「公的懸賞金」の適用期間をきょうから1年間延長しました。
上限は300万円です。
(黒柳)『徹子の部屋』でございます。
このお客様こんなお若いのに30年ぶりのご出演です。
すごいですよ30年ぶりってね。
歌手でいらっしゃいます。
『ベストテン』の頃はもう毎週お会いしてたんですけど杏里さん今日のお客様です。
デビューしてもう35年?はい。
すごい。
35年そうですか。
ロサンゼルスと日本を行ったり来たりのご生活だそうですけど色んなこと伺います。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
杏里サウンドは現在も健在です。
早速杏里さんのヒット曲のメドレーをちょっと拝見させていただいていいですか?杏里さんのお歌いになってるご様子でございます。
「出逢った頃はこんな日が」『オリビアを聴きながら』これはもうデビュー曲でね大変…。
これ踊りながらだから汗すごいのね。
そうですね。
今でも今年ツアーやるんですけどもまた踊りながら…。
懐かしいですね。
ねえ。
「疲れ果てたあなた私の」「幻を愛したの」わあ…。
大変でしたね『CAT’SEYE』。
この時からでしたね。
あっ『ベストテン』出て…。
『ベストテン』のほうお世話になりました。
可愛い。
なんかぴょんぴょん跳ねてましたねこの時。
「甘いメロディー」でもねお背が高いからブーツでもカッコいいったってねありゃしないって感じなんですけど。
いつもぺたんこの…。
そうねぺたんこの靴で。
「見つめるCat’sEyemagicplayisdancing」懐かしい!ねえ。
ねえ。
「妖しくCat’sEyemagicplayisdancing」「月明かりあびてwegetyou」これもね『ベストテン』。
はい。
お世話になりましたね。
あっこういうジャケットだったんだ。
そうですね。
「Ican’tStopTheLoneliness」「どうしてなの悲しみがとまらない」あー懐かしい懐かしい。
本当にその節はお世話になりました。
皆さんね色々今の曲をお聴きになりながら色んなあの頃を思い出してらっしゃる方も多いと思いますけれども。
デビューした頃ってどんな思いで?あの頃って。
35年前。
そうですね…当時知り合いが家族の関係…お友達がいまして。
その中で…その息子さんでしょうかね。
音楽の業界の方でお仕事なさってる方がいらっしゃったんですけども。
そういう関係で「音楽をやらないか?」っていう話で。
当時まだ16歳だったんですね。
でデモテープをとりまして。
もうそのお話があって数か月後にはもうLAでレコーディングというふうに…。
ロサンゼルスで録音。
ええ。
もう本当にあれよあれよっていう間にスケジュールが決まっていきまして…。
生まれて初めての海外でしたのでとにかくすごくこう…。
ディレクターの男性と一緒に1対1で2人でね海外に行くなんてもちろんなかったので非常に緊張して…。
わかりますよね。
なんか色んな…今思い出しますと色んなことがねあったなというふうに思い出しますね。
でもそうすると一番最初には『オリビア』でしたか?そうですね。
あの時はデビュー曲と何曲かアルバムと一緒に。
当時LPですよね。
でアルバムを先行発売…。
あっそうなの。
それでシングル。
同時発売みたいな感じ…。
『オリビアを聴きながら』がシングルだったんでしょうかね?そうですね。
これはヒットしましたね。
なんか後にチャートには入らなかったんですけれども後に『オリビアを聴きながら』っていう曲が一人歩きして…。
そうそうそうそう。
題名もよかったのね。
いわゆるスタンダードになりましたね。
コンサートたくさんやってらっしゃるけどコンサートやってらした時にあらっ!っと思うようなハプニングとかってありました?ありますね。
切りがないぐらいもうたくさんあるんですけども。
ポイントポイントだけ言わせていただきますと地方でライブをやった時にバラードをちょうど歌っている時にせりの上に乗ってしまったんですね。
あなたが?うん。
本当はせりには乗ってはいけなかったんです演出的に。
バラードを歌ってワンコーラス歌った途中でせりが下がっていってしまったんです。
乗っかったまんま。
これ想像していただいたほうがさらにちょっとこう…楽しめると思うんですけど。
ちょうどせりが…。
立ってるの?あなた。
立ってるんです。
せりが下りて「ああ…下りちゃった」。
でもちゃんと冷静にクールに歌ってるんですけども。
後ろ見たらスタッフがもうスタンバってるんですね。
「なんでこのタイミング?」っていうのをすごく…びっくりした顔でスタッフたちがみんな見てるわけです。
「ごめん」ってやりながらまだ歌ってるんですね。
皆様にあなた見えないのね全然そうすると。
下がっちゃってんの?もう…。
ファンの方々は私はもうせりから下りてるので声だけが聞こえる…。
そう見えないのね。
それでもずーっとちゃんと歌い続けて…。
そしたらやっとまたせりが上がって。
それで…もうこれはいけないとせりから一回出てそれで歌わせていただきましてそのあとにせりに乗って…。
また下りてったの?衣装チェンジをしたっていうそういうハプニングもありましたね。
であとは…。
でも案外お客様気づかないのよね。
そういうものだと思ってたぶん。
気づかないようになんかこううまくできたのかなという…。
それから…ごめんなさいそれから?それからですねあとウイッグっていうのを…。
髪の毛にロングのポニーテールみたいなやつを着けるんですけど。
それがライブ中に『悲しみがとまらない』の時だったんですけど…。
あの歌で?あの歌でですね。
「ICan’tStop…悲しみがとまらない」ってちょうどサビのところでそのウイッグがぽとんと落ちちゃったんです。
落ちたの?はい。
で土台になってるおだんごだけがぽこんって見える状態になっててこれはどうしようかなと思いまして。
もうしゃれでいいから取って振り回そうってこうやって振り回しながら「悲しみがとまらない」。
でもよかったじゃない。
って歌っている…歌ったこと…そういうこともありましたね。
あれはね今でも場所も覚えてます。
中野サンプラザ。
あんな大きいとこで。
もうね20年以上前ですね。
あっそう。
はい。
それでそのあと『ベストテン』でずーっとご一緒だったんだけどおかしかったの。
私今でも忘れない。
あなた動物が好きって仰って。
そうですね。
でみんな担当の者が色んな動物…。
かごの中にねオウムとかそういうのが入ってるのとかでね。
サルが1匹下のほうにいたんですよ。
でね一番おかしかったのはあなたが歌いながら階段を下りていらした時にねサルがね…。
覚えてらっしゃるかもしれない。
座ってこうやって見ててあなたのことねこうやって脚を触ったのよ。
その触り方がガリッていうんじゃなくてねこういうふうに触ったのよ。
そしたらあなた笑っちゃって。
あれ生でしたからね。
もうどうにも修正できない時代でしたからねあの時代は。
お写真なんかLAでのロサンゼルスでのお宝お写真っていうのがあるそうなんですけどどういうんでしょう。
若い!これまだそうですね。
8月でしたので私の誕生日が8月の31日なのでまだこれレコーディング中でまだ16ですね。
黒い焼けてる。
黒いですね。
もうしょっちゅう太陽に浴びていたのでね。
これはうーん…何かランチを食べに行った時とかそんな時ですね。
ちょっと撮ったんでしょうね。
髪の毛も可愛いし。
「BURGER」とか書いてあるんでしょうかね?「HOTDOG」とか上のほうにね「TAKEOUT」とか色々いかにもアメリカらしい…。
30年前に出てくださった時の『徹子の部屋』ではおうちがとても厳しいっていうお話をしてらっしゃるので。
ちょっとご覧いただいていいですか?30年前です。
「門限とかねそういうことがすごい厳しい…」「そうですね。
門限っていうのがなくて」「門限どころか門限っていうのはもう全然関係なくて」「とにかく女は学校から帰ってきたら家にいなきゃいけないっていう感じで」「ぷらぷらしないで」「ええ。
だから友達同士でスケートに行ったり映画見に行ったりそういう思い出が全くないんですよね」「ほとんど家にいたんじゃないかって…」「あと家の周りで適当に友達と遊んでいた…」「馬乗りしたりとかねそういう思い出はありますけど」「あっそう。
友達の背中跳んだりするとかその程度であと学校が終わったらどんどんおうちへ帰ってきて女の子はお母さんの手伝いをするとか…」「そうですね。
でね家でテレビを見ると怒られましたね」「あっそう」「ええ」「だから父が仕事から帰ってきて私がテレビ見てたりすると何やってるんだっていう感じで」「じゃあテレビを見るならお父様のいらっしゃらない間っていう感じ?」「そうなんです。
だから父が帰ってくると…あの頃小学校2〜3年の頃なんですけどちょうど3階に部屋がありまして」「ですぐ下に父が帰ってくるのがわかるんですね」「車の音を聞いて上からこうのぞいてあっお父さんだって思ったらすぐにテレビを消してすぐに自分の部屋に入っていくっていう感じで」お元気なお嬢さんでしたね。
いやーもう恥ずかしい。
可愛いわね。
若かったしね。
アンスリウム飾ってくださって当時と同じ…。
私の大好きなお花なんです。
あっそうなの?よかった。
でもあなたはお父様がピアノをあなたが弾いてらっしゃるとご機嫌がいいのでお父様の機嫌よくするためにはピアノなんか弾いたりしてらしたんですって?そうなんです。
ピアノ始めたのが大体4歳5歳ぐらいの時からだったんですが父の…。
ごめんなさい。
父の親友のお嬢様が先生で毎週水曜日に教えに来てくださっていて。
最初は習い事が嫌でねしょうがなかったんですけどもだんだんだんだんこう…ちゃんと練習毎週するようになってちゃんと宿題をしっかりやるようになって…。
いい点数をくださるんですねシールを貼ってくださるんですよ。
シールが増えていくとなんかどんどん楽しくなっていきまして。
ちょっと真面目にやるようになって。
それでまあ…ピアノを始めていったんですけども。
本当に厳しい父だったのでもうとりあえずは父が…自由というよりも父がこれをやりなさいっていうことよりもなんかもう無言の厳しさってありますよね。
なんか存在感自体が。
そうそうそうそう。
怖い?怖かったっていう。
それでまあ…そうですねピアノを習いそのあとに父が帰ってくると…さっきも言ってたとおりなんですけども。
何かこう真剣に一生懸命勉強しているふりをするとかピアノ弾いてるふりをしてるとか父がそういう姿を見てるのが一番なんか安心する。
何も言わない…。
お父様っていう方は会社の経営をしてらしたんだけど困った人がいたりなんかするととてもすぐ助けようっていうような方だったんですって?そうですね。
とても面倒見がよくて。
父をずっと見て…背中というかもうずっと後ろ姿をずっと見て育ったので…。
例えば父の会社に学校の帰りに寄ったりしますよね。
そうするとまず秘書の方がいらっしゃって今まだ入らないでくださいって言って。
中からこう厳しい声がパンッと聞こえてきて。
まだ入ってはいけない…っていうような。
でも非常に厳しかったんですけども愛情もすごく人一倍ありまして面倒見もよかったですし。
本当に家族全員…例えば大変困っていらっしゃる方…従業員の方でも家族ごと面倒見てあげていたりっていう姿をずっと見てきたので。
そこは本当に学ばなければいけないなっていうのがありますけどね。
当時その頃のあなたの思い出の曲ってしょっちゅう聴いてらした曲ってあります?たくさんあります。
例えば昭和の歌謡曲も聴いていましたけども。
よく父が聴いていたのがドライブがとにかく好きだったんですね。
で海とか山が好きだったのでとにかくドライブ中は…。
当時8トラックのねカセットがありましたよね車の…。
それでポール・モーリア・オーケストラとかをよく流してまして。
なんか薔薇色の…。
あっ!これそうですね。
これは『薔薇色のメヌエット』っていいまして…。
懐かしいですね。
ええ。
「真珠の首飾り」の後かなにかにヒットした曲だったと思うんですけれど…前後かな。
奇麗な曲ね。
奇麗なんですねええ。
とてもなんかあの当時から…もちろん子供の頃の思い出だったりもあるんですけれどもすごくコピーをしていたんですねピアノで。
あれだけ習い事が嫌だったのに自分から音楽をどんどん積極的に曲を作ったり色々始めたんですけども。
まずはポール・モーリア・オーケストラですよね。
もうね当時大変。
兄が持ってたんですけどレコード盤色んな。
レコード…LPですね。
それをオーディオで聴きながらピアノを…何度も聴きながらピアノでコピーをして。
あっそうなの。
これもコピーしましたしほとんどのあの当時のポール・モーリアの曲は譜面を見ずにとにかく耳で音をとって…。
弾けたぐらい?弾くというのをやってました。
相当はまってましたね。
お父様はそういう…ちょっと寺内貫太郎みたいな感じのところもおありだったか…。
『おやじ太鼓』と『寺内貫太郎一家』ですね。
足して2で割ったようなそんな家…。
ちゃぶ台を…。
あっちゃぶ台こんなことして。
お母様はどういう方だったんですか?もうね天使のようなエンゼルでしたね。
すごく対照的な。
じゃあ優しい?とても優しくてそれこそ本当に従業員の方だったり色んな人をよく面倒を見ていた…。
本当に優しく…。
そうですってね。
私のスタッフに対しても本当にいつもうちの両親はいつもよくしてあげて。
あっそう。
色々学びましたね。
はい。
だからお母様を見てらしてあなた目標はお母さんのようなお嫁さんになるっていう感じだったんでしょ?小さい時って。
そうですね。
でもどこかで父みたいにもなりたいっていう。
ああいう厳しさじゃなくて何でしょうかね。
一徹な…。
強さっていうんでしょうか。
そういうものはまた…でも自然に引き継いでいるんじゃないかなって思いますね。
だから今もねそうやってらっしゃるんだと思いますけど。
あっそうなの。
でもお母様はそういう…。
でも残念ね。
お父様もお母様もいらっしゃらないんですって?そうですねはい。
もう父はね随分前に…はい。
母は母で父が亡くなったその年にちょっと病気になりまして母が。
それから3年ほど後ぐらいに亡くなってしまったんですが。
残念。
そうですね。
でも色々早くに…私末っ子なんですね。
あっだからね。
上に兄が3人いるんですけどもそうですねたぶん…兄たちはみんなすごくそれぞれ個性的ではあるんですが。
私もある意味違った意味での個性さっていうのはあると思うんですけども。
両親と一緒にいる時間というのが結局後で考えてみるとデビュー後にちょっと考えたらやっぱり短かったなって今最近思いますね。
ただ地方にツアーに行ったりとか何か地方で…とにかく旅が父は好きだったので。
あっそう。
ええ。
なので地方に行く時とかはよく両親を呼んで。
なるべく一緒に近くにいたかったので一緒に…少しでも長く。
よく行ってました。
それはいい親孝行でしたね。
そうですね。
できるかぎりの親孝行はしたいなという気持ちがありましたので。
でもいくら一生懸命親孝行してもなかなか自分の中では後悔みたいなものが残ったりはしますよね。
まだ満足はしない…してない部分は。
もっとこれもやってあげればよかったとか色々ありますけどもね色んな思いは。
どなたでもそうですってよ。
満足っていうことはないそうですよね親に対してね。
もっとあれもしてあげればよかったこれもしてあげればよかったって思うことばっかりでね。
でもそういうことじゃなくて元気で仕事ね…好きなことやってれば親は喜ぶんじゃないかなって私は思いますけどね子供がね。
この番組泣かせる番組ですね。
泣いちゃう?ちょっとこれ一回…。
お奇麗だから大丈夫です。
別にあなたを泣かせようと思ってやってるんじゃないんですけど。
でもやっぱりなんか涙出ちゃうような…。
お父様とかお母様のこと…。
また泣かせようと…。
私泣かせようと思ってない全然。
でもねすごく大事な貴重な…ライフでしたね父たち家族との生活というのは。
そりゃそうですよね。
人生の中でね。
やはりデビューが早かったので特にねいる時間が短かったので。
でもお父様は送り迎え全部やってくだすったりしたんでしょ。
最初の頃はですね送り迎えしてくれました。
バス停だかどこだかまで…どこかまで?神奈川に住んでいましたので東名バス…。
バス…すごいね。
よくご存じで。
そうそうそうそう。
そうです。
で送り迎えしてくれまして。
時間がはっきりしてるので帰ってらっしゃるのはこの時間っていう時は迎えに来てくださって。
なのであと…色々心配もしてくださったっていうこととさっき門限の話になりましたけども本当にもう遊びに行くことは許されなかったことだったので学校から帰ってきて。
なので門限…。
そのぐらいもうなんか箱入り娘まではいかないんですが…。
自分で言うのも変ですけれども。
全部お兄様だったの?上全員…姉がいたんですけども姉も早くにしてデビュー直後にねすぐ後に亡くなってるんですけども。
あっそうなの。
はい。
そうなんです。
じゃあお父様としてはほら女の子だから何があるかわかんないっていうことがあったんで余計あなたには厳しく…そんなふうに。
先ほどちょっとお話をさせていただいたんですが父は旅がとても大好きだったのでどこに行くにしても私を連れていってくれたんですね。
あっそうなの。
ええ。
なので父と一緒に旅をした思い出があったので今でも本当にいい思い出として私の中では心の中の宝になっているところがありまして。
あっそう。
じゃあそういう…そんなに長い時間ではなかったかもしらないけどお父様とのいい思い出がね。
そうですね。
そういう思い出があるかどうかで決まるじゃない?いいかね。
そうですね。
なのでやはりもう…やっと親の…今になってではないですけどもやはり…両親が亡くなってから本当に色々なことをあらためてありがたみだったりとか感謝の気持ちが本当にいっぱいありますね。
でもそういうものっていうのはやっぱり音楽を作ったり歌ったりなさる時にやっぱりとても自分の感情的に役に立つものだと思いますよね。
そうですね。
役に立つっていうと変だけど。
非常に…やっぱり両親が教えてくれたこと。
言葉で伝えてくださったことだったりとかそうじゃないことですね。
いわゆる…態度で。
日常生活の中で見せてくれたものというのがすごくたくさん…。
いい部分もそうじゃない部分もありますけれども非常に心の中にいっぱい刻まれてるものはありますね。
だから杏里さんという方は歌ってらっしゃる時も割とすらっとしてらっしゃりお背も高いんだけど割ときりっとしてらして…。
なんかさちょっと他を寄せつけないみたいなとこがあったりするじゃない?いやいや…とんでもないです。
でもそういうところもそういうところがちょっとね他の方と違うとこがあったかもしれませんよね若い時からね…。
そうですね。
でも今は結構人懐っこいですね。
あっそう。
大丈夫?呼ばれたらワンちゃんの…尻尾ピューン…。
尻尾振っていきます。
そうなの?そうなの?あなたは結婚…。
1度結婚しました。
今はしてらっしゃらないの?今はもうフリーで…募集中で。
フフフ…。
そうだそうでございますよ。
いい恋愛はねやっぱり…やっていくっていうの大事ですよね。
せっかくですから生まれてきたんですからねそりゃあね。
いい音楽を歌うためには。
フフフ…。
これが新しいやつなの?そうです。
これはアイビーレコードさんから発売される…されました。
6月の25日に発売されたんですが。
これは「思いきり、杏里。
」っていうのはこれはキャッチコピーなんですけれども。
「思いきり、杏里。
」タイトルはですね『Surf&Tears』っていいまして。
全て生でとりました。
あっそうなの。
「思いきり、杏里。
」「思いきり、杏里。
」いいですね。
思いきり…「り」と杏「里」と一緒になって「思いきり、杏里。
」って。
そうですね。
若いミュージシャンの方々を発掘していこうかなと思います。
それはいいですよね。
初めあなた若かったんですものね。
よかったです。
よくいらしてくださいました。
それでは上沼恵美子さんのおいしいお料理です。
どうぞ。
2014/07/02(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋[字]
〜両親の思い出に涙〜杏里さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
『徹子の部屋』へは30年ぶりの登場!杏里さんがゲスト。
◇番組内容
1回目の出演は『CAT’S EYE』大ヒット後の1984年、杏里サウンド全盛の時。当時は時代の最先端を突っ走っていた杏里さんだが、私生活は厳格で躾けの厳しい父親の元で守られた生活を送っていた。東京の郊外から仕事で都心へ向かう時は高速バスを利用。バス停までは父親が送迎してくれたという。厳しい中にも思いやりのある優しい父だったと語る。ほか、子どもの頃は嫌々通っていたというピアノの稽古の話題を。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
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日本語
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