NHKスペシャル 東日本大震災「救えたかもしれない命〜災害死・4年目の検証」 2014.07.21

津波に襲われた被災地で一人でも多くの命を救おうとした人々。
今回の震災では2万人近い人が亡くなりました。
その中に救えたはずの命があったのではないか。
震災から3年余り。
当時救命医療に携わった医師たちが調査を始めています。
被災地の病院を訪ね亡くなった一人一人についてどのように死に至ったのか検証しています。
調査の対象は岩手宮城福島にある58の病院です。
これまでに926人の死について検証。
防ぎ得た死がなかったのか調べてきました。
明らかになってきた救えたかもしれない多くの命。
津波から生き延びたものの救助が間に合わず亡くなった人。
患者が殺到した病院で十分な治療を受けられず息を引き取った人。
防ぎ得た死をなくすために。
東日本大震災で失われた一人一人の命を見つめ考えていきます。
(鎌田)将来必ず起きるといわれる巨大地震。
その時一人でも多くの命を救うためにどうすればいいのか。
2万人近い命が失われた東日本大震災から3年余りがたった今当時被災地で行われた救命や救助活動を検証する取り組みが進められています。
その一つが災害派遣医療チームDMATによる防ぎ得た死の調査です。
DMATは大規模な災害が起きた際いち早く現場に駆けつけて救命治療を行う専門集団です。
今回の震災では全国から1,800人が駆けつけ懸命の活動を行いました。
しかしメンバーの中には「もっと救えた命があったのではないか」という思いがくすぶっています。
そうした思いから自ら被災地の病院に出向いて一人一人の死に至るまでの経緯を調査し次の災害に備えようとしているのです。
検証しているのは必要な医療を受けられていれば命を救う事ができたはずの人たちです。
これまでに調査した900人余りのうち防ぎ得た死あるいは防ぎ得た可能性が高い死は137人に上る事が明らかになりました。
発生直後災害医療の現場で何が起きていたのか。
まずご覧頂きます。
今月5日。
都内でDMATの関係者による会議が開かれました。
集まったのは被災地の病院を訪ね震災で亡くなった人の調査を進めてきた医師たちです。
調査結果を持ち寄り一人一人がどのように亡くなっていったのかを報告。
防ぎ得た死ではなかったか検証します。
この調査の責任者小井土雄一さんです。
3年前被災地で活動するDMATの隊員たちを指揮しました。
医師たちが注目したのは被災した病院で入院患者が次々に亡くなっていったケースでした。
震災の翌日に亡くなった…亡くなるまでの経緯をたどっていくと救えた可能性があった事が明らかになってきました。
3年前岩手県釜石市の町をのみ込んだ大津波。
津波は倉本さんが入院していた釜石のぞみ病院にも押し寄せました。
深刻だったのは1階にあったボイラーや非常用電源が水没した事でした。
暖房が止まり医療機器も使えなくなりました。
当時寝たきりのお年寄りなど151人が入院していました。
零度前後まで冷え込む中倉本さんをはじめ体調を崩す人が次々に現れます。
釜石から70kmほど離れた花巻空港。
そこにDMATの姿がありました。
震災の翌日に集まったDMATは64チーム300人以上。
その役割はいち早く被災地に駆けつけけが人の治療や病院への支援を行う事です。
午後1時半。
釜石までたどりついたチームがいました。
長野県から駆けつけた諏訪赤十字病院のDMATです。
あっちでしたね。
うん?こっちでしたよね。
あれは違うの?あれは病院じゃない?あれは違うでしょう。
釜石のぞみ病院に到着した隊員たち。
しかし支援を行う事なく10分ほどで別の病院に向かいました。
隊員たちがまとめた報告書にはDMATの需要はなかったと記されています。
なぜこうした事が起きたのか。
背景にはDMATが作られたいきさつが深く関わっています。
阪神淡路大震災では救えなかった被災者の多くが建物の下敷きになって大けがをした人でした。
この教訓を踏まえ設立されたDMATは重いけがを負った患者の救命に力を入れて訓練を繰り返してきました。
のぞみ病院に立ち寄ったDMATのメンバーです。
地震で大けがをした人や津波にのまれ重篤な患者はいるか尋ねたところ「いない」と告げられたと言います。
こうした中倉本さんのようにもともと病気で入院していた患者はDMATの支援から漏れてしまったのです。
同じようなケースは被災地のあちこちで報告されています。
いくつものDMATが自分たちを必要とする医療ニーズはないと判断。
現場を後にしました。
停電が続く釜石のぞみ病院では事態は更に深刻になっていました。
中でも問題になったのは大勢の患者が必要とする痰を吸引する機械が使えなくなった事です。
やむなく手作業で吸引を試みましたが痰を完全に取り除く事はできず感染症を引き起こす患者も現れました。
肺炎を患っていた倉本さんも痰を詰まらせ容体が悪化していきました。
12日の午後3時過ぎ。
倉本さんは息を引き取りました。
肺炎で亡くなった入院患者は震災直後の1週間で6人に上りました。
DMATを統括している小井土雄一さんです。
大けがをした被災者以外にも目を向けていればより多くの命を救えたのではないかと考えています。
調査によって浮かび上がってきた防ぎ得た死。
津波を免れ医療機能が保たれていた病院でも多くの患者が亡くなっていた事が分かりました。
宮城県の石巻赤十字病院では震災の翌日から殺到する患者の対応に追われていました。
あ〜つかってるよ。
あららら…。
石巻一帯は津波によって水没。
地域に246あった医療機関はそのほとんどが機能停止に陥り石巻赤十字病院に患者が集中していました。
震災後の3日間で運び込まれた患者は2,000人余り。
ふだんの11倍に達していました。
病院では運ばれてきた患者の重症度に応じて治療の優先順位を決めるトリアージを行いました。
お年何歳ですか?軽症でほとんど治療の必要がない人は緑。
治療が必要なものの重症ではない人は黄色。
今すぐ手術などが必要な緊急性が高い人は赤。
そして救命の見込みがない黒。
医師たちはトリアージに従い赤と判定された重症者の治療に集中しました。
赤いタグの患者は途切れる事はありませんでした。
呼吸は弱くて6回ぐらい。
目開けて!この時病院にとって想定外の事態が起きていました。
症状が比較的軽い黄色や緑の人たちが赤色の患者の15倍以上運ばれてきたのです。
その中には介護が必要なお年寄りや持病を抱えた人などが多く含まれていました。
病院の災害対策を統括した石井正医師です。
手厚いケアが必要な患者が病院にあふれた事に危機感を抱いたと言います。
病院の機能が維持できないイコール石巻医療圏の医療救護活動はパンクすると。
医療救護活動がパンクするとどうなるのかと。
地域にまだ病院に来れないような方々はどうなるんだと。
石井さんは寝たきりのお年寄りなど介護が必要な人たちを周辺の病院に搬送しようと考えました。
しかし大勢の患者を受け入れてくれる病院はなかなか見つかりませんでした。
震災3日目病院で異変が起こり始めます。
緊急性がないとされていた人たちのうち7人が次々に体調を悪化させたのです。
対応に当たった看護師の伊藤未来さんです。
医薬品が不足する中十分な手当てができなかったと言います。
点滴が無くなってきたっていう…薬が無くなるとかっていうのはすごい不安感が…。
病院自体が治療がもうできなくなるんだって医療を提供できなくなるんだなというのはすごい思いましたね。
その日の深夜70代の寝たきりの女性の容体が急変します。
「呼吸がおかしいです」って言われてそれで行ってやっぱり呼吸が止まりそうな状況で「発熱ずっとしてたしな」と思って…。
伊藤さんは救急部の医師に状況を報告しました。
しかし重症患者が絶え間なく運ばれてくる中寝たきりの女性に対応する余裕はありませんでした。
要介護者とかそういう人たちを同じように全てに治療を始めちゃうと…これはもの回せなくなるなと本当に必要な人に対しては。
数時間後女性は息を引き取りました。
あの時に亡くなっていい人…この人は亡くなっていい人っていう人は一人もやっぱりいなかったって思うんですね。
人手も足りなくてそういう人がいっぱいいる中で「はあ」ってなっている中でやってて…。
助けられなかったっていうのはずっと引っ掛かってますね。
残っています。
介護などが必要な人たちを被災地の外に本格的に搬送できるようになったのは震災6日目の事でした。
それまでに14人が命を落としました。
より早い段階で搬送する仕組みがあればこうした命を救えたかもしれないと現場の医師は考えています。
寝たきりの方を速やかに被災地の外に出すような仕組みがあって組織だって病院の負担を減らすようにしてそういう寝たきりの方が手厚くケアできるような所に運んでもらえるような仕組みがあるとかそういうものがあれば次の災害ではそういう方々はゼロに近づく事は可能なんじゃないのかなと思っていますけど…。
救命に携わった人たちが当時一人でも多くの被災者を救おうと懸命に活動していた事は強調しておきたいと思います。
しかしDMATによる検証作業で浮き彫りになったのはそれまでの災害医療が想定していなかった事態でした。
阪神大震災をきっかけに整備されてきた災害医療は大けがをして急を要する患者の救命を重視していました。
このため外見上は緊急性がないように見える人たちが結果的に見過ごされてしまい命を落とすケースが出てしまったのです。
重症患者の救命を行う一方でそれ以外の患者を速やかに被災地の外の病院に搬送するシステムの整備が大きな課題となっています。
DMATが進めている防ぎ得た死の検証作業を見てきましたが震災当時の問題点を検証し今後に生かそうという動きは医療機関だけではありません。
災害が起きた時救助や救援の司令塔となるのが都道府県に設けられる災害対策本部です。
防ぎ得た死を一人でも減らすため今体制の見直しを進めています。
津波に襲われた直後の東北沿岸部。
がれきや浸水で少なくとも400か所が孤立しました。
その中に津波から逃れ救助を待つ多くの命がありました。
孤立した地域の一つ岩手県釜石市嬉石地区です。
3月11日の夜高台にある体育館に一人の女性が運び込まれてきました。
自宅で津波にのみ込まれましたが住民に助け出され一命を取り留めました。
鈴子さんを介抱した釜石消防署の菊池悟さんです。
鈴子さんは運び込まれた当初菊池さんたちと会話もできる状態だったと言います。
この辺だったと思います。
運ばれてきて濡れてたのですぐに服を脱がせないと体温が下がってしまうのですぐ脱がせてしまって。
周りから布団を借りてたくさんかぶせてっていう感じで。
盛岡市街地の様子です。
信号は消えたままになっています。
岩手県庁です。
そのころ岩手県の災害対策本部では一人でも多くの命を救おうと救命救助に携わる全ての機関の担当者が顔をそろえていました。
集まったのは自衛隊警察消防更にDMATの医師などおよそ100人。
陣頭指揮に当たったのは県の危機管理監を務めていた越野修三さんです。
岩手県では迅速に救助を行うため各地から寄せられる救助要請を情報班に一元化。
越野さんたち統括班などに伝え方針を決定する仕組みを作っていました。
各地の道路が寸断される中救助要請にいち早く応えるため越野さんはヘリコプターを救出活動の柱に据えました。
その日の深夜鈴子さんは40度の高熱と呼吸困難に苦しみ始めました。
津波の水を飲んだ事による肺炎が原因と見られます。
せきもしてましたし呼吸状態もあまりよくなかったので。
やっぱり体も冷えてましたし。
できればすぐにでも病院に搬送したかったんですけども。
3月12日夜明けとともにヘリコプターによる沿岸での救出活動が始まりました。
お年寄りでしょうか。
抱きかかえられるようにして今ヘリコプターにつり上げられようとしています。
地面にはまだ多くの住人が残っています。
救助開始から3時間が過ぎた午前8時ごろ。
災害対策本部に一つの救助要請が届きます。
鈴子峯子さんがいる釜石にヘリコプターを差し向けてほしいというものでした。
NHKがまとめたヘリコプターの運行記録です。
救助要請が届いた30分後から応援のヘリコプターが全国から続々と到着。
鈴子さんのもとに救助に向かう事も可能な状況でした。
ところが実際にヘリコプターが出動したのは午後2時21分でした。
取材の結果越野さんが救助要請を把握したのは連絡を受けた4時間後だった事が分かりました。
なぜ情報は埋もれていたのでしょうか。
このころ本部には膨大な情報が寄せられていました。
想定外だったのは誤報の多さ。
「重症者多数」と伝えられたものの実際には軽傷者しかいないなど誤った情報で混乱しました。
そうした中情報を一元化するはずだった情報班にさまざまな要請や報告が届かなかったり遅れたりするケースが出てきたのです。
鈴子さんのもとにヘリコプターが到着した時の映像です。
救助要請から6時間以上が過ぎていました。
救急車の中で酸素吸入を受けながら救助を待っていた鈴子さん。
この直前息を引き取りました。
今岩手県は災害が起きた時の情報への対応を抜本的に見直しています。
現在の被害状況12時現在としまして死者が8名重傷者が100名…。
けが人や孤立した集落病院の被災状況などあらゆる情報を誰もが閲覧できるデータベースに入力。
リストにします。
複数の目で大切な情報が埋もれるのを防ぐためです。
更にその対応状況も入力し救助につながったかどうかも確認できるようにしました。
被災者の生死を左右する情報への対応。
越野さんは自分たちの経験が今後の災害への備えにつながればと考えています。
情報の共有化というのは災害の度に指摘されてきたのですが今回もまた大きな課題を残しました。
今年3月の国の中央防災会議でも情報共有の徹底と関係する機関の連携強化を求めています。
今回の震災で得た教訓を今後どこまで生かす事ができるのかが問われています。
防ぎ得た死。
緊急時の現場をこれまで見てきましたがそれだけではありません。
震災直後の混乱を生き延びようやくたどりついた避難所で亡くなってしまった人も数多くいます。
そこでは何が課題となったのでしょうか。
震災で妻を亡くした吉野忠さん。
今も割り切れない思いを抱えています。
妻恵美子さんは震災から6日後たどりついた避難所で亡くなりました。
言葉の前に涙しか出なかったからね。
やっぱり思いはこういう所で亡くならせたって後悔というかな。
10mの津波が襲った気仙沼市街地。
その時恵美子さんは老人保健施設にいました。
津波は施設を直撃し恵美子さんも波にのまれましたが柱につかまり一命を取り留めました。
恵美子さんをはじめ助かった86人は濡れたまま施設の中で一夜を明かしました。
翌日消防隊により救出。
たどりついたのは市の指定避難所の…その時中学校は900人近い避難者であふれかえっていました。
備蓄の毛布は既になく着替えもありませんでした。
氷点下にまで冷え込む中体育館には小さな石油ストーブが2つあっただけでした。
濡れたまま耐えていた恵美子さんたち。
寒さで体力が奪われる人が続出します。
その日の夜80代と90代の2人が低体温状態で衰弱し亡くなりました。
翌日の明け方にも更に2人が息を引き取りました。
亡くなったんだよね倒れて。
それがね夜中に入ってくる訳だ耳に。
パタ〜ンって音がさ。
それがね抜けないんだよ。
いや抜けないっていうかねやっぱりあれなんだよね助けられなかったなという事なんだよね。
震災から3日後恵美子さんは呼吸が苦しくなり病院に運ばれました。
状態が落ち着くと帰るよう促され夫の忠さんと別の避難所に向かいます。
少しでもいい環境を求めやって来たのは気仙沼で最も大きな避難所だった総合体育館。
しかし状況は変わりませんでした。
ほかの避難所からあふれた1,800人が身を寄せ合い寝る場所すらありませんでした。
これはひどいっていうのがひと言ね。
うちの妻も着く途端に「帰りたい」って。
要するに横になっておったためにね。
なんとか体を並べるだけ並べたっていうような状況の中に一緒になったっていう…。
普通の布団1枚に1人って事じゃないから。
過酷な環境の中で恵美子さんの容体は悪化していきました。
肺を患った事がありほこりが多い場所を避けていた恵美子さん。
次第にせきが止まらなくなっていきました。
本当にもう肩で呼吸するようなしゃべるのもやっとというような状況でしたので逆に話してしまうと苦しい呼吸のリズムを乱してしまう事になってしまうので声もかけるにかけられなかったですね。
避難所には県外から駆けつけた医師がいました。
しかし一人一人の健康状態を診て回る余裕はありませんでした。
大勢の避難者がいる中で苦しさを表に出さずにいた恵美子さん。
忠さんがよりよい場所を探しに行こうとした時声を上げました。
でかい声でね「おとうさん愛してるよ」って館内に響くぐらいの声で言ったのが本人の最期の声だけどね。
震災から6日後恵美子さんは呼吸不全で亡くなりました。
苦しかっただろうって事ですよねまず一番ね。
実際そういう状況を見てるからあの時に何かしてあげられなかったかなとかこうしてあげられなかったかなというのが後からねじわじわと出てくるけど。
過酷な避難生活が原因で亡くなった人たちを救う事はできなかったのか。
DMATの医師たちの検討課題となりました。
議論から見えてきたのはこれまでの災害医療の枠を超えた新たな仕組みの必要性でした。
求められる災害医療の新しい形。
その手がかりが3年前の被災地にありました。
震災から1週間後の石巻赤十字病院。
応援の医師たちが全国から駆けつけ殺到する患者にも徐々に対応できるようになっていました。
しかし避難所で体調を崩し病院に運ばれてくる被災者は後を絶ちませんでした。
支援の手が入ってない避難所があってそれがもし仮にものすごく環境が悪かったとしたらどんどん亡くなる方が増えていく訳ですよね。
水があるのか食料があるのかトイレはあるのかという。
どんぐらい具合悪い人がいるのか。
毛布はあるのかとかそういうのを調べてそれを基に計画を立てるしかないと。
石井さんが注目したのは地元に詳しい保健師でした。
応援の医師たちは保健師とチームを組み全ての避難所を直接訪ねて調査する事にしたのです。
当時避難所には7万人を超える人がいると見られていました。
調査を進めると劣悪な環境の中で体調を悪化させる人が多くいる事が分かりました。
本日分のみで全然お食事が足りてないですね。
本日分だけで明日からのがまだ…。
調査結果を基に石井さんは直ちに支援が必要な避難所を14か所特定。
毎日医療チームを派遣する事にしました。
医療チームは避難所の中を回りリスクを抱えた人を探し出していきました。
こんにちは。
大丈夫ですか?巡回で回ってるんですけど…。
(せきこみ)せきをしていたこの女性。
話を聞くと肺に持病がある事が分かりました。
握って痛くないですか?大丈夫?悪化すると呼吸困難に陥るおそれがあるため看護師が見守っていく事になりました。
こういうのは痛くないですか?針金がついとるでしょ。
これで鼻をギュッギュッギュッと押さえてちょっと苦しいけどこれでほこりが入らんように。
こうした取り組みの結果医療などの支援が必要だと判断されたのはおよそ80人。
環境のよい場所に移すなど一人一人の状態に合わせた対策をとる事で命を守りました。
将来の災害に備えるために。
今全国で石巻の取り組みを学ぶ研修会が開かれています。
災害が起きた時DMATや地元の保健師自治体の職員などが連携し地域の状況を把握。
素早い支援をするための訓練を行っています。
災害医療の専門家だけでなく地元の実情に詳しい保健師をはじめ地域が連携して被災者を支えていく新たな災害医療の形が全国に広がろうとしています。
防ぎ得た死の検証作業。
これには2つの意味があると思います。
2万人もの犠牲者の中で1人の死は見過ごされてしまいがちです。
一人一人の死を丹念に検証するという取り組みはその死を無にしないという事につながると思います。
そしてもう一つの意味。
次の災害に備えるため欠かせない作業だという事です。
少しでも犠牲を減らすためにどうすればいいのか。
私たちは今回の震災から教訓を導き出しそれを行動に移していかなければなりません。
DMATの小井土医師が言ったようにそれが亡くなられた人たちに対する責務なのではないでしょうか。
2014/07/21(月) 00:50〜01:40
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 東日本大震災「救えたかもしれない命〜災害死・4年目の検証」[字][再]

今、被災地で救命に携わった医師たちによって“防ぎ得た災害死”の検証が進められている。将来の大規模災害で一人でも多くの命を救うにはどうすればよいのか?ヒントを探る

詳細情報
番組内容
東日本大震災で亡くなった人々の中に、救えた命はどれくらいあったのか?震災から3年あまり、当時被災地で救命に携わった医師たちによって「防ぎ得た災害死」の検証作業が始まっている。岩手・宮城の40の病院を訪ね、震災があった3月に亡くなったすべての患者について、死亡した原因や経緯を調査。災害医療の課題をあぶりだそうとしている。将来の大規模災害で、一人でも多くの命を救うにはどすればよいのか?そのヒントを探る

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