黒田官兵衛とその時代「崇福寺」 2014.07.16

福岡市にある…黒田家の墓所です。
ここに晩年如水と号した黒田官兵衛が眠っています。
天下統一の道を歩んだ織田信長に認められ豊臣秀吉を天下人へと押し上げた戦国一の名軍師とうたわれる黒田官兵衛。
崇福寺は1240年に太宰府に創建された寺です。
福岡藩初代藩主となった黒田長政が戦火で焼け落ちていた寺をこの地に再建し菩提寺としました。
この山門は福岡城本丸にあった表御門です。
大正時代ここに移築されました。
官兵衛は兵法ばかりではなく中国の四書などさまざまな学問を身につけていました。
江戸時代福岡藩の儒学者貝原益軒によって編さんされた…この中には官兵衛が息子長政に残した言葉も記されています。
官兵衛の隣に眠る息子黒田長政。
自らの死を悟った官兵衛は長政に藩主の心得を伝えました。
「神の罰や主君の罰より家臣や農民の罰を恐れなさい。
彼らに信頼されなければ必ず国を失う事になるだろう」というものです。
領民を大切にした官兵衛の人となりが表れた言葉です。
官兵衛の病が重くなったのは1604年春の事でした。
場所は京都・伏見の福岡藩邸。
官兵衛のそばには息子長政と最も信頼を寄せる家老栗山利安がいました。
官兵衛は妻光の父から贈られた兜を跡継ぎの長政ではなく栗山利安に譲りました。
長政を我が子だと思って補佐してくれるよう頼んだのです。
更に官兵衛は「主君の後を追って誰も死んではならぬ」と家来の殉死を禁じました。
福岡に対する官兵衛の思いを歌った歌もあります。
長寿を誇る松や梅のように末永く福岡が繁栄していく事を願いました。
この歌は福岡という地名が使われていた事が分かる最初の記録にもなっています。
官兵衛は1604年59歳で亡くなりました。
官兵衛の墓のそばには生涯を添い遂げた妻光の墓もあります。
官兵衛は生涯側室を持たず光だけを愛し続けました。
今も2人でここ崇福寺から福岡の街を見守っているようです。
2014/07/16(水) 03:55〜04:00
NHK総合1・神戸
黒田官兵衛とその時代「崇福寺」[字]

大河ドラマ主人公・軍師官兵衛ゆかりの地をめぐるシリーズ。今回は福岡市内にある黒田家の墓所、崇福寺を訪ね官兵衛の遺言や辞世の歌なども紹介する。

詳細情報
出演者
【語り】井芹美穂

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
趣味/教育 – 旅・釣り・アウトドア
ドラマ – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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