人生設計で悩んだり自信を失ったり。
ほんと生きる事は簡単にはいきません。
歴史上の人たちは人生の岐路に立った時一体どうしていたのでしょうか?生きる活力を皆さんに。
「知恵泉」でのひとときをお楽しみ下さい。
(口笛)君はバラより美しい…なんつってね。
いや〜今日は女子会のご予約を頂いちゃったからバラを用意して奮発したんですよね。
喜んでくれるかな。
華やかですねやっぱり。
こんばんは。
おじゃまします。
はるな愛さんじゃないですか。
はい。
あら大将ちょっとバラでおもてなし?女心分かってる!もうきれいなバラ。
今日ね申し訳ないんですけどね女子会なので女子限定なんですよね。
だから来たのよ。
いやいやだから来たの!いや女子限定なんです。
いい?分かってくれる?ちゃんと。
申し訳ありません。
女子なんだから。
何よほんとに。
こんばんは。
いらっしゃいませ。
どうもお待ちしておりました。
本物の女子が参りました。
ちょっと待って!東京・大田区で町工場を経営されています諏訪貴子さんでいらっしゃいます。
経営を。
そうなんですよ。
経営者女社長ですか?そうですね一応。
おはようございます。
諏訪さんは10年前突然亡くなった父の後を継ぎ32歳の若さで社長に就任しました。
主力製品は自動車部品を計測する器具。
不況に負けず若手を育成しながら業績も伸ばしてきました。
その独自の経営ノウハウは業界の注目の的。
関係者の視察が後を絶たずなんと総理大臣も訪れたほどです。
2012年にはある経済誌で最も優れた女性リーダーとして表彰されました。
まさに今乗りに乗っている経営者です。
という事はもうかってますか?いやぼちぼちでんなってアハハ。
はるなさんも女性?女性経営者。
女性そうですよ。
青年実業家じゃないですよ。
女性経営者として今ちっちゃめですけども飲食業をやってます。
だからすごい商売の大変さとか従業員のねいろいろね。
大変ですよね。
ありますよね!今日はそんな皆さんに女子トークをして頂こうと思いまして取って置きのお料理をご用意したんですよ。
それがこちらなんですけれども。
うれしい!あれ?ちょっと待ってこれ。
特製ののり巻きでございます。
ちょっと待ってのり巻きなんですけど…。
形が…。
雑というか端の方じゃないの?のり巻きのもしかしたら。
わざわざこの形にしたんです。
実は今日ご紹介するあの方が大好きだったメニューなんですよ。
あの方といいますのは皆さんのような働く女子の大先輩でいらっしゃいます作家の向田邦子さんなんですね。
聞いた事ある。
あります?ありますあります。
ドラマとか作家いろいろされてて。
その向田邦子の代表作であります「父の詫び状」。
この中にのり巻きの端っこのエピソードが出てくるんですよね。
やっぱり端なんだこれ。
そうなんですよ。
是非お召し上がり下さいませ。
端っこをお客様に出すの?このお店は。
アハハハ。
おいしいから食べてみて下さいよ。
(2人)いただきます。
かんぴょう巻き?そうなんです。
かんぴょうを贅沢に使ってみたので。
う〜んうまい!おいしい。
男出てますから。
おいしいですね。
おいしいです。
実はねこの端っこが何で好きかというと御飯に対してかんぴょうの量が多いでしょ?確かに。
そのお得感そういった庶民性を非常に愛していた向田邦子なんですね。
今宵は向田邦子の知恵をたっぷりと味わって頂きたいと思います。
亡くなって30年以上たってなお多くの人たちの憧れとなっている向田邦子。
脚本家としてホームドラマ「寺内貫太郎一家」など数々のヒット作を世に送り出しました。
殴りゃいいってもんじゃないんだぜ!分かってるのかよ父さん。
バカヤロー!お父さん面倒見てる人いるのよ。
女と男の機微も鋭く描き70年代のテレビ界の一翼を担いました。
また女性ならではの視点で日常を描いたエッセイは多くの読者の共感を呼び小説では直木賞を受賞。
その幅広い活躍ぶりは女性の一つの目標であり続けています。
しかし向田の仕事の出発点は意外にも小さな会社の社長秘書でした。
若き日の向田は悩みます。
戦後間もない時代旧来の慣習や価値観が根強く残る中で向田は自分らしさとは何なのかを模索し続けました。
人生の節目節目で彼女は何を思いどんな行動で道を切り開いていったのでしょうか。
今宵それを読み解くのは町工場の経営者・諏訪貴子さん。
男に生まれながら女として生きるはるな愛さん。
そして後ほどご紹介するもうお一方。
三者三様の人生論を展開しながら向田邦子が選び取ってきた人生を味わいます。
今夜の「知恵泉」。
さまざまな制約や境遇そして自らの内面と格闘しながら事を成し遂げた女性たちの知恵をお届けします。
という事で今夜は向田邦子。
そしてテーマはこちらとさせて頂きました。
「これが私の選ぶ道」という事でいつもはこのお店では仕事のノウハウなど明日から使える知恵を堪能頂いてるんですけれども今日は少し構えを大きくして皆さんに人生論を語って頂こうかと。
お二人ともいろんな人生を選んできた。
その達人たちに人生論を語って頂こうと…。
ちょっと楽しみ。
楽しみです。
私も楽しみ。
アハハ。
諏訪貴子さんはこの向田邦子という人物どういうイメージをお持ちですか?小さい時に家族でドラマを見た思い出があるので脚本家というイメージがすごく強くてあとは仕事のデキる女性というイメージを持っていますね。
まだまだ女性が働きづらい時代からバリバリと一線で活躍してきた。
あっいらっしゃいました。
もうお一方この女子会にお呼びしていたんですよ。
脚本家で作家の筒井ともみさんです。
どうぞお掛け下さいませ。
筒井ともみさんは優れた脚本家に贈られる「向田邦子賞」を受賞。
数多くのテレビドラマや映画の脚本を手がけてきました。
向田の作品世界をよく知る心強いお客様です。
実際に生前の向田邦子さんにお会いになった事もあると?一度だけなんですけどプロデューサーの人と御飯を食べてたの。
夏の雨の降る夜で。
そしたらね1時間ぐらいしたら向田さんが入ってきたんですよ入り口から。
その近くに仲間がいたらしくてそちらで食べていらしてそしたらプロデューサーが…紹介されても話す事ないし。
緊張しちゃうぐらいの人という事でしょ。
話す事ないしね。
だから「結構です」って言ってそれから10分とか20分ぐらいたってちょっとトイレに行きたくなって立ち上がったんですよ。
そしたら向田さんもちょうど立ち上がって3〜4m離れてるんですけれどほんとに目が合ったのね。
その時の目の強さというのかな。
1秒か2秒か3秒か4秒か分からないけど私も目を動かさない方なので目が合ったままビビビビビッとほんとにビームみたいに。
向かい合って止まってたんですか?そう。
3〜4m。
ほんとに目からビームが出るみたいに。
動けなくてこうやってたら「どうぞ」って言われたので私先に行ったんですけど。
忘れられないような出会いに…。
ほんとに強い目線の方で。
ほんとに数々の名作を残した向田邦子なんですが出発点というのは誰しもが通るような普通の悩みを抱えたそこからの出発だったわけなんですね。
ではまずその辺りからご覧頂きましょう。
向田邦子は…父は明治生まれの頑固一徹。
母は夫の陰にあって家を切り盛り。
戦前の典型的な家庭で育ちました。
4人きょうだいの長女で運動神経が良く明るく活発だった向田。
一方で夏目漱石全集を手に取る読書好きの少女でもありました。
15歳で終戦を迎えた向田はその後実践女子専門学校に入学します。
進学する人が少なかった時代国語の先生になると親を説得して入学したためでした。
しかし実際は…。
そして将来についてはこう綴ります。
専門学校は3年間。
向田は更に大学に進む事を望みますが4人のきょうだいがいる家の事情もあり断念。
向田は昭和25年まだ戦後の混乱が続く中で卒業します。
就職が決まったのは卒業して間もなくの事。
仕事は社長秘書でした。
社員10人ほどの小さな会社。
ほどほどの給料をもらい人間関係にも恵まれていたといいます。
しかし心の中は生きる事の悩みに満ちていました。
二十歳を過ぎた頃の向田は人生の目的をつかめず悶々とした日々を送っていたのです。
自分は何者なのかどういった道に進むのか。
私も青春時代いろいろ悩みましたけれども。
愛ちゃんもあったんじゃないですか?私もそうですね。
でも何者かは…女の子になりたいという気持ちがずっとあったのでどうやったらなれるんだろうとか思ってたんですけどでも後の…今のよく若い人で「何も夢なくてどうしよう」みたいなまさに当時もそういう人がたくさんいたって事ですよね。
しかも意志のはっきりしたイメージのある向田邦子も自分がどうなのかという焦燥感というんですかねそれに駆られていたという事なんですね。
諏訪さんどういうふうにご覧になりました?私もやはり学生時代同じような事を考えてたので向田さんもこういう事を考えられてたんだというのがある意味新鮮でバリバリのキャリアウーマンというイメージだったのでやはり彼女も迷いながらいろいろ今までやられてきたのかなって。
何も考えてなかったですか?社長になりたいとか。
全く思ってなくて…ほんとに男として育てられてるので兄の代わりとして生きる事が私だったんですね。
なので自分とは何者なのかほんとに自分は何がしたいのかというのはほんとに学生時代は…。
路線を敷かれたところとはしっくりいかなかったみたいな。
筒井さんは向田原作のドラマで昭和を舞台にしたものを手がけられていますけれども当時の時代背景というんですかね女性が仕事や家庭で自由に生きていくというのはやっぱり難しい時代だっだと言えるのでしょうか?例えば新聞社とかって話しに行くと「へえ〜そんな事考えてるの?」みたいで。
女性がっていう?うん。
なかったですね。
女性はどうあるべきだったんですか?その時代は。
入らないとやっぱり。
でもそれはあんまり今も変わらないかもしれないんだけど本質的にはね。
でも最初は社長秘書みたいなのをしてたんですね。
いきなり物書きの道からスタートしたのかと私も思ってたんですけれども意外や意外。
諏訪さんは最初はやっぱり今のお仕事と関わるようなものだったんですか?へえ〜!ただ理系で工学部だったので資料を請求したらですね技術系の資料しか送られてこなくて。
いざ就職をしようとした時に…行き場所がなくなっちゃったんですよ。
…で父に相談したらお客様のところなんですけど「秘書の仕事がある」って言われて面接を受けて受かって行ってみたら入社式の日に渡されたのが作業着だったんです。
工場に配属されて「女性エンジニアです」って。
だまされたんですね。
秘書じゃなかったんだ。
じゃあきらびやかなもの全部取って作業着に着替えて。
作業服で工場で働いたのが私の最初の仕事です。
さあ悩み多き若き日の向田邦子ですけれどもどのように道を選択して切り開いていくんでしょうか。
向田邦子の知恵を味わって頂きたいと思います。
私も頂きます。
グッと頂きます。
社長秘書として悶々とした日々を送る向田。
そんな時自分の生き方を見つめ直すきっかけとなるある出来事がありました。
「二十二歳の時だったと思いますが私はひと冬を手袋なしですごしたことがあります」。
いらだちを感じながら痩せ我慢を続けていた向田。
ある晩残業をしていると上司が出前をごちそうしてくれます。
そして向田に言います。
それは不平不満を内にためてかたくなな態度をとっていると男から疎まれて結婚の機会を逃してしまうぞという言葉でした。
ここで折り合いをつけるのも一つの生き方。
しかし向田はそうはしませんでした。
向田の選んだ道は上司や親の考えとは全く違うものでした。
自分を押し殺し妥協するのではなく自分が本当に面白いと思えるものを探そうと決意したのです。
翌朝向田は迷わず行動に出ます。
新聞の求人欄にくまなく目を通し積極的に転職先を探し始めたのです。
やがて一つの求人広告に興味を示します。
出版社の編集部員の募集でした。
そして面接当日当時の女性ではまだ珍しかった黒一色の姿で現れます。
それは向田お気に入りのスタイル。
自分らしい姿で面接に臨んだのです。
それが映画雑誌の編集長の目に留まりました。
向田は見事合格。
洋画を専門に扱う映画雑誌を担当する事になります。
映画会社から新作のニュースを集めあらすじや見どころなどを紹介する記事を書くのが仕事。
巻末には向田の編集後記が掲載されました。
手袋を探して新しい道を見つけた向田。
物書きの第一歩を踏み出した若き日の姿です。
自分にとって一番ぴったりとくる手袋を探し続けた向田邦子。
愛ちゃんはどういうふうにご覧になりました?表現の中で「ガサガサで乾ききった」って多分自分の何か中身の事だと思う人間のね。
そういう何かすごくどうして生きていこう。
でも何かしたい。
でもなめられたくない。
その当時の彼女はどこにもしっくりいく手袋が絶対なかったと思うんですよね。
だからいい手袋を薦めてもはめなかったと思うし。
筒井さん向田にとっての手袋はどういうものだったと思います?そこで満足しちゃわない。
まだあるんじゃないかもっと違う自分がいるんじゃないかという。
何かあれですよね…そして向田の翌朝求職情報を見に行くという行動力。
切り替えの早さ。
これは見事だと思うんですけど諏訪さんどうでしょう?行動力というのは大事ですか?大事ですね。
私は常日頃…とにかく経営者は常に動かなきゃ駄目なんですね。
情報を取るために。
私も実は結構怠け者で大ざっぱなのでそういう時には…呪文のように唱えてすぐ行動に移すように。
なのですごく分かりますね向田さんの。
あえて自分に「動け動け」とハッパをかける。
ハッパをかけてますね。
だって誰も手助けしてくれないしというところですよね。
そうですね。
意志を感じますよね。
こびてない何かね。
女らしさというか。
私も最初物書きで…やっぱりそうなんだ!今日もそうなんですけど。
気合いが入るみたいな?気合いが。
黒いスーツを着るとその瞬間社長に変身できるというか。
なので仕事に集中する時にはやっぱり黒っていうのは。
そういう思いがあったんですかね黒を選んだというのは。
ここ一番の覚悟みたいなところがあったのかもしれないですけど。
とはいえ愛ちゃんやっぱり社会で生きていくと折り合いをつけるというんですかね私も妥協だらけの人生のような気がするんですが。
そうなってきますね。
何かねいろんな。
私はね…でもその時に親のために生きた時に私が親が亡くなった時に60から自分の好きな時間を持てる時になって女の子みたいにすごいかわいらしいリボンをつけて60のおじさんで…まあいいけど私のしたい恋愛とかは多分かわいくできないんじゃないかなと遅いんじゃないかなと思って。
その時に…それ貫き通して最近やっと最近やっとですけどほんとに認めてもらえてきたなという。
すごい長かったけどやっぱりよかったです。
この貫き通した道というか覚悟は。
諏訪さんはどうでしょうか?後悔しない選択をしていきたいという貫きたい人生ですがどんな場面で具体的にこれは生かされたなとかよかったなというような場面ってありましたか?経営者って頼る人がいないので自分を貫くと全部自分で責任が。
のしかかってきますよね。
そういった部分は…自分の考えのもとでずっと貫いていくんですけどやはりそういったのを貫いてきては今まではよかったなって思いますね。
私すごい負けず嫌いなんですけどでも人に負けるのは全然いいんですよ。
自分の努力が足りなかったと思うので。
自分に負けたくないんですね。
折り合いをつけるイコール自分に負けるって思っちゃうので。
ダイエット成功するタイプですね。
アハハハ。
ほんとにすごい。
意志がすごい。
映画雑誌の記者として新たな一歩を踏み出した向田ですがその後どんな道を歩んでいったのでしょうか?ご覧下さい。
映画雑誌の編集部に配属された向田邦子。
当時の映画界は全盛期を迎え活況を呈していました。
編集者として脂が乗ってきた向田にも前途が開けてきます。
「小森のおばちゃま」こと小森和子にもかわいがられていたという向田。
映画評論家への道を勧められていたのです。
映画界での人脈も出来経験や知識を蓄えた彼女にとってそれは現実的な話でした。
しかし向田はその勧めを受け入れるどころか…向田の賭けでした。
飛び込んだのはラジオの世界。
アルバイトでラジオ番組の構成を書いていた向田はその面白さに引き込まれていました。
うまくいく保証はなくとも新たな分野での可能性に賭けたのです。
向田は当時の心境を後年妹の和子さんに語っています。
映画界にいたのでそこにいたんだったら人間関係も想像ができる範囲の事しか起こらないと。
でも全く知らないラジオだの…どうなるか分からない。
私はそっちの方に苦労は分かるけど…ラジオの世界へ飛び込んだ向田はそこでその後の大きな飛躍をもたらす人物と出会います。
名優・森繁久彌です。
昭和37年まだ駆け出しだった向田は森繁の一人語りによるラジオ番組に抜てきされます。
ある会社の重役の身の回りで起こる出来事を綴ったラジオエッセイ。
芸達者な森繁にふさわしいセリフを創作しなければなりません。
(女)「向田邦子作『森繁の…』」。
(森繁)「『重役読本』」。
森繁の話芸が生きる絶妙なセリフ。
向田の手腕は高く評価され実に2,400回以上続く長寿番組となりました。
その後も向田は新たな世界へ飛び込む事に物おじしませんでした。
森繁と共に今度はテレビドラマに挑みます。
「だいこんの花」では妻を亡くし一人息子と住む父親の姿を描きました。
お父さん!お父さん!駄目だよサンマ焼くんだったらさ窓開けなくちゃさ生臭くて煙い煙い…。
何だいその言いぐさは!向田は森繁と二人三脚で映像表現の面白さを追求したのです。
何お前たちは!…痛い。
おい!おい里子!・はい!そして昭和49年「寺内貫太郎一家」を発表します。
向田は頑固な自分の父をモデルに主人公・貫太郎を描きました。
お茶ですか?洋服出しといてくれ。
洋服って…。
昼飯食ったら出かける。
お父さん!ドラマは大きな反響を呼び脚本家・向田邦子の名を揺るぎないものとしたのです。
一つところに安住せず面白そうなものに賭ける。
そんな半生を向田自身が語った映像が残されています。
私飽きっぽいもんですから…キョロキョロするんですね。
あるところ行きますと…ラジオでどうにか安定してるのに…ですから私は10年置きに職業を変えてるってよく笑うんですけども。
一か所には安住しない賭けに出る。
愛ちゃんどういうふうにご覧になりました?でもほんとにすばらしい方と出会われて多分引き出して頂いた部分ももちろん才能もすごいあるんですけど引き出してもらった部分もあるんじゃないかな。
賭けたからこその出会いだったと。
そうですよね。
そこの場所に動いていかないと出会わない人たちですもんね。
筒井さんはどういうふうにご覧になりましたか?そうね…脚本って構成とかそういうものって書いてれば勉強すれば上手になると思うんですけど…なぜかというと…森繁さんをうんと言わせるのはすごい大変だっただろうから。
だから向田さんの吐息が好きだったんだと思う。
信用したんだと思いますね。
向田さんも吐き出しやすかったんじゃないですか。
賭けたからこそのベストマッチングが生まれたという事なんだと思うんですよね。
諏訪さんは賭けなくして成功なし。
まさに大きな賭けに出た瞬間ってありますか?そうですね。
ほんとに…それまでは?専業主婦やってたので。
もう主人がアメリカの転勤が決まって引っ越しも全部済ませて飛行機に乗るだけの状態の時に父が急逝をして一緒にアメリカに行くのかそれとも残って社長になるのかという究極の選択だったので。
ちなみに今も結婚生活は?はい続いてます。
よかった。
なので私にとってはほんとに大きな賭けでしたね。
ほんとに一か八かだったので社長業なんてやった事ないので。
社長を継いだ諏訪さん。
その後経営者として更に大きな選択を迫られます。
それは2008年秋に起きたリーマンショック。
不況で仕事が激減し中小企業は大打撃を受けます。
その中で諏訪さんは思い切った行動に出ます。
始めたのはいいんですけどもリーマンショックがあまりにもすごい急激に売り上げが落ちたんですね。
影響を受けたんですね。
はい。
そこで…普通は人の採用を絞りますよね。
絞ります。
それを逆に若手の人材確保と育成これからしていかなきゃいけないし先は分からないんですけれどもいずれ良くなるだろうと。
未経験者から採用して2009年から育ててますね。
あれはほんとにある意味…。
単純に一か八かじゃなくてきちんと先を見通しての賭けだったと。
そうですね。
皆さんにお伺いしたい。
賭けに失敗した時の事を考えないんですか?選択。
賭けはするというと聞こえはいいですけれども失敗した時の事を私どうしても先に考えちゃったりするんですが。
あれ?失敗は頭にもう出ないですね。
アハハハ…。
そうですね。
失敗とかいろいろ考えてNHKに入りました?いろいろ考えちゃうんですね。
考えちゃうの?よくないですね。
今日は学びましたよほんとに。
どんどん立ち位置が後ろに…。
大丈夫ですか?みんなに押されて。
筒井さんどうなんでしょう?向田の人生を見ると映画からラジオやテレビといった放送そして作家とかですね時代の移り変わりと同時にどんどん転身していったような気がするんですね。
そういった先を見通していたんでしょうか?私はそんな事はないと思うんですよね。
ラジオよりテレビこれよりはっていうジャンルとか業界で私は選ばなかったように思います。
面白い人が。
その時代は確かにテレビがすっごく大人のおもちゃ箱で面白かった時代だし常にそういう事じゃないのかな。
面白さにすごく素直な人だったんですかね。
そうでしょうね。
それはとても向田さんはあるんじゃないんですか。
そうかも!多分ね道も全てね。
そっか。
自分で選ぶから楽しめる。
だから失敗を恐れないところも自分で選ぶからですよ多分ね。
うん。
それはすごく分かる。
今日向田さんのお話を聞いて皆さんそれぞれ重なるところが。
こういうところは私こういう時期だなとか。
ありましたありました。
まだまだお話は尽きませんが今宵はこの辺で。
次回も向田邦子の知恵ご用意しております。
今夜もご来店頂きありがとうございました。
2014/07/15(火) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) これが私の選ぶ道「向田邦子」(前編)[解][字]
今も多くのファンを持つ作家・向田邦子。しかし、彼女の出発点はごく普通の会社員だった。脚本家、そして作家へとステップアップしていった向田の人生の選択の知恵を学ぶ。
詳細情報
番組内容
近年、女性管理職を増やすことが社会的に求められている。しかし一方、働き方について悩みを抱える女性も多い。そこで今回の知恵泉は、働く女性の憧れとして今も人気を集める作家・向田邦子を取り上げる。数々のヒットドラマを手がけ、小説では直木賞受賞という輝かしい経歴を持つが、その出発点はごく普通の会社員だった。会社員から編集者、脚本家、作家へと次々とステップアップしていった向田の、人生の選択の知恵を学ぶ。
出演者
【出演】ダイヤ精機株式会社代表取締役…諏訪貴子,はるな愛,放送作家…筒井ともみ,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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