殺意を覚えました。
アハハハハ!初めてのライバル。
太刀打ちできない相手にこみ上げるのは悔しさばかり。
この時上沼さんの胸に熱くたぎる闘志が生まれたのです。
そんな時パンチのある魅惑的な歌声で一世を風靡したこの歌手に上沼さんは心をわしづかみにされます。
でも私はよしみちゃんには負けましたが絶対に歌手になろう。
黛ジュンさんのファンでもありましたのでドーナツ盤お小遣いためまして買って。
どうして買ったかって言いますとB面がカラオケだったんです。
父が家電が大好きでしたからオープンリールっていうんですかねそれを回して「憂愁」をかけてまあカラオケ。
それで録音。
マイクもありましたから。
そしてそれを4社ぐらいレコード会社に送りました。
自分で。
父にはないしょで。
はい。
どこからも何一つ連絡がなかったです。
悔しかったですね。
全くでした。
厳しいなあと思って。
つらいですよ。
一方中学生になった松坂さん。
一気に伸びた身長とのんびりした性格から今の彼女からは想像できないようなあだ名を付けられます。
図書館でずっと動かないでこうやって童話とか読んでる子どもで。
もう本当ぼ〜っとしてる。
うどの大木って言うんですよ。
中学校の時の先生が。
先生はうどの大木ってよくそんな事言いましたね。
近眼なんでねピンクの眼鏡かけて長いお下げをしてぼ〜っとしてるんでうどの大木だなあっておっしゃるんですよ。
そんな彼女を見かねた両親は娘を歌手にするための英才教育を施すべく奔走します。
うちの両親は歌が好きだったので私を歌手にしたくてどこでどう探してきたのかツテを頼って頼って古賀政男先生のところに入門させたんですよ。
え〜っ。
初耳ですねそれ。
そうなんです14の時。
先生が「じゃあ何か歌ってごらんなさい」って言われて思い浮かばなくて「愛の讃歌」歌っちゃって。
「何だこの子は」と思われたと思うんですけどね入門させて下さって。
でもねうまくなんないんですよ。
時々聴いて下さって「う〜ん君がうまくなるのを待ってると日が沈んじゃうね」なんておっしゃって。
歯がゆい歯がゆい子どもでね私は。
父からしてみると実らない英才教育ですよね。
いよいよデビュー。
父親の期待を背負った2人は表現の道を歩きだします。
歌手の夢を諦めた上沼さんは父親の強い勧めで当時関西で人気者だった女性漫才師海原お浜・小浜に弟子入り。
1972年姉と漫才コンビ海原千里・万里としてデビューします。
しかし駆け出しの2人に与えられたのは小さな劇場での仕事ばかり。
歌を歌っても漫才をしてもうまくいかない自分に募るもどかしさと悔しさ。
そんなある日楽屋での出来事が彼女の気持ちに変化をもたらします。
学生服で楽屋にそれこそ汚い楽屋に入ってお姉ちゃんと下手な漫才する訳ですよ。
それでぱっと数えたら17〜18人しかお客さんいないんです。
け〜っと思いながら何ちゅう青春を私やってんだろうって心がすさんできましたね。
それで1回目終わってきましておなかがすくから近くでAランチっていうのを頼んだんです。
エビフライとハンバーグとライスがついてるんですよ。
で楽屋で食べるんです。
楽屋っていうても汚い芸人さんと一緒でね。
本当にあの…楽屋に鳥を連れてきたり。
汚い鳥を。
家に置いてきたらいいのに。
飼い主が大師匠ですよね鳥籠からピーコちゃんっていうのを出すんですよ。
出さなくてもいいのにピュンピュンピュンピュン飛ぶんですよ。
お姉ちゃんと食べてたらピーコちゃんが何を思ったかハンバーグの上に乗ったんです。
アハハハハ!私の。
「あ〜!」って思いました。
そしたらそのピーコちゃんの飼い主が「ピーコちゃん大丈夫〜?」って言って。
「ピーコちゃん大丈夫?」やあらへんがなと思いながら今で言うティッシュペーパーかちり紙でピーコちゃんの足を拭いてそれで鳥籠ばっと戻して「ああ食べられなくてよかったね」って言ったんですよ。
もう私ねこれは絶対活躍しないと駄目だなと思いました。
テレビで。
悔しい気持ちをかみしめる上沼さんが出会ったこの曲は彼女の野心を更に前へと駆り立てるのです。
どういう出会いだったかって言いますと奇術の方やったかなちょっとど忘れしました。
「これちょっと聴いてみてくれる?」って言ってカセットでした。
「友達がね中村泰士っていうんだけど今度ちあきなおみの新曲を作ったんだけどちょっと聴いてみてやってくれる?」って言うから「えっいいんですか?私みたいな者で」。
そしたら中村先生が歌ってはりましたね。
「黒いふちどりがありました」「喪服を着た私が」って葬式なんですよね。
「こんなの駄目だよね」ってその方がおっしゃったんです。
「そんな葬式の歌謡曲はね」って言った時に「面白いんじゃないですか」って私が言ったと思う。
自慢じゃなくって。
「これ当たりますよ」と言ったら「本当に?じゃあ中村にそう言っとくわ」って言って私のおかげじゃないんですけどもうあれよあれよという間に…。
私の目は間違ってない。
「喝采」の大ヒットを予見した事でそれならやれると芽生えた闘争心が上沼さんを突き動かします。
一方両親の勧めに従い歌や舞踊の稽古事に通っていた松坂さん。
そんな箱入り娘の運命はある親友の影響で大きく動き出します。
私の親友がまたほら何だっけ似た者同士であだ名がトロイっていうんですよ。
アハハハ!とろい。
トロイとうどの大木で仲良くて。
それでトロイがねなぜか劇団ひまわりへ入ったんですよ。
私も何かつられてちょっと入ってみて。
何かね円谷プロのオーディションに受かって。
円谷ってあの「ウルトラマン」の?そうそう。
何となく足を踏み入れた演技の世界。
うどの大木と呼ばれた少女は15歳。
この人気シリーズでテレビデビューを果たします。
あっ…ああっ。
そんな松坂さんに更なるチャンスが訪れます。
映画界からのオファーでした。
高校在学中に映画デビュー。
その抜群の美貌に出演依頼が殺到したちまち主演に大抜てきされます。
とはいえ中身はまだまだ人生経験の浅い箱入り娘。
セリフに込められた真の意味を理解できず苦しんでいました。
私が引っ掛かってのこのこ出かけてくと思ってるんでしょ。
嫌い。
嫌いだわ。
さんみたいなプレーボーイなんて大嫌い。
やっぱりドラマになるぐらいだからみんな波乱万丈なんですよね。
登場人物。
演じる人は。
だけど私は別に普通でしょ?だから…。
うちへ帰ると机に座ってこれどういう気持ちで言えばいいんだろうって。
こういう気持ち分からないしどうしようと思って徹夜で覚えたっていう。
それで現場行くともう怒られっ放しで。
いや本当に…。
怒るんですか?できないから。
本当できないからもうね居残りとかね。
居残りもあるんですか?居残りもあって。
いい演技ができない。
思い詰めた彼女の心を捉えたのは美空ひばりが歌う「柔」の歌詞でした。
「勝つと思うな思えば負けよ」っていう。
何かあのこう演じる時まあなるべくこう…何なんだろうなあ…。
ああしようこうしようってこう見えたらいいなとかあまり思わないで何かただそういう思いですっと自然にできるといいなと思うんだけど。
そういう時に不安がよぎる時って邪心みたいなもんでしょう?ここでうまくやりたいとか勝ちたいとか。
だからそういうふうに「勝つと思うな思えば負けよ」っていうのが極意みたいに感じたんじゃないでしょうか。
・「行くも住るも座るも臥すも」邪心を捨てひたむきに演じる事を心に決めた彼女。
その体当たりの演技は高い評価を受け二十歳の時見事新人賞を獲得。
ここから松坂慶子の女優人生が本格的に始まるのです。
一躍人気者となった海原千里・万里。
「ヤングヒットパレード」のお時間がやってまいりました。
夏といいますと痴漢のシーズンですけどもね百恵ちゃん痴漢はどうですか?・「怖くないああ怖くない」なるほど勇敢でございますね。
やっぱり夏といいますと海の季節ですけども海はどうですか?・「怖くないああ怖くない」お化け屋敷は?・「怖くないああ怖くない」私の顔は?・「怖いわ怖いわ怖いわ」やかましや!こんな事だけきっちり言うねんから。
当時テレビを中心に巻き起こっていた演芸ブーム。
多くの芸人の中からのし上がり獲得した…女性アイドル漫才師という新たなジャンルも確立し勢いに乗った上沼さんはこのあと更に快進撃を繰り広げるのです。
2人の名を全国に知らしめた大阪を代表する名曲が誕生します。
・「あの人もこの人も」・「そぞろ歩く宵の街」・「どこへ行く二人づれ」・「御堂筋は恋の道」「大阪ラプソディー」は…海原千里・万里さんです。
どうぞよろしくお願い致します。
更にその年の「紅白歌合戦」紅組応援団長にも抜てきされます。
ひたすら売れるために突き進んできた上沼さん。
その日「紅白」の舞台で聴いたこの曲はそれまでの人生を全て捨てる覚悟を彼女にくれたのです。
でも私震えたのは都はるみさんと同じ舞台にしかも「紅白歌合戦」の大みそかの舞台に私たちも出ていって後ろでこうやって聴くんですがやっぱりやっててよかったなって思ったと同時にもう辞めていいなと思いました。
たったまだ二十歳なんですけど。
夢だなあ。
夢のようだなあ。
すごい年越しを私やってるなあと思いました。
もう前しかないって生き方でず〜っと来て二十歳でね…。
でもねやっぱり二十歳で一応ゴールでしたね。
私の中では。
もういいやと思いました。
勢いのある上沼さんに訪れたあまりにも早い気持ちの変化。
更に決定打となる出来事が彼女に起こりました。
それは関西の民放テレビ局のディレクター上沼真平さんとの恋。
がむしゃらに走り続けてきた彼女が忘れていた自分に戻れる時間を彼はくれたのです。
息が詰まるような恋心をよみがえらせるのは真冬の琵琶湖畔でのデートで聞こえてきたこのナンバー。
今の主人の事一番好きだった時期に流れていた曲なんです。
もうマックスの時に。
主人の事。
目がハートで心がもうこうなってる時に琵琶湖へデートに行って有線でしょうかラジオかでこれが流れてきて「あっこれ私好きな下條アトムさんの『春秋暑寒』」って言ったんですけど好きだなあと思ってる曲が好きな人と歩いてる時に銀世界で流れてくる。
これは何かがあるなと思いました。
絶対何かあると思いました。
私は今恋していま〜すって「あ〜!」って叫びましたね。
琵琶湖の湖畔で。
アハハハ!アハハハハ…。
何がおかしいんでしょう。
すいません…。
本当にね…。
松坂さん胸キュ〜ッて息のしかた忘れたり恋をしてなった事あります?アハハハハ!息のしかた忘れるまではなかなか…。
本当に忘れるんですって。
でその好きだった時に流れていた曲っていうのは一緒になってるんですよね。
うわ〜…。
もう駄目でしたねはい。
もう人を笑わす事なんか絶対できないと思いました。
本当に引退を考えた時でしたよね。
それでこの歌と一緒になって今でも聴くとあのころの主人がよみがえりますね。
これまで築き上げた全てをなげうってでもこの人と一緒になりたい。
結婚こそ女性の最大の幸せだと信じていた上沼さん。
選んだのはスターの座ではなく…こうして大恋愛の末ゴールインした上沼さんは人気絶頂の中惜しまれながら芸能界を後にします。
20代数々の映画やテレビドラマに出演し美人女優として注目を集めていった松坂さん。
27歳の時主演したドラマでは自ら主題歌を歌い歌手としても活躍します。
・「これも愛」っていうのは流行語じゃないですけど皆さん歌ってましたね。
いい詞です。
父も大変喜びましてね。
両親も。
そりゃそうですよね。
あっそっか。
歌手にならせたかった訳ですものね。
それはもう本当に親孝行させてもらってよかったわ。
ありがとうと思います。
父親の夢だった歌手としての成功。
幼い日に託されたものを全てかなえた瞬間でした。
美人女優としてそして歌手として世間の注目を一身に浴びる松坂さん。
映画界の巨匠と呼ばれる監督や原作者からもオファーを受け次々と大役を演じます。
大物たちに才能を磨かれる彼女。
1982年には代表作となるこの映画が誕生します。
明日洗濯機も届きますからでは御用があったらお呼び下さい。
ちょっと待ってよ。
は?でその洗濯機買うために今日は何やってきたの?あれっ分かります〜?コラッこんなとこで蹴っ飛ばしちゃ駄目じゃないか。
ワ〜!うっ!あんた〜!あんた…。
立て続けに大役を演じ抜いた彼女は見事…その年の映画賞を総なめにしました。
30歳時代のトップ女優へと上り詰めた松坂さん。
しかし突然その足が止まります。
もうこれ以上できない。
賞を頂けてねとてもあの…。
監督さんが引き出して下さって頂けてうれしかったんだけど前よりももっとよくやらなきゃいけないと思ったらもう金縛りにあったみたいにできなくなっちゃって。
でできなくてもう泣いちゃって泣いちゃって。
途中で止まっちゃうんですか?そうできないんですよ。
とにかくできない。
成功したからこそ裏腹に一気に押し寄せた不安。
先が見えなくなった時心に沁み込んできたのはこの歌でした。
この「昴」っていう曲が映画の人たち好きでね。
私も撮影終わったあと京都でカラオケに行って歌ったりしてたんだけど。
何かね自分ではねこういう山あいに春咲く野のスミレみたいに生きたいっていうのがあって。
それが何か芸能界という道に入ってそれでやっぱりこうスポットライトを当ててもらいそれからもう眠ってたものを引き出してもらいそしたら人間にはあっこんなに自分だったら出さなかったものがいろいろあるんだっていうのも気が付いて。
1個作品やる度に自分の幅が広がった気がするんだけどいろんな作品がうまくいってそれで「蒲田行進曲」とかねヒットをさせてくれてね。
でも終わったあとって何か祭りの後みたいな寂しさが…。
あっそうなんですか。
あるんですよ。
やってる時はもちろん本当に魂入れてねどなたもやる。
私もやって。
だからねあの時のそういう生まれたものなのね。
みんなで生んだもの生まれたものだから終わっても自分のものじゃなくて終わるとやっぱりその時のものなので何て言うかねふだんが心もとないんですよ自分で。
私何なんだろうなあって。
何者なんだろうなあみたいな。
それでこう「昴」みたいな曲聴くとね何かこう胸に沁みてく。
多くの人々の力を借り作品の中でしか輝く事のできない女優という存在。
松坂さんはもっと確かな手応えのある人生を歩きたい。
そう思い始めていました。
・「我は行く」・「さらば昴よ」36歳松坂さんは一つの大きな転機となる作品に出会います。
映画「死の棘」。
彼女が演じるのは夫に浮気され精神を病んでいく妻という今までにない壮絶な役どころでした。
監督との顔合わせの日衝撃的なひと言を突きつけられます。
松坂さんあなたももう年なんですからこれからは中身で勝負しないといけないんじゃないですかって会った途端におっしゃるんでびっくりしちゃって。
びっくりしちゃって「えっ」と思って。
これまでの人生数々の大役をうまくこなしてきたつもりでした。
しかしこのひと言で初めて自分の中身で演じなければと気付かされたのです。
そんな彼女に監督は1年半かけて一人の主婦として生活する「役作り」を勧めました。
1年半準備して小栗監督のおうちで合宿して。
岸部一徳さんと子役の子と一日過ごしてみて。
そのころねスーパーに行くとかって事した事ないから。
ですよねずっと忙しくて。
スターですから。
それでね夕ごはんを材料買ってきて作りなさいって言われたんだけどどれだけ買っていいか分からなくて4人家族の夕飯なのに山ほど買ってきちゃって「買い過ぎだな」って言われて。
自らの人間としての未熟さを正面から突きつけられるのは松坂さんにとって初めての経験でした。
そんな慣れない日々を癒やしてくれたのは甘く切ないブラジルの音楽。
精神を病んでいくというか病んでいる役だったのでいっぱいいっぱいになっちゃってて。
…という時期でしたね。
その時にこの曲…。
ミルトン・ナシメントの曲って何かきれいで肩の力がふっと抜けるようなね。
自分自身に戻る。
全てをさらけ出す覚悟を決めた彼女はノーメークで演技に挑みます。
スクリーンに映し出されたのは自分でも見た事のないありのままの姿でした。
私は体も心もあなたにささげ尽くしました。
その報酬がこうだったのです。
恥知らず!夫婦の恥を得意になってペラペラしゃべるような夫がどこの世界にあるものか!乱暴しちゃいけない。
落ち着きなさい。
いくらなんでも自分の旦那さんをたたいちゃいけないな。
うそうそ。
この人の言ってる事はみんなでたらめです。
私は病気なんかじゃありません。
こいつがだまして連れてきたんです!伸一お手紙たくさん頂戴ね。
その鬼気迫る演技は海外でも絶賛されカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。
37歳松坂慶子は一人の女優として大きく生まれ変わったのです。
大好きな主人は夜中しか帰ってこない。
ず〜っとお母さん一緒。
子どもはもうよく泣く。
・「何もいい事なかったこの結婚」って。
自分の目で見て考えて。
幼稚でも拙くてもそうやっていかないとこの先ね大人は演じられないと思ってそんな事を思いつつニューヨークに行きまして。
音楽でつづる女たちの一代記。
次回家庭を持った2人は更なる苦難を乗り越え第二の人生を歩みだします。
2014/07/24(木) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「松坂慶子×上沼恵美子 第1夜」[字]

松坂慶子×上沼恵美子「人生の10曲」▽大女優と名司会。成功の陰に隠された苦悩と葛藤▽松坂慶子が少女時代に初めて聴いた洋楽▽上沼恵美子が紅白の舞台で感銘を受けた曲

詳細情報
番組内容
松坂慶子&上沼恵美子が「人生の10曲」を持ち寄り対談▽日本を代表する女優と名司会者。成功の陰に隠された苦悩と葛藤▽松坂が少女時代に初めて聴いた洋楽は?▽上沼が紅白応援団長として大みそかの舞台で感銘を受けた曲▽映画「蒲田行進曲」大ヒットの裏でトップ女優へのぼりつめた松坂が感じていた限界と不安▽大恋愛中の上沼の甘いデートのBGM▽「柔/美空ひばり」「昴/谷村新司」「喝采/ちあきなおみ」「愛の水中花」他
出演者
【出演】上沼恵美子,松坂慶子,【語り】ヒロ寺平

ジャンル :
音楽 – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
バラエティ – トークバラエティ

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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