それがし黒田官兵衛と申す!命を粗末になさるな!生きられよ!今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」。
主人公は戦国時代の武将黒田官兵衛なんですが一体何をした人なのでしょう?今日はその魅力に迫ります。
戦国時代信長秀吉家康と渡り合った武将がいました。
これを褒美にとらす。
一介の領主にすぎなかった官兵衛は信長との出会いをきっかけに一躍戦国のキーマンとして脚光を浴びます。
その武器は神社に残る不思議なお札?官兵衛のふるさと姫路を探訪しながらその出世の秘密を探ります。
織田方となった官兵衛が仕えたのが羽柴秀吉。
秀吉に天下を取らせるため官兵衛はさまざまな秘策を繰り出します。
戦国史上類を見ない大規模なお城沈没作戦。
「我が主君を天下人に!」。
アイデアマン官兵衛の驚きの戦略に迫ります。
官兵衛が晩年を過ごした…ここで官兵衛は「如水」と名乗り町づくりに打ち込みます。
中津の町は「如水」だらけ。
この学校も…。
町では「官兵衛ご膳」なる豪華料理も…。
天下統一に一役買った…この料理に秘められた…信長秀吉を驚嘆させた戦国最強の軍師黒田官兵衛。
その人生をたどる旅へと皆さんをご案内しましょう。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今日私が来ておりますのは兵庫県姫路市。
後ろに見えるのが国宝姫路城なんですが今は覆いが掛けられております。
まずは天才軍師を生んだ官兵衛のふるさと姫路を旅します。
姫路は今官兵衛ブームに沸いています。
商店街には官兵衛ののぼりがびっしり。
こんな所まで登場しました。
官兵衛グッズを売っているお店です。
こちらはお酒ですよね。
それにおでんとかこれはおせんべいです。
「かむべい」?お店に並ぶ官兵衛グッズの数はおよそ100種類。
姫路名産のかまぼこや官兵衛の家紋が入ったおちょこなどもあります。
あれ?向こうから何やら歩いてきますよ。
官兵衛ですねえ。
こちら…登場するやいなやこの人だかり。
大人気で全国各地に引っ張りだこなんだそうです。
私も記念に1枚。
官兵衛人気で盛り上がる姫路は戦国時代播磨の国にありました。
西に中国地方を支配する毛利輝元。
東に新興勢力の織田信長。
播磨の領主たちはこの二つの勢力の狭間で揺れ動いていました。
官兵衛が仕えていたのはそうした領主の一つ小寺家。
毛利を頼みとすべし。
毛利じゃ!古くから関係の深い毛利氏につくべきだと流れが傾きかけたその時。
官兵衛が口を開きます。
それがしは織田殿につくべきと考えまする。
何!?織田じゃと?なにゆえじゃ!毛利の主である輝元は居城に引きこもり自ら兵を率いる事は少ない。
信長は武田家との戦に勝ち今や向かうところ敵無しである。
いずれは信長の天下となろう。
双方の動きを詳細に語り情報を分析する官兵衛。
なぜ官兵衛は信長や毛利氏の動きを詳しく知る事ができたのか。
その手がかりがこちらの神社に残されています。
黒田家とは親戚筋で深い関わりがありました。
官兵衛の情報源になったと考えられるものがこの神社に残っています。
それがこちらのお札。
作物に害虫を寄せつけないための虫よけの札。
こちらは「蒟蒻」と書かれています。
蒟蒻芋がたくさんとれるよう祈願したものです。
こうしたお札を作り各地に配っていたのが「御師」と呼ばれる人たち。
廣峯神社の御師の活動範囲は東は北陸西は今の広島県辺りまで広がりお札を配りながら行くさきざきで情報収集を行っていました。
官兵衛はこうした御師のネットワークを生かし信長の将来性を確信したのではないかと考えられます。
廣峯神社の御師の末裔で自身も昭和30年代まで御師として各地を回っていました。
小寺家をまとめた官兵衛が向かったのは…この時信長は西日本の大勢力毛利攻めに取りかかろうとしていたやさき。
そんな中地方の一武将にすぎない官兵衛が一体何の用だというのでしょう?織田の御家中より重臣の方をお一人大将として播磨にお遣わし下さりませ。
我らその先ぽうとなり必ずや播磨一国お味方にしてみせましょう。
あまりに大胆不敵な物言いに信長は…。
その方の存念あい分かった。
わしも同じじゃ。
(信長)これを褒美にとらす。
なんと自分の刀を官兵衛に与えたのです。
その時の刀が今も残っています。
押し当てただけで人が真っ二つになったという逸話を持つ名刀です。
播磨は毛利攻めの前線基地として重要な場所。
ここは兵庫県伊丹市にある有岡城跡です。
戦国時代巨大な城が建っていました。
信長に認められ上り調子だった官兵衛ですがこの城で人生最大のピンチに見舞われます。
信長は官兵衛の策に従い…官兵衛は秀吉の下で次々と領主たちを味方にしていきました。
ところが…。
有岡城を守っていた信長の家臣荒木村重が…このままでは秀吉軍は毛利氏と村重に挟み撃ちされ絶体絶命の危機に陥ってしまいます。
心の声なんとしても村重殿を説き伏せ織田方に引き戻さねば。
官兵衛は説得のため有岡城に乗り込むという危険な賭けに打って出ました。
播磨平定を自ら信長に申し出た以上命に代えてもこれを実行しなければならない。
(村重)者ども官兵衛をひっ捕らえよ!何をなさる村重殿!説得は失敗だったのかあるいは村重に取り込まれたのか。
一向に戻ってこない官兵衛に信長は怒りを爆発させます。
見せしめじゃ。
やつのせがれを殺せ!官兵衛が消息を絶ってから…有岡城に入った信長軍は思わぬ光景を目にします。
裏切ったはずの官兵衛がなんととらわれの身になっていたのです。
官兵衛は裏切っていなかった。
それを知って信長は取り返しのつかぬ事をしたと己を恥じこうつぶやいたといいます。
官兵衛は忠義の武将として信長の心に深く刻み込まれる事となりました。
姫路に戻った官兵衛をうれしい知らせが待っていました。
父上!
(勘兵衛)松寿丸!官兵衛に限って裏切るはずがないと信じた同僚の竹中半兵衛がかくまってくれていました。
松寿丸がひそかに暮らしていたと言われる神社です。
樹齢400年を超えるイチョウの木。
巧みな情報収集と分析そして忠義の心で信長に認められた官兵衛。
このあと軍師として戦国の檜舞台に踊り出ていくのです。
お初にお目にかかる!わしは姫路のご当地キャラクター「かんべえくん」じゃ。
有岡城で捕らえられ心身ともにボロボロとなったわしを癒やしてくれたものをご存じかな?それはここ!兵庫県の有馬温泉。
古くからの歴史を持つ名湯じゃ。
この温泉で元気を取り戻したわしはすっかりここの常連となってしもうた。
(かんべえくん)これは有馬温泉に滞在していた時息子に送った手紙じゃ。
お湯が気持ち良すぎて1週間で11回も入ったと知らせてやった。
そしていまひとつわしがさんざんな目に遭った荒木村重殿との間に最近こんな事があった。
去年の11月わしが400年ぶりに有岡城を訪れた時の事じゃ。
ここでわしは村重殿ゆかりのご当地キャラクターと対面した。
(司会)かんべえくんと村重たみまるの友好の握手です。
(かんべえくん)まあいろいろあったがこの握手でわしはきれいさっぱり水に流す事にした。
めでたいめでたい。
話を戻そう!最大のピンチをくぐり抜けたわしは羽柴秀吉後の豊臣秀吉様の軍師として奮闘する事になる。
さあ皆の者出陣じゃ!岡山県の備中高松城址に来ております。
秀吉の軍師となった官兵衛はここで戦国史上空前の大作戦を繰り広げます。
敵だけではなく味方をも驚愕させた官兵衛の知略をご覧下さい。
毛利攻めの最前線備中高松城に押し寄せます。
ところが…高松城は周囲を沼地に囲まれた天然の要塞。
攻めあぐねる秀吉軍。
その時。
それがしに策がござりまする。
水攻めにござる。
「水攻め」とは堤を造り川から水を引き込んで城を水没させる作戦の事。
水浸しにされた敵は戦どころではなくなります。
水のたまりやすい湿地を逆手にとったもので発案者は官兵衛だったとも言われています。
備中高松城の本丸からおよそ1km離れた場所にやって参りました。
この小高くなった所が…高さは当時は5mぐらいはあったと言われております。
この堤を築くのは至難の業でした。
通常堤は土の俵を積み重ね更にその上から土をかぶせて作りますが高松城の場合周りが湿地のため俵がうまく積み上がりません。
ではどうやって作ったのか。
その謎を解く手がかりが現地に残っています。
これは何でしょうか?これは堤を築くのに重要な役割をする杭です。
途中にこういうふうに杭を埋めていったという事ですか?
(井上)そうです。
まず湿地に深く杭を打ち込み外枠を作ります。
その中に俵を積めば安定し崩れる事はなくなります。
現在の堤防建設にも使われる技法です。
こうして…あとは川をせき止め水を引き込むだけですが新たな問題が起こります。
まず大きな石を満載した舟を用意。
一列に並べて同時に沈めます。
川の流れが弱まったところで一気にせき止めたのです。
これで高松城の周囲は完全に水没。
辺り一面湖のようになりました。
現在の地形に重ねるとこんな感じ。
敵の士気はみるみる落ち勝敗は決しました。
いよいよ高松城が落城寸前となった時驚愕の知らせがもたらされます。
(使者)申し上げます!火急の知らせにございます。
(秀吉)上様が…うそじゃあ!「戦国ニュース」の時間です。
「本能寺の変」の続報です。
信長公を討った明智光秀殿は京都の制圧に成功しました。
(キャスター)織田家家臣筆頭の柴田勝家殿は上杉軍との戦いで身動きが取れない状態です。
丹羽長秀殿の部隊では兵士の逃亡が相次ぎ混乱が続いています。
羽柴秀吉殿も京都から200km以上離れた備中高松城で戦のさなかとの事です。
目下近畿に敵のいない明智殿が今後も勢力を拡大していく事が予想されます。
全く想定外だった出来事に秀吉はぼう然。
この時秀吉に近づき思いもよらぬ言葉をかけたのが官兵衛でした。
秀吉様ご武運が開けましたな。
天下をお取りになる時が参りましたぞ。
真っ先に信長の敵を討ち果たせば天下取りの有力候補になる。
わしもそのように思っておったわ。
官兵衛の言葉で我に返った秀吉は光秀と戦う決意を固めます。
すばやく話をまとめたあとこう付け加えました。
さればいまひとつお頼みしたい事がござる。
実はあるものをお借りしたいのじゃが…。
さて皆さんここで問題です。
この和平交渉の場面で…正解は後ほど。
秀吉軍は高松城から近畿まで200kmを超える道のりを7日とも言われる短期間で駆け戻ります。
官兵衛は途中軍勢の食事の用意を整えスムーズに移動できるよう取り計らったと言われています。
6月13日大坂と京都の境山崎で…光秀は百戦錬磨の名将。
軍勢も精鋭ぞろいです。
今まさに天下分け目の合戦が始まろうとしております。
ここで先ほどのクイズの答えです。
官兵衛が毛利から借りたものとは一体?
(ほら貝)者ども今じゃ!
(一同)お〜!皆の者今じゃ!秀吉軍の中に毛利の旗を見た…エイエイ…。
(一同)オー!戦国最強のナンバー2として官兵衛は秀吉からも最高の賛辞を得る事となりました。
どうじゃ?わしの繰り出す作戦の数々。
驚いたか?秀吉様のため大いに働いたわしは大分県の中津に12万石の領地をもらい九州の大名に取り立てられた。
ここでわしのトレードマークでもある兜をご紹介しよう。
それはこの合子形兜。
お椀をひっくり返したようなデザインが面白いじゃろ〜。
よ〜く見るとあちこちに傷のような痕がついておる。
幾たびも戦に出たこのわしじゃ。
その時のものかもしれん。
この兜をかぶったわしが陣頭に立っただけで敵は震え上がっておったぞ。
秀吉様の天下統一でようやく平和な世の中となったがそれもつかの間わしはまたしても戦に身を投じる事となる。
わしの最後の戦いとくとご覧あれ。
秀吉に天下を取らせた官兵衛は大分県中津で家督を息子の長政に譲ります。
そして名前も水の如く「如水」とします。
現在の中津城の天守閣は昭和になって再建されたものですが…中津城では今も官兵衛が築いた石垣を見る事ができます。
「穴太積み」と呼ばれる当時最新の技法が用いられ地震にも耐えうる頑丈な造りになっているんです。
中津といえば熱々のから揚げが有名ですが…。
官兵衛にゆかりのこんな料理もあります。
こちら…秀吉軍がある城を包囲している時…この時…この贈り物が功を奏したのか敵は間もなく降伏しました。
ホウボウのかす漬けを頂きます。
こちら。
あっさりしててさっぱり頂けます。
おいしいです。
これは敵方の心も和んだと思いますよ。
官兵衛ゆかりの町大分県中津を旅しながら官兵衛の隠居ライフをのぞいてみましょう。
中津の領主となった官兵衛が情熱を注いだのが町づくりです。
今でも町のあちこちでその痕跡を見つける事ができます。
あっこちら。
これ「姫路町」ってありますよ。
九州なのに姫路?実はこの地区…こちらは京町。
そして博多町。
中津の経済を活性化させるために京都や博多から商人を呼んで住まわせた場所です。
官兵衛の手腕で中津の町は急速に発展。
・「時は天正の夏の頃」。
中津には官兵衛ゆかりの踊りがあります。
官兵衛がどのようにして中津の町をつくったのかが歌われています。
「紅葉して松あらわなる…」。
官兵衛が町づくりと並んで打ち込んだのが「連歌」です。
連歌とは戦国時代大名や貴族の間で流行した歌遊び。
しかしただ遊んでいただけではありません。
どうじゃ。
近頃諸国の動きについてそなた何か聞いておるか?はい。
さる大名家の連歌の会に参加しましたところ…。
隠居してもなお情報収集に意を注いだ官兵衛は更に海上交通を用いたネットワークも作り上げます。
官兵衛は中津と当時政治の中心だった大坂の間に…当時としては驚異的な早さです。
何が起こるか分からない戦国の世。
黒田家と町を守るため常に警戒を怠らないとはさすが官兵衛です。
秀吉が死ぬと天下は再び乱れます。
日本中を巻き込んだ徳川家康と石田三成との対決…戦乱は九州にも飛び火します。
しかし…これにより手元に残された僅かな兵で四方の敵と向かい合わなければならなくなった官兵衛。
ここで思い切った策に出ます。
その結果集まった兵の数はおよそ9,000。
官兵衛の策は見事功を奏しました。
官兵衛が兵を集めた場所が中津市内に残っています。
この辺りはどこも「如水」でいっぱいです。
公民館も「如水」。
郵便局も「如水」。
そして小学校の名前も…。
9,000人の兵士の食糧を準備したのは周辺の村の人たちだったと言われています。
これにちなんで村は如水と名付けられ如水だらけの場所が出来上がったのです。
こうして集められた官兵衛の軍勢は攻め込んできた敵を撃退。
そればかりか…官兵衛が家康に望んだのは茶つぼ一つだけ。
領地のある九州へと戻った官兵衛はその後表舞台に出る事はありませんでした。
その潔い引き際を家康は次のように褒めたたえました。
関ヶ原の戦いから4年後官兵衛は59歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました。
それでは最後にもう一つ。
そんな秘話をどうぞ。
ここに官兵衛の墓があります。
福岡の町をつくった恩人として地元の人たちによって大切に守り伝えられてきました。
すぐそばに寄り添うように眠るのは官兵衛の妻光姫。
側室を持つ事が当然だった中官兵衛は光姫ただ一人を生涯愛し続けたといいます。
晩年官兵衛が戦火からの復興に力を注いだ…慶長7年57歳の…家族水入らずで過ごした大切な時間。
官兵衛がこの時願いを込めて詠んだ歌が残っています。
これが黒田官兵衛如水が慶長7年に詠んだ…「長寿を誇る松や梅のように末永く福岡の町が栄え家族と過ごす幸せが続きますように」。
信長秀吉家康。
数々の名将たちと渡り合った軍師官兵衛。
知恵と勇気に満ちたその生き方を支えていたのは人を慈しむ心だったのかもしれません。
2014/07/18(金) 03:19〜04:05
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア選「これが乱世を生きる道〜軍師 官兵衛 美しき人生〜」[解][字]
大河ドラマの主人公・黒田官兵衛。信長・秀吉・家康ら戦国の英雄とわたりあった天才軍師の魅力を、ふるさとの姫路城や大分の中津など官兵衛ゆかりの地を訪ねながら探る。
詳細情報
番組内容
今年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛は、信長・秀吉・家康ら戦国の英雄と渡り合った天才軍師だ。だが、その人生は多くの謎に包まれている。全国にある官兵衛ゆかりの地を旅しながら、官兵衛の知られざる人生をたどる。官兵衛のふるさと姫路の神社に伝わる不思議なお札の正体とは!? 晩年を過ごした大分県中津に伝わる高級グルメと天下統一の意外な関係とは? 官兵衛が見せた“美しき”引き際とは? 各地に伝わる秘話に迫る。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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