生字幕放送でお伝えしますおはようございます。
イノッチ⇒7月18日金曜日の「あさイチ」です。
すごい朝ドラのエンディングでしたね。
すごかった、もう。
気持ちがたかぶっちゃいましたよ。
嘉納様の気持ちを考えるとそうですけれども愛は何をも恐れない。
ぴったりの歌でしたね。
これはあした、どうなっちゃうんだろう。
会った、まではいい。
ここまではいいですよ。
ここから愛が永遠に続くかどうかですからね。
見守っていきましょう。
きょうの「プレミアムトーク」きょうはシスターでノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんです、どうぞこちらへ。
おはようございます。
よろしくお願いいたします。
本当に、けさは朝早くからありがとうございます。
渡辺⇒いえいえ。
渡辺和子さんといいますと皆さんご存じだと思います。
「置かれた場所で咲きなさい」そして、そのあとに出されました「面倒だから、しよう」これがベストセラーで大きな反響です。
140万部ですよね。
それと30万部です。
いかがですか。
渡辺さんのことばが皆さんが必要とされていてこれだけの反響ということは。
自分でもびっくりしておりますけれども。
そうですか。
140万部というのはすごい数字ですからね。
そうですね。
シスターの方って僕分からないんですけれども例えば本が売れたら印税とかはどうなるんですか?確かに。
よくお聞きになる方がございますけれども。
すいません、その中の1人ですいません。
その中のお一人ですから全部学生の奨学金にしております。
なるほど。
理事長として学校のためにお使いになっている。
修道会のほうには入れません大学のというか、学校法人のほうで。
そういうことですか。
学生たちの奨学金でいわゆる貸与ということではなくてあげるほうで返さなくていいということです。
それが私の学生たちへの恩返しだろうと思います。
一つ一つのことばが今もそうです。
この中のことばも響いてきます。
実は渡辺和子さんは結構若いころはイラっとしたりそういうこともあられたと書いてあります。
実際その辺りも。
どうなんでしょうか。
伺ってまいりますので、よろしくお願いします。
渡辺和子さんへの質問・メッセージをお寄せください。
よろしくお願いします。
さあ、まずは青森放送局の打越アナウンサーです。
お願いします。
打越⇒よろしくお願いします。
お久しぶりですね。
ご無沙汰しております。
1か月ぶりです。
きょうはナウでビビッドで情報をお伝えしている「あさイチ」にナウというのがあまり新しくないよ。
青森ではやっているカルチャーを持ってまいりました。
どうですか最先端な感じ。
分からないですね。
ご存じないですか?たぬきの形をしました、たぬきケーキ。
青森の食の最先端なんです。
僕は知らないですけれども有働さん知ってますか。
有働⇒昔あったかな、動物のケーキがあったけれどもたぬきケーキはどうだったかな。
僕は聞いたことがないです。
打越⇒まだまだですね。
ナウじゃないですか。
そういった方でも懐かしいと感じる方も懐かしいと感じるかもしれません日曜日、とあるお宅の玄関先に出前が届きました。
そう、これがうわさのたぬきケーキ。
全体がチョコレートでコーティングされスポンジケーキの上には昔懐かしいバタークリームがたっぷり使われています。
たぬきケーキは昭和40年ごろに誕生。
盛んに作られていましたが最近では扱う店が激減。
洋菓子界では絶滅寸前といわれています。
しかし、このお宅では今でも子どもたちに大人気です。
青森県民に愛されるたぬきケーキ。
県内では、八戸、つがる弘前などの老舗洋菓子店で扱われ最近続々と復活しています。
こちらのお店では多い日には一日に100個以上が売れるといいます。
え?お店の人も分からない?人気の理由は何なのか私たちは、たぬきケーキに詳しい人物と接触することに成功しました。
イノッチ⇒人物じゃないじゃん。
動物じゃん青森に住む、たぬきケーキを愛して10年の松本よしふみさん。
人物です。
県内外のたぬきケーキを食べ歩き写真や感想などをまとめた本を出版。
さらにブログでも情報を発信するおそらく日本一のたぬきケーキマニアなんです。
そうなんだ。
かわいいね確かに。
どこがいちばんの魅力ですか?中でも、いちばんのお気に入りというたぬきケーキがこちら。
そして、ここで耳寄りな情報が。
本当に全国にあるのか。
それを確かめるべく、東京へ!果たして、このたぬきケーキをご存じなのでしょうか。
行ってみましょう。
このケーキご存じですか?30人に聞いても誰も知らないなんてせっかく上京してきたのにああ、有働さんの怖い顔が脳裏をかすめる…。
諦めず洋菓子店に突撃取材をしてみると。
有働さんが怖い。
諦めるわけにはいかない。
しつこく電話で取材をすると…。
向かったのは品川区にある洋菓子店。
期待が高まります。
こんにちは。
これが、たぬきケーキ。
ショーケースには青森以外で見つけた念願のたぬきケーキ。
おひげがキュートで瞳がチャーミング。
ちょっと、おめかししたたぬきケーキです。
黒いほうがオス、白いほうがメス。
つがいになっているなんてす・て・き、でしょ?ケーキはなんと、お店の一番人気。
この日は一度に10個をまとめ買いしたお客さんまでいました。
そして、ほかにも見つけました。
東京の洋菓子の専門学校では実習でたぬきケーキを作っていたり徳島県では数年前から、親子でたぬきケーキを作る教室まで開かれていました。
本当にはやっていたんです。
品川にある店の店長小林智子さん。
作り始めたきっかけはあるお客さんの何気ないひと言でした。
小林さんは軽い味わいを出すため生クリームを使うことにします。
しかし、チョコの熱で生クリームが溶けてしまうため完成までに半年がかかりました。
有働⇒あえて、期待どおりいろいろ質問させていただきますけど、なぜ今たぬきなの、時代として。
打越⇒青森で最先端だからです。
全国の皆さんにそれを知ってもらおうと。
なんでたぬきケーキと呼ばれたんでしょうね、言いましたっけ。
いい質問です。
あのあと電話取材してみました。
分かりませんでした。
分からなかった?ただ洋菓子店の皆さんに話を聞いたら、昭和30年代から40年代にたぬきケーキが生まれたんですけれども、そのころ和菓子でも洋菓子でも動物のお菓子という動物をかたどったお菓子が人気だったんです。
そこでたぬきケーキも生まれて脈々と今も受け継がれているのがこれ、ということなんです。
子どもに人気だったりとかしたんでしょうね。
有働⇒今鹿児島からきています。
懐かしい、たぬきケーキ。
30代の主婦ですが、小さいころ食べました私は鹿児島出身遠く青森までつながっている気がして不思議です。
うれしい気持ちになりましたと届いています。
鹿児島で食べたということ?鹿児島でも売っていると。
打越⇒実際に九州でも四国でもあります。
沖縄にも発見情報があります。
有働⇒懐かしいというので、またはやっているんでしょうかね。
打越⇒あと、形もかわいらしいということがあります。
もともと、なじみのない若い方でも、このたぬきケーキに注目している方もいるということです。
本当ですか?探してもなかったじゃないですか。
本当なんです。
これは、東京、銀座の人が遅れているんですよはっきり言っちゃって青森よりも遅れているとさらに先を行く。
青森よりも遅れていると。
さらに先を行く、こんな最先端のたぬきケーキを売り出しているんです。
季節に応じてバレンタイン用。
ハートが付いていますね。
そしてひな祭り用です。
そんな感じですよね。
適当だな。
いやいや、そして母の日用ということでカーネーションを添えています。
デコレーションをして楽しんでもらおうという、こういったものも今うまれているんです。
銀座は今遅いと、青森なんだということですね。
ですから青森だけではなくて各地にこのようなたぬきケーキはメッセージのような、目撃情報もありますので老舗の町のお菓子屋さんに売っているかもしれません。
有働⇒役に立つ最先端という情報というよりはナウな情報という感じでちょうどよかった、お疲れさまでした。
わざわざ青森から来てね。
気をつけて帰ってね。
続いてはいよいよ「プレミアムトーク」です。
2年以上に渡って売れ続け140万部を超えるロングセラーになっている本があります。
「置かれた場所で咲きなさい」。
本には「苦しいからこそもうちょっと生きてみる」「何もできなくていい。
ただ笑顔でいよう」自分らしく生きるヒントがつづられています。
本を書いたのは87歳のシスター、渡辺和子さんです。
出版社に届いた読者からのはがきは異例ともいえる4000通以上。
30代から50代の女性を中心に共感の輪が広がっています。
渡辺さんは、現在岡山にある学園の理事長を務めるかたわら週1回講義も行っています。
若者たちと語らうときが何よりも楽しいという渡辺さん。
しかし、その穏やかなまなざしとは裏腹に人生は波乱に満ちたものでした。
昭和11年陸軍の青年将校らが起こした二・二六事件。
当時9歳の渡辺さんは軍人だった父を目の前で殺害されました。
36歳、学長に抜てき。
しかし若さゆえ周囲と折り合わず大学を辞めようとまで思いつめました。
50歳、うつ病。
そして60代後半こう原病を発症。
病の苦しさからみずから命を絶つことも考えたといいます。
しかし、渡辺さんは幾多の試練を乗り越えみずからの置かれた場所で小さな花を咲かせてきました。
思うようにならない人生に私たちはどう向き合えばいいのか。
きょうは、渡辺さんにじっくりと伺います。
改めてご紹介します本日のゲストは、シスターでノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんです。
よろしくお願いします。
早速ファックスとメールが届いています。
教え子です。
シスター、有働さんイノッチとのやり取りを楽しみにしています。
シスター頑張ってくださいということです。
渡辺⇒卒業生ですね。
いろいろなことを伺いたいと思いますが、まずこの本でいちばん最初にちょっとシスターに身近に感じると思ってしまったところがあるんですが冒頭の初めに修道者であってもキレそうになる日もあれば眠れない夜もありますということです1行目にきています。
聖職におられるとキレたりするような感情すべてなくていつも穏やかというそういうイメージがあります。
キレることはありますか?キレそうになることはありますよ。
例えばどういうときになりますか。
そうですね、やはり物事がうまくいかなかったりそれから人様からあらぬ中傷を受けたりすると心が穏やかでないことはございます。
それがなかったら学生たちと話ができません人の気持ちが分からないというんでしょうか。
だから、私自身は自分の心が乱れたり時には腹がたったりそれから人にちょっと意地悪な仕返しをしようと思ったりする気持ちを持つことがほかの方を理解するためにありがたいなと思います。
なるほどそういう考え方もあるんですね。
思っていいんですか。
もちろんだって人間ですもの。
自分の精神というのをコントロールしなければいけないようなものと、思っていてちょっとイラっとしてしまったあとに、落ち込む人が多いと思います。
どうですか渡辺さんはイラっとしちゃったあともこれも人間だからしかたがないかというふうな人の気持ちが分かるためにはしかたがないかと思うんですか。
やっぱり落ち込みます。
そして神様に愚痴を言うこともありますよ。
どのような?例えばそうですね、私が一生懸命お仕事をしてそしてJRの混む中を修道院に戻ってきてただいまって言ったそのときに必ず聞こえていらっしゃるシスターがお帰りなさいとも言ってくださらなかったん、おつかれさまとか言ってくださらなかったり、たぶんお忙しいと思うんですけれどもね。
でもこちらにしてみるとあらこの方は一日のうちに修道院にいらっしゃって私は朝混んでいるJRに乗って、そして一日仕事をしてまたラッシュの中で戻ってきて吉祥寺ですけれどもただいまって言ったら、せめてお帰りなさいぐらい言ってくださってもいいじゃないかって神様のところにいって、非常に理不尽だと言って申し上げます。
仕事から帰ってくる旦那さんみたいな心境なんですね、おかえり、もないのかよって。
どうやって気持ちを落ち着かせるんですか。
そうですね、神様から何も返事がないから、ああこれはこういうもんだなって。
最高ですね。
そうか、返事がないという感覚なんですか。
返事がないという感覚です。
返事があるときはありますか。
そうですね、時たまですけどお前が悪いと。
神様のことばではないですけれども、自分で気が付くわけですね。
そうか。
もしかすると私もひとさまが帰ってらっしゃって、ただいまとおっしゃったときに何か自分のことにかまけて返事をしなかったときもあるかもしれない。
だとしたらやっぱり許されないと私が。
いけないし私もお許ししなければいけないんだなって納得します。
すごくいい考えですね。
そういうふうに考えられたらいいんですけど、絶対意地悪だ分かってる、調べてもいいよぐらいのときありますよね、私悪くないとそれはどうしましょうか。
そういうときもありますね。
今度、帰って来られたときただいまとおっしゃってもお帰りなさいって言ってあげるものをかってテレビで放送されても、恥ずかしいんですけれども。
私は、じゃあおかえりって言わないと思っちゃうときもありますか。
あります。
こないだ言ってくださらなかった方だから今度一度ぐらいは言わなくてもいいだろうってもう一度ぐらいはいいだろうぐらいに思いますね。
思いますか。
でも、そういうところがあるからたぶん学生たちも安心してきてくれるんだと思うんですね。
そうかもしれませんね。
もう1つ私が思うのはちょうど1981年でしたか。
ヨハネ・パウロ2世という私たち教皇様と言っているんですが広島にいらっしゃったんです。
そこで、原爆の地でお話しをなさったときに許しなさいということをおっしゃったんです、例えば非常にクリスチャンだから許しなさいというのではなくて許さないと、あなたが自由になれない。
相手の支配下にいつも置かれるつまり私の場合だと今度あの方が戻ってらしたらその方の動向がとても気になるわけですね。
ということは私が自由ではないということ。
あの人はどこにいるだろう、とかああいう方は今度失敗なさったらいいのにとか考えますよ。
確かに一日じゅう、その人のことばっかり考えていることになりますね。
不自由になりますね。
そういう気持ちを持ってもいいんですね。
あんまりよくないと思いますけれども。
よくないですね。
ですけど、それと闘うことが大事だと思う。
結局は学生たちにどこかで反映してくるんですね。
だからそういうときには相手の方許しておあげなさいよというときに、たぶん私のことばの中に真実味が入るんだろうと思う。
きれいごとでなくて。
仕返しはしないほうが絶対にいいと思うしなんかそこで許すのはいいと思いますけれど、なんか仕返ししちゃったときどうすればいいですか。
ごめんなさい、と言いますね。
言いますか。
言います。
おかえりと言わなくてごめんね。
さっき気が付かなくてごめんなさい、さっきはおつかれさまでしたというと私のほうが相手のレベルまで下がらないわけです。
なるほど仕返ししたことにはならないと。
なりません。
いいですね。
いいでしょう。
最高。
そんなことばが書かれている2つの本です、140万部と30万部です。
たくさんの方が、異例に出版社に感想を送っていらっしゃいます。
「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルに引かれて手にした方もいらっしゃるということです。
渡辺和子さんご自身、30代のころベルギー人の神父様から手渡された詩のことばだったということです。
神様がお植えになったところで咲いていなさいという意味です。
この詩が心の支えになられたというのはどういうことがあったんでしょうか、30代のころ。
30で修道院に入りましてそれから5年間ボストンのほうで修練という修行の1年間とそれから学位を取って帰るようにというこれも修道院の命令で取って帰りました。
5年ほど留守をしていたわけです。
それで岡山に行きなさいで、次の命令が下りまして修道院というところは命令で動きますからそれで私にしてみたら東京で育った人間ですから行ったこともない見たこともない鬼ヶ島の伝説があるような怖いところというようなイメージがあったんだと思います。
鬼ヶ島があって。
それと、もう1つはやはり中央からどちらかと言うと地方へ動くそれも初めての修道会なんですね、私は雙葉と清心を出ておりますものですから置かれた岡山という土地に自分が慣れなかったと思うんですね。
どうしてここに置かれたんだろうという気持ち二代目の学長が急逝70代の後半でしたけれども急にお亡くなりになって三代目の方は二代目の方がご病気だったので決まっていたと思うんです。
急に、アメリカから帰ってきてまだ1年しかたたない修道院に入ってまだ6年しかたっていない。
大学もその大学を出ていないそういう、よそ者的なものが急に学長に三代目の学長になった命ぜられて、それもやはり置かれたところで置かれるはずではなかった修道院に入るときにねもっと修道院というところはお祈りとか、学生との関わりとかそういうことだけで暮らしていけると思い違いをしていたと思うんですね。
36歳のときに学長になるのは異例ですか。
たぶんそのときには早いと思います。
転勤したらいきなり社長になるみたいな感じですね。
大変ですね。
ありがとうございます。
そういう方がいらっしゃたら私も救われていたと思います。
周りに相談する方はいましたか。
初代、二代がアメリカ人の70歳代シスター方だったんです。
学長がね。
それが初めての日本人で36歳だったものですから、学生は喜びました。
お姉さんみたいなものですからですが、大学ではトップで修道院に戻るといちばんのボトムだったんです、年齢から言うとね。
微妙な立場ですね。
葛藤がございましたね。
いわゆる、役割葛藤といいますか耐えていくのに疲れて、30代後半に学長になってしばらくして東京に戻るおりがございましたときに、私は東京の上智大学で国際学部で仕事をしていました、7年間ほどです。
神父様のところに行ってるる、不平不満を言ってこんなはずではなかったと申し上げました。
そのときに、その神父様はもし戻って結婚したとしてもほかの修道会に移ったとしてもあなたが変わらなければ同じだよって。
どこに行っても不平不満がついて回る。
つまりそのときの私はみんながもっと優しくしてくれない慰めてくれない、分かってくれない笑顔をしてくれない、おじぎをしてくれない、というくれない族になっていたんです。
それに対して神父様が、あなたが変わらなければだめだよって。
それで、ちょっと目からうろこが落ちて、岡山におとなしく戻りましてここを居場所としようと決心したんです。
そのときにベルギー人の神父様が四苦八苦している私を見るに見かねておっしゃってくださいました。
本当に胸に突き刺さったんですね。
これが私がいただいたことばだと思いました。
それも土地というよりも境遇とか環境ということでも置き換えていいんですね。
そうですね、だからこの場所、ということばが土地だけでは決してなくて周りの方のこともあればいただいた立場もあれば、それから今の私のようですとやはり年を取ったというそれも置かれた場だと思います。
なるほど。
そんな渡辺さんにたくさんのことばを心にお持ちです。
心に残るこんな詩があるそうです。
この詩のどこにいちばん渡辺さんはひかれたというか。
最後のところ期待したほほえみを得られなかったら不愉快になる代わりにあなたのほうからほほえみかけてご覧なさい実際にほほえむことができない人ほどあなたからのそれを必要としてるんだからというさっきの、くれない族から改心しましてもらえなかった当然もらってかまわない、ほほえみがもらえなかったときにむしろこちらのほうからちょっと損するような気もしたんですけれど最初はもらえなかっただけでそれがシングルの損で私のほうからあげるとダブルの損だと思っていました。
2つになるとプラスになることがありますね。
それでそういうふうに自分で考えたのともう1つはやはり修道者になっておりましたから聖書の中でイエス様が、自分がされてうれしいことを人にしなさいそういうおことばがあったので自分がほほえんでもらったらうれしいじゃあ私のほうから、ほほえみを忘れた人にほほえみかけたい。
ほほえみかけようという気持ちになったんだと思います。
それが回り回ってほほえみになって戻ってくるというこの考え方ですね。
そうですね、そうするとほほえんでくれなかった学生がたぶん次の人にはほほえみかけると思うんです。
自分には返ってこないとしてもほかの誰かにそれがということですね。
私に返ってこなかったのは、神様がポケットに入るということばを作り出しまして神様にポケットあるかどうか分かりませんけれどむだになっていないそしてむしろ返してもらえなかったのでそれは神様のポケットに入って東日本で仮設住宅で本当にお一人で寂しい思いをしていらっしゃる方に誰かが訪ねていっておはようございますと言ってくれたりまたは大丈夫ですかと言ってくれるそれに使っていただける。
神様がストックをいっぱい持っているという感じなんですね。
そうです、私がいただけなかったものを神様にお譲りして、私はがれきの除去はできませんけど神様がいい使い方をしてくださるということです。
すごいですね。
そうすると自分が救われるんですね。
逆に相手に嫌な思いがさせてしまうとその人がまたほかの人に嫌な思いさせるような気がしますよね。
そういう考え方だったらいいんですね。
そんな渡辺さんがこれまでどんな人生を歩んでこられたのか。
少し振り返りたいと思います。
昭和11年2月26日。
陸軍の青年将校らが政府の要人を襲った二・二六事件が起こります。
陸軍の教育総監だった渡辺さんの父・錠太郎さんも標的にされました。
早朝、青年将校らが東京の荻窪にあった渡辺さんの家に押し寄せます。
当時9歳だった渡辺さんは父と2人で1階の和室で寝ていました。
父・錠太郎さんは、渡辺さんを部屋に立てかけてあった座卓の後ろに隠しみずからは襲撃者と応戦銃殺されました。
こちらがその当時9歳だった渡辺和子さんが身を隠した座卓ということで杉並区立郷土博物館に文化財として保存されているものをきょうは渡辺さんご出演ということで特別に貸し出していただきました。
懐かしいです。
まずこちらを見ていただきたいと思います。
こちらに弾が当たったんです、ただ貫通しなかったのでこれが非常に丈夫な作りでそれは立てかけてこの陰に私は隠れていました。
そこから父親の死を一部始終父は、横になって、拳銃を持ってそして応戦したんですけど向こうは30人以上できましたから。
そんなにたくさんですか。
トラックで乗りつけてきました、銃声が最初塀の外で聞こえてきたときに父親がすぐに和子は、お母様のところに行きなさいと自分は枕元に置いてあった拳銃を取り出してかいまきという真綿の布団を体に巻きつけて応戦態勢に入っておりました。
寝て応戦するつもりだったんですね。
そこに私が母親が兵隊を入れないようにいそがしくしておりましたのでかまってくれなかったので悲しくなってまだ父親のところに戻っていったんです。
そのころには弾が飛んでおりましたけれど流れ弾にも当たらないで父のそばで行ったら父がとても困った顔をしてせっかく逃がしてやったのに戻ってきてちょうどこれが後ろ側が壁でした立っておりましてその間に私を目で合図をしたんです。
最期の父の私のことばは、お母様のところへ行きなさいというそのことばだけでした。
それが最期だったんですか。
陰に隠れて脇から見ておりましたら今度は、反対側からかるい機関銃で父親の足をねらって、撃ちまして逃げられないようにしてそしてそのうちに兵士や将校が入ってきて銃剣で、打って、刺して、とどめをさして雪の大変降った2月26日でしたけれどその上に、血痕を残して描いていきました。
そのときにはお父様と呼んで出ていったんですけれど、何も返事はもちろんしませんでした。
死んでおりまして母親が入ってきてあなたを外に出なさい母も泣きませんでしたし私も泣きませんでした、軍人の娘は泣くものではないと言われていました。
きっと母両方とも、非常な父母両方とも気丈な人でした。
泣きたかったんじゃないですか。
むしろ父が応戦して最終的に亡くなっていたこと。
見た唯一の人間なんです。
母は兵士、そして兄2人は、子ども部屋で、出てきてはいけないと言われておりまして、別の部屋にいました姉は久保という家にとついでおりましたので私1人が父の最後敵の中でみとった人間でうれしかったです。
9歳の和子さんはうれしかったんですか。
そのときにはすぐに思いませんでしたけれど父が私を母はあまりうみたくなかった子どもで母は44歳であまりうみたくなかったんですけれど、それを生んでおけと言って言ってくれたんです。
そのとき助けてくれてここでも助けてくれた父は私の恩人なんですけれどそれを皆さんに家族の皆さんにも最後こうだったということは、9歳の渡辺さんがお伝えしたんですか。
伝えません。
すぐに警察とか軍の方が入っていらして次に父を見たのはその日の午後でした。
朝6時ごろの事件でしたけれど包帯でぐるぐる巻きで、43発弾を受けておりましたからその後は命について子どもながらに、考えてしまうじゃないですか。
トラウマになったんじゃないですか。
それはありませんでしたね。
PTSDということばを聞きますけれど、昔はそういうことばもありませんでしたし、今のお子さんのほうがデリケートなのかなと思いますね。
人様には誰にも、母にもお話をしておりません。
私のある意味、秘密かもしれませんけれどもういろんな方がお聞きになってなぜ憲兵が2人常駐していながら助けに来なかったのかということも尋ねられました。
でも私にしてみると1人で父をみとることができてうれしかったと。
大好きなお父さんだったんですね。
はい。
そのあとの渡辺さんの歩みをご覧いただきます。
空襲が激しさを増していた昭和20年4月。
当時18歳だった渡辺さんは母親が、敵国の宗教として反対していたのにもかかわらずキリスト教の洗礼を受けます。
大学卒業後、当時はまだ珍しい英語の翻訳などの仕事に就いていた渡辺さん。
明るく快活な仕事ぶりでキャリアを重ね、公私ともに充実した日々を送っていました。
しかし29歳のときそんな生活に別れを告げます。
家族と離れ、修道院に入り生涯独身を誓うシスターになることを決めたのです。
大変な当時の女性としての決断だったと思います。
ファックスがきています。
50代の方からです、渡辺さんのファンの方です。
これほどすてきな方を当時の男性が放っておいたのが信じられません、ご結婚されたいと思ったことはなかったのでしょうかということです。
29歳でシスターの道へ進もうと思ったあたりどういう決断だったんですか。
たぶん私はお父様のような人と結婚したいということを、口ぐせにしていたんだそうです。
ただ若い男の方たちと特にアメリカ兵の中で働いておりましたからいろいろな、そういう話もございましたけれど。
言い寄られたりということもありましたか。
びっくりされていますけど。
絶対にあったと思いますよ、どうしたんですか。
私の中にやはり1つの家庭を営むよりもちょうど雙葉と、東京清心に私学んだんですけれどシスター方や神父様方が、ご自分の国を捨てて日本のために生徒のために働いていてくださるお姿を見まして私も1つの家庭で、1人の男の方何人かの子どもたちそれにマイホームをつくるよりもやっぱり広い世界で、働きたいと。
たくさんの生徒さんたちにいろんなこと教えてあげたいということですね。
そんなに感心なことは考えていなかったんですけれど、ただ1つの家庭で、1人の男の方と、何人かの子どもというそういう生活は考えておりませんでした。
だから結構、男友達も持っておりましたし。
もったいないですね。
モテて楽しくて。
かっこいいお父さんでしたら超える男性はなかなかいなかったのかもしれませんね。
お伝えします。
政府は、来月上旬にもアメリカ、韓国との3か国の外相会談を行う方向で調整に入り、弾道ミサイルの発射など、挑発的な行動を繰り返している北朝鮮に対し、3か国で連携して自制を求めていくことなどを確認したいとしています。
政府は、北朝鮮が弾道ミサイルを頻繁に発射するなど、挑発的な行動を繰り返していることを踏まえ、来月上旬にミャンマーで開かれるASEAN・東南アジア諸国連合の外相会議に合わせて、岸田外務大臣、アメリカのケリー国務長官、それに韓国のユン・ビョンセ外相による3か国の外相会談を行う方向で調整に入りました。
日米韓3か国の外相会談が行われれば、去年7月以来で、政府は、北朝鮮に対し3か国で連携して自制を求めていくことを確認したいとしています。
また政府は、拉致問題を巡る北朝鮮との協議に関連して、拉致問題や核・ミサイル開発といった、諸懸案の包括的な解決を目指す日本の立場に変わりはないことも説明し、理解を求める考えです。
一方、日韓両政府は月1回のペースで開くことで合意している外務省の局長級協議について、先月は開催されなかったことから、来週23日にソウルで開く方向で最終調整に入りました。
次に、業績が伸び悩む半導体事業の合理化を進めている大手電機メーカーの富士通は、三重県と福島県にある半導体の生産工場を台湾やアメリカの企業などに売却する方向で交渉を進めていることが明らかになりました。
関係者によりますと、富士通が売却に向けて交渉を進めているのは、三重県桑名市と福島県会津若松市にある半導体の生産工場です。
このうち桑名市の工場は、台湾の半導体メーカー、UMCと共同で新会社を設立したあと、移管する方向で、最終調整に入りました。
将来、半導体の生産から撤退することも視野に、ほかのメーカーなどからの出資も受け入れる方針です。
また、会津若松市の工場は、アメリカの半導体メーカー、オン・セミコンダクターに売却することも視野に入れていますが、2つの工場で働く合わせておよそ1500人の従業員の雇用を維持する方向で、交渉を進めているということです。
日本の半導体事業は、海外メーカーとの競争で採算が悪化し、エルピーダ・メモリが、アメリカの半導体メーカーの傘下に入ったほか、ルネサスエレクトロニクスが工場の閉鎖や売却を進めるなど、縮小の動きが加速しています。
では全国の天気、雲の様子です。
梅雨前線に伴う帯状の雲が、西日本から東北にかけて広がっています。
日本付近は上空の寒気の影響で、雨雲が発達しやすくなっています。
きょうの天気です。
山陰や北陸、東北地方は、午前中から雷雨が起こりやすいでしょう。
九州から関東、それに北海道も、午後になるとところどころで雷雨がありそうです。
落雷や急な激しい雨、突風などに注意してください。
沖縄は晴れますが、にわか雨や雷雨となる所もあるでしょう。
予想最高気温です。
東海から西はきのうと同じくらいでしょう。
33度前後まで上がる所が多く、厳しい蒸し暑さが続きそうです。
関東から北海道はきのうより低くなる所が多いでしょう。
関東甲信は30度以下、東北は25度前後で、暑さが少し収まりそうです。
イノッチ⇒本日のゲストは渡辺和子さんです。
ニュースの前に伺った話も含めてですが渡辺さんの人生の中の転機をご紹介したいと思います。
50歳のときにうつ病、そして60代後半でこう原病になってその治療の薬の副作用で骨粗しょう症になって背骨を何度も圧迫骨折されたので、身長が14cmも縮まれたということなんですけれども。
大変でしたね。
渡辺⇒痛かったです、それ以前に。
それから、自分としては姿がある意味で醜くなったと言っていいのかどうか分かりませんが昔は、もうちょっとすらっとしていた自分が。
イメージとしてあるわけですよね。
だから、そういう点でやはり人間なんですね嫌だなと思いました。
そうですか。
修道者でもやはりね学生は中身を見てくれるみたいですよ。
背が低くなってもかえって見えるものがある、なんて偉そうに。
学生さんがシスターにおっしゃるんですか?私の教育がいいんですよ。
言いますね、学生さんも結構。
結構言ってくれますよ。
友達と言ったら何ですけれども結構フラットなおつきあいをされているんですね。
そうですね。
でも病のときはいつ治るんだろうとか全部悲観的に考えてしまうと思うんですけれどもそれはシスターはどのように病自分と闘われたんですか。
うつ病のときにはシスターたちがとても優しくてシスター、頑張らなくていいのよって今まで人の2倍働いたんだからちょうど今ぐらいでいいのよってそういう雰囲気でいてくれました。
こう原病は、やはり入院してお薬をいただいてステロイドか何かで治していただいたんですけれども骨粗しょう症になりまして知らないうちに骨を3つか4つ潰しておりました。
そのとき、やはり神経が露出して本当に本当に痛とうございました。
苦しかったですね。
その苦しみも、やっぱりこういうことを言ったらもちろんクリスチャンですけれどもキリストの十字架とか自分が謙虚で柔和であるから自分でならいなさいという今まで何となく流していた聖書のことばが自分にピンとくるようになりました。
じゃあ読み流さなかったわけですね。
それが心に留まるというかやっぱり人生に穴があいたときにやはり悲しいけれどその穴が開かなければ開くまで見えなかったものが見えるというそういうことも自分で体験しましたから学生たちに言ってもわりに学生が素直に聞いてくれます。
そうですか。
シスターもそんなだったんですか死にたい、と思ったことがあったんですか、とかね。
もっと、雲の上の人かと思っていたけれどそうではないんですね、と言ってくれます。
それは僕らも感じました。
お話をしていてそういうふうに思うこともあるんだなって。
そうですね。
われわれはついつい、穴を作らないように避けて避けて自分の得することのほうを探していくんですけれども、そういうふうに考えればあまり怖がらずに王道を歩いて思うように生きていいということなんですね。
そうですね。
穴が開いてしまいますもんね。
気をつけていても。
皆さんからもたくさん来ております。
10代の方からです。
シスター渡辺に質問があります。
最近の出来事で驚いたことは何かありますか?140万部も売れたこと。
驚いちゃいましたか、やっぱり。
びっくりしました。
ある種、本だったらたくさんの人に見てもらえたらうれしいじゃないですかやっぱり。
そんなこと思っていませんでした。
最初は。
全然ご存じだと思うけれども出版社も嫌だ嫌だと言ってどのくらいてこずらせた。
書きたくないと言ったんですか。
書きたくないというよりもださなくてもいいですも結構ですって。
50代の方です。
できないことはないという万能のイメージですがこれは苦手ということはありますか。
物でもいいですよ、食べ物とか。
ピーマン。
子どもじゃないですか。
子どもなんです。
かわいい苦手なんですか。
何か体に合わないので近ごろ、パプリカとかいうきれいなものがあって、シスターたちがだましますけれどもなんとかして食べさせようとしているんですね。
体のことを思ってくれるんだと思うんです。
お肉は年に2日ぐらいしか出ませんからね。
もっと食べたいんじゃないですか。
もちろん。
これテレビですよね?大丈夫だと思いますよ。
食べたいですよね、でもピーマンが苦手という。
千葉県40代の方です。
相手を許そうと思っても相手は自分の誤りを認めず謝罪もない、そんな人を許せるように思うにはどうすればいいんですか。
いい質問。
もう、その方とまあ断捨離というんですかあまり考えないようにすると思います。
距離を置く。
執着しないというか?相手の方にもよりますけれども距離が置けない方もあるかもしれませんですけれども、そうでなければちょっと無礼をなさった方英語であることばがあるんです。
私の問題ではなくてあの方の問題というふうに割り切ることなんです。
シスター、あえて、反論させていただいてよろしいですか。
例えば夫が浮気した、それに距離をおいて許して、ほほえんであげようとします。
夫は調子に乗って仮に離婚でもされて相手の女と幸せに暮らした場合それでも、ほほえんだほうがいいですか?私経験がないので分からないです。
そうですね。
敬けんなクリスチャンであるから経験がないんですね。
経験というのは結婚のことね。
そういうときは、どうすればいいんですかね。
それでも彼の問題だよというふうに思うしかないんですかね。
やっぱり自分は自分というので悪いけれども、ちょっと他人扱いをなさったらどうなんでしょうかそちらのほうは経験があると思いますよ。
どうすればいいんでしょうかね。
そのように置かれた場所で先に続けるしかないですからね。
だから人は人、私は私というので夫も自分もまあ他人どうしという1つの割り切り方でございましょうね。
人として別人格。
夫婦だけれども他人だということを最初から割り切っておく。
それは人格として別人格。
だから子どもに対しても親があまりのめりこまないでやっぱり子どもも別人格だと考えることも大事だと思います。
1歩引いてみたら見えるものもある。
じゃないかと思いますね。
それはそうですよね。
そして皆さんから、たくさんのメッセージをいただいております。
40代の方です、福島県の方です。
日々の生活に息苦しさを感じていました、面倒だから、なんてことばがついつい口癖になり、何をするにも雑になりがちです。
丁寧な暮らしを心がけ、ことばを大切に素直に、改めてそう感じた一冊でした。
「面倒だから、しよう」についてですね。
神奈川県40代の方です。
シスターの著作を拝見し本当に大切なものは目に見えない、そして人の目に触れないところでもきちんと仕事をする大切さについて改めて学びました。
このように皆さんからたくさんの声をいただいています。
ありがとうございます。
もっと読みたかったですよね。
いろんな方からきています。
これからのシスターの夢というのはありますか?あんまり夢というのは昔から持ったことのない人間でございますけれどもそうですね財産となるような年を取るという気持ちが1つございます。
財産となるような年を。
これはある方が私から年を取らないでくださいなぜなら年は私の財産ですからそうおっしゃった、おことばを伺ったときに相当前なんですけれども伺いました。
それを聞いたときに、私もむだに年は取りたくない。
私も年を取れば悲しいこともつらいことも、ふがいないこともたくさんございますけれども財産となるような年を取る。
そのためには、一つ一つ何でもいただくものは両手でいただいて丁寧にお仕事をするなりそうですね、ひとさまとの人間関係も正しく自分として振り返って、ただ年を取っただけではない。
そのためにはあとで申し上げるのか分かりませんけれどもきょうより若い日はないんですよね。
あしたは、また一日年を取ります。
お宅さまもそう。
きょうはいちばん若いということなんだ。
そうだから笑顔でひとさまに優しくしてほほえまない方にもこちらのほうからほほえむ。
ほほえみが返らないときは、神様がポケットに入れる。
自分が、どんなに醜いふがいない自分でも自分を見捨てない。
自分を捨てたら、誰も拾ってくれません。
自分が味方になっていかなければいけないということですね。
自分を好きになるということです。
いいことばをいただきました。
考えさせられます。
先生はこれからお仕事ということでここでお別れですけれども大事にしていらっしゃる詩があるということなので番組の最後に皆さんにご紹介したいと思います。
暑くなりますからお肉をいっぱい食べて頑張ってください。
ピーマンもぜひ。
修道院長におっしゃってください。
続いて「特選!エンタ」のコーナーです。
♪〜
拍手
すみません。
いや、ずいぶん早くからスタンバイされていたんですよね。
迫力はびしびし感じていたんですけれども、ものすごい朝から元気になる。
中谷⇒DRUMTAOの皆さんです。
ご紹介しますと、ご覧のように太鼓を中心に舞台の上で演奏だけではなくて、いろんなパフォーマンスを見せる日本のかっこよさを世界でということで活動されているということなんです。
なるほど。
結成、去年20周年。
ことしは21年ずいぶん長く活動されています。
生き字引は、この方です。
結成当時からいらっしゃいます。
パフォーマンスも進化しているそうですね。
年を重ねるごとに、われわれのやりたいことが変わってきていまして、それこそ昔はちょっと和太鼓なんですけれども奇抜なことをやってみたりとか何か、革ジャンを着てサングラスをかけて、たたいてみたり。
たたきづらくなかったですか。
たたきづらかったです。
やめてよかったですね。
ただ、あるときに海外に出るようになってそれを機会に、やっぱりちょっと日本人として日本の文化というのを見つめ直して日本のかっこよさをもっとアピールしていきたいと考えるようになって、変わってまいりまして今はそこに注目するようにしてわれわれのショーに反映させて行っています。
早速舞台、様子がかっこいいのでご覧いただきたいと思います。
♪〜すごい、でも本当に太鼓だけではないですね、本当に舞から何から。
舞台、私は見ましたが筋肉美もすごいんです。
有働がきょうリハーサルから目がハートです。
有働⇒目のやり場がなくて。
ジロジロ見てるじゃない。
許可をとりました、同期として筋肉を触っていいということです。
有働⇒だってあのバチさばき、そんなにおっしゃるならああ、やっぱり硬さが全然違います、というかたぶん腕だけではなくて何て言うんでしょうか、胸襟、胸筋、全身使って打っていらっしゃいますね。
触りたいというような感じですね。
いやいや、おなかもですけど。
中谷⇒トレーニングもすごいんですね。
毎朝5時半から集まってランニングをします。
みんなで集まって。
合宿生活をしているんですよね。
そうです。
そんな中、大変なのが女性です、西さん女性が2、3人しかいないときから入ったということですね苦労されたそうですね。
いちばんはトレーニングについていくのが大変でした。
男性と全く同じことをします。
女性のプログラムみたいなのはないんですか。
ないです。
朝のランニングでついていけなかったそうですね。
入って翌日から集合して早朝ですね。
ランニングいくからついてきてねと言われてきょう一日、一緒に走るからあしたからは自分で走れるように覚えてねと言われて全然走れないんですよ半分ぐらいでどれぐらいの距離ですか。
当時は4kmぐらいで今は10kmです。
10kmですか、ついていけちゃうんですね。
今はですね。
私は吹奏楽をやっていてトランペットをしたりパーカッションやっていました、全身をたたかないと音が鳴りません手先だけではなくて体全体を使うというのがすごく魅力だなと思いました。
皆さんいろいろな職業をしていたんですけれどもトランペットをされていたんですよね、ユニークな方がいらっしゃるんですよね。
全然関係ないところで美容師さんとかイケメンでいらっしゃいますね。
自衛隊で軍曹をしていた人とか。
おかしな人がいますよ。
その隣はバーテンダーです。
夜のお酒ともいいですね。
髪の毛も切ってもらえるし衣装もすごいですね。
コシノジュンコさんの衣装ですね。
先生みずから私たちの里に来ていただいて話し合って実際着てみて、動きにくいなといったらすぐにはさみを入れちゃったりその場でね。
こんなにいっていいんだろうかというぐらいいろいろ意見をいったんですか。
いろいろ意見を言いました。
一流のデザイナーの衣装は違いますか。
いろいろあるんですが動きやすくて体にもフィットしていて、ラインがすごくきれいに出ます海外の方にも分かりやすいですね。
それでも動きづらくないんですよね。
それは、すごいね。
ちなみに舞台で見ると後ろを向いて演奏するシーンがあるんですが背中がね、むちゃくちゃセクシーです。
なるほど。
そこを見せてくれという人がいるかもしれないから、開けているんですね。
セクシーゾーンですね。
中谷⇒セクシーな演奏に移ろうと思います。
準備をお願いします。
セクシーゾーン生でいいじゃない。
朝からTAOの演奏が聴けるなんて最高です。
ことしも東北での公演があるということで楽しみにしています。
秋田で待っていますということです。
今は東京で公演中です。
元自衛隊の人、大丈夫ですかね。
悪いことしないですかね。
迫力が生の音で、皆さんにお届けしたいぐらい。
中谷⇒ちなみにテレビの生の演奏は初めてということです。
そうなんですか。
すごい、いきましょう。
それではTAOで「HANABI」♪〜
拍手と歓声
有働⇒すごい!すごすぎて何も言えないですけれども。
有働⇒おばちゃんは好きよこういうの大好き、大好きよ。
みずからおばちゃんって言わなくていいから。
3回以上見たいです。
誰がリズムをキープしているんですか。
みんなですね。
これが究極の一体感です。
これはもう、練習でしか。
想像以上にすごいことをしていますよね。
すごい!そうです。
もっと見たいです、ありがとうございました。
ありがとうございました。
このあとも公演頑張ってください。
続いては、こちらのコーナーです。
ヤス⇒はいはい、やってまいりました。
何しに来たの?もっと見たかったから。
僕も心臓バクバクですよ。
帰っていいですよ。
そういうことじゃないですよ興奮さめやらない中でご紹介します。
僕が訪ねたのは千葉県の成田市に行ってまいりました。
暑い日が続くこの季節食べたい、あれですよあれ。
あれをご紹介します。
有働⇒きのうみたいなことにならない?ヤス⇒きのうリハーサルまでちゃんとラジカセは動いていたんですよ、ああなってしまったんです、きょうはV振りにTAOさんもちょっと。
本当ですか。
いいんですか。
4番のカメラありますか。
向かって、いつものお願いします。
VTRピッカピカ〜!♪〜皆さん、ウナギの季節やってきましたよ。
ウナギといったら土用のうしの日。
もう近いですよね。
ということできょうのピカピカはこのウナギなんです。
成田は江戸時代から続くウナギの街。
成田山の参道にはおよそ60軒のお店が並んでいるんです。
ウナギのかば焼きおいしそうですよね。
こちらは市内にある印旛沼。
ここでは今、ウナギの養殖が行なわれているんです。
沼のほとりにある印旛沼漁業協同組合にお邪魔しました。
ウナギの成長に適した水温は27度から31度。
水温が下がるとエサを食べなくなるため水槽を農業用ハウスで囲い室温を高く保っているんです。
この日は週に1度の水揚げの日。
自慢のウナギを見せていただきました。
それでは皆さん水揚げよろしくお願いいたします。
ウナギが今籠の中に入っていきます。
この籠ですね大体1つで20kgほどのウナギが入るんだそうです。
しっかりふたをして水揚げ!うおー、すごいすごい。
水がブッシャー。
さあ、こちら中を見せてもらってもよろしいでしょうか?おお、立派、大きい!半年育てて出荷する業者も多い中この組合では1年以上かけて大きく育てているんです。
出荷前にはウナギの大きさを見極める仕分け作業を行い厳しくチェックしています。
さあ、ウナギが放り込まれました。
仕分けのほうにいきましょう。
ウナギがこちら流れていきますよっと。
おっと仕分けされていきました。
体重が200gより大きいウナギをより分けていきます。
ここでは肉厚で食べ応えのある200g以上のウナギしか出荷していません。
一方、200g以下のウナギは再び水槽で大きくなるまで育て直すんです。
本当ですか?じゃあ例えばこの大きい子何gですか?400g?400ぐらいありますね。
あ、本当ですか。
じゃあちょっとね、実際に量りをこちらに用意をしていますのでね乗っけてもらいましょう。
お願いします。
はい、では何gあるんでしょうか開けます。
オープン!ティラリラリラリラ!おー!本当だ、415g。
ほぼほぼ一緒ですね。
すごい、さすがプロの目。
いや、こうやっておいしいウナギ育っていくんですね?食べますか?え?いいんですか?いいんですか?どうぞ!この組合では直営のレストランで自慢のウナギ料理を出しているんです。
今回特別に、特上サイズのウナギを焼いていただきました。
ウナギ一尾が一人前。
肉厚で大きな身を軟らかく焼き上げる一方皮は焦げ目が出るまで香ばしく焼き上げます。
じゃあウナギを乗っけてもらってもよろしいでしょうか?さあ行きました。
うお、大きい!こちら特上うなぎ丼の完成でございます。
いや、すごい大きい。
見てくださいよ、この、ほら顔とほぼ一緒のサイズ。
いい匂いする、これ。
ちょっと食べてもいいですか?どうぞ。
ははは、すごい楽しみ。
じゃあこのウナギ、いただきます。
皮がパリパリですね。
じゃあ、こちらのウナギとちょっと、ごはんを乗っけていただきます。
うーん、おいしい!なんか、確かに皮がパリパリしてて身がフワフワなんですけどその中にも香ばしさがたまらないですねこれ?たれがすごいしみてておいしい!これ、おいしい!成田のウナギはピッカピカ〜!皆さんぜひ食べに来てください。
やっぱり収録だとおかしなところがカットされているのかな。
ヤス⇒おかしなところは1つもないです。
おかしいところ見たいんだけどね。
最初、ナレーション間違えたじゃないのよ。
すみません。
イノッチさんも気になっていたウナギ、水揚げしてからすぐに食べられるかということなんですが、おなかの中にたまっている泥を抜かなければいけないので、2日ぐらいかかるんですがあそこでは井戸水につけて4日間です。
あの養殖場。
また小さいものは印旛沼に放流して、そして大きくするということなんです。
きょうの晩ごはんは決まりですね。
ぜひ。
土用のうしの日も近いということですので皆さんもぜひウナギを食べてみてください。
ありがとうございます。
では、次のコーナーです。
プラントハンター西畠清順さん。
彼の仕事は、世界中を駆け巡り植物をハンティングすること。
樹齢1000年のオリーブの木を小豆島に植えてほしい。
パーティー当日に満開の桜が欲しい。
植物園に目を引くような巨大な多肉植物を植えたい。
そんな数々の要望に応え世界中から植物を集め生きたまま運びます。
厳しい検疫にもパスするよう根の土を落とし、植物を眠らせて日本に運ぶ。
これが、プロの技。
きょうはプラントハンター西畠清順さんをご紹介します。
駒村⇒おはようございます。
きょうは木ともに登場されました。
立派なオリーブですね。
ちょうだい、これむちゃくちゃ買ったら高そうこれも西畠さんが持ってきたんですか。
西畠⇒去年スペインのアンダルシアから船を使って持ってきました。
樹齢100年ですよね。
100年たつとこうなっちゃうんだね。
なかなか触る機会もないですよね。
よかったら触ってくださいいい気をもらえるので。
相当ですね。
これを持ってくるのは気を遣ったんじゃないですか。
そうなんですよ、1か月間、光も水もないので養生してあげて持ってきました。
1か月間光も水もなくて大丈夫なんですか。
大丈夫なようにしているんです。
西畠さん改めてご紹介しますと植物卸問屋さんの5代目でいらっしゃいます。
世界中から珍しい植物を集めて年間の移動距離は大体地球3周分ぐらいということですね。
3周か5周かという感じです。
ほとんど移動しているんですね。
ほかにも珍しい植物をお持ちいただきました。
こんな植物があるんだというものばかりなんですけれどいちばん右端からご紹介していただきましょう。
エアプランツですね。
よく売られているエアプランツは土がなくて育ちますけれど、これは先月アルゼンチンでとって木に登って採取したものです。
お写真があります。
チランジアです。
これを取ってきたの?そうです。
やるね。
木に登っているんですよね。
車と比べたら分かると思いますけれどこのビルぐらいありますよ、NHKの。
そんなところ登ってきたの?命がけじゃないですか。
貴重なエアプランツがあるので、取ってきました。
そこまでいかないととれないような貴重なものなんですね。
父親に自慢しようと思って取ってきました。
お隣は何ですか。
友達のプラントハンターに頼んで取ってきてもらいました。
砂漠に行って取りに行ってくれるんですよ、許可をとって日本に輸出してくれたんです。
お友達が取ったものなんですね。
これも珍しいんですね。
珍しいです。
普通に日本で買おうとしたらいくらぐらいですか。
もしかしたら、10万円以上するかもしれません。
ちょっと分かりませんけれど。
どの辺がすてきなんですか。
砂漠に生えているだけあって何て言うんでしょうか水が長いこと雨が降らなくても生きていけるみたいなしかも幹肌がらくだっぽいじゃないですか。
かわいいですよね、人間がまいたみたいにきれいになっていますよね。
くるくる巻いていますよね。
メキシコ人にこのように切ってもらったんです。
本当は違うんですか。
ボソボソしてワイルドな感じでした。
生き物みたいな感じなんですけれど。
日本で育てようと思ったら雨にぬれないようにしたほうがいいんですか。
全然大丈夫です。
水やりのいらない庭をつくるときにはぴったりです。
育てる気満々じゃないですか。
ちょうどいいです。
そもそもこんなふうにおもしろい植物をハンティングするきっかけは何ですか。
10代のころに留学をしていてそのあとアジアをいろいろ放浪していたんです。
最後にボルネオ島というところに行ったんですけど、ボルネオ島には4000mのすごい高いキナバル山があって登っていくんじゃないですか。
熱帯って赤道直下で最初はね熱帯気候暑いんですけれどだんだん温帯になっていって最後亜寒帯になるんです。
地球上の気候がすべておさまっているんです。
植物もそれに合わせていっぱいあるんだ。
どんどん変わっていくんですよね標高が変わるとその山で出会ったのが世界一でかい食虫植物だったんです。
ネペンセスラジャです。
中に入っているのは虫なんですか。
液体で溶けたりするんだ。
そうです。
どうして心が動いたんですか。
登山でもドラマチックだったんですけれど、そんなシチュエーションでしかも雲の上でそんなものに出会うって僕じゃなくてもたぶん誰でもびっくりしたと思います。
それまで全然植物には興味がなかったんですけれど植物ってすげえなあと。
5代目なのに興味がなかったんですか?全然なかった。
出会わなければ、つがなかったかもしれませんね。
恩人みたいなものです。
それからいろんな植物を探し求めているということなんですけれどその中の1つがオリーブなんですよね。
たくさん回っていて、いろんな国砂漠の国も行けば、温帯の国熱帯の国もあるんですけれどそれぞれを代表するカリスマチックな木があるんです。
オリーブがそれの最たるものなんです。
ヨーロッパでオリーブに出会ってこれは100年ですけれど、1000年の樹齢のものもあったそうですね。
100年でもまだまだ1000年に比べたら若いほうですよね。
何年生きるんですか。
オリーブはイエス・キリストが触った木がまだ残っているんですよね。
2000年とか3000年とか生きるんですよ。
すごい生命力ですね。
果樹としてはいちばん長寿のものです。
樹齢1000年のものを日本に運んだんですよね。
緊張しますよね。
確かに緊張しました。
運ぶときに切ってしまうんですって。
枝とか切ってしまって大丈夫なんですか。
輸入するためには土をつけてもいけないし、根っこを切ったり処置をするんです。
枝もさばいてコンテナに詰めていくんです。
小豆島に植えて、3年たって今このように大きくなっています。
必要な分だけ残してきたという感じなんですね。
今は実もなっているんですよね。
実は2000個ぐらいなっていました。
感動しますね。
樹齢1000年のものがよみがえって若々しく感じるというのがすごいですよね。
切るときの技術や運ぶときの技術が大事なんですよね。
木は必要なときに必要なことをしてあげるとまた若返るというか植物にもよるんですけれど。
それが生命力なんですね。
すごい植物を求めてオーストラリアに行って見つけたのがこちらの写真ですね。
ボトルツリーという木ですね。
上で何やっているの?切っている。
清順さんが切っているんですね。
コンテナに詰めているところです。
どのあたりが、すてきだと思ったんですか。
見た目ですね。
かわいいじゃないですかメタボリックな感じが。
どうするんですか、買うんですか。
そうです。
仕入れる形です。
買って、向こうの人を雇って作業も一緒にして船にコンテナに詰めて日本に持って帰ってくるんです。
1か月ぐらい仮死状態でな感じですよね。
日本に来て芽を出さないときはあるんですか。
いっぱいあります。
植物なので100%というのはないんです。
常にそれとの戦いです。
すごいなあ。
さらに、いろんなところに清順さんは行っていらっしゃって、アフリカ大陸のソコトラ島で人生を変えるような出会いがあったそうなんです。
だいぶ変わっちゃってるけど写真を見るだけでも。
この写真はやばいですけど。
何があったんですか。
世界自然遺産に登録されているところなんですけれど珍しい植物と会いました、がけに登ってハンティングされています。
薬草をとっている感じですね。
出会ったのがこちらです。
砂漠のバラです。
イエメンなんですね。
きれい砂漠は色がないじゃないですかそん中でひときわこの花が咲くと鮮やかな色が輝いて見えるんです。
これがまた、巨体から咲くんです。
それが、かわいいんです。
さらにほかにもあるんですね。
ドラゴンブラッドツリーですね。
竜血樹というんですけれど運命の出会いですね。
僕の憧れの植物でした。
この木をなんでドラゴンブラッドツリーというかというと木を傷つけると、赤い血といいますけれど樹液が出るんです。
それが止血剤になったり染料になったりして昔から取り引きされてきたりしていました。
ややこしいことよりも見た目が半端なくてあの木が作り出す空気感とかがやばいんですよ。
見てみたいな。
写真を見て隣に並ぶとこんなに大きいんだと思いますよね。
それが何万本もあるんですよ。
そのスケール感がすごいんです。
人生観が変わりますよね。
見ただけで変わったんですか。
そうですね。
ハートに届くような植物でした。
出会ってしまったんですね。
こういういく植物をみんなにも届けたいということで世界中を旅していらっしゃるんです。
きょうはそのイエメンの植物をお持ちいただいて小ぶりなものなら家庭でも育てられるということなんです。
写真にあった砂漠のバラですね。
こんなのがあるんですね。
これはコツは何ですか。
生えている風景を思い浮かべたら分かると思います。
砂漠にあるんですよね。
周りは別に日本があるような植物がなさそうですよね。
そういうところで育てたほうがいいですか。
ヒントでいうと水が苦手です。
具体的なことを教えていただけませんか。
考えてもらったほうがいいと思います。
自分でつきあってみて、そのほうがおもしろいと思います。
こういった珍しい植物は園芸店で買うことはできるんですか。
近くの園芸店や花屋さんで取り寄せてもらえると思います。
取り寄せになるわけね。
こちらは何ですか。
よくあるヤッコカズラという観葉植物の新品種でオサメユキという命名したんです。
どこで見つけたんですか。
インドネシアです。
インドネシアの人も知りませんでした。
見つけたというのは自分の父親なんですけれどこの植物に関してはね。
自分が見つけたものもあるんですけれど名前もお父さんがつけたんですか。
名前は自分がつけました。
オサメユキですね。
どうしてですか。
最初は普通のヤッコカズラみたく緑の葉っぱが出るはずなのに白い葉っぱが出るんです。
白い葉っぱがどんどん緑におさまっていくんです。
白い葉っぱが、白い葉っぱを雪にみたてさらにもう1つ意味があるんですよね。
嫁さんの旧姓をかけました。
旧姓が納本
(おさめもと)という珍しい名前なんです。
結婚すると名前が変わりますよね。
だから残しておこうと思って。
そういう思いも込められています。
いい話じゃないですか。
いい話ですよね。
もっと言ったほうがいいですよ。
西畠清順さんにきょうは、珍しい植物をご紹介していただきました。
「プレミアムトーク」にきてほしいぐらい楽しい話がいっぱいありがとうございました。
ありがとうございました。
有働⇒ファックスコーナーです、渡辺和子さんにお越しいただきましたけれど1つ詩をご紹介します。
これは坂村真民という念ずれば花開くということばです。
このあとも続いていきます。
ファックスをたくさんいただきました。
2014/07/18(金) 08:15〜09:55
NHK総合1・神戸
あさイチ「プレミアムトーク 渡辺和子」[字]
プレミアムトーク 渡辺和子 ▽特選!エンタ 音楽「和太鼓集団TAO」 ▽あさイチグリーンスタイル「植物を求め世界を駆ける プラントハンター」
詳細情報
番組内容
プレミアムトーク 渡辺和子 ▽特選!エンタ 音楽「和太鼓集団TAO」 ▽あさイチグリーンスタイル「植物を求め世界を駆ける プラントハンター」【キャスター】井ノ原快彦、有働由美子 <中断>9:00−9:05 [字]ニュース・気象情報
出演者
【ゲスト】渡辺和子,DRUM TAO,【講師】プラントハンター…西畠清順,【キャスター】井ノ原快彦,有働由美子,駒村多恵,中谷文彦,【リポーター】古原靖久,打越裕樹,【朗読】広瀬修子
ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
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