生字幕放送でお伝えします
京都の今の様子です。
日中猛暑でした。
千年以上続いてきた祇園祭が佳境を迎えようとしています。
京都市の中心部室町通に建ち並ぶのは祭りを彩る山鉾
(やまほこ)です。
あした、これらの山鉾が市内を練り歩き町を災厄から守り、清める山鉾巡行が行われます。
きょうは、その前夜祭の宵山です。
7月1日から始まった祇園祭が山場にさしかかってるということなんですよね。
なんかワクワクしてきますね。
祇園囃子が聞こえませんか。
聞こえてますね。
祇園祭は千年の謎とロマンにあふれています。
こよいは、その祇園祭の謎と驚きの世界に最新の取材で迫ります。
京都が一年で一番華やぐ夜の放送です。
平安時代都を疫病から守ろうとする祈りから始まった祇園祭。
応仁の乱や太平洋戦争などで何度か途絶えながらも千年以上、続いてきました。
足利義満も、織田信長も川端康成もこの祭りを見物したと伝えられています。
私たちは数百年前の人たちが見たのと同じ光景を見ているのです。
しかし、皆さんその日本伝統の祇園祭の山鉾
(やまほこ)を飾る懸装品は今から数百年前、海外からやってきたものだということご存じでしょうか。
ひときわ豪華さを誇る鶏鉾
(にわとりぼこ)。
鉾を飾るのはギリシャ神話の世界を描いたヨーロッパのタペストリーです。
この鉾がまとうのは17世紀、中国・明朝の宮廷を飾った竜の織物。
そして、これは18世紀のインド・ムガル帝国時代に作られた刺しゅう。
祇園祭は海外の第一級の芸術品の宝庫動く美術館ともいわれています。
しかし、こうした異国の芸術品がなぜ京都にたどり着いたのか。
答えは謎に包まれてきました。
最新の研究で、その謎に挑みます。
大航海時代世界の王侯貴族が愛した壮大なタペストリー。
そこには、驚くべき流転の物語が秘められていました。
長い間、ヨーロッパの美術界が探し続けていた、幻のじゅうたん。
ここ、祇園祭で奇跡的に発見されました。
え、これ…。
何の毛なんでしょう?正体不明の動物の毛。
くすんだ色使いと解読不能の文字。
古今東西、世界のどこにもこんなじゅうたんは見つかっていません。
一体、誰が、いつ、どこで作ったものなのか?動物の毛のDNA分析は答えを導くのか。
世界中から集まった祇園祭の至宝。
そこに秘められた謎とロマンを追います。
千年以上続く日本伝統の祇園祭。
実はなぜか、海外の美術品で飾られているんです。
不思議ですよね。
その不思議の謎に女優、栗山千明さんが挑みます。
よろしくお願いします。
楽しみにしています。
それで、美術品が飾られているのがこちらにあります祭りの山車です。
祇園祭では山鉾といいますよね。
駒形ちょうちんに山鉾が浮かび上がっています。
この山鉾を守ってきたのは町
(ちょう)というんですけど町内会の皆さんです。
祇園祭は中心部の33の町内会の人たちがそれぞれ鉾や山を出していて美しさ、豪華さを競うんですね。
それぞれの山鉾には名前が付いてます。
今、私たちがいるのは鯉山町にあるその名も鯉山という山鉾の前です。
この山鉾に飾られているタペストリーも世界の一級品の一つなんですがこれはレプリカなんです。
本物はこの町会所の奥にあります。
行ってみましょう。
伝統の京都風の建物って間口、狭いでしょう。
これ、奥入ると深いんですよ。
京都の町の人たちはそれぞれの町の宝物美術品を大事に守ってきてそれを年に一度お祭りのときに披露します。
子どもたちの声も聞こえてきてます。
こんばんは。
お邪魔します。
鯉山町の皆さんです。
こういう町の皆さんの手によって祇園祭は支えられてきた。
京都では皆さんのことを町衆というんですね。
大人たちだけではなくて子どもたちもね。
こうやって、世代を越えて受け継がれていくんですね。
私たちの目の前に鯉山町の宝物があります。
ちょっとお邪魔してみましょう。
お邪魔します。
町会所の一番奥に飾られているのは真っ赤な鳥居とその隣には江戸時代の名工左甚五郎が作ったといわれる、こい。
そして、隣にはこちら、王冠を着けた人物と王妃らしい女性が織り出されたタペストリーです。
タペストリーっていうのは西洋風の壁掛けですよね。
どう見ても海外のものですよね。
どうして、これがここにあるのかね。
しかも、その隣には超日本的な木彫りのこい。
不思議です。
西洋のものとしか思えないこちらのタペストリー。
江戸時代には祭りに登場していたといわれています。
江戸時代といえば日本は鎖国の時代です。
なぜ、どんなルートでこのタペストリーは京都に渡ってきたのかその謎を追いました。
巡行する鯉山
(こいやま)。
その四方を飾るのは9枚のタペストリーです。
実は、この9枚、並びかえると図柄がぴたりと合います。
もとは、縦横3m以上ある1枚の大きなタペストリーだったのです。
この大作が、どこで作られいつ、祇園祭に現れたのか。
記録はほとんど残されていません。
初めて文献に登場するのは江戸時代中期の1793年。
京都奉行所の記録です。
「天竺織
(てんじくおり)の毛織物」。
鯉山のタペストリーのことです。
当時、異国の品の多くが天竺物と呼ばれていました。
タペストリーは鎖国にも関わらず18世紀末には京都に届いていたことだけが分かっています。
鯉山町の人たちはわが町の鉾を飾る懸装品の正体を知りたいと50年近く調査を続けてきました。
謎を解く手がかりが見つかったのはタペストリーの修復作業が行われたときのことでした。
作業を担当した修復専門家の中谷路子さん。
タペストリーを縁から外したときある文字を発見します。
これがタペストリーとしますやろ。
タペストリーってね皆さん、ご存じのようにね…これやねBBマーク。
これが見つかったんやわ。
「BB」の2文字。
タペストリーの世界では誇り高い印として知られています。
ブリュッセル、ブラバント。
現在のベルギー当時のブラバント公国ブリュッセルで作られた最高級品でした。
鯉山町の人たちはさらなる手がかりを求め大使館を通じてブリュッセルに調査を依頼しました。
鯉山町の依頼はベルギーきっての研究家のもとに届けられました。
ベルギー王立美術歴史博物館の当時のタペストリー部長ギー・デルマルセルさんです。
鯉山町から送られてきた画像を詳細に検討。
特徴的な模様から作られた年代を特定しました。
これは、空と大地と海の縁飾りと呼ばれています。
上の部分には鳥が描かれています。
これは、空を象徴しています。
横にはさまざまな動物。
これは、大地です。
そして下には古代の神と魚。
海を表しています。
鑑定の結果タペストリーが作られたのは17世紀初め。
ギリシャ神話に登場するトロイア戦争がテーマと判明しました。
タペストリーの作られた時代とテーマを解き明かしたデルマルセルさんはさらに、大胆な説を提示しました。
当時のタペストリーは何枚もの連作で壮大な物語を表現する芸術品でした。
連作で作られることが常識だったタペストリー。
鯉山のタペストリーも1枚ではなく連作として5枚まとめて日本に渡った可能性があるというのです。
この鯉山のタペストリーは17世紀初め今のベルギーで作られたものでトロイア戦争が描かれていてしかも、驚いたのは5枚の連作のうちの1枚でみんな日本にきてるんじゃないかっていうことでしたね。
そうなんです。
そのあと、鯉山町の人たちは連作の5枚のありかにたどりつきました。
確かに、日本にありました。
その主な部分は、鯉山を含め祇園祭に2枚。
ほかに、滋賀、東京、石川と全国に散らばっていたんです。
祇園祭にはこの鯉山のほかにもあるっていうことですね。
それにしてもねどういう経緯でその5枚の連作が日本にくることになったのか知りたいですね。
5枚セットで日本に贈られたといわれるタペストリー。
受け取ったのは江戸時代の権力者と考えられています。
その有力な証拠が、東京にあるこの1枚にありました。
東京タワーのおひざ元名刹・増上寺です。
ここにはある貴重な仏像を祭るために特別に造られたお堂があります。
一年に3日しか開帳しない秘仏。
撮影もできません。
かつて、日本最大の権力者が大切にしていたものです。
祇園祭のタペストリーとの連作が見つかったのは家康の黒本尊が祭られたこの後ろの壁でした。
しかし、明治42年の火災で焼失してしまいました。
明治5年に外国人が撮影していた黒本尊の写真です。
黒本尊を祭ったずしを囲むように幅5m近い巨大なタペストリーが飾られています。
右の部分には、王冠を着け長いひげをたくわえた人物が。
鯉山のタペストリーに描かれていたのと同じ王様です。
そして、縁飾りにも同じ絵柄が描かれています。
花輪と、鳥の姿。
ともに鯉山のものと一致しています。
連作の1枚を徳川家が所有しているということは残り4枚も徳川家が持っていた可能性があります。
では、どのようなルートでベルギーのタペストリーが将軍家に届いたのか。
鎖国の時代、西洋諸国の中で唯一、貿易が許されていた国はオランダでした。
タペストリーが織られたベルギーとは隣同士。
同じ国に属していた時代もありました。
ハーグ国立公文書館。
オランダは、江戸時代長崎に商館を置いていました。
二百数十年にわたる日本との交易の記録が残されています。
オランダは貿易を許された見返りとして高価な贈り物をしなくてはなりませんでした。
ほー…あのタペストリーはオランダから将軍家に贈られたものだったんですね。
そうですね。
そもそも5枚セットのものですから別々ではなく、5枚まとめて徳川家に贈られたという説が有力です。
それに、この石川県のタペストリーの所有者は加賀前田家。
徳川家と姻戚関係があったところでタペストリーは徳川家から渡ったと考えるのが自然ですよね。
ただし、どのようにして日本に渡ってきたかについては諸説あります。
イエズス会の宣教師が持ち込んだという説。
そして、鎖国前にヨーロッパに渡った支倉常長が持ち帰ったという説もあります。
ただ、その徳川家にタペストリーがあったということは確かなようですよね。
そうするとね、栗山さん新たに知りたくなるのがその徳川家の宝タペストリーがなぜ、祇園祭にあるのか。
どうして、この京都の町衆町の人たちのもとにあるのかっていうことも知りたいですよね。
町衆がどのようにタペストリーを手に入れたのか。
こちらの鯉山には記録が一切残されていません。
しかし、そのルートを解明する手がかりが祇園祭にあるもう一枚のタペストリーに隠されていたんです。
祇園祭、鶏鉾。
鯉山と連作のタペストリーがあるのは、ここでした。
描かれているのは同じくトロイア戦争の一場面です。
目を凝らしてみるとこのタペストリーには不自然な部分があります。
ここですね、この部分ですね。
柄がちょっと違いますねそこから。
ついでるってどういうことですか?それをこの見送りのこの大きさにするために…その切っているのはどこかっていうとこういうとこで風景と建物のとこでぼかしてるっちゅうことですね。
いつ、誰が、なぜ切ったのか記録はありません。
しかし、切断された残りの部分の行方は分かっていました。
それからこれの片割れは、こっち側に…「ながはま」とは滋賀県長浜のこと。
鶏鉾のタペストリーの入手先は不明です。
片割れのある長浜に手がかりを求めました。
よいさ!よいさー!よいさ!よいさー!滋賀県長浜で400年近く続く曳山祭です。
祇園祭と同様、木組みの山車が町を練り歩く祭りです。
ゆっくりいきましょう。
この山車を飾るのが切断された鶏鉾のタペストリーの続きの部分です。
長浜のタペストリーを鶏鉾のものと合わせてみると…。
2枚の図柄は確かに、ぴたりとつながり1枚の大きなタペストリーとなるのです。
長浜には手がかりが残されていました。
タペストリーを手に入れたときの江戸時代の売買の記録がありました。
右代金200両。
で、えー、それで、売りますと。
文化14年3月8日で京都四条通新町西入町の藤倉屋十兵衛さんが長浜に売ったっていう証文です。
長浜にタペストリーを売った人物。
それは、藤倉屋十兵衛という京都の商人でした。
京都で手広く呉服等を扱っていた商店。
呉服問屋ですね。
伊藤呉服店は百貨店・松坂屋の前身。
呉服の中心地、京都に店を持ち仕入れを行っていました。
名古屋、江戸にも店を構えた豪商です。
ではなぜ、徳川家の宝であるタペストリーが町人である伊藤家のもとに渡ったのか。
江戸後期尾張徳川家の出来事が詳細に記された文書です。
嘉永6年5月、名古屋城の庭園で宴が催されたという記録。
招かれたのは、徳川家へ多額の献金をした商人たちです。
その中に、伊藤家の当主伊藤次郎左衛門の名がありました。
「拝領品」とありますけれども…この伊藤次郎左衛門さんは「御掛け物3幅対」とありますから掛け軸が藩から下されたと。
献上に対しての見返りという形でこうした品物。
殿様が持ってるものでも商人のもとに伝わっていくっていうものそういうものもあったということが分かりますね。
伊藤家は多額の献上金に対する謝礼として、徳川家の宝タペストリーの1枚を手に入れた可能性が考えられます。
そして、5枚連作の最後の1枚は近江商人の町滋賀県大津にあります。
このタペストリーの入手先も記録に残っていました。
大津が、このタペストリーを入手した先も豪商でした。
それも、とてつもない豪商です。
タペストリーの売買記録に現れた入手先は三井本店。
後に、三井財閥となる豪商です。
江戸時代、呉服と両替業でばく大な財を築き上げた三井家。
本店を構えていたのは京都でした。
三井家も、大名や幕府の要職にある者たちに多額の金を貸し付けていました。
ここに「貸し方」という項目がありますがこれが例えば大名にお金を貸してるとかそういった項目が入っているところになります。
例えば、酒井修理太夫様とありましてここに「金4886両1分」と書いてます。
中でも最もばく大な金を貸していたのが紀州徳川家。
その額は34万両を超えていました。
今の価値の、200億円以上です。
紀州徳川家の財政を支えるほどの額です。
やはり、大名貸しとかそういう豪商からのお金を借りるということがなかったらもう、やっていけないというのが恐らくあるんじゃないかなというふうには思いますね。
財政の苦しい徳川家や大名にばく大な金を貸していた豪商伊藤家と三井家。
2つの家は、祇園祭の中心地新町通を挟んで向き合ってありました。
17世紀、ベルギーで織られた5枚のタペストリー。
徳川家への献上品として日本へもたらされその後、借金に対する謝礼として京都の豪商の手に渡り祇園祭を飾ることになったのかもしれません。
鯉山町の人たちは今も調査を続けています。
それにしても不思議なのは5枚のタペストリーに関する記録が、あまりにも残されていないことです。
当時としては極めて貴重なものにも関わらずほとんど記録がないのは不自然です。
こんにちは。
一人の研究者を訪ねました。
祇園祭の山鉾町に生まれ育った懸装品研究の第一人者吉田孝次郎さんです。
タペストリーの記録が残されていない理由。
それは、京都の豪商独特の気遣いと美学ではないかと吉田さんは考えています。
武士は食わねど高ようじって高ぶったことばがあるように武家がお金に困って、宝物を町民に買ってもらってなんとかしたというようなそういうことが知れ渡るっていうことは武家にとっては致命的な恥なんですね。
京都の方々とかそういうちょっとあるんですかね。
秘密にしておこうじゃないですけど。
そうです。
なんで京都に向かってきたかっていうと…圧倒的な財力で世界の美術品を集めながらもそれを表立って言わない豪商の美学が京都の町を形作ったのかもしれません。
そして豪商たちは集めた美術品を年に一度祇園祭で惜しげもなく披露し人々の目を楽しませてきました。
今も祭りに登場する豪商をはじめ町衆が集めた懸装品です。
南観音山を飾る絹のじゅうたん。
17世紀、シルクロードで栄えたペルシャの都イスファハンで作られたものです。
下地は金で覆われていました。
南観音山の7人の商人たちが金を出し合い買い求めたという記録が残っています。
山鉾33基の中でも最も豪華なものの一つが月鉾。
屋根裏には、江戸の画家円山応挙の花鳥図。
見事な彫金細工も鉾の隅々にまで飾られています。
ひときわ、京都の人々の目を奪ったのが、大航海時代インドに大帝国を築いたムガル王朝のじゅうたんです。
7年前には世界を代表する美術館アメリカのメトロポリタン美術館から要請を受け展覧会にも出展されました。
さあ、ここから今の京都を離れ時間と空間を超えた旅に出ましょう。
京都の豪商たちが世界中から集めた宝の数々。
その美しい懸装品をこちらに用意しました。
すべて海外からやってきた懸装品です。
300点以上あります。
作られた場所も中国やイスラム世界そして、ヨーロッパまで至る所からきてるんです。
ここからは国際日本文化研究センター教授の井上章一さんにご案内いただきます。
井上さん、よろしくどうぞお願いいたします。
よろしくお願いします。
これ、よく考えると栗山さん不思議でね、鎖国の時代でしょ。
ご禁制ではなかったんですか?確かにね、キリスト教の信仰とじかに関わるものは持つことは許されていなかったんですよ。
例えば、十字架なんかはね。
だけど、それ以外のものは幕府が特に、これをとがめるということはありませんでした。
それにしても世界中からこれだけの品々を集めてきた豪商たち。
後に日本経済を担うような人たちがあのエリアに集中してたんですよね。
三宅さん、そのころの京都に行ってみませんか?そりゃ行けたら行きたいですよ。
そんなことができるんでしょうか。
そのためにこんなものを用意してみました。
おー!こちらはおよそ400年前の京の町の様子を描いた「洛中洛外図屏風
(びょうぶ)」です。
この図屏風の世界に入って京都の豪商たちに会いにいきましょう。
まずは、安土桃山時代。
いきますよ!安土桃山時代の京都には後に家康の御用商人となる茶屋四郎次郎などの豪商が現れていました。
ここは豪商たちが活躍したころの京の町です。
日本一華やかな場所として知られていました。
京都ですよね。
ずいぶん、外国の方が多くいらっしゃいません?そうなんです。
ポルトガルやスペインをはじめ京都には多くの外国人が訪れていたんです。
これ、すぐ後ろね当時、南蛮寺といわれていたキリスト教カトリックの教会なんですよ。
安土桃山時代の京都には教会が建ってたんですよ。
この場所からほんの4〜5分ほど西へ歩くとかつて、本能寺と呼ばれた寺が建ってたところに行き着くんですよ。
織田信長が、明智光秀に討たれた寺なんですよ。
彼は、西洋人たちから世界の話を聞くのが好きやったのでそれで、南蛮寺に近い本能寺に寝泊まりすることがあったんじゃないかなと私はひそかに考えています。
井上説?井上説ですね。
そして、信長は祇園祭も大好きでよく見物に来ていたという記録も残っているみたいです。
誰じゃ!さっきから、わしのうわさをしておる者たちは。
え!これは、信長さん。
お会いできると思いませんでした。
それにしても、すごく派手ですね。
その虎柄のパンツ。
女、なかなか目が高いのう。
珍しいであろう。
近年、流行しておる虎の皮じゃ。
洛中洛外わしほど華美な衣装を着た武家はおるまい。
そーれ、見てみよ!わしの流行好きをまねて山鉾にも虎皮を飾っておるわ。
あー、本当だ!虎がいる。
戦国時代に朝鮮半島から虎の皮が輸入されるようになってこれがはやりものになったわけですよ。
飛びついたのは戦国武将だけではなく祇園祭の鉾なんかもこれをおもしろがったわけですよ。
つまり、当時の祇園祭も流行の先端には敏感だったということだと思いますよね。
おぬしらの目的は豪商に会うことであろう。
ならば、ほれ。
100年後へ行ってまいれ!100年後には三井家などの豪商も現れます。
どうやら江戸中期の京都ですかね。
瓦もいっぱい並んでてさっきより100年ぐらい新しいと思いますね。
いやいや、ようこそお越しやしとくれやした。
私、呉服を商うております三井高利でござります。
後の三井財閥今の三井グループのその礎を京都で固められた大経済人でいらっしゃいます。
いやいや…お恥ずかしいこっとす。
まあ、おかげさんで町の中でも一目置かれております。
京のセレブですね。
失礼ですがどのくらいお金持ちなのか教えていただけないですか?これはきれいな娘さんどすな。
いやいや、自慢するつもりはおへんのどっせ。
私の子孫の時代には徳川様をはじめ大名方への貸付金がまあ、ざっと55万両ほどになりました。
55万両!ええ。
そやけど、私ら京の商人をただの金持ちやと思わんといておくれやっしゃ。
京では、お金持ってるだけでは周りのお人からは認めてもらえしまへん。
真から美しいもんを見極める。
つまり、なんどすな…目利きやないとよそさんには尊敬してもらえへんのどす。
呉服屋さんですから目利きやないと商売にそもそもならないじゃないですか。
特に三井さんとこの呉服は大名相手に、大名の奥方に呉服を売り込んではるわけですから評判は大事だったと思いますね。
だから、祇園祭なんかはその山や鉾にいろんな飾りで、きらを飾って自分の美しさを保つ力を見せ付けることもできるし自分たちの目利きを訴えたわけですよ。
よう分かってはるわ。
そんな私ども豪商の精神は今の京都でも受け継がれております。
450年あまりの歴史を持つ京都の呉服商・西村家です。
三井高利が最初に呉服を仕入れたのがこの西村家です。
はい、どうも。
いらっしゃいませ。
15代目の当主西村總左衛門さんです。
かつて、庭には6つの蔵があったといいます。
代々、西村家の当主は最高の芸術品と接し見る目を養うことが求められてきました。
これ、いつごろの?伝統や格式にこだわるイメージが強い京都ですが実際は、新しいもの未知のものへの好奇心は旺盛でした。
西村家には代々受け継がれてきた家訓があります。
とにかく新しいものを開発していかなあかんよと。
さあさあ、皆さんお茶とおだんごでも召し上がっておくれやす。
ありがとうございます。
皆様、どうぞごゆっくり。
ほれほれ、見えてきましたわ。
あれが、巨万の富を投じて作った山鉾どす。
いやー…これはずいぶん大きく見えますね。
今と違ってビルディングが周りにありませんからね。
本当に鉾が大きく見えますよね。
すごいですね。
こんなに立派なの引いてたんですね。
いやー…火事で焼けてしもうた山をいっぺん作り直したんどすけどな。
うちは1000両も出しましてな。
今のお金でいうたら数千万円どすかいな。
鉾や山が傷んだときに三井さんほどの両替商がお金を出さないというと世間が許さないわけですよ。
これは、もうお勤めですよね。
こういうところで企業メセナのようにふるまうことが三井両替商にとっての事実上の宣伝にもなるわけですよね。
それが、京都の美しい文化を支えようとすることにつながったんじゃないかな。
祇園祭。
なぜ、世界第一級の宝が京都に祇園祭の町の人たちの手元にあるのか。
時空を越えた旅も含めてご覧いただきました。
時は再び現代の祇園祭宵山です。
私たちは番組冒頭の鯉山町から少しそぞろ歩いてまいりまして100mほど離れた別の町内にやってまいりました。
すごい人です。
ここは先ほど出ていた三井家とか、伊藤家とか豪商の人たちが住んでいた町なんです。
こちらにあります山鉾は北観音山。
豪商の人たちの町というふうに見ているからでしょうか。
あでやかな美術品ですよね。
そして、隣には、また別の南観音山という山があります。
このペルシャじゅうたん先ほどビデオの中でご覧いただきましたとにかく、どれを見ても豪華、そのひと言に尽きます。
本当に、そうですよね。
でも、三宅さん豪華というだけではないんです。
祇園祭があったからこそ世界から消え去ったと思われる芸術品が遠く離れた、この京都に残っていたんです。
この北観音山のじゅうたんに世界が驚がくしました。
ヨーロッパの美術界はある一枚のじゅうたんを長い間、探し続けていました。
およそ10万点の絵画を所蔵するオランダ文化遺産局。
探し続けていた、じゅうたんはこの絵の中に描かれています。
ヤン・ステーン作「アントニオとクレオパトラの宴」。
2人の足元にあるのは大きな星模様のじゅうたん。
17世紀オランダ絵画の黄金期にたびたび描かれたじゅうたんです。
イスラム圏で作られたじゅうたんはオランダ東インド会社の人気の輸入商品の一つでした。
異国情緒に憧れる人々の間で大流行。
100枚以上の絵画の中にイスラムのじゅうたんが登場します。
中でも、たびたび描かれたのがこの大きな星模様のじゅうたん。
しかし絵の中に描かれているのにこれまで実物は一枚も見つかっていませんでした。
星模様のじゅうたんは画家たちが空想で描いた幻だったのではないかとまでいわれました。
研究者オーノ・イデマさんは星模様のじゅうたんが実在したことを突き止めようとヨーロッパ中を探し尽くしたといいます。
幻のじゅうたんは実在する。
それは全く偶然に証明されました。
アメリカメトロポリタン美術館の研究者梶谷宣子さんです。
30年前、京都の友人に案内され梶谷さんは初めて祇園祭を訪れます。
美術館でしか見られない世界の一流品の数々が惜しげもなく路上の山鉾に飾られていました。
アメリカに戻った梶谷さんは研究者仲間に祇園祭の写真を見せます。
仲間は大きな驚きの声を上げました。
そこには、星模様のあの幻のじゅうたんが写っていたのです。
本当に幻のじゅうたんなのか。
昭和61年。
梶谷さんらの手で本格的な調査が行われました。
それは紛れもなく星模様が描かれたあの幻のじゅうたんでした。
ヨーロッパが探し続けた幻のじゅうたんが9000km以上離れた京都にあったのです。
ヨーロッパの人々にとってじゅうたんは日常品。
すり切れると捨てられます。
しかし日本人にとっては美術品でした。
この文化の違いが奇跡を生んだのです。
その星模様の幻のじゅうたん。
生中継の映像でご覧いただきましょう。
これです。
これは、レプリカではありません。
本物です。
駒形ちょうちんの明かりに浮かぶペルシャじゅうたん。
幻想的です。
祇園祭はいわば文化のタイムカプセル。
京都の人が祇園祭を大切に守ることで歴史から消えそうになった貴重な世界の文化が残されたというわけなんですね。
「京都祇園祭千年の謎」。
番組の締めくくりにご覧いただきますのは謎中の謎です。
こうした祇園祭にしか残っていないものはいくつかあり研究が進んできました。
その中で、いつ、どこで誰が作ったのかは分からない世界の研究者たちが注目するじゅうたんがあるんです。
その謎の解明に最新の技術で迫りました。
くじ取らずの一番手。
昔から、巡行の先頭を務める長刀
(なぎなた)鉾です。
祇園祭最大の謎といわれるじゅうたんはこの鉾を飾ってきました。
こんな町なかにあるんですね。
メトロポリタン美術館の梶谷宣子さんとこのじゅうたんを見に行きました。
梅。
梅の木ですね。
カラフルというよりは素朴な色合いですけど。
神秘的というか不思議な魅力がありますね。
真ん中には、梅の木が描かれ東洋の印象を与えます。
しかし、周囲に目を転じると不思議な幾何学模様。
東洋的な印象は一変します。
このじゅうたん梅の絵柄から中国の文化圏で作られたのではないかと推定されています。
しかし、中国にも世界を見渡してもこれと似たじゅうたんは見当たりません。
そして、最も不思議なのがその手触りです。
ちょっと触られたらどうでしょうか?触って大丈夫ですか?特別に。
ありがとうございます。
じゃあ、ちょっと…。
結構、硬いというかしっかりしてコシがあるっていうか。
こういう肌触りのじゅうたんってないですよね。
専門家として古今東西のじゅうたんに触れてきた梶谷さんですがその手触りはほかのどんなものとも違っています。
私は、すごく毛が硬いのでなんか強そうな動物。
例えば…分からないですけど熊とか、そういうイメージを。
一体、どこで作られたものなのか。
謎解きはまず動物を特定することから始めました。
専門家に、じゅうたんの科学分析を依頼しました。
なんの動物の毛か分かればじゅうたんが作られた地域を割り出せるかもしれません。
思っていたより硬いですね。
初めて見ました。
ラクダですか。
世界にいくつもあらへんっていうことを聞いてたんで。
楽しみでんな。
光学顕微鏡による分析を行いました。
じゅうたんの毛の顕微鏡写真です。
ヒツジや、ヤクとはかなり表面の形が異なります。
ラクダとは中央の毛髄といわれる部分の形が類似していました。
しかし、表面の凹凸の形が異なっています。
ラクダと断定することはできません。
ひび割れしていたりとかそういったところも見られましたのでかなり損傷というか劣化が進んでいる形になりますね。
ここの装置ではこれが限界ですね。
動物の正体を突き止めるためさらに、じゅうたんの毛のDNA分析を依頼しました。
数百年前の、正体不明の動物の毛。
残されたDNAはごくごく微量です。
分析は困難を極めます。
いろんなやっぱり環境の微生物とかそういったものがたくさん付着してしまっていると。
だから、そういう環境のDNAのノイズっていうかそういったものが非常に多いなというのが実感です。
分析結果が出るのは3週間後です。
このじゅうたんの特徴はくすんだ、暗い色使いです。
そこに注目してどんな地域で作られたのか推理している人がいます。
色の専門家染色家の吉岡幸雄さんです。
昔からじゅうたんは赤など華やかな色が世界中で好まれてきました。
それなのになぜ赤の色が使われていないのか。
これが、吉岡さんの推理のポイントです。
赤は、染色に高度な技術が必要な色でした。
また、赤い色を出す染料は高価で豊かな地域でないと手に入りません。
あのじゅうたんを作ったのは華やかな赤色とは縁遠い辺境の人々だったのではないか。
吉岡さんの推理は膨らみます。
中国文化圏と、その周辺で植物の生えない砂漠地帯を探すとゴビ砂漠、タクラマカン砂漠の可能性が浮かび上がってきました。
このじゅうたんの謎は海外の研究者をも魅了しています。
メトロポリタン美術館のジェームズ・ワットさん。
ワットさんが注目するのはじゅうたんの模様です。
このじゅうたんは13世紀に出現したモンゴル帝国の時代に作られたものではないかと推理しています。
アラビア語最古の書体といわれるクーフィー体。
建築や、じゅうたん陶器などの装飾に古くから使われてきました。
じゅうたんの周囲を飾る幾何学模様はアラビア語のクーフィー体からきたものでした。
この文様は、アラーという意味だと考えられています。
そもそも、中国にはじゅうたんを作る文化はありませんでした。
一方、イスラムはじゅうたんの中心地。
そこに2つの文化圏を征服する大帝国が現れました。
モンゴル帝国です。
中国にイスラムの人と文化が流れ込みこのじゅうたんが生まれたとワットさんは考えています。
じゅうたんの謎解きに新たな展開がありました。
世界60か国に購読者を持つロンドンのじゅうたん専門誌の編集部です。
ほかに存在しないと考えられていた長刀鉾のじゅうたんとそっくりなじゅうたんが発見されたと特集記事を組みました。
チベットで見つかったじゅうたんと祇園祭・長刀鉾のじゅうたん。
中央の模様だけでなく縁飾りの細かい形まで一致しています。
謎のじゅうたんはイスラム教徒が多く住みそしてチベットに近い中国北西部で織られたのではないか。
エバンスさんの推理です。
じゅうたんの毛はなんの動物の毛なのか。
DNA分析の結果が出ました。
数十万種類の生物の遺伝子が登録された国際データベースと照合したところ2種類の動物がヒットしました。
1つ目はありきたりの動物でした。
ウシです。
生息範囲が広すぎて手がかりにはなりません。
しかし、もう一つヒットしたのは珍しい動物でした。
希少動物のチベットカモシカです。
標高5000m近い高山地帯に生息するチベットカモシカ。
生息地は、チベットや中国の北西部付近です。
サンプルが微量で断定することはできませんがチベットカモシカならば中国北西部の高山地帯の周辺で織られた可能性があります。
これまでの推理を重ねると一つの仮説が成立します。
モンゴル帝国が出現し荒涼とした大地で中国とイスラム2つの文化と民族が出会った。
そして新たな人々の営みが始まり辺境の地に根ざした独自のじゅうたんが生まれた。
しかしモンゴル帝国が滅びるとともにやがて、その担い手たちも消え去ってしまったのではないか。
もちろん真実は誰にも分かりません。
ただ一つだけ言えることはもし、このじゅうたんが祇園祭に届いていなければ数百年前の人々が生きた証しはこの地球上から失われていたということです。
京都の人たちが千年以上、守り続けてきた祇園祭。
歴史から消えていこうとする文化をまるで凍結保存しているかのような不思議な場所に思えてきました。
何世紀も前はるか異国で見知らぬ人たちが生きていた証しがこの京都・祇園祭で今も息づいている。
そう考えるだけで不思議ですよね。
数百年前に生きた人たちが見たのと同じ光景を今、私たちも見ている。
そう思うと、本当に改めて感動します。
♪〜
平安時代、疫病退散の祈りから始まったという祇園祭。
その歴史は戦乱、災害、大火とさまざまな困難との闘いでした。
しかし祭りはそのつど町の人の心意気により復興し、今日に続いてきたのだといいます。
ことしもひとつきにわたる祭りが佳境を迎えます。
あしたは後祭の山鉾巡行です。
これらの山鉾が京都の町を練り歩きます。
楽しみですね。
最後に幻想的な宵山の輝きをもう一度、ご覧いただきながらお別れします。
♪〜2014/07/23(水) 19:30〜20:43
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「中継 京都 祇園祭 千年の謎」[字]
千年の祭、京都・祇園祭。山鉾(ほこ)を飾るのは世界の一級美術品の数々。なぜ京都にやってきたのか?至宝に秘められた謎に、女優・栗山千明が迫る。宵山の現場から生放送
詳細情報
番組内容
千年の歴史を誇り“動く美術館”とも称される祇園祭。山鉾(ほこ)を飾るのは、大航海時代、王侯貴族が愛したタペストリー、ヨーロッパの幻のじゅうたんなど、一級の美術品の数々。これらの海外の至宝は、どのような物語を経て、京都にたどり着いたのか?記録はほとんど残されておらず謎に包まれてきた。最新の取材を交え、至宝の謎と驚きの世界に、女優・栗山千明が迫る。京都の町が一年で最も華やぐ夜、宵山から生放送。
出演者
【ゲスト】栗山千明,井上章一,【出演】小倉久寛,【司会】三宅民夫
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ニュース/報道 – 報道特番
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