NHK高校講座 世界史「ビザンツ帝国」 2014.07.04

歴史の大海原を旅するキャプテン歴史アイドルの小日向えり。
世界中のさまざまなゲストと一緒にいざ船出しよう!
(小日向)私の歴史の部屋へようこそ。
さあ今日はどちらからお客様が来てくれるんでしょう。
ようこそいらっしゃい。
メルハバ!わ〜かっこいい紳士ですね。
今回のゲストはトルコ・イスタンブル出身の…
日本でトルコ料理店を経営しながらトルコの歴史や文化を伝えています
今日はトルコのどういう歴史を教えてくれるんでしょうか?
(セルジュク)本日はですね…ビザンツ帝国?聞いた事あるけどちょっと難しそう。
いつの時代ですか?ビザンツ帝国はですね…1,500年前ですか!?だいぶ前ですね。
実はこれと関係あります。
「六法全書」法律書ですよね?はい。
これとビザンツ帝国どう関係があるのかな?全然見当がつかないです。
本日はこちらの方を紹介しに来ました。
テオドラさん。
はい。
私の名はテオドラ。
かつて繁栄を誇ったビザンツ帝国の皇帝の后だ。
ビザンツ帝国とは4世紀から15世紀まで1,000年以上続いた人類史上最長ともいわれる巨大帝国。
現在のトルコ・イスタンブルを中心とした広大な地域を領土としていた。
アジアとヨーロッパを結び後世に残る華やかな文化をつくり上げたビザンツ帝国。
1,000年以上続いたその秘密を私テオドラが語って聞かせよう。
4世紀から15世紀までの間ってとんでもなく長いですね。
はい結構長いです。
そんなに続いた帝国なんですね。
はい。
日本でいうと4世紀だから古墳時代から奈良平安鎌倉室町時代までの。
そんなに長くの間続いてたんですね。
テオドラさんってどういう人なんですか?とてもセクシーアンドビューティーで。
今のトルコの街の中ではテオドラさんっていう店がたくさんありますね。
どういうお店なんですか?化粧品売ってたりとかエステサロンとか。
じゃあテオドラさんは美の象徴みたいな美しい人だったんですね。
そうですね間違いありません。
テオドラさんってどんな人か気になりますね。
じゃあビザンツ帝国の歴史をテオドラさんに聞いてみましょう。
テオドラさ〜ん!ビザンツ帝国の始まりは私が生まれる前の時代に遡る。
当時はローマ帝国が現在のイギリスから北アフリカトルコまでを支配し地中海を中心に繁栄を極めていた。
しかし3世紀に入ると国力が弱まり異民族の攻撃にさらされてしまう。
そこで4世紀当時のローマ皇帝が異民族の侵入に備えて都をローマからはるか東にうつした。
そこはビザンティウムという名の小さな港町だった。
当時の皇帝の名を取ってコンスタンティノープルと名前を変えここに新しい都を築いたのだ。
その後ローマ帝国は東西に分割され西のローマ帝国はあっけなく滅んでしまったが東ローマ帝国は長く繁栄を続ける事になる。
歴史学者が後になって元の港町の名前ビザンティウムにちなんでビザンツ帝国と呼ぶようになったのだ。
ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルは海に突き出ている要塞都市だった。
歴代の皇帝たちは更に町を守るために周囲をぐるりと城壁で囲んだ。
ビザンツ帝国の繁栄は首都コンスタンティノープルを守り続けたこの城壁のおかげでもあった。
私はこの町で踊り子をしていた。
父は競馬場で働く庶民だったが私はその容貌で広く人気を集めていた。
そしてここで運命の人と出会ったのだ。
私を見初めたこの男…地方の農民の出身だが努力して勉強を続け有力な政治家になっていた。
しかし身分の違う2人の間には障害があった。
踊り子と政治家は結婚を禁じられていたのだ。
それでもユスティニアヌスは私との結婚を望みそのために法律まで改正した。
晴れて私たちは結婚しユスティニアヌスはビザンツ帝国の皇帝にまで上り詰めたのだ。
農民出身の彼が皇帝になり踊り子だった私がその后になった。
そうビザンツ帝国は生まれや身分によらず実力がものをいう活気あふれる社会だったのだ。
しかし帝国を治める事になった私たちには波乱の人生が待っていた。
すごいテオドラさんとユスティニアヌスの恋。
法律を変えてまで結婚したんですからすごい事ですよね。
今でもヨーロッパで私の聞いた一番大きい愛じゃないかなと思われるほどの事じゃないかなと思いますね。
ねっドラマみたいですね。
ドラマみたいですね。
ところでビザンツ帝国とこの2人はこのあとどうなってしまうんでしょう?それもテオドラさんに聞いてみましょう。
テオドラ!皇帝になった夫のユスティニアヌスには壮大な夢があった。
古代ローマの栄光をもう一度取り戻す事だ。
その野望を果たすため戦争を重ね領土を拡大していった。
しかし戦の費用のために重い税をかけその事で民衆の不満が高まってしまった。
そして532年ついに彼らの怒りが爆発した。
「ニカ!」すなわち「勝利せよ!」と叫びながら民衆が大暴動を起こしたのだ。
ニカの乱だ。
側近たちはうろたえ気弱になった夫のユスティニアヌスは信じられない事を言った。
「ここから逃げよう」。
その時私は断固として言った。
「逃げて生き延びてそれに何の意味があるというのです」。
「死ぬ時は皇帝のまま死になさい」。
この言葉でユスティニアヌスは踏みとどまる決意をした。
勇気を取り戻した彼は軍隊に命じ力で反乱を鎮圧した。
ユスティニアヌスは絶対的な権力と自信を持つようになった。
イタリアや北アフリカ地中海の西側までも征服し帝国の歴史で最も広い領土を手に入れる。
そうローマ帝国の栄光を再びよみがえらせるという夢をかなえたのだ。
都では暴動で破壊された聖ソフィア聖堂を再建。
ビザンツで最大級の建築物となった。
キリスト教を国教としたビザンツ帝国において教会再建は大きな意義を持つものだった。
聖ソフィア聖堂では巨大なドームとそこにさし込む光で荘厳な空間をつくり同時に皇帝ユスティニアヌスの力を示したのだ。
更に帝国内のさまざま民族を束ねるためにユスティニアヌスは法律を体系化した。
これが現代にも影響を与えている…こうしてユスティニアヌスは後に大帝と呼ばれる名皇帝となった。
それもあの時の私のしった激励があったからだといえるだろう。
テオドラさんすごいかっこいいですね。
死ぬ時は皇帝のまま死になさいって。
日本では江戸時代の二代将軍徳川秀忠の奥さんお江が内助の功っていう感じの人で秀忠を強くバックアップしたんですね。
すごい強い女性で徳川家康に対しても意見を言ったりとか秀忠も頭が上がらなかったそれぐらいの女性なんですよ。
お江って日本のテオドラさんっていってもいいかもしれないですね。
そうかもしれないですね。
でもちょっとユスティニアヌスさんって情けないですね。
あっ先生が呼んでるので話聞いてきますね。
大月先生お呼びでしょうか?
(大月)いらっしゃい。
何でしょう?今お二人がお話ししてた事で少し解説をしたくなったのね。
それでユスティニアヌスが少し情けないってお話をされてた。
だって逃げちゃったんですよね。
まあ確かにね。
あの場面はニカの乱の時には情けなかったかもしれないね。
ユスティニアヌスの事を名誉挽回のためにえりちゃんをお呼びしました。
それで先ほども少し紹介されてましたけどこの「六法全書」ですね。
この「六法全書」が実はユスティニアヌスのやった事と深いつながりがあるんだという事をお話ししたい。
そうなんですか?法律というのはそれまでローマ世界ビザンツ帝国にあったんですがユスティニアヌスはその法律をまとめたの。
まとめたんだ。
へぇ〜。
今我々「六法全書」でいろいろな法律を勉強する訳ですけれどこれはヨーロッパの法律を参考にして明治時代の日本で作ったものが基礎になってそれを改訂して今ここにある訳ですね。
その日本の法律の元にあるヨーロッパの法律がユスティニアヌスの法律を基礎にしてる。
じゃあユスティニアヌスがまとめた法律がこの「六法全書」にも含まれてるって事ですか。
その子供の子供がここにあります。
へぇ〜そう思うとユスティニアヌス尊敬しちゃいますね。
そのあとの人々の生活を規定しているんだって事を今日は覚えてほしいなと思います。
そのビザンツ帝国なんですがお二人がお話し下さってたようにユスティニアヌスもテオドラも地方の決して身分の高い人たちではなかった。
それがコンスタンティノープルという首都に出て頑張って活躍すれば貴族にもなれるし皇帝や皇后にもなれるという。
夢のある話ですね。
そういう意味では自由なエネルギッシュな社会だったというふうにいえると思います。
テオドラの助けがあってユスティニアヌスもそういう偉大な事業ができたというふうに私は考えています。
分かりました。
またお話あったら呼んで下さい。
大月先生ありがとう。
さて法律のほかにもビザンツの文化は後の世界に大きな影響を与えた。
夫ユスティニアヌスが建てた聖ソフィア聖堂はビザンツ芸術の集大成として輝き続けている。
キリストなどの姿はガラスや石などの小さな破片を一つ一つ壁にはめこむモザイク画で描かれている。
ビザンツ美術はこの美しいモザイク画が特徴だ。
私たちの領土だったイタリア・ラヴェンナ。
ここにもビザンツ帝国の文化が残っている。
このサン・ヴィターレ教会はビザンツ芸術の最高傑作と呼ばれている。
ここではモザイク壁画で私たちの姿が描かれている。
夫は皇帝だけが着る事を許された紫の衣をまとって誇らしげな姿だ。
私はその向かい側でメイドたちを従え毅然とした姿で向き合っている。
夫が力を入れたこの美しいサン・ヴィターレ教会が完成した数年後私は病でこの世を去った。
その後ビザンツの宗教も世界へ影響を与えた。
11世紀ビザンツ帝国が信仰していた正教会はローマ・カトリック教会と激しく対立し分裂してしまう。
正教会はその後ロシアへ伝わりおよそ400年かけてあなた方の国日本にも伝わっていったのだ。
ビザンツ時代の文化が大都会東京のビル街の中にあります。
ビザンツ様式で造られた大聖堂です
こんにちは。
ようこそいらっしゃいませ。
中に入ると外のけん騒とは打って変わって静かな空間が広がっています。
まるでビザンツ帝国の空気が残っているかのようです
この大聖堂は1891年に完成しました。
テオドラの時代からおよそ1,500年後の事です。
この教会は日本で最大級のビザンツ様式の建築といわれています。
建物の中心にある大きな丸いドームが特徴です
コンスタンティノープルを中心としたビザンツ帝国で正教の信仰は発展をしました。
お祈りでろうそくをともしたりお祈りに来た方たちがろうそくをともしたり日本でもそのまま受け継いできています。
東京の真ん中でビザンツ帝国の文化に触れる事ができます。
皆さんも訪ねてみてはいかがでしょうか
ビザンツ様式の建物すごいきれいでしたね。
はい。
6世紀にこんな大聖堂が完成してたなんてビザンツ帝国ってすごい豊かだったんですね。
行ってみたいです。
歴史的にはとても大事な所ですので是非いつか見にいって下さい。
はい。
ところでその支えになってたテオドラさんが亡くなってしまったんですよね。
はい。
そのあとユスティニアヌスはどうなっちゃったんですか?じゃあビザンツ帝国のそのあとどうなったという事を見てみましょう。
私の死後夫のユスティニアヌスは力を失い大きな功績も残さずにこの世を去った。
その後ビザンツ帝国にはさまざまな敵が攻めてきた。
イスラームの国やブルガリア王国同じキリスト教の十字軍も攻めてきた。
そして1453年ついにオスマン帝国の攻撃に敗れ1,000年以上の歴史を刻んだビザンツ帝国は滅亡したのだ。
国は滅んだもののモザイクに描かれた私たちの姿は1,500年前と変わらず今も輝き続けている。
私たちが礎を築いた法律や建築物などのビザンツ文化も後の時代に大きな影響を残し今のトルコやヨーロッパに受け継がれているのだ。
すごくきれいなモザイク画に2人が描かれてましたけど。
イスタンブルだけじゃなく全トルコの方にまでビザンツ帝国から残ったものがたくさんあります。
法律とかも日本も影響を受けているし芸術も東京に大聖堂が建ってたりとか日本も影響を受けてるんですね。
そうです。
今回も歴史と私たちがつながりましたね。
そうですね。
532年ニカの乱をユスティニアヌスがテオドラと共に鎮圧。
これをきっかけにしてビザンツ帝国は1,000年続く巨大な帝国となっていく。
7世紀ごろから多くの国に攻められるようになり…しかしビザンツ帝国が残した芸術や法体系は現代の私たちにまで影響を与えている。
2014/07/04(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「ビザンツ帝国」[字]

歴史好きな「歴女」の部屋を、世界各国にルーツを持つゲストが訪れ、歴史上の人物のメッセージを届ける…千年帝国ビザンツの烈女皇妃が語る夫ユスティニアヌス大帝

詳細情報
番組内容
「農民出身の皇帝と踊り子出身の皇妃…誰でも成功のチャンスがあったビザンツ帝国」「ビューティー&セクシーな鬼嫁が千年帝国を救った?」「六法全書とニコライ堂…日本に伝わるビザンツ文化」。ポイントは「コンスタンティノープルの誕生」「キリスト教会の展開」「東ローマ帝国とユスティニアヌス大帝、そしてテオドラ」。【司会】小日向えり【ゲスト】フィダン・セルジュク【講師】大月康弘(一橋大学教授)【語り】田中敦子
出演者
【講師】一橋大学教授…大月康弘,【ゲスト】フィダン・セルジュク,【司会】小日向えり,【語り】田中敦子

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趣味/教育 – 中学生・高校生
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趣味/教育 – 大学生・受験

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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