東京・中野区の都営住宅。
自治会長が気になる人を一軒一軒訪ねています。
(チャイム)多くは福島第一原発の事故によって避難を余儀なくされた人たちです。
避難生活が長引く中家に引きこもる人が増えています。
原発事故による福島からの避難者は「帰還困難区域」などの避難指示区域からおよそ8万人。
これ以外の地域から自らの判断で避難したいわゆる「自主避難者」が4万7,000人。
このうち県外に4万5,000人が避難しています。
去年12月国は原発事故による避難について新たな方針を打ち出しました。
これまではふるさとへの「全員帰還」を目指していましたが新しい土地への「移住」も支援していく事にしたのです。
しかし移住となると新居は東京かそれともふるさとの近くか経済的負担はどれだけあるかなど課題も多くあります。
福島県双葉町から東京に避難しているこの男性も決められずにいます。
移住するとふるさととの縁が切れるうえ避難者として受けてきた様々な支援から外されるのではないかと心配しています。
福島県が県外避難者に「戻りたいか」「避難先で定住したいか」聞いたところ「現時点で決まっていない」と答えた人が最も多くなりました。
今回の「復興サポート」は東京での開催です。
こんにちは〜。
福島県から避難している人たちがどうしたら安心して充実した避難生活を送る事ができるか話し合います。
集まったのは福島からの避難者の方々社会福祉協議会やNPOなどの支援者そして避難先被災元両方の自治体職員も参加しました。
まずは皆さんがどんな事を考えていらっしゃるのかお聞きするところから始めたいと思います。
私は双葉町で原発から3.8kmぐらいですか。
やっぱり元の生活というものがやれないかぎりはいつまでもあれですね…つらいです。
我々実際戻らないけども町を捨てるという考えはないんですよね。
富岡町の事は常に考えているんだと。
「町を捨てた者」というふうな見られ方をするのは嫌だなと。
あちらに残って仕事をしている友達仲間ですねそういう人たちの事を見ていると本当に何か心苦しい思い。
あっちで頑張っているのに俺はこっちで何してるんだろうどうしたらいいんだろうという悩みで前に進めてないのかなというところは思います。
今1歳半の子供がいるんですけれども私が南相馬市出身という事はそれは誇りを持ってる事ですが子供が福島に生まれたるの不幸を背負っていかせるのは正しい事なのかどうしたらいいのか道しるべができたらなというのは思っています。
帰るか帰らないかと言われればそれはふるさとですから帰りたいですよね。
しかしたまに家に帰ってもマスクして防護服を着て掃除するわけですからね。
ネズミがビョンビョンですよ。
あらゆるものピアノの足までかじってグジャグジャなんです。
東京に来ればやっぱりここは我が家かと思うんですよね。
2つのふるさとって言われますけれどもあの状態では私はやっぱりこっちに定住するしかないのかなという半々の気持ちです。
私たちは国の命令によって追い出されてここに来たんです。
求める事なくしょうがなくてここにいるんです。
福島県の浜通りは何年先まで帰れない。
それを風呂敷に包み込んで臭いものに蓋をするように物事を小さく小さく見せかけてそういう政策をされたんではどこにこれから先の希望が見えますか。
ありがとうございました。
という事で今回の復興サポーターの方をお招きしたいと思います。
中越地震の時に復興の支援をなさった稲垣文彦さんです。
皆さんこんにちは。
今日の復興サポーターは…2004年に起きた中越地震。
稲垣さんは全村避難を強いられた旧山古志村を中心に一人一人の元気を引き出す住民主体の復興支援で成果をあげました。
今回の震災では避難所に駆けつけ中越地震の経験を生かしながら支援に奔走しました。
その中で今回の震災はこれまでとかなり違っていると感じたといいます。
これまでの災害ではふるさとここに住まれてたんでしょうがここから一時避難をした。
だけれどももう一回ここに戻って個人の復興とふるさとの復興を一緒にやってくこれがこれまでの我が国の災害復興。
今回は一方で戻らずにここにも住まわれている方。
むしろこちらの方がもしかしたらかなり多い。
稲垣さんは今回の特徴として「ふるさとの復興」と避難先での「個人の復興」の場が遠く離れている事を指摘します。
また「ふるさとを捨てた」などと避難者の間で分断が起きている事。
更に避難が数十年単位と長期化する可能性がある事をあげています。
これがバラバラではなくてここが一緒になって復興していくという事はこれまで実は我が国ではやった事ないです。
だけどもここを今日皆さんお集まりの方と一緒に考えていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
まずは今回の会場となった東京・中野区で避難者はどんな課題を抱えているのか見ていく事にしました。
中野区鷺宮都営住宅では福島からの避難者を中心におよそ100世帯250人を受け入れています。
おはようございます。
谷さんは双葉町で土木関係の仕事をしていましたが震災後退職し今は夫婦2人で暮らしています。
谷さんは双葉町の自宅がいつも気がかりです。
この3年で12回通ってきました。
自宅は長期間帰れない「帰還困難区域」に指定されています。
着の身着のままで逃げてきたため家具や衣類などはそのままになっています。
更に自宅のそばに除染で出た放射性廃棄物などの中間貯蔵施設が造られる予定です。
一方東京への移住も決断できずにいます。
移住してしまうとふるさととのつながりが切れてしまうのではないかという不安があります。
谷さんは今でも住民票を移していません。
この都営住宅では毎週福島からの避難者を中心に交流サロンが開かれています。
しかし参加するメンバーはいつも同じ人に限られてきました。
ふさぎ込んで孤立する人たちの問題が心配されています。
自治会長の関根仁美さんはそうした人たちに声をかけ続けています。
(チャイム)しかしなかなか状況がつかめない人も多いといいます。
(関根)落ちないように…。
全国から24時間体制で悩み事の相談を受ける…ここには福島から避難した人たちからの電話が後を絶ちません。
「福島から来て近所づきあいがうまくいかない」「原発被災者である事で中傷を受けた」など避難先で誰にも相談できずに悩みを抱える人たちがいます。
…というところが大きな問題なんではないかと思ってます。
今中野区の都営住宅では避難者と地域のつながりを作る工夫をしています。
この日は地域の芋掘りハイキング。
参加者140人分の食事作りを手伝っているのは双葉町出身の谷さんです。
谷さんは御飯を炊くかまどの火おこしを買って出ました。
わあ〜!きれいに出来た。
避難している人たちも支援されるだけでなく地域の一員として役割を担うようになっています。
さあこのお話を受けて稲垣さん。
さっきの谷さんですね。
お米おいしそうですね。
ああ…。
(笑い)僕ね多分こういう話だと思うんです。
それぞれの皆さん方にそれぞれいろんな得意なものがあるし人生経験があるんだと思うんですよね。
「子供に何か読み聞かせるなら任せとけ」とか「集計得意よ」とか。
いろんな顔を我々が認知をしていくという事でその人たちの本来持っている力を引き出すというような取り組み。
多分そういう事が大事なのかなと思ってます。
実は…新潟の中越地震の話をちょっとしますね。
この人なんですけどもこの人が「地域復興支援員」という役割を担っていました。
「支援員」なんていうと支援してあげる人みたいな話ですがそうじゃないです。
力を引き出してあげる人なんです。
これを見て下さい。
これは仮設住宅の中でのお茶っこです。
このおかあさんを見てて下さい。
かっぽう着のおかあさんですよ。
次の写真です。
これ見て下さい。
どこいましたおかあさん。
ここいましたね。
そうなんです。
これは実は何か。
新潟笹だんごが有名です。
この笹だんご作りを教えてるんです。
ああ!こういう事なんだと思うんです。
で自分たちの町をどうしようかという事が出てくるんですね。
こういった事をこれからの県外の避難のコミュニティー作りあるいは被災元とのつながり作りに生かして頂くといいんじゃないかなというふうに僕は感じています。
稲垣さんたちが考え出した復興支援員の制度は今福島の避難者支援にも応用されています。
いち早く取り組んだ浪江町の活動を見ていく事にしました。
原発事故により全町民が避難生活を送っている浪江町。
今6,000人以上が県外に避難し全国45都道府県でバラバラに暮らしています。
その支援のため浪江町は復興支援員を全国に28人配置しています。
埼玉では埼玉県労働者福祉協議会の協力のもと復興支援員4人が活動しています。
浪江町役場から提供された名簿を頼りに一軒一軒訪ねています。
是非…。
よろしくお願いします。
すみませんじゃあ。
復興支援員も浪江町出身の避難者です。
その一人石澤修英さんは妻と2人で埼玉で暮らしています。
浪江町のために自分にできる事があればと復興支援員に応募しました。
埼玉県では定期的に避難者の交流会が開かれてきました。
しかしここでも参加する人が同じメンバーに限られてきています。
そこで戸別訪問を行い孤立している人が多い地域で交流会を開いています。
更に開催の直前になるともう一度訪ねて参加を呼びかけます。
こんにちは。
どうも!この親子は最近家に閉じ籠もりがちでした。
浪江町出身者の訪問に会話が弾みました。
一方いち早く生活再建の道を開いた人のもとも訪ねています。
こんにちは〜どうも。
埼玉県嵐山町でほうれんそうの栽培を始めた愛澤さん一家です。
土地を借りて福島からの避難者と一緒に農業を始めていました。
浪江町にもう戻る気はないのか息子の健雄さんに聞きました。
浪江町出身の名人が手打ちうどんを振る舞います。
自宅に籠もりがちだった松本さん親子もやって来ました。
松本さん手伝い始めました。
交流会には浪江町以外の人も参加しています。
クライマックスは支援員たちによる復興ソング。
(拍手)見事なハーモニーに拍手喝采です。
ありがとうございました。
今日はこの浪江町の復興支援員を受け入れました埼玉県労働者福祉協議会に来て頂いています。
毎日いろんな報告が来ます。
「今日はこんな大変な人がいた」。
「今日はドアを開けた途端に泣かれた」と。
「泣きながら抱きついてきて『今日来てくれてありがとう』って言われた」と。
まだまだ大変な方がいっぱいいます。
1回目行った時には何にもしゃべんないんです。
2回目行くとねポツポツポツっとしゃべるんですよ。
3回目行くとねもうあっちからしゃべりだすんですよ。
もうね1時間も2時間もしゃべってますよ。
やはり「浪江町ですよ」って言うと必ず開けてくれる。
浪江の言葉で…地方の言葉でしゃべるとねやっぱりね開けてくれますよ。
それとさっき谷さんとコソコソ言ってたんです。
「私たちもうどんやろうか」って。
やはり地元の方言で被災者を支援するっていうのは受け入れ先の社協ではなかなかできないところで。
避難されている方自らが活躍する場面をどう受け入れ先の地域の中で作っていくのかというのが大きな課題かなというふうに今感じております。
都としてはどうなんでしょうか?今年度から個別に訪問して調査をしていると。
その中で福島県の方と一緒に行く事によってよく実情を教えてくれる。
今後ともちゃんと支援をしていきたいと思っております。
やはり復興支援員の役割というのはすごくすごいもんだと思っておりまして福島県として県がある程度コーディネートできるような役割を担っていければなと思っております。
こういう方々が一緒になってこのネットワークを組みながらどう支えていくかあるいはその問題をどう専門家につないでいくかこれが多分これからすごく大事なんじゃないかなと私自身は考えています。
原発事故から3年4か月。
長期の避難生活を強いられる人々。
この未曽有の事態に対し新たな制度を模索し始めた自治体もあります。
今年3月福島県富岡町は新たな考え方を提起しました。
富岡町も全町避難を強いられました。
しかし除染やインフラの復旧作業はまだ始まったばかり。
早期の帰還は難しい状況です。
そこで富岡町では長期に避難を続けたあとふるさとに帰るという「第三の道」を織り込んだ「復興計画」を作ろうとしています。
ではここで2人目の復興サポーターの方をご紹介したいと思います。
今井照さんです。
どうぞこちらへお越し下さい。
皆さんこんにちは。
福島大学で自治体政策を研究している今井照さんです。
原発事故の直後から福島の被災地に入り避難生活の現状について調査してきました。
数十年単位で長期の避難生活を保障する制度「第三の道」が今必要だと提言しています。
これは県のアンケートなんですけど一番その時にポイントになるのはこの「決まっていない」という。
これだけ見るとすごいネガティブな感じするんですけどもものすごくいろんな事考えてたくさん考えて考えてでも分からないんです。
という事はこれはこれ以外の人じゃないんです。
これは第三の選択なんです。
問題はその第三のこの道に対してはほとんど今支える制度がないというところが今の最大の問題点。
それで私たちと議論して2つぐらいの提案をしています。
1つは住まいの再建とか暮らしの再建の問題です。
現在「仮設住宅」は自然災害を前提とした「災害救助法」によって期限は2年と定められています。
そのあとは1年ごとの更新です。
これを原発事故による避難者に対応するため5年10年といった長期間の住宅の保障が必要ではないかといいます。
また今避難している人たちは「原発避難者特例法」により避難先の自治体でもこれまでと同じような行政サービスを受けられる事になっています。
しかしこの特例法だけでは不十分だと今井さんは考えています。
今井さんは避難先の自治体とふるさとの自治体両方で住民として認められる二重の住民票を持つ事はできないかと提案しています。
これだけの避難の実態があるわけですからこちらの市民でもあるしこちらの市民でもあると。
2つの地域に関係できると。
避難先での今の暮らしも大事にしなきゃいけないし避難元に対してこれからどういう地域になっていくんだという事についてやっぱり発言していかなきゃいけない。
そういう仕組みが「第三の道」には必要じゃないかと提案をしているところです。
今のお話どんなふうに聞かれましたか?私のとこは帰還困難区域だし今の状況で考えたらねとてもとても5年10年で帰れる状態じゃないというのはもう明白なんだよね。
そんなん考えたら今の住んでいる所っていうのはせめて例えば5年とか10年とかの単位までいいですよというようなやっぱそういう形にしてもらいたいなと。
特に我々年寄りはなんぼ都会の便利な環境であってもやっぱり自然環境の地面のある所で死にたいですよ。
これが本音ですよ。
そうした時に「第三の道」期待したいなと思ってます。
我々中越の時にもやっぱり出られた方もいらっしゃいました。
やむなく。
でもそういう中で「地域を離れた方々の心の支えは何ですか」って言ったら「ふるさとが元気な事」って話はやっと分かってきたところです。
そういう中で僕はこう思っています。
ふるさとを守るあるいは次につなぐのはふるさとに住む人たちだけじゃなくてふるさとに関わろうとする人たち全てなんじゃないかという事。
そういう事例が出てきていますので是非ご覧頂ければなと思います。
中越地震で大きな被害を受けた…一部が震災によって水没し高台に集団移転しました。
地区の人口は半分になりその多くが高齢者です。
村を離れた元村民の一人五十嵐真さんは今も頻繁にふるさとを訪ねています。
自宅のあった場所は跡形もありません。
しかし生まれ育った村とのつながりは五十嵐さんにとって特別なものとなっています。
おはようございます。
村に残る人にとっても離れた人が度々訪れる事は大きな支えです。
(五十嵐)おかげさまで元気してます。
五十嵐さんなど村を離れた人たちが支援する事でよみがえった行事があります。
村が一番盛り上がる夏の盆踊り。
以前から存続が危ぶまれていました。
それが2年前3つの集落の合同での開催という新しい形でよみがえりました。
五十嵐さんは高齢者には難しい力仕事を買って出て祭りの存続に力を尽くしました。
村から東京におよそ50年前に出ていった人たちも祭りの存続に力を貸しました。
山古志三ヶ地区出身者の会の会長…川上さんは会員に呼びかけ30人ほどのバスツアーを組んでみんなで盆踊りに参加。
更にかつて祭りの一部として行われていた民謡大会を12年ぶりに復活させました。
こうして去年は人口およそ80人の村の祭りに250人が集まりました。
そういう事で実は震災前よりも今にぎやかになりました。
これが皆さん方の事情とは全然違うといえばそうかもしれないんですけどもでも本質はこういうところにあるんじゃないかな。
僕は今日も痛切に感じたわけですけども失ったものは実は多分2つあるんじゃないか。
一つは損失。
損失というのは多分お金をかければ元どおりに戻る。
例えば住宅だとか道路だとか。
もう一つは喪失。
この喪失というのは実はお金をかけてもなかなか戻っていかないものなんじゃないかと。
人の命あるいは皆さん方の今のふるさと。
そこの中でいろんな関係があった生活があった。
この全てが喪失したという事なんだろうと思いますけども。
この10年間我々震災復興をやってきてやっと分かってきた事があります。
この喪失感喪失を埋めていったものは何かというと喪失を埋めようと自分たちで取り組んできた気持ちです。
これでしか埋まんなかったです。
自分たちが何かをしなきゃいけない。
あるいは自分たちで頑張るんだとそういう思い。
それをやる事で実はこの喪失感が埋まってきたと思っています。
ですから是非とも皆さん方のある種の選択あるいは住む場所で主体的に自分たちのふるさとを何とかして次につなぐという事を取り組んで頂きたい。
そういうつながりが徐々に広がっていく事によって世の中を変えていく。
そういう動きも実は時間がかかるようでもしかしたら近道なんじゃないかなあと思っています。
最後に今自分たちがそれぞれの立場で何ができるのかグループごとに話し合います。
グループごとに発表です。
避難先での生活再建というのがまず最優先事項でその次に初めてふるさとの事というところにエネルギーが割けるようになるんだろうなと思いました。
「被ばく手帳がほしい」というふうに書きました。
将来の足元の不安定さがちょっと軽減されるのかなと思ったんです。
ただこういった動きがあるよというのを知ってもらいたいと思ってあえて消さずに書きました。
B班です。
「共感と発信」という事をキーワードでまず避難者同士の相互理解と。
共感できる場づくりが必要じゃないか。
立場が違う事である争いはやっぱり共感がないと起きてしまうんじゃないかなと。
それから「活動を発信する」。
やっぱり話したり文章にしたり映像にしていく。
当事者がやるからこそ「てにをは」が違うんじゃないか。
しっかり発信していかないと正しく伝わらないんじゃないか。
全部まとめていくと「つながり」というタイトルになりました。
自治体にしてほしい事「情報提供」。
情報がないとそこに誰がいるのか分かんないと。
事細かなサービスができませんよと。
「とにかく早く復興支援員を配置してほしい!」。
復興支援員とかそういったものを作っていくために国とかがバックアップをして頂かないと地域だけではもたない場合があるので「ネットワークづくりのための環境づくり」。
あと「二重住民票の制度」というこれがあればものすごい楽だなというこれは是非やってほしい。
「共に生きる」というのが一番のテーマです。
支援してあげるだとかされるとかではなくて民生委員さん地域の方避難されてる方市民の人たちがそういうネットワークを作る事がきっと2つの町で生きる希望になるんじゃないかなと思います。
(拍手)最後に皆さんにお話を頂ければと。
いろんな人の意見が聞かれて大変勇気づけられました。
ありがとうございました。
そしてこれからいつまで続くか分からないこの避難生活をしっかりと頑張っていきたいとそういうふうに思っております。
ほんとに皆様の熱い思いがいっぱい頂いてほんと幸せだなと今思ってます。
ありがとうございます。
私たちの自治会も皆さんの力を借りてより一層力になりたいし私たちにも力をいっぱい下さる皆さんとこれからも多くつながっていきたいと思います。
ありがとうございました。
ほんとにご理解下さってありがとうございました。
ほんとに我々の気持ちが今日はスッとしましたので。
長い終わりが分からない避難です。
それで原発の事故を風化させないためにもこれからも一生懸命NHKさんも頑張って報道なり何なりやってもらいたいと思います。
私も今住んでる中野の方で一生懸命いろいろお手伝いして頑張っていきます。
よろしくお願いします。
(拍手)都会の住宅街にある小さな農園。
福島からの避難者が区の高齢者会館の中庭を開墾して野菜作りを始めています。
うまそう。
ほらおいしそうでしょ?原発事故から3年4か月。
避難者たちは移り住んだ都会の町と今は帰れない福島の町その2つのふるさとを生きようとしています。
福島から全国に避難している人たちは今も4万5,000人。
2つのふるさとを生きる人たちをどう支えていけばよいのか考えさせられました。
さてNHKでは東北の魅力をさまざまな角度から紹介する番組を放送していますが「花は咲く東北に咲く」キャンペーンではどーもくんとチャロが季節ごとに魅力あふれる東北を旅しています。
今回は夏の宮城・石巻を訪ねました。
(シャッター音)ワン。
どーもくんとチャロが訪れたのは豊富な魚が水揚げされる宮城県石巻。
競り人の阿部さんは仮設の魚市場で1日30tも競りにかけてるんだって。
腹ぺこの2人は食堂へ。
料理もおばちゃんも大人気
夫婦船でたくさんのホタテを養殖する末永さん
どーもくんとチャロが石巻の海で出会ったのは花のような笑顔でした
船に掲げられた大漁旗がありましたね。
あれは地域の皆さんが大漁を願って贈るものなんだそうです。
まさに漁師さんと地域を結ぶ絆なんですね。
「花は咲く東北に咲く」キャンペーンではこの他にも東北の魅力を伝え復興を応援するさまざまな番組を紹介しています。
米どころ秋田を潤す雄物川。
イタリア生まれの料理研究家ベリッシモ・フランチェスコさんが旅をします。
雄物川流域のおいしいものを堪能しながら地元で活躍する秋田美人を訪ねます。
うん冷たい。
ありがとうございます。
同じくBSプレミアムで放送している「きらり!えん旅」では岩手県大船渡市を藤井フミヤさんが訪ねました。
江戸時代から伝わる舞を後世に伝えようという人々に出会い屋台村では最年長という看板娘から料理でおもてなし。
お〜。
藤井さんは歌でエールを送ります。
・「そして今を共に生きよう」・「だれのためでもなく」この他にもさまざまな番組で東北の魅力をお伝えしていきます。
詳しくは「花は咲く東北に咲く」のホームページをご覧下さい。
では被災した地域で暮らす方々の今の思い。
福島県新地町の皆さんです。
地震の時家族を高台に逃げさせてこの船で自分は沖へ逃げました。
津波に遭遇して女房長男の名前を叫びながら突っ込んでいきました。
私は震災で心が傷つき精神的につらい日々がありました。
この浜に来た時震災当時の姿にこのままではいけないと思い清掃活動をスタートしました。
私はこの活動で前を向く事ができました。
私はそういう方々を…新地町でお米を作っています。
津波の被害は大きかったですけど震災の年から作付けを再開しました。
再開した理由は農業を通して子供たちに食育をできればなと思ったからです。
2014/07/20(日) 10:05〜10:55
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう− 復興サポート▽二つの“故郷”を生きる〜福島・広域避難者〜[字]
福島からの県外避難者4万5千人の3割以上が、「帰還」か「移住」か決められずにいる。避難生活の質を高めつつ故郷とのつながりを保ち続けるにはどうするかを話しあう。
詳細情報
番組内容
現在、福島原発事故による県外への避難者はおよそ4万5千人。避難者の3割以上が、いまだ「帰還」か「移住」か決められないでいる。長期間の「広域避難」で、どのようにして生活の質を高めながら、故郷とのつながりも保ち続けていくのか。番組では、被災者と支援者、避難先・被災元の自治体職員らが集まり、具体策を話し合う。出演は、中越地震の復興を支援した稲垣文彦さんと、福島大学で自治体政策を研究する今井照さん。
出演者
【出演】中越防災安全推進機構…稲垣文彦,福島大学教授…今井照,【キャスター】野村優男
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:17579(0x44AB)