くらし☆解説「いま語り継ぐ“スギハラの勇気”」 2014.07.17

岩渕⇒先日アメリカから来日したシカゴ経済界の大物今の日本の経済界とも深いつながりを持つこのユダヤ系の人物が真っ先に口にしたのは意外な名前でした。
生字幕放送でお伝えします岩渕⇒こんにちは。
10時5分です。
「くらしきらり解説」きょうは、いま語り継ぐスギハラの勇気というテーマです。
第2次世界大戦中、迫害から逃れるユダヤ人をいわゆる命のビザで救った元外交官、杉原千畝その杉原が今改めて脚光を浴びています。
担当は高橋祐介解説委員です。
命のビザの話は私もテレビなどで知っていましたが、杉原千畝という名前は分かるんですがなぜこのタイトルはスギハラとカタカナなんでしょうか。
高橋⇒ただ単に漢字が難しいからということもあるんですが、スギハラの名前は実は日本よりも海外で早くから知られてきたということもあるんです。
海外で有名なんですね。
こちらがその杉原千畝。
千畝という名前は外国人には発音が難しいのでセンポと呼ぶ人もいます。
昭和15年の夏に、リトアニアの日本領事館で、迫害から逃れようとするユダヤ人のために、日本を経由することを認めるビザ、通過ビザを発給して6000人の命を救ったと言われています。
だから命のビザというわけですね。
そうですね、私も十数年前に中東エルサレムに駐在していたことがあるんですけれども、そこでも杉原の知名度の高さに驚かされましたエルサレムにはホロコーストの犠牲者を追悼するための施設があって、そこの庭園にユダヤ人の命を救うためにみずからの危険を顧みずに行動した人たちをたたえるところがあります。
それが諸国民の中の正義の人というんですけれども、その数は各国あわせて2万5000人余りこの中のたった1人の日本人が、杉原千畝なんです。
この中に入っているわけですね。
ただ今から70年以上も前の話ですから当時幼い子どもだった人も今ではかなりお年を召しています。
実は、そうしたスギハラに、命を救われた人たちこれをスギハラサバイバーと呼ぶんですが、いわばその最後の世代にあたる人たちが日本を相次いで訪れているんです。
冒頭に紹介した方もその1人なんですよね。
はい、それがこちらのレオ・メラメドさんこの方は世界最大規模の先物取引所グループの総帥です。
シカゴの先物市場にいち早く金融商品を取り入れたことで、金融先物の父ともいわれる大変有名な方なんですね。
相当な経済界の大物ですね。
今は、れっきとしたアメリカ国籍のアメリカ人なんですがもともとはポーランドの生まれなんです。
といいますのも彼が7歳だった当時これが地図ですけれども、ポーランドはナチスドイツとソビエトによって分割されてしまいます。
そこで彼は両親とともに迫害から逃れるために、隣国のリトアニアに脱出したんです。
乗り込んだのは最後の列車でした。
ポーランドから隣のリトアニアに脱出して、そこで杉原千畝と出会うわけですね。
これが、そちらのリトアニアのカウナスにあった日本領事館の跡なんですけれども、今でも建物は大切に保存されています。
今も残っているんですね。
ここに杉原千畝がいたんですが情勢はひっぱくしていました。
そこでユダヤ人難民たちが、建物を取り囲んで日本への通過ビザが欲しいと頼むわけです。
ところが東京外務省からの指示は厳しいものでした。
ビザ発給のためには日本からさらに出国する先の手続きも終わっていなければならないといった厳しい条件、決まりがあったからなんです。
それは難しいですね。
そんなことを言われましても着のみ着のままで逃げてきた人たちそれを目の前にしているスギハラの身にしてみれば、助けを求めているわけです、みずから責めを負う覚悟の上でビザ発給を決断しました。
自分の判断で発給したんですね。
それが命のビザ手書きなんですね。
今外務省に残っている記録だけでも2139枚あります。
それを全部書いていたわけですね。
1枚のビザで家族が救われたケースも多かったので少なくとも6000人が命をすくわれて、国外に脱出することができたと言われています。
メラメドさんたちのようにスギハラからビザを受け取った人たちはそのあとどうやって日本までたどり着いたんですか。
リトアニアはバルト海に面しています、そこからモスクワ経由でシベリア鉄道を横断し1万kmの移動です。
そして、極東のウラジオストクから今度は船で渡って、日本海を渡って現在の福井県の敦賀港に上陸しました。
そして敦賀から神戸や横浜をへて上海、中東あるいはアメリカなどにわたっていきました。
危険にさらされながらやっとの思いで日本にたどりついた命のビザでたどりついた方たち敦賀を見たときには本当に何とも言えない思いだったでしょうね。
今でも特別な思いがあるようなんです。
現在の敦賀市には、こういう建物も建てられています。
ムゼウムですか。
ポーランド語で博物館や史料館といった意味なんですけれどもここに当時のことが記録されています。
その中には、上陸してきた船を降りてきたユダヤ人難民たちに地元の人たちが、りんごを食べてもらったり銭湯を開放してお風呂に入ってもらったりした話が残っているんです。
温かく迎えたわけですね。
当時の日本の人たち、多くの人たちの尽力もあって、スギハラがたとえ訓令に背いたビザであっても無効とはせずに、ユダヤ人の入国や一時滞在を受け入れたわけです。
これは入国した方ですか。
実は先ほどのメラメドさんの当時の写真です、お母さんです。
今回メラメドさんが日本を訪問したときに密着取材したんですが、彼はどこよりも特別な場所、敦賀をぜひともその目に焼き付けておきたいと熱望しました。
そして73年ぶりにこの地を踏みました。
特別な思いでしょうね。
そして小学校ですか。
敦賀市では命のビザの話が小学校のカリキュラムにも取り入れられているんですけれども、ここでメラメドさんは子どもたちに語りかけました。
たった1人の人間が勇気を出して行動に移せば、命は生かされつながれていくそうしたスギハラが教えてくれたみずからの信念を語りかけていました。
子どもたちにとっても貴重な機会ですね。
本当に九死に一生を得た人のことばですから心にぐっと響きますね。
本当にそうですよね、私たちも杉原千畝のこと、ほかの難民たちにやさしく接した当時の日本人のこと、もっともっと知らなければいけませんよね。
そうですね。
杉原の母校の早稲田大学にはこういう石碑も3年ほど前に建てられました。
ここに書いてあるのは、外交官としてではなく人間として当然の正しい決断をした。
このことば、どうでしょうか。
杉原千畝の鋼のような意志の強さを物語っていると思いませんか。
そうですね、杉原千畝の石碑なわけですね。
人間として当然のことをするにも難しい時代、困難な時代にはもしかすると勇気が必要になるかもしれませんよね。
そんなときのためにも、まずほかならない日本の次の世代にかつてスギハラのような人がいたということを語り継いで差別や偏見のない寛容な社会であり続けてほしい。
それがメラメドさんたち、スギハラサバイバーのいわばラストメッセージです。
私たちもしっかりと受け継いでいきたいですね。
高橋祐介解説委員でした。
次回のテーマです。
政府が成長戦略の柱の1つとして掲げる、女性の活躍。
これを支える保育の人材育成確保のために取り入れられる子育て支援員認定の仕組みと課題を解説します。
担当は藤野優子解説委員です。
ぜひ、ご覧ください。
「くらしきらり解説」ではこの辺で失礼します。
2014/07/17(木) 10:05〜10:15
NHK総合1・神戸
くらし☆解説「いま語り継ぐ“スギハラの勇気”」[字]

NHK解説委員…