別の1台からは下着やタオルなどが入ったバッグ、およそ1万3000円相当が盗まれたということです。
現場から黒っぽい車で逃走する男が目撃されていて、警察が周辺の防犯カメラの映像を調べるなどして男の行方を追っています
(黒柳)『徹子の部屋』でございます。
今日のお客様は何といってもデビュー40周年でいらっしゃいます。
俳優でいらっしゃるけども歌も大変なヒットで私が『ベストテン』の司会をしております時よくご一緒になりましたもんでございます。
非常に青春ものもお歌いになった中村雅俊さん。
今でもコンサートやってらして既に1400本ぐらいのコンサートをおやりになったと伺っております。
ファンは3世代にわたるそうでございます。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
中村雅俊さんです。
『心の色』大ヒットでございましたね。
『ベストテン』でお会いして随分色んな演出があってね。
そうですね。
大変でしたね色々。
色んなことを…。
必ずなんか歌う前にお話しするじゃないですか久米さんと3人して。
その時何かをやらなきゃいけないんですよね。
そうねちょっとね。
それで一度…覚えてるのはけん玉をやったことがあって。
あっそう?けん玉が得意らしいからやってくれっていうんで…。
生放送じゃないですか。
逆に歌うよりもそっちのほうがすごいプレッシャーかかって。
でもうまくいったじゃない。
うまくいきましたその時ね。
あと覚えてるのは『恋人も濡れる街角』。
その時に…ちょうど山形にいたんですよ『おしん』の撮影で。
それですごい山の上にいて電波が届かないっていうんで。
それに…放送に合わせて下山して下まで行ってそれで歌って「はいもう登って帰ってください」って言われて。
もうそういう時もありましたね。
それでそのあと「ハイポーズ」で写真撮るからって言って…それでまた下まで…。
あっ!そうなんですよ。
そこにいなきゃいけない最後にね。
「ハイポーズ」の時もいていただかないといけないのでね。
全員で入って撮る写真でしたからね。
まあ…中村雅俊さんは色々なヒット曲がおありなのでですねVTRで懐かしい曲をちょっとまとめてあなたのコンサートの模様をちょっと皆様に…。
『恋人も濡れる街角』も入ってます。
「何気ない心のふれあいが」「幸せを連れてくる」「ひとはみな一人では」「生きてゆけないものだから」「もうこのままでいいから」「指先で俺をいかせてくれ」「愛だけが俺を迷わせる」なんか自分の見てると緊張しますね。
「恋人も濡れる街角」「燃えるサンセット唄ってごらんよ」「遠くあどけない日々を」自分で作った歌?いや違います。
『聖母たちのララバイ』あれを作った人が作った…。
あなた自分で作ったみたいに歌ってる。
そうですかフフッ。
フフフ…。
「今日を生きて西へゆけそしてララバイ」「淋しさを知れば愛しあえる」いや…パチパチパチ。
いやーもう見てるほうが硬くなりますね体が。
でもあなたは大体俳優で文学座という杉村春子さんがいらっしゃるところの劇団の方だったんで歌を歌うなんて思ってもいなかったんですって?いやいやもう全然デビューの時は学校の先生役でデビューさせてもらったんですけどだから歌を歌うなんて全然予定なくて。
ただ先生役をやった人はレコードを出すっていうのが決まってたんですよ。
すごいわね。
だから俺5代目の先生だったんでじゃあ雅俊お前今度歌えっていうんでそれで歌ったのが最初の『ふれあい』です。
期待されてなかったんですよ。
あっそうなの?ですからほらこれ。
レコードジャケットは撮影風景なんですよほら。
本当だ本当だ人がいっぱいいてね。
普通はジャケ写っつってジャケットの撮影があるじゃないですか。
それなしです。
じゃあ本当の…何ていうんですかねちょっと撮った写真っていう感じ?スチール写真をただ撮っただけで。
そしたらそんなにヒットするって思ってなかったからみんなが。
すごかったですよね。
結構びっくり…俺もびっくりしましたけどそれ以上に周りの人がたぶん。
そうでしょ。
それでその頃『ベストテン』もできたもんですから毎週『ベストテン』にいらしてましたもんね。
あなたね次々。
『ふれあい』の時はまだね『ベストテン』なかったんですよ。
あっそうでしたっけ?でも『ふれあい』もちょっと終わりのほうで歌わなかった?いやそれはなかったですけど。
でも恋人のね濡れる街角すごかったし。
よく歌いましたね。
何回もお出になったしそれから心の…何でしたっけ?色です。
色がすごかったしね。
お世話になりました本当に。
それでその時「杉村春子さん」と私が言ったらとてもうれしかったんですって?他にそんなこと言う人いないから。
そうですね。
もうとにかく杉村先生は怖くてですねデビューした時は文学座の一番偉い人が杉村先生で俺が一番下っ端だったんで。
あっその時うん。
杉村先生は俺が文学座ってことを知らなかったんですよ。
あっそうなの。
ある日知った時の驚きはすごかったです。
「まあ!あなた!」とかって。
すごい驚きだったんですけど。
あっそうなの。
でも面白い時代でしたよね。
ですね。
でもすごいじゃん。
年間1400回?今まで。
40年間ですね。
40年でコンサートツアーは1400は超えてますね。
すごいですよ。
だから年間随分やってらっしゃるってことですよね。
そうですね。
本当にラッキーで…。
まさかデビューする時は歌を歌う自分は想像してなかったんですけど。
そうですよね本当。
ええ。
それで周り全部アイドルでしょ?そっかそっか。
あなたもよ。
そうですね。
前…トシちゃんとかマッチとか聖子ちゃんとか。
あとちょっと見渡してちょっと年いってるなと思うのはサザンオールスターズでしたね。
そうこうしてるうちにあなたがくにのお話をなさり東北だったってね。
はい。
それからなんか色んな話なさっておばあ様が民謡をお歌いになるって話でね。
うちのおふくろが。
あっお母様か…。
お母様お元気でいらっしゃるってね?92歳なんですけどまだ元気に民謡を歌ったり詩吟をやったりしてます。
お母様92で詩吟民謡。
ええ。
教えてんですよ民謡も。
教えてらっしゃるの?あなたそうするとお母様の民謡ずーっと聴いてると民謡ってどういうのかもわかるでしょ?そうですね。
あの…やっぱりうちの田舎東北じゃないですか。
宮城なんですけれど。
やっぱりそこに根づいた歴史とかそういうものが全部こう…加味されてできたのが民謡じゃないですか。
その生活とか…。
すごいあの…いつの間にか歌えるんですよ俺。
ちょっと…ひと口。
えっ?ちょっと…民謡ってちょっとどんなのか歌って。
歌うんですか?うん歌って。
歌います。
「さんさ時雨か」こんな感じの。
すごいですね。
いやいや。
これ宮城の民謡なんですけど。
でも本当にそれ覚えるのは楽譜やなんかでは覚えられないです。
今聴いただけでもね。
実は今ちょっと間違ったんですけど最後のほう。
でもこんなふうな上がり下がりがね。
覚えるしかないっていうような。
昔でいう古今伝授みたいな感じですよね。
そうですよね。
でもやっぱりそれを聴くと色んなことを思い出すっていうね…。
そうですね。
古里をね。
じゃあお母様教えてらっしゃるの?そうですね。
民謡好きな人いるんですね。
やっぱり当たり前だけど。
ええそうですね。
私青森の三戸郡っていうところに疎開してたんで…。
岩手のちょっと向こうなんですけど。
東北弁相当できると思ったんだけどあなたのほうは宮城で「おだづもっこ」って。
びっくりしましたね。
そういう言葉があるって。
あっそうですか?宮城のほうではちょっとひょうきんな奴を「おだづもっこ」って言うんですよ。
「おだづもっこ」。
どこから来たんでしょうね。
どうなんでしょうかね。
「おだづもっこ」。
「おだづ」ってのは「ふざける」っていう意味なんですよ。
「おだづなよ」とかって。
あっ本当?「おだづなよ」って「ふざけんな」ってこと。
3年前に震災があったじゃないですか。
だから「おだづなよ津波」っていうフレーズもあるんですよ。
津波よふざけんじゃねえよと。
いいかげんにしろよって。
「おだづなよ津波」って。
でも先生を送る卒業式の会なんかでそういうこと何かやってると「おだづもっこやってんでねえ」って言う?そうですね。
「もっこ」って言いますけどね。
あっそういうの「もっこ」。
略して。
「もっこ」?いやー言葉違いますね随分。
そうですよね。
なんかもう全然わかんない言葉宮城弁でもいっぱいありますよね。
全然しゃべってないですけどね。
今?私も行った時すぐにね「何とかっこ」とかね牛のこと「べこっこ」とかそういうのはすぐわかったんですけどね。
私絵描いてねそっちの子と仲良くしようと思って。
全然絵うまくないんですけど一応なんか絵描いたらさ「うめえな」とか言ってなんか…「猫っこ描いてけろ」とか言って猫みたいなの描いてたんですよ。
そしたらさ「じんじょっこ描いてけろ」っつったの。
んっ?「じんじょっこ」。
「じんじょっこ」。
で私もね…。
でも「じんじょっこって何?」って聞いちゃったらもうその日からお友達になれないじゃないですか。
それで考えてねどう考えても「じんじょっこ」っていうのがわからなかったの。
それでね「お前のじんじょっこ描いてみろ」って言ったのよ。
そしたらねその子がね女の子のおかっぱ頭におリボン着けて人形みたいなの描いたのよ。
だから「おらのじんじょっこはこんなのだ」って同じようなのちょっと可愛く描いてさ「うめえ」とか言われて。
人形。
人形のこと。
だから「にんぎょう」「じんじょう」「じんじょっこ」になったんだねきっとね。
なるほど。
それはわかんなかったけどね。
でもうまくやったわ私。
なるほどね。
でも結構語源的にさかのぼっていくとちゃんとね。
そうですよ。
うん。
ちゃんと人形っていうのがあって…うん。
そうなの。
それで寒くて少しなまって「じんじょう」とか。
でもね津軽のほうはわかんない。
俺たち同じ東北でも津軽のほうだけ特別なんですよ。
わかりづらくて…。
津軽はわかんねえな。
わかんねえ…。
まさか東北弁しゃべるとは思わなかったですけど。
いやわかんねえ本当。
でも初めてね三戸の駅で…戦後ねしょいものして闇屋のおばさんたちが話しててね聞いてたんだけどね「すづひゃぐ」って言ってんの。
「すづひゃぐ」。
「すづひゃぐ」っていうのは私もわからないと思ったの。
何のことかと思ったら「700」。
ああ…。
「700」の「7」がなまって「すづ」ってなって「7」が「すづ」になって「100」が「ひゃぐ」ってなったから「700」っていうことを「すづひゃぐ」ってなったのね。
「何とかがすづひゃぐある」って…。
とにかく津軽弁はちょっとわかんない感じありますよね。
津軽はそんなでしたよ。
まあとにかく話は違いますけどあなたが初めて『徹子の部屋』においでくださった時のVTR32年前です。
ですからあなたも随分…31歳ですかね。
そのぐらい…。
はいそうですね。
そんなでしょうかね。
ご覧ください。
可愛いの。
「初めての歌の大ヒット『ふれあい』という時はどうだったんですか?」「いやあの時は本当に訳わかんなくて…」「ちょうどデビューしたのもそのちょっと前だったんですよ」「だからもうただこう…テレビに出られた喜びだけで…。
まだ学生だったんで」「あの頃まだ学生さんだったんですか」「ええ。
ちょうど卒業してね…3月に卒業して4月にブラウン管に出てきたんですよ」「あっそう。
慶應大学ご卒業になってブラウン管に4月に…」「就職したんです」「新入社員と同じ感じで…」「ええ」「あの頃って…今も変わってないですけどもミーハーだからね。
もう大学時代の友達…」「俺テレビ出るから!っつってね」「宣伝ばっかしなんですよ」「で見た人は何て言ったの?」「お前やっぱり目が垂れてるなとかね」「元々ね垂れ目っていうのは言われてたんだけどテレビで初めて見た時ねあんなに垂れてるとは思わなかったですけどね」「かなり垂れてましたね」いやーそんなにあんまり…。
何つうか…なんかものすごい顔も赤いじゃないですか。
血色いいんですよきっと。
あっそうですか…。
それよりもちょっと後の顔もあるみたいで…。
えっ!まだあるんですか?写真だけですけどそれ。
目が垂れてるかどうか見てみます。
はいこれです。
うん垂れてるっちゃ垂れてるかもしれないけど…。
これが33。
あまり横顔的には変わりないですね。
今と変わんないと思う。
こんなよ。
感じのいいお顔でね。
全然当時から変わってらっしゃらない。
本当にあなた変わってらっしゃらないわね。
あの頃ね独身女性が選ぶ理想の男性ナンバー1にあなた何回もなってらっしゃったのよ。
それから一緒にお食事をしたい男性のナンバー1とかね。
あっそうですか?その頃のね本当にね…お酒を飲みたいナンバー1もあったのね。
あっそうなんですか?そうよ。
ご存じなかった?へえー。
そんな32〜33の頃ありました。
そう。
そんな時にちょうど歌が大ヒットですからね。
そうですね。
ちょうど31っていうとさっき歌ってた『心の色』がちょっと売れて『ベストテン』とかよく出てた時ですね。
だからずっと…もう30年くらい前の話なんですけどなんかまだ歌ってる自分は不思議ですよね。
本当よねそうそうそう。
もう40年歌ってるんですもんね。
だから40年はもう歌…。
そうやって考えるとなんか非常に人の人生ってね…。
思ってもいないことがね…。
いっぱいあるんだなと思って。
でもまだまだ大丈夫歌えます。
大丈夫ですか?大丈夫ですよまだまだお声が出るんですから。
このごろね加山雄三さんだってもうじき80だっていうのにまだああやって歌ってらっしゃるんですからね。
あの人ちょっと異常ですよね。
そう思う?やっぱりね。
80にはなってないけどこの間…77〜78ですよもうね。
そうですよね。
この間久しぶりにお会いしたんですけど元気ですよ。
ギターなんかねお弾きになってね。
一緒にステーキを食べたんですけど俺の倍食べてましたからね。
本当に?本当に元気だなと思いながら一緒にさせていただきましたけど。
でもああいう方がいらっしゃるといいですね。
あそこまでは絶対大丈夫っていうのがあってね。
ちょっとコマーシャルです。
さっきもちょっと仰ったけどご出身が宮城県の女川で随分大変だったんでしょ?この前。
そうですね。
3年前の出来事は大変でしたね。
今でも時々行ってらっしゃるんですって?そうですね。
今ちょっと報道番組をやらさせてもらってその中で被災地の未来っていうことで自分のコーナーがありまして必ず毎週被災地へ訪れてって色んな方とか色んな出来事それを取材して毎週放送するっていうコーナーがあってそれで結構青森岩手宮城福島と行ってますね。
でももうちょっとみんなに…もうちょっと何とかしてあげたいって思うでしょ?そうですね。
私もテレビなんかで見ててそう思いますよね。
町によったり場所によってすごい格差もあるんですけどでも少しずつですけど前に進んでるっていうのが現状ですけどやっぱりしょっちゅう行ってて変化がないのがつらいですね。
もうちょっとねみんなにそういう精神的な面でも…近所昔住んでた人たちと一緒に「あの時何だったかね?」ってお話しできるような場所があるような場所をつくってあげることできないんだろうかって思いますよね。
もっと温かくてね。
でもあなたあれでしょ?なんか学校の校歌を頼まれたって?そうなんですよ。
同じ宮城県なんですけど松島ってありますよね。
あります。
あの近くに鳴瀬川っていう川が流れててその近くにある…小学校があるんですけど。
小野小学校と浜市小学校っていう。
その小学校が…校舎が震災で使えないっていうことで2つの小学校が統合されたんですよ。
校歌も新しくしようっていうことで…。
一緒になったからね。
ええ。
なぜか俺に依頼が来まして。
校歌ですよ。
えーっ!と思ったんですけどこういう機会なんでちょっと作らせてもらおうと思って必死になって…。
歌詞もでしょ?あれ全部。
そうなんですよ。
歌詞はね残念ながらやっぱり校歌の詞はちょっと作れないんで知り合いの松井五郎さんっていう作詞家の方にお願いして詞は松井さんで曲は俺が作ってやりましたけども。
子供たちみんな歌ってくれたんだって?そうですね。
鳴瀬桜華小学校という小学校なんですけどお披露目会っていうんで行ってちょっと歌ったんですけどそうしたら事前に子供たちに音楽の先生が教えててで俺が歌った後に歌ってくれたんですよ。
それがものすごい感動的で。
ちょっといいですか?VTRがあるそうなんで…。
あるんですか?どんなかわかんないですけどちょっと見て。
今年4月浜市小学校と小野小学校は鳴瀬桜華小学校として生まれ変わりました
新たな一歩を踏み出した子供たち
「2つのこの小学校が一緒になって統合されてこれから校歌になっていくというのは本当に私自身誇りに思ってます」校歌っぽくないですよね。
でもいいじゃない。
みんな歌ってる。
「いつも強く」あっここで…。
みんな子供たちの声が入ってる。
子供たち歌ってるんですよ実は。
「花になろう」聴こえる。
聴こえるでしょ。
ええ。
「なろう」「誰かのために」「いられるような」これあの…作詞の松井五郎さんの提案で本当は普通のメロディー1番2番あるんですけど最後だけ別メロディーが…作って。
それ…ビートルズの『ヘイ・ジュード』ってありますよね。
「ラーララララララ」ってああいう別のメロディーが出てくるように作ったらどうですか?ってあって。
でそれが今子供たちと歌ってるとこなんですよ。
でもあれ子供たちのほうにマイクロホンがないからたぶん聴こえないんだけどみんなすごい歌ってましたよね今ね。
すごいですよ。
もう300人ですから。
あっそう。
ええ。
またねあの…ちゃんと歌ってんのに前の子供たちはなんかケンカしてるんですよ。
「お前あっち行けよ!」とかなんかっつってそれ結構マイクに録音されたりして。
よく聴くとなんか「あー!」とか「うーん!」とかね色々とね…。
そう。
でも他の子たちみんな一生懸命歌って今も毎日歌ってるんでしょ?きっとね。
そうですよね。
そうやって考えるとねすごく…なんか素敵なことをしたなと思ってね。
本当ね。
でもあなた校歌っぽくないって仰ったけどだから逆に子供たちはうれしいんじゃない?そうですかね。
うん。
実はこう…2つの小学校が統合されたんでハーモニーができるメロディーがいいかなと思ったんです。
例えば卒業して高校生くらいになるとギターを持つじゃないですか。
弾いたりしてギター1本で今の曲をこう…ハモったりして歌うと…。
だからさラーララっていうとこっちがラーララって後から…。
そうなんですよ。
そういうのもできたらいいなと思って。
あまり校歌ってできないじゃないですか。
だからそういうのもちょっと意識したんですけどね。
よかったですよね。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
みんな歌ってますか?さてさて中村雅俊さんデビュー40周年っていうことでアルバム?はい。
なんか15年ぶりですって?そうなんですよ。
すごいね。
シングルとか出してたんでベスト盤とかも出してたんでなんか15年っていうとえーそんなに?っていうくらいね…。
そりゃそうですよね。
ちょっとびっくりしましたけど。
でも久々にちょっと曲も書かせてもらって。
あっそう。
ええ。
ちょっと満足のいくアルバムができたと自負してるんですけど。
『ワスレナイ』っていうんですって?はい。
ちょっと…40周年というのもあるんですけど今まで支援活動をやってきてその集大成みたいな気持ちの…ことをして。
これがそう?これレコーディングの…。
これオープニングの曲ですね。
へえー。
「何十年経っても」すごいわね。
あなた楽譜見ないでもう全部覚えて歌うの?大体…歌う時は。
今俺コンサートモニター見ないで歌ってるんですよ。
偉い。
あっそうなの。
あっこれですねもう…。
随分大人っぽい顔に写ってますね顔がなんか。
もう「大人っぽい」ってあの…。
何?黒柳さん。
俺のことを大人っぽいって言うのも変でしょう。
だけどこうやって拝見してるとそんなに大人っぽい顔じゃないけど。
なんか不思議な今…感覚なんですけど。
俺もう63歳なんですけど。
えっもう63?ええ。
いやーすごいね。
そんなになったの?普通おじさんですから。
コンサートもおやりになるんですって?それで。
そうですね。
毎年9月からツアーやってるんですけど。
随分色んなとこでおやりになるんですけどね。
そうですね。
主立ったとこはこういう感じですね。
大阪にもいらっしゃって。
そうですか。
随分…。
えっ!えっ?今の随分先よね?11月とかって書いてあったでしょ。
だってコンサートって先じゃないですか。
実はちょっと…俺もうその39年間ほとんどだから9月からツアー始めてるんですよ。
だからもうね行っちゃうのね。
ええ。
いつも毎年のことなんで。
そうかそうか。
あと2か月もしたらツアー行っちゃうから。
だからやるのは11月だったり…知ってるところがだけど…。
でもこんなに歌手として活躍すると思ってらっしゃらなかったでしょ。
全然もう…。
ちょっと…こんなに長く歌ってるとは思わなかったです。
本当にありがとうございました。
続いては上沼恵美子さんです。
おいしいお料理どうぞ。
2014/07/01(火) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋[字]
〜92歳母が好きな民謡と東北弁を〜中村雅俊さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
今年歌手デビュー40周年を迎えた中村雅俊さんがゲスト。
◇番組内容
現在92歳になる中村さんの母親は、民謡や詩吟をこよなく愛する明るい人。小さい頃から母の歌う姿を見ていた中村さんに「何か歌って」と黒柳さんがムチャぶりする。その後も東北の方言で会話が盛り上がり「まさか東北弁を話すとは…」と笑う。東日本大震災以降、地元・宮城県などを定期的に訪れ心が痛むことも多かったが、震災の影響で統合され新しく誕生した小学校の校歌を作曲した事は長い歌手生活で最も嬉しい出来事だと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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