徹子の部屋 2014.07.16

小鑓候補の街頭演説会に向かうマイクロバスの中で、有権者8人に投票や票のとりまとめなどを依頼した疑いが持たれています。
公職選挙法では、選挙管理委員会の委員が、選挙運動をすることを禁じています。
三宅容疑者は警察の調べに対し、「間違いありません」と容疑を認『徹子の部屋』でございます。
3日目の今日も追悼をお送り申し上げます。
どうぞ最後までごゆっくりご覧ください。
去年の12月から現在までの間に亡くなった方々の追悼です。
本当に皆様心を打ち明けて私に話をしてくださいました。
しかも生き生きと。
どうぞそのお姿を皆様に覚えていていただきたいと思います。
よろしくお願い申し上げます。
それでは本日お送りする方々をご紹介しましょう。
俳優で演出家の高橋昌也さん。
お料理研究家の小林カツ代さん。
俳優の林隆三さん。
作家の渡辺淳一さん。
詩人のまど・みちおさんです。
まず高橋昌也さんからです。
高橋昌也さんは60年来の私のお友達でした。
1953年に劇団俳優座をお出になって俳優として大活躍をなさいましたけれども銀座のルテアトル銀座の芸術監督におなりになりました。
その時から私の出る芝居の演出をいつもやってくださいました。
そして1996年の『幸せの背くらべ』というのが大ヒットをいたしまして私はそれでたくさん賞を頂いたりもいたしました。
もう本当にこの3月に『想い出のカルテット』をご一緒する予定でしたけども亡くなる本当に数日前にもお電話でお話もしましたし「楽しい稽古にしましょうね」というファクスも頂いていたんですけど本当に突然のお亡くなり方で本当にびっくりいたしました。
まあでも芝居を続けるしかなくて高橋さんがいらっしゃらないで初日を開けたのはとてもつらかったです。
それでは大変若い時の高橋昌也さんですけどもご覧ください。
あなたと小沢さんとは長いんですってね?昭一さんと。
長いですね。
彼がね麻布中学にねいる頃ねほらフランキー堺さんとか昭ちゃんとか加藤武さんとか仲谷とかみんな同級生でしょ?あれ。
ええ。
あの方たちそうよ。
それで中学生のくせして麻の葉座とかってねなんか変な…今のね昭ちゃんみたいな何とか座なんて作ってさそれで芝居やって。
僕も同じぐらいの同級…学校は違うけれども。
どこでしたっけ?学校。
僕はねその頃の都立四中って今の戸山高校。
それででも芝居好きだから見に行くわけよ。
なんか新劇っぽいのやってんのかなって思うとね『利根の渡』とかねそういうのやってるわけよ。
あの頃から小沢さんそういうのお好きだったのね。
そうですね。
だからその前にねちょうど…旧制中学ですね。
終戦直後でしょ?終戦直後に都下のねいわゆる中学生が…演劇部がたくさん集まって連盟みたいなのを作ろうって…。
誰が言いだしたんだか知らないんだけどね。
大変な動きねでもそれ。
そうそう。
僕んとこね演劇部っていうの許さなかったんですよ。
戸山高校?うん。
なぜか個人で参加してね。
あなたが?うん。
それでやってなんかいつの間にか演出するようなことになっちゃって。
あなたは元々演出がご志望だったの?そうですね。
最初はね。
あなたは演出でそこの…。
そうそうそうそう。
それで色んな学校から生徒たちが来るわけでしょ。
オーディションするわけですよ。
僕は演出家だから一番偉いわけよね。
その中に九段中学なんていうとこからね名古屋章なんていうのがねほら『一丁目一番地』。
『一丁目一番地』で私のお兄さん。
そうするとあなたと名古屋さんはもうあの時点で…。
僕がそのオーディションで取らなかったらあれは今役者としては全く体をなしてなかったんじゃないかと。
俳優座の養成所を小沢さんや早野さんたちとおやりになってそれから劇団なんかをお作りになったでしょ?それで俳優座の…今でもありますけどね。
新人会っていうのをその3人が中心になって作って…。
それから四季に行きまして。
浅利君がなんか「ぜひ一緒にやりたい」って言うんで四季行きまして。
あの頃の本当にあなたはいわゆるこう…美少年から青年になった時でタフタフしたようなブラウスなんか着てねフェンシングみたいなのおやりになると「あらいいわ」と思って見てたのよ私。
何言ってるんですか。
まあそれで…。
そういうこと言われると恥ずかしい?でも。
恥ずかしい恥ずかしいよ。
もう恥多き…。
いいじゃないの。
それから?それからね文学座に行きまして…。
それで…私今思い出したけどもフランスの演劇の先生の講習をあなたが受けてらした時に私がどうしてもいつも受けられないので昌也さんが受けた後を午後会って喫茶店で会っては「今日何の勉強したの?」ってノートに私が写させていただいた時代がありましたよね。
そのあとあなたアメリカに行ったんでしょ?そうですそうです。
あの時のそういう勉強っていうのはよかったですか?やっぱりね僕は長いことやって色んな先生と思われる方いらっしゃるけども僕は…ジャック・ルコックさんっていうんだけどもその人で初めて芝居の芽が開かれたって感じがしますね。
でもあれね。
昌也さんも随分ハンサムな方でいらっしゃるんだけど全然そういう外形にこだわんないのね。
「今日顔洗ってきた?」ったら「顔ぐらいは洗ってきたけど」…。
顔ぐらいは洗ったと思いますけどね。
でもそんな程度。
そう…洗わない日もありますよ。
仕事がない日はね。
あんまり自分の顔のこととかそういうことはあんまり気にしないほう?そうね。
ヒゲもそらないしね。
えー。
だって今もそうだけど…。
今日はそってきた。
いやそうじゃないのよ。
随分ハンサムだなんて言われなかった?全然言われないそんなの。
本当?女の子なんかにモテたの?でも。
演出なんかやったりなんかして。
いや〜そうねえ…。
モテたっていう覚えもあんまりないしね。
あっそりゃそうでしょう。
あなただって俳優座の養成所の頃かなんかでしょ?すごい悪いことばっかりしてたんですって?それこそ小沢さんやなんかと組んで。
そういうほうがね…いたずらしたりねなんかしてるほうが楽しかったわけ。
女の子と遊んでるより。
2年8か月前に大変な食道のがんの手術をなさいましたけど大変お元気で今年の3月4月は演出までなさるというぐらいお元気におなりになったんですが…。
さてその2年8か月前に食道がんを手術なすった。
随分その時には覚悟なさいました?やっぱりその手術する時。
そうですね。
それはもちろん覚悟っていうかもうこれは助からない病気だと思ってましたからわめいてもしょうがありませんし。
だから…やっぱりなんか変に腹くくっちゃう部分ありますね。
それでやっぱり明日手術っていう晩にああもうこれでこの世とお別れかなという感じがねするんですね。
それにしてもまあ2年半経ってつい先頃も…。
私がとても面白いと思いましたのはもちろん短い時間に主婦が子供がお忙しいお勤めの方がお料理できるようにという本もたくさん書いてらっしゃる中でおナスが大好きキャベツが大好きというおナスだけのお料理の本キャベツだけのお料理の本そういうものも出してらっしゃる。
そういうのも見ててもとても面白いんですけどご結婚なすった時は全然もう全く!お料理がおできにならなかったそうでございますが。
そんな強調なさらないで。
やればできるということでございます。
さっきご紹介したようにお嫁にいらっしゃった時は全然…。
「こいさん」と呼ばれる大阪の船場のほうでお育ちになったんで何にもおできにならなかったそうですけど結婚なさって「それでもいい」ってご主人が仰ったそうですけど結婚なさってすぐの時すごかったんですって?ご飯ができてなくて。
もうこの話は何度もしてて恥ずかしいんですけど。
でも皆さん聞きたがっちゃうんですけどね。
本当にできなかったんです食べるばっかりで。
結婚して何でも電気釜がやってくれると思ってたんですね。
電気釜も水とお米と入れてほったらかしておいたんですけどあれとがないんですね電気釜はね。
といでくれない。
とがないんですね。
それは炊けたんです後でといで。
その時スイッチお入れにならないで随分待っちゃったんですって?ええ。
待っちゃったんです。
何でもすると思ってたんです。
なるほど。
もう鍋の中に入れさえすればご飯ができると。
味噌汁はダシをとるっていうことははっきり知っていたんです私昔。
だって親はかつお節いっぱい入れてたから。
でも自分が作る時になると「うん味噌と水だわね」なんて言ってお水と味噌とワカメちょきんちょきんハサミで切りましてね。
パリパリのやつ。
パリパリのワカメを?ええ。
キッチンバサミで。
上手に切れるんですね。
でバーンと入れてボワーッと噴きこぼれちゃって。
まずくて食べれないんですよ徹子さん。
カルチャーショック。
私生まれてこの方あんなまずい味噌汁を食べたことがない。
つまりおダシをとってそれからお味噌を入れればおいしいのに一緒に全部入れちゃうと全然駄目だっていうことなんですか?いえワカメも洗ってませんから。
ハハハ…!ジャリジャリしてるの?あっそりゃすごいですね。
ひと口飲んであまりのまずさに…。
夫はおいしそうに口のとこ持ってったんですよ。
よくほらミステリーでなんかほら毒を入れてそれが後悔して「やめなさい!」って言うのあるじゃないですか。
あれと同じように夫が口元へ持っていった時「その味噌汁飲むのやめなさい!」って言ったんですよ。
そしたらびっくりしちゃって。
まさか毒盛られたとは思わないけれども。
何事か?で私が飲んで。
そのまずさが私を料理研究家にしちゃったんでしょうね。
こんなまずいもの一生食べるのは大変だと思って。
親に電話で聞いてそれでおいしくできたんですね。
そうか料理は科学なんだと。
こうしてこうしてこうすりゃこうなんだ。
次に作ったら徹子さんおいしくておいしくて。
もう私は天才かと思いましたね。
それ以来ずっと続いてるわけですねそれが。
そうなんです。
お母様とてもお料理のお上手な方でやはり舌が覚えてるっていうことが重要なんですってね。
そうです。
なるほど。
それでお料理研究家におなりになった…。
なんか人前で何かをやるのがもう耐え難く恥ずかしいんですって?恥ずかしいんですね。
それがもうわかりませんね。
ですから一時…少しずつ大人になってきましたけれどこういったドラマじゃない番組に出ることが耐えられないっていうかもう身の置きどころに困るといいますかね。
だから生番組みたいなものがありますでしょ?ああいったものは全然駄目だったんですね。
ご自分がそのまま出ちゃうっていう感じのものが。
やっぱり台本があってそれをなんか自分でああでもないこうでもないとかなんとかね変に悩んだりしてそういうプロセスがあったほうがいいような。
基本的にやっぱり自分の…何ていうんですかそういうコンプレックスっていいますかね弱い部分をかっ払う…取っ払う時にね。
かっ払っちゃいけない。
取っ払う時になんかエネルギーが出てチカッと光るっていいますかね。
それがなんか演技の本質なんじゃないかなと思って。
全く恥ずかしくない場合にはねつまりあんまり役とね自分と…仕事と自分がギャップがないほうがいわゆる地って言われますかね。
そういったもののほうが光らないんじゃないかって僕は思うんですよね。
なんかでもあなたは駄目男…駄目な男をおやりになる時がとてもご自分自身はねやりいい。
それが地なんですけどね。
それ地なの?矛盾してんじゃないの?随分。
黒柳さんなんかもきっと本当はね…何ていうのかな?静かな方でね。
静かな方って…普段うるさい…。
そうじゃなくて何ていうんだろう?本質はそうなんじゃないかな。
心理分析だとあなたはサイみたいな性格って。
サイっていうのはどういう性格なんですか?サイみたいって。
ちょっとゲームがありましてね。
好きな動物を3つ挙げてくれっていうことで。
たまたまサイって挙げたら「それはあなたの本質だ」って言われましてね。
「そのサイが好きな理由は何か?」って聞かれましたんでね「ゆったりしてるところそれからのんびりしてるところっていうところが好きだな」って言ったら「それはあなたの本質です」って言われたんです。
ああそういうもんかなと思って。
「動物を3頭挙げてくれ」って言われましてね一番最初「一番好きなの何だ?」って言ったんですよ。
「ライオンだ」って言ったんですよ僕は。
「ライオンどうして好きなの?」って言うから「どう猛でね激しくてねたけだけしくて男性的ですごい。
だから好きだ」。
「それはあなたの理想です」って。
それがあなたの性格じゃないの?どうしてわかるのかな。
「2つ目は何?」って聞かれましてねそれでフラミンゴって言ったんですよなぜか。
うん奇麗。
うんうんフラミンゴ。
愛嬌があるしねちょっととぼけてるし可愛いし奇麗だし。
それは他人から見た自分なんだって。
本当なの?うん。
愛嬌があって…。
面白い。
それが人から見た僕なんですって。
それで3番目に「もう一つは?」って言った時にサイ。
「それはどうして?」って言うからゆったりしててのんびりしてるって。
「それがあなたの本質です」って言われたの。
そのサイは…そのテストは今ここでじゃあ私が何型人間かっていうのが…好きって。
でもこれ今ばらしちゃったから駄目ですよもう。
そういうふうになってんの?だってその項目の一番最後のやつは伏せといて書くんですから紙に。
じゃあ一番好きなのがパンダとかって言うとするじゃありませんか。
そうすると「それはあなたの理想です」ってこうなるわけです。
シマウマとか言ったら?「どうしてシマウマが好きなんですか?」って聞くと?黒と白ではっきりしてるから。
ああ白黒はっきり。
それが他人から見た自分なんです。
ああそうか。
もう一つは何が好きですか?ちっちゃいこういうハリネズミかなんか。
それがあなたの本質ですって…。
そういうふうになるわけ?こう言われちゃったわけ…。
俳優座養成所っていうのがありましてね。
そこで15期っていうんですけど…。
花の15期?うんまあ…。
そんなこと言われた時期もありましたけど。
原田芳雄からね夏八木君…夏八木勲。
地井武男君ね前田吟。
高橋長英村井國夫。
浜畑賢吉秋野太作ね。
みんな活躍してるね。
そういうね…。
女の子は小巻さんとかね。
栗原小巻さん。
三田和代さんとかそれから赤座君とかねそれから…。
赤座美代子さん。
ええ。
亡くなった太地喜和子。
ええ…。
花の15期とよく言われてるけど。
なんかねまあすごいはちゃめちゃなクラスでしたけど。
今名前仰った方全部ものすごく個性的ですもんね。
そうですね。
みんなねおかしい…仲いいですよ。
何年かに1回飲み会やってののしり合うというね。
もうだから同期生はね僕ら健康的にののしり合うね癖がついてるんで。
決して陰湿なあれじゃなくて。
うん。
もちろんそうでしょうね。
お書きになる時にはほぼご自分の…その体験を書いてらっしゃるっていうことじゃないんですけどご自分でも色んな経験をなさっていらっしゃるというふうに…。
男と女の小説はねやっぱり体験っていうかな実感的なものがないとリアリティーなくなってね。
リアリティーがないと。
ええ。
書き込めないから。
それは絶対必要なんですけども。
ただ小説のとおりに全部してるっていう意味じゃないんでね。
ベースとしてのね感覚は実感してないと。
たくさんそういう恋愛小説書いてらっしゃるんですけども。
本当にそれぞれが全てがそのとおりとは言わないまでも体を懸けて書いてらっしゃるところがおありなんですって?ええ。
もちろん恋愛小説はもう何ていうかな?一種の格闘技っていうかね体をさらして書く小説ですから。
そしてやっぱりベースの実感がないと書けない。
ソースを書けないというかな?むしろ時代小説とかね歴史小説のほうは結構書けるっていうかね。
共感抱ける人物さえ探してくれば…。
共感をね抱くことのできる人物さえいればあとそれをこう…モディファイするっていうかな?切り捨てたりねつけ足したりするだけの作業で。
恋愛小説は初めから自分が作っていくっていうかな全部ね。
やりがいはあるんだけど疲れるっていうか。
一番新しい本なんですけどこれは小説ではないんですけどもどうしてこの鈍感力っていうか鈍感についてお書きになろうと思ったんですか?いやそれはあの…医師の時代からねそういう…。
お医者様の時。
すぐ起きたり眠れたりそれから絶えず叱られるんですよねその頃は。
でもすぐ元気にならない奴ってもう駄目なんですよ。
いい家の坊やなんかで叱られず…慣れしてない人ってすぐ頭が引っ込んでね駄目になったりしていったんで。
絶対こういうのはいい意味で鈍さがないと駄目だなとつくづく思ったんですよね。
小説書き始めて特に感じましたね。
僕の友達で非常にね優秀な…こいつはもう真っ先に文壇にデビューすると思ったのが消えましてね。
それはねちょっと持ち込み原稿なんかで返されるともう落ち込むんですよね。
誰でも落ち込むとは思いますけどね。
落ち込み方がすごい?でもね原稿返されてもあの編集者馬鹿で俺の本当の才能を読めないんだとかってね勝手に思い込むわけですよ。
渡辺さんの場合はね。
そうしないとやっていけませんからね。
なるほどね。
やりだすとね一途にもう周り見えないでまっすぐ行けると。
これも鈍感力ですね。
そうですね。
周りのこと考えたらなかなかねできないです。
それが鈍感。
嫌なことあってもすぐ忘れるとかまた立ち直るっていう復元力とかね。
僕はねたぶん鈍感力はどう身につけるかってねこれ聞かれるんですけどね。
一番いいのはねまずおおらかなお母様に育てられるってことだと思うんですよね。
あれですよね?黒柳さんの…チョッちゃんっていうのかな?母ですね。
お母さんのことを読むとすごい…。
すごいです。
おおらかな感じでね。
もう輪がかかってますね私に。
ひりひりと神経質なお母さんに育てられた子はやっぱり鈍感力備えられないっていうかね。
ひりひりして…。
お母さんがおおらかにねあんたはこれでいいんだよっていう保証を与えるというかな…。
私は校長先生にもね「君は本当はいい子なんだよ」ってずっと言われたんですね。
でも「本当は」ってついてたんですけど気がつかないでいい子なんだって思ってたんです。
君は本当は…本当はいい子なんだよってずっとそれ信じて生きてきましたんですけどなんかそういうとこが…。
そういうね確かなものでまずしっかり自信を持たせてもらうってことがねあれですよね…。
それが鈍感力を養う。
養う一番の原点ですね。
「ぞうさんぞうさん」「おはながながいのね」「そうよかあさんもながいのよ」團さんの曲が素晴らしかったっていうことと…。
團伊玖磨さんの。
はい。
それと佐藤義美さんっていう人がね…。
一番初めの原作はね「ぞうさんぞうさんおはながながいね」だったんです。
「おはながながいね」。
それを佐藤義美さんっていう私の先輩がね『犬のおまわりさん』作曲した人ですけど。
NHKに持っていってねくださった時に「の」を入れて「ながいのね」にしてNHKに持っていったんです。
そうなんですか。
それがためにねあんな素晴らしい曲になったと思うの。
「ながいね」と「ながいのね」ではリズムが全然違いますよね。
あっそうですか。
「ながいのね」っていうのが可愛いですものね。
「しろやぎさんからおてがみついた」「くろやぎさんたらよまずにたべた」「一年生になったら一年生になったら」「ともだち100人できるかな」今日ご紹介できなかった方々写真でご紹介させていただきます。
評論家の森本哲郎さん。
朝日新聞に入社し学芸部記者から編集委員を歴任。
退社後は世界各地を旅しながら文明や歴史を考察した評論家として活躍なさいました。
つまみかんざし職人の石田健次さん。
薄い小さな絹のきれをピンセットでつまんで作られるつまみかんざし。
江戸時代から愛用されるこの伝統工芸品を親子3代にわたって作り続けました方です。
2人組の歌手グループ東京プリンの牧野隆志さん。
大阪を中心にラジオDJやテレビリポーターとして活躍。
1997年に東京プリンを結成。
作曲を担当なさり他のアーティストにも楽曲を提供なさっていらっしゃいました。
俳優の安井昌二さん。
新派の俳優としてご活躍なさり1956年の映画『ビルマの竪琴』では主役を演じ注目を集めました。
またテレビドラマの『チャコちゃん』シリーズでお茶の間でも親しまれました。
帽子デザイナーの平田暁夫先生。
日本を代表する帽子デザイナー。
パリ・コレクションで活躍するデザイナーに作品を提供なさったり皇后美智子さまのお帽子もお手がけになりました。
彫刻家の多田美波さん。
皇居宮殿のシャンデリアや帝国ホテルの内部装飾など建築を華やかに飾る仕事で活躍なさり数多くの賞を受賞なさいました。
元歌手の神戸一郎さん。
1957年に『十代の恋よさようなら』で歌手デビュー。
俳優としてもご活躍の後芸能界から退いて実業家に転身なさいました。
俳優の斎藤晴彦さん。
ミュージカル『レ・ミゼラブル』などの舞台やCMドラマなどで活躍なさり私も出演した森光子さんの舞台『放浪記』では菊田一夫さんの役を長く演じていらっしゃいました。
私とは俳句のお友達でした。
どうもありがとうございました。
3日間にわたって追悼をお送り申し上げてまいりました。
どの方ともお別れはつらく本当に素晴らしい方々だと…。
お元気だったことを覚えていてくださればその方のお仕事を覚えていてくだされば才能をお忘れなく覚えていてくださればと思います。
本当にありがとうございました。
続いては上沼恵美子さんの『おしゃべりクッキング』です。
おしゃべりクッキングですよろしくお願いします2014/07/16(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋[字]

〜追悼特集