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【著者に訊け】十市社 青春ミステリー『ゴースト≠ノイズ』

NEWS ポストセブン 5月23日(金)7時6分配信

【著者に訊け】十市社氏/『ゴースト≠ノイズ(リダクション)』/東京創元社/1700円+税

 小説、ことにミステリーでは、いざという時に身体性を欠く〈幽霊〉の活躍が時に悲哀や滑稽味すら醸し出し、傑作も多い。

 が、〈その日まで、ぼくは教室の“幽霊”だった〉とカッコつきで言われると、背筋よりは胃に冷たいものが落ちる。荒廃した教室、いじめ、シカト……要するに彼は生きながらに存在を否定された幽霊なのだろうと、誰もが事情を呑み込めてしまう時代に、十市社著『ゴースト≠ノイズ(リダクション)』は刊行された。

 ある女子から声をかけられ、家族以外と5か月ぶりに会話をしたその日、〈一居士架(いちこじかける)〉の世界は一変した。彼女〈玖波高町(くぼたかまち)〉と図書室や屋上で2人の時間を過ごすことで、彼は1年A組のいないはずの人目という立場を少し抜け出したのだ。

 と書くとよくある学園物に思えるが、そもそも架はなぜ“幽霊”だったのか? 高町の目的とは? 何もかもが、謎だらけだ。

 元々は氏が個人出版した電子書籍を、東京創元社が書籍化。全く新しいタイプの青春ミステリーとして、これが処女作となる著者の筆力共々話題を呼んでいる。

「この筆名はちょうどペンネームを考えていた頃に手塚治虫さんの『火の鳥』を読んでいて、確か十市皇女(とおちのひめみこ)のキャラクターが気に入って付けたんだと思う。下の名前も性別や特定のイメージを想起されないような名前を考えました。作中の人物についても、特に主人公たちは境遇が境遇なので、実在の人物と被らない名前にしたかったんです。

 僕は自分でも地名や人名に馴染みのない海外の作品の方が物語に没頭でき、特に好きなのがイギリスの作家ロバート・ゴダード。この面白さが日本語でわかるなら自分にも書けるんじゃないかと思ったのが、小説を書き始めたきっかけです」

 タイトルは「音響機器の雑音除去装置から」発想し、「≠や( )は無視して片仮名だけ読んで下さい」と飄々と言う。では幽霊は?

「以前、ある一家が犠牲になった火事のことを、娘さんの学校で報告する場面を地元紙で読んだことがあるんです。その時、小説としてそのシーンを描くとすれば、被害者とは別の人物に視点を置く必要があると考えたのと同時に、ある物体を数回ひねったような図形が頭に浮かびました。それで、見方によって真相が二転三転していく話を、実際の火事とは関係なく書いてみようと思いました」

 端緒は些細なことだった。架の高校では昼時になると〈ほうじ茶入りのやかん〉が支給され、それを当番が運ぶ決まりだが、架は教室で弁当を広げる女子の前で躓き、中身をぶちまけてしまったのだ。以来彼の席は窓際の最後方に追いやられ、巻髪が自慢の〈乃田ノエル〉や彼女にご執心の〈丸岡〉は事あれば架の亡霊浮遊説を吹聴した。そうした一々が彼の中ではノイズとなり、かといって何の行動も起こさないのが架でもあった。

 ところが高町は〈席なんてどこでもよかったし〉と言って架の前の席に座り、その日の放課後、こう呟いたのだ。〈まだお礼を言ってもらってない気がする〉

 彼女が自分に話していると知った瞬間、架は感動がこみ上げた。意外に辛口な高町と〈本物の大人なんてものがほんとにいると思う?〉と深い話をし、文化祭の準備を手伝ってほしいと言う彼女と図書館にいるだけで、楽しかった。

 そんな中、校内では〈連続動物虐待死事件〉が発生。猫や鼠の骨を砕き、前脚や尻尾を〈蝶々結び〉にした犯人像に話が及ぶとなぜか高町の顔は曇った。その時〈「彼女」は何を見ていたのか。「ぼく」には何が見えていなかったのか〉が、本書においては最大の謎なのだ。

 特にミステリーを書いたつもりはないと氏は言うが、読者の先入観を逆手に取り、自在に転がす手腕はタダ者ではない。例えば丸岡らが始めた〈火事に巻き込まれたという新しい設定〉だ。

 何かと理屈っぽい架の父親はよく庭でゴミを燃やし、顰蹙を買っていた。ある朝彼の席には恭しく花が飾られ、いつもの嫌がらせだと架はうんざりする。が、そのうち〈自覚が足りない〉と高町までが言い出し、彼は自分が見ていなかったある現実を突き付けられる。

「世間で常識扱いされていることがあれば、その思いこみを利用するかたちで使ってみたりしましたが、どうやらそうやって読者を誘導するのがミステリーの手法らしいと、僕も編集者に言われて初めて知りました。

 世の中の不条理や〈あまりにも残酷で気まぐれな不平等〉に若くして直面させられた人間がそこから抜け出そうとする話にしたのも、それが自分の一番気になることだからそうなったとしか言い様がない。実際は抜け出せないことも多く、ニュースを見る度に悲しくなるけれど、それでも彼らは生きてるんだぞということを描きたかったんだと思います」

 実は家庭に事情を抱えた高町を救おうにも架はあまりに幼すぎ、手を差し出すこともできない。そのもどかしさや無力感を、十市氏は“幽霊”と呼ばれる少年の視点から丁寧に描き、大人と子供、虚と実といった境界線も全てが揺らいでいる。が、それほど不確かな足場の上に人は生きているのかもしれず、その中で架が高町を初めて〈友達〉だと思う気持ちだけが、絶対的で確かだった。

 高町は言う、〈短いバトンは落とせない〉と。そして〈自分の状況で精一杯なときでも、案外まだ、ほかの誰かに同情できちゃったりするんだよね〉とも。詳しい意味は本編をお読みいただくとして、どんなに非力でも〈自分にできること〉を精一杯やろうとする友の言葉に背中を押されて架が踏み出す一歩に、我々大人が思うことは多い。

 例えば〈自分が何者か〉という問題を大人が解決できているかというとそうでもないし、体は成長しても、中身はその局面局面で多少変わる程度。しかし、そのことが逆に救いになる場合だってあるのだ。

「僕が書きたいものは、基本的には犯人捜しにも謎解きにもこだわらず『読んでよかったと思ってもらえる小説』なんです」

 リダクションとは一般に除去や修正を意味するが、本書に関する限り最も相応しい訳語は「再生」だろう。それも自らの手による再生を彼らはめざし、その隣に必要なのが友であり、信頼だった。

【著者プロフィール】十市社(とおちの・やしろ):1978年愛知県生まれ。中京大学卒。「就職活動はせず、地元でフリーターをしながら小説を書いています。作家になるためと言うより、自分が社会人になることにリアリティを持てなかったと言う方が、正確かもしれない(笑い)」。昨年Kindleダイレクト・パブリッシング(KDP)を通じて本作を個人出版。その才能に着目した東京創元社が「ミステリ・フロンティア」創刊10周年記念作品として本書を刊行、話題を呼ぶ。172cm、52kg、A型。

(構成/橋本紀子)

※週刊ポスト2014年5月30日号

最終更新:7月1日(火)1時53分

NEWS ポストセブン

 

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