さあさあ今夜も「知恵泉」開店です。
今週のテーマは…お薦めは先週に引き続いて上杉鷹山。
米沢15万石第9代藩主です。
「なせばなるなせねば成らぬ何事も」は鷹山の言葉。
あのケネディ大統領も絶賛していたというほどの人物です。
上杉家といえば上杉謙信を祖先に持つ名門。
しかし鷹山が藩主になった江戸時代半ば米沢藩は破綻寸前20万両現在の価値で150億円もの借金を抱えていました。
誰もが不可能と考えた藩の立て直しを任されたのが鷹山でした。
大規模な倹約や意識改革を断行。
藩一丸となって再建に取り組みます。
その改革が軌道に乗り始めたやさき米沢藩をとんでもない災害が襲います。
浅間山の噴火による冷害から始まった「天明の大飢きん」です。
東北地方に数十万人の餓死者を出した江戸時代最大の飢きんでした。
米沢藩も甚大な被害を被ります。
それまで鷹山が進めていた再建の成果が全て無に帰するほどでした。
絶望的な状況の中鷹山は再び立ち上がります。
果たしてどのように難局に立ち向かったのか?鷹山の知恵を読み解くのは…。
岡山県内で100年以上にわたって鉄道やバスなどの交通事業を展開してきた企業グループそのCEO小嶋光信さんです。
小嶋さんが社長に就任した90年代末会社の収益はマイカーの普及や人口の減少から年々悪化の一途をたどっていました。
小嶋さんはまず経費を徹底的に見直します。
そして能力給を導入するなど社員のやる気を引き出すシステムを作ります。
更には乗降客を呼び戻すための企画を次々と立案。
誰もが乗ってみたくなるような車両を開発するなど電車やバスの乗り物としての楽しさを打ち出します。
小嶋さんの改革は次第に実を結びグループは56の関連企業8,500人の従業員を持つまでに成長しています。
一方で小嶋さんは経営危機に瀕したローカル鉄道やバスの再建にも積極的に取り組んでいます。
その数は10社以上。
大赤字で廃線寸前だった和歌山県の貴志川線もその一つ。
小嶋さんは三毛猫を駅長に就任させるという前代未聞のアイデアを提案。
他にも車内におもちゃを満載したおもちゃ電車を開発するなど人気回復に努めます。
大きな話題となった貴志川線には国内外から観光客が押し寄せるようになりました。
人呼んで「地方交通の再生請負人」。
小嶋さんは上杉鷹山の藩再建の知恵をどう読み解くのでしょうか?今週も先週に引き続きまして上杉鷹山の知恵を味わって頂きます。
そしてテーマはこちら「傾いた組織を立て直せ」。
先週ご来店頂きましたけれども大木さんどういうふうにご覧になりましたか?とにかく人間なんだとにかく人間なんだとにかく人間なんだというのは先週でよ〜く伝わりました。
(小嶋)ほんとに現代にも通じるやはり人間中心の改革だなというふうに思いますね。
まさに仁政であって「経世済民」という経済の言葉そのまま模範になるようなすばらしい改革だったように思います。
でも人間の力ではどうしようもないぐらいの災害になってしまうこの天明の大飢きんどれぐらいの規模の災害だったんでしょう?浅間山の噴火もありましたので太陽の光がささないんですね。
東北地方というのはみんな冷害で苦しむわけです。
だから死者が大体50万人ぐらいいたって言われるんですよね。
しかも領地の損耗は11万石ぐらいが損耗してですねそれが1年だけじゃなくて6年ぐらい続くんですね。
ず〜っと不作が続いて人肉まで食べてるような状況が書き残されてる。
これは鷹山にとっては大ピンチだと思うんですけれども小嶋さんは最大のピンチというとどんなものがありましたか?バブルが弾けたあとねどんどん…売り上げが下がっていく。
そして自己資本というのがあるんですよ。
それが10%を切ると会社は危ない。
それを切った時「あっこのまま3年やったら潰れるな」と思った時ね。
これはもう駄目かもしれないと思った時にはどう対処を…。
根本を直さないと小手先を直してたってまた同じ事を繰り返してくるんですよね。
鷹山を襲った最大のピンチ天明の大飢きんですけれども一から再建に取り組まなくてはいけなくなってしまった鷹山はどんな知恵でこの最大のピンチに立ち向かっていくのでしょうか?米沢の図書館には鷹山が作らせた珍しい資料が残されています。
こちらになります。
ある年に作られた米沢藩の1年間の収支報告書です。
これによるとその年米沢藩では米が千百三十九石分支出が収入を上回りました。
つまり赤字。
現金は百四十四両二分が不足。
更に払いきれなかった借金の利子が二万八千百五十五両二分。
つまりこの年だけで米沢藩の赤字はおよそ3万両。
現在の価値で21億円にまで達しています。
しかも米沢藩は以前から積み重なったこの数倍の額の借金を抱えていました。
鷹山はこうした現実に目を背ける事なく正確な収支報告書を作成し重臣に保管させていました。
天明の飢きんのあと寛政2年鷹山は驚くべき事を口にします。
なんとこの…重臣たちは「藩士を動揺させるだけだ」「パニックになる」と反対。
しかし鷹山は公表に踏み切ります。
そこには鷹山ならではのねらいがあったといいます。
結果は鷹山の読みどおり。
マイナス情報はかえって藩士たちを奮起させます。
再建できなければ後がないという危機意識が広がり一層改革に取り組むようになったのです。
鷹山が藩政に関する意見を広く求めたところすぐに340もの意見書が集まりました。
鷹山は建設的な意見を述べた者を家格に関係なく抜擢。
役に立つ進言はどんどん実行していきます。
その一つが勘定頭出身の黒井忠寄が立案した用水路の整備計画でした。
最上川の支流に堰を造り32kmにわたって用水路を建設干ばつに悩む770ヘクタールの地域に水を供給するという構想です。
鷹山は黒井に指揮を執らせ工事に着手。
6年がかりで用水路を完成させます。
その結果33の村に水が行き渡り米の増産に成功したのでした。
マイナスの情報を公表する事で藩士のやる気を引き出した鷹山。
彼が物事を偽らずに伝える事の重要性を知ったのは藩主になって間もない頃のある経験からでした。
当時米沢藩は江戸の豪商三谷三九郎から19,000両もの借金をしていました。
しかし前藩主重定は元金どころか利息さえ払わず放置。
怒った三谷は…藩主になった鷹山は改革のため新たな資金を調達するには三谷との関係修復が必須だと考えます。
そこで何とか19,000両の借金を減らそうと考えますが用意できたのはたったの500両。
意を決した鷹山500両を持って三谷との交渉に臨みます。
ここで鷹山は恥や外聞を捨て米沢藩の内情をうそ偽りなく伝えました。
そして500両の捻出が精いっぱいだと訴えたのです。
19,000両に対して500両しか用意できず更なる借金まで申し込もうとしている鷹山に最初はあきれ果てていた三谷。
しかし藩主自らが頼み込む姿勢はかたくなだった三谷の心を次第に解きほぐしていきます。
何より藩の不面目な内実まで正直に明らかにする態度が彼を驚かせたのでした。
三谷は米沢藩との取り引きの再開を決め更に新たに1万両の貸し付けにも応じました。
鷹山はこれ以降も毎年三谷に事業の失敗や災害などによる減収を正直に報告。
信頼関係を深めます。
武士の体面やプライドを捨てマイナス情報をさらけ出した鷹山。
そのまっすぐな態度が藩士や商人たちの心を動かしたのでした。
しかし山本先生藩士はこれぐらい藩がひっ迫してるんだという事をほんと知らなかったんですか?知らないわけですよね。
藩というのは全体の予算が公表されて自分たちのとこにはどれだけ予算がきてどうするという事を知らされる仕組みにはなってないのでね。
自分たちが必要なものを上申してその分を使ってると。
それで済んでたんですね。
足りなきゃ足りないで豪商に借金をすると。
あれほど収支報告書細かいものを作るという事自体は当時としては珍しい事ですか?珍しいですね。
これは幕府でも同じですし他の藩でも同じで不思議とそういう資料というのは残ってないんですね。
江戸時代の会計ってそんなにいいかげんだったんですか?結構ルーズなんですね。
それでよかったという事ですか?それで足りなきゃ借りるという…。
それで済んでたものを勘定所の職員に今までの収支決算書を作らせてこれはいかんと思ったのが鷹山なわけですね。
ただそういうものを全ての人に全ての藩士に公表するというのは前例も何もないですからやっぱり重臣は反対するわけです。
こんな事を知らせるとですね藩士やる気なくなってしまうんじゃないかとかですね。
それでも公表するんだというふうに踏み切った鷹山の気持ちというのは?危機感の共有という事でしょうね。
全てが一体とならないとこの危機はもう乗り越えられないと。
だから基本的にはマイナス情報がつかめれば良くなる方法は分かるわけです。
マイナスがプラスにできる。
困るのはマイナス情報をつかめない時なんです。
だからこれをつかんだらじゃあこういうふうにやろうああいうふうにやろうというのが分かりますのでね。
実際にそのマイナス情報を開示したというご経験は…。
ありますよ。
自己資本比率が10%を切る時にきちっとこのまま行ったら3年間で潰れるというシミュレーションをして。
このままやってたらこうなるよというのをね。
社員に言ったんですか?もちろん。
どの場面で言ったんですか?それはね正月の互礼会というんですけどもみんながお祝いを言う時にゴーンと言ったんですよ。
いきなり飛び上がりましたボーンと。
なりますよね正月から「え〜!?」って。
それはもういっぺんにぬるま湯から出ましたね。
それは効果をもたらしたんですか?それはもちろん。
基本的には大事な事っていうのはマイナス情報をマイナス情報のままにすると不安だけを作ってしまう。
だから必ず…プラス情報も流すんですか?よく再建再生の時に脅迫ばっかりしてね社員に「こうなるから…」と言うとみんな「もういいわ」と言って。
気が付いてみると優秀な人たちがみんないなくなってると。
ですから基本的には必ずいい事ばっかりとかね悪い事ばっかりじゃなくていい事があれば今度は心配な事をきちっと言ったり。
今度は悪い事があったらこうやれば良くなるんだという事を言ってあげる。
そうする事によってやはり心の平衡を保ってあげるというのはやはりリーダーとしては絶対にしておかないと。
でもマイナスもプラスもそこにうそがあったらいけないとは思うんですよね。
そうなんです。
物事というのはほんとに一点の曇りなきものをやらなきゃいけないの。
一つでもうそとか誇張があった瞬間にみんなが全体を疑うの。
だから常にやはり正しい情報を流していく。
そこがやっぱりどの時代でも大事な事なんじゃないですかね。
とは言うもののこれだけは言いたくないなとかね俺あると思うんですよ。
でもそこも言わなきゃやっぱ駄目だぜという事になっていかなきゃ駄目なんですもんね。
ただね…これは難しいところでねうそは言っちゃいけない。
誇張もいけない。
しかし馬鹿正直も駄目なの。
駄目なんですか?今言ったようにもう解決の方法のない事を言ってみたってそれは愚痴なの。
愚痴とか不安なの。
馬鹿正直に俺これできないんだよなって言ったらあ〜この人についていったら…。
確かにそうですね。
これアウトや。
あの親分じゃ駄目だという事になっちゃうのでね。
情報を開示するタイミングみたいなのというのもあるんですか?あるんですね。
みんなが油断してる時ね。
油断してる時?さっきも正月の時言ったんです。
みんながお祝いの言葉をそこそこ言うだろうと思ってたら社長が「3年したら会社潰れる」と言ったから「え〜!」と。
結局いわゆる情報を開示する時に…剣道なんかで打ち込む時と一緒ですね。
相手に隙が見えた時ポーンって行かないとワッていうみんなの結集にはならない。
情報開示するのは組織を強くするという事に結び付くんですか?常に同じ情報を共有する事によってやはり正しい方向性をみんなが持ってる。
それが一番強い組織なのね。
マイナス情報を上手に公表して一丸となって財政再建に取り組んでいった鷹山ですけど更にプラスアルファ藩が豊かになるためにこんな知恵を使いました。
米沢市の北白鷹町。
清流に恵まれたこの地では室町時代から農閑期の副業として和紙が作られてきました。
柔軟性と耐久性に優れていた事から米沢藩では御用紙としてこの地の和紙を買い上げ手紙や公文書に使っていました。
ある時鷹山は和紙を米沢の特産品として売り出そうと考えます。
冷涼な気候の米沢藩。
和紙の原料となる楮の木は寒冷地での栽培に適し成長が早いため藩内の他の地域でも育成する事が可能だと見込んだのです。
とはいえ単に植える事を奨励するだけでは人は動きません。
鷹山はある工夫をしました。
まず原料である楮の皮は藩が供給を保証します。
そして生産された和紙は全て藩が買い上げるという体制を作り上げたのです。
農民たちに作れば確実に収入が得られると実感させるねらいでした。
これが見事に大当たり。
次々と和紙作りに参加する農家が増えます。
製紙業は明治維新で藩がなくなるまで米沢の重要な産業となりました。
他にも自分の収入につながる産物はないか?そう考えた人々はさまざまな商品の開発を鷹山に提案します。
例えば紅花藍硫黄火打ち石などその数なんと53。
鷹山は全てを試作し研究を重ねたといいます。
その中でやっと実用化にこぎ着けたのが「米織」と呼ばれる絹織物でした。
鷹山は米織を広めるため自ら生産に乗り出します。
1年間の生活費209両の中から50両を割いて桑の苗木を購入。
屋敷の畑に植え蚕部屋を設けて侍女たちに織物を作らせました。
また丁寧な手引書を作成したうえ人々には自分が作った織物の自由な販売を認めました。
その人の努力と才覚しだいで収入は何倍にもなるのです。
そうした中途方もない大ヒット商品が生まれます。
それがこちらの…透けて見えるほど薄い絹織物で夏用の着物として江戸で大人気となります。
開発したのは下級藩士の町田八之丞という人物。
正月には千両箱を積み上げて年始を祝うほどの大金持ちになります。
こうして鷹山を先頭に武士や農民まさに全員が一丸となって開発が進められた米織。
鷹山は粗悪品を出さないよう品質を管理。
生産者を明確にしクレームにはきちんと対応する仕組みも作りました。
その結果米織はブランドとしての信用を確立。
10万両を超える収入を藩にもたらします。
努力した人に成果を実感させる。
人々のやる気を巧みに引き出した鷹山の知恵の勝利でした。
これじゃあやっぱ今と一緒でクレームも来てたんですか?そうですね江戸で販売した反物の長さが短かったというのでクレームがついたので生産者を明確にしてそんなものを作らせないようにするという責任体制にしたわけですね。
そうすると品質が保証されるので次第にブランドになっていくわけです。
かなり高い値段で販売できますからね。
そういう意味では米ばっかり作ってても駄目で米以外の貨幣収入が入ってくるようなものをいかにして開発して作るかですね。
これを鷹山は考えたわけですよね。
一番大事な事は売り上げ上げるという事なんですよ。
売り上げなくして会社なしコスト削減なくして利益なしという事で基本的にはコストいくら下げていったってみんなが貧しくなるだけなんですね。
そうではなくてある一定のところ我慢して今度は飛躍をする。
これはもう経営の改革の時に実は一番大事な事なの。
まず普通コストのカットに目が行きがちですよね。
そうなんです。
でもそれよりも売り上げを上げる。
例えば経理とか財務だけをやってきた人が改革をやるとコストの削減だけやっちゃうの。
売り上げが上がらなくなるの。
だからある時になったら会社はものすごい勢いで悪くなる。
売り上げがあっての会社であるという事を常に忘れてなかった。
50いくつも新しい新産業ができるって経済再生会議かなんかに出て頂いて…。
成果を実感させるっていうお話がありましたが小嶋さん会社ではどうでしょう?結局成果っていうのは口でいくら言っても駄目なんですよ。
私どもはある一定の業績以上を出すと決算賞与を出すという仕組みを作ったんですね。
例えば1億円利益を出すよというところで1億3,000万出たら3,000万のうちの1/3をこれを決算賞与として出しますと。
その上必ず現金で払いなさい。
できたら千円で払えと。
千円札で。
私どもの情報系なんかは30万とか50万とかもらった時期があるんですけどね。
千円で30万もらってごらんなさいな。
相当ですね。
「パーン!」立ちますよ。
それを実感します。
見たら「千円か…」とかね。
(笑い声)思っちゃいそうですけどね。
だからこれはもう上司が必ず手渡しをしてひと言コメントをつけなさいって言ってるんですね。
「君はこうやってくれてよかったね」とか「これも頑張ろうね」って。
今ね振り込みなんです。
振り込っていうのは全く実感がないの。
で自分のところに来ない。
みんな奥様のお財布に入っちゃう。
そうすると自分が頂いた決算賞与なのに奥様の所に行ってちょうだいちょうだいと言わなきゃならない。
これ力出ません。
(笑い声)小嶋さん成果を実感させるとそもそも何がいいんですか?モチベーションが上がるんですね。
ただいくら成果を上げてみても何もいい事なかったと。
モチベーションっていうのは口だけじゃ駄目って事ですね。
口だけでまあ2〜3回ぐらいはうまくいくんですけどね。
つまり成功体験を得させてあげるという事なんですか?そうなんですよ。
リーダーの一番大事な事はね自分たちの部下のみんなに仲間にいかに成功させるようにアレンジメントしていくかなんですよ。
自分がはい上がろうなんて部下をこうして自分がはい上がろうというのは誰もそんなものついていきません。
そうすると鷹山にしろ小嶋さんにしてもトップの方というのは誰に背中を押してもらえる言葉をもらえるといいますか…。
う〜ん…お客様です。
お客様ですか。
お客様。
やっぱりお客様は会社っていうものに対しての評価をして下さる。
それが自分に対する最大の報酬なんですね。
そうか。
じゃあ鷹山はやっぱり民ですか。
鷹山は民の幸せでしょうね。
民が幸福に暮らしてる姿を見ると自分もうれしいという事ですよね。
自分が贅沢な暮らしをするよりも民の生活の方が大切というまあそういう考え方をずっと小さい頃から持ってるんでね。
やっぱり理想的な藩主ですよねこういう人はね。
僕てっきりモチベーション経営者が上がるのは売り上げのグラフかと思ってたんですけどそうじゃないんですか?違いますね。
やはりお客様のお褒めの言葉。
もうこれに勝るものはないですね。
店主も一緒でしょ?私はもう真心で…。
ええ思ってますよ。
いやいいお店ですよここ。
店長。
ありがとうございます。
鷹山のターニングポイントとなった天明の大飢きん。
このポイントを見てまいりましたが実はその飢きんを教訓に鷹山があるサバイバル・マニュアルを作っていたという話がありましてこれについても山形の特命店員に調べてもらいました。
ご覧頂きましょう。
主人公ゆかりの地から「知恵泉」の特命店員が取って置きのネタをお届けする…これが米沢牛ですよ。
いただきます!肉のうまみがいっぱいに広がる。
やっぱ米沢に来たら米沢牛を食べないと始まらないなあ!う〜んおいしい!うん?
(メール着信音)あれ?また店長からメールだ。
何だ?今度は。
サバイバル・マニュアル?店長何の事言ってんのかな?まあまあ今はそれどころじゃないですからね。
いやいやいや…。
今ですか?大丈夫なんですよ。
私にはほんとに心強い味方がいるんで任しておいて下さい。
今はこっちです。
(深澤)
たっぷり味わったあとやっと任務に取りかかった私。
大丈夫。
こちらに心強い味方がいるんです!
角屋さん!角屋さん!え?こんにちは。
こんにちは。
深澤さんどうされたんですか?また来ちゃいました。
ありがとうございます。
サバイバル・マニュアルを探してるんですがありますか?サバイバル・マニュアル。
うちに?「かてもの」かな?…の事かな?それです。
それです!それでいいですか?それでいきましょう。
何やらよく分からないままともかく見せてもらう事に
すごい年季の入ったものが…。
これがサバイバル・マニュアルですか?そう。
その版木になりますね。
何でもこの版木は鷹山がサバイバル・マニュアルを印刷するために作ったものだとか
版木の数は全部で28枚。
ここに書かれているのは植物だそうです。
題名は「かてもの」。
この地方の言葉で「米や麦などの糧に代わるもの」という意味です。
鷹山は災害や飢きんに備えて米の代わりに食べられる植物を野山から探し出しその調理方法を考案。
本にまとめ無料で配布したそうです
どういう事が具体的には書いてあるんですか?
(角屋)植物をいろは順に…。
最初は「いたどり」っていう…。
次は「いちび」っていう植物なんですけどどのように食べるか書いてあります。
「ゆびき」という事で「ゆでて」という事ですね。
(深澤)ものが書いてあるだけではなくその食べ方まで細かく…。
そう調理法が書いてある。
そしてルビも振ってある。
あっほんとだ。
より多くの人が理解しやすいようにという配慮ではないかと思われるんですけどね。
(深澤)誰でも読めるようにこういうふうにルビを振って…。
鷹山は植物を掲載するにあたって江戸から薬草の専門家を呼び数年かけて副作用がないかを確かめたといいます。
そして誰もが読めるような本にしたのは飢きんの度に起きる悲惨な出来事を深く憂いたからでした
飢きんだったりするとやはり人間手当たりしだい食べちゃうんじゃないですかね。
そうすると悪いもの毒きのこにあたって死んじゃうとか妊婦さんが食べない方がいい食べ物とかありますのでそういった事を細かく記録しているんですね。
それで実際飢きんが鷹山の時代も多かったんですがこれが出た事で飢きんの時の被害も少なくなったと言われています。
(深澤)なるほど実際本当のサバイバルにも役立ったという事なんですね。
ここでなんと「かてもの」を自宅の庭で栽培している人がいるという情報をゲット
あっこちらですかね。
石栗さん。
ちょっと訪ねてみましょうか。
こんにちは〜。
こんにちは。
あっどうも。
石栗さんですか?はい。
石栗ですが。
特命店員の深澤です。
あそうですか。
(2人)よろしくお願いします。
今日は「かてもの」について教えて頂けるという事で…。
あ…ええ私の全知識を…エヘヘ…発揮いたしまして頑張りますから。
「かてもの」は自宅の裏にあるとか。
もともと高校の生物の教師だった石栗さん。
65年以上にもわたって鷹山と「かてもの」を研究。
好きが高じて自分の庭で育てる事にしたんだそうです
まずこれがそうなんですよ。
こここれが。
え?今私飛び越えてきちゃいましたけど。
これがね「かんぞう」と言ってね「かてもの」。
(深澤)「かてもの」なんですか?見た目は普通の草花と変わらないように見えますけど。
普通の野原に生えてる草ですからね。
これを取りましてねそれでこれゆでてそして水にさらして…。
これはじゃああれですか?鷹山が書き記したものにもそういう食べ方は…。
ちゃんとかんぞうというのがあります。
鷹山の「かてもの」には「根を粉にして米糠と混ぜて餅にすべし」とアドバイスされているそうです
(石栗)これですこれです。
(深澤)これは何ですか?
(石栗)これが「のにんじん」ってやつです。
にんじんみたいでしょう葉っぱが。
(深澤)言われるとにんじんの葉っぱこういう形してますよね。
におい嗅いで下さい。
のにんじんの根は堅すぎて食べられないため「かてもの」では葉を食べるよう勧めています
(石栗)これでいいんです。
この若い時にこれをゆでましてそしておひたしにして食べるんです。
これどんな味がするんですか?にんじんの葉っぱと同じです。
にんじんの葉っぱというのはどんな味がするんですか?独特のね香りとね味を持ってんですよ。
これ。
あっこれは見た事あります。
これは「こごみ」と言うの。
ちょうどこの時期こごみというシダ科の植物が食べ頃でした。
石栗さんこのこごみとかんぞうで実際に料理して見せてくれるとか
(石栗)こういうところ食べるんですね。
かんぞうはゆでて酢味噌あえに。
「こごみ」はゆでて削り節としょうゆをかけます。
確かに野草も立派な料理に変わるんですね
では石栗さんに作って頂いた「かてもの」料理頂きたいと思います。
どうぞ。
かんぞうの酢味噌あえですね。
いただきます。
うん!食感も良くて…で青臭くないですね。
青臭くないでしょう。
今度こごみも頂きますね。
こごみはまた違った味ですね。
粘りけがあるというか…。
そうそう粘りけがあるんです。
でも鼻に抜ける感じも非常に爽やかでおいしいですね。
そうですね。
鷹山公が亡くなられてから約20年後ぐらいに天保の飢きんがありましたね。
その時米沢藩だけは餓死者が1人も出なかった。
それだけ「かてもの」というのは飢きんの時もそうですけどありがたいものなんですね。
いやもうありがたいどころの騒ぎじゃないんですね。
今旬の「かてもの」それからレシピをお送りしますので是非「知恵泉」の新メニューに加えて頂きたいと思います。
まあ山形から米沢牛は来なかったんですがこごみ届いております。
こごみをおひたしにいたしましたのでこちらをご堪能頂きたいと思います。
ぜんまいみたいですね。
見た目はぜんまいのようですよね。
おいしいですよ!これ。
そうなんです。
サッパリしてるんです。
シャリシャリしておいしいですね。
あっありがとうございます。
いやぁこういうのも全部鷹山さんは…。
そうなんです。
「『かてもの』として非常時にはこれを食べなさい。
そしてこういう食べ方があるよ」という事を紹介していた。
何から何まで考えてくれますね。
そうなんですよ。
やっぱうれしいですねこれが自分のお殿様だったら。
そうなんですよ。
財政再建から福祉から食糧問題からあらゆるものに目を配っていたと。
すごいなぁ!立て直しにはあらゆるところに目配りをする事は大事ですか?そうなんですよ。
見る時はまず全体の大きなものを見てみて「じゃあ今のうちの力で何ができるのか何を一番早くしなきゃならない」という事をやっていく。
それを断片的なところの問題のところだけやってると「木を見て森を見ず」で結果的には改革しようというものができない事があるんですよ。
だから大きなやっぱり夢を持ちそれで今やれる事を着実にやるっていう。
そこのところのやっぱり見ててねすごいあれですね。
さあ2週にわたって上杉鷹山の知恵傾いた組織を立て直すための知恵を見てまいりました。
マイナス情報は正直に話すとか…。
やっぱり僕も結婚してますのでまだ結婚して1年ぐらいですがやっぱりこの先ね自分の給料がなくなってきた時とかつい見えを張りそうな時もあると思うんですよ。
「いや大丈夫だまだ金はある」みたいなね。
でもそれっていいか悪いかちょっと賭けじゃないですか。
その時やっぱりマイナス情報を出すタイミング…。
タイミングは大切ですね。
タイミングですね。
「実は我が家にお金はないんだ!」と言うそのタイミング。
それで家族がギュッと一つになるタイミングがうまくいくんであれば出した方がいいですもんね。
それはそうですよ。
そういうのを言ってもいいけどタイミングだぞという事を今回学びましたので。
山本先生今日の鷹山の知恵どういうふうに私たちは生かしていったらいいでしょうか。
何かやる時に自分のためにじゃなくて自分を殺すと言いますか自分を無にして人のためにやるという姿勢が必要なんだと思うんですね。
それをやる事によって人もついてくるし結果もついてくるという事なんですね。
鷹山は養子に入りますが結局自分の養子の地位というのは養父の重定の実子に返すんです。
要するに自分は一時期この藩を立て直すために養子になったけども成果がある程度上がればもともとの血筋に戻すと。
自分は隠居するという。
そういう無私の精神でやっているんですね。
だからこそみんなまとまったんだと思うんですね。
日本人に特徴的なんですがやっぱり自分のためではなくて人のために尽くすというそういう姿勢が見えると指導者としてやっていけるのかなあというそういうのを感じましたね。
私はねほんとびっくりしたのはねやはりこの無いものから無から有を生み出していくという発想。
これが基本的に言うと新製品の開発なんですね。
ですからこういうほんとに野に生えてたというものをほんとにおいしい食べ物に変えていく。
やはり厳しいだけではなくて質素だけではなくてその質素というものを逆に楽しむようなねやはり工夫というものをしているというところにものすごく引かれるところがありますね。
そして最後にお伺いしたいんですが小嶋さん流の傾いた組織を立て直す極意というのは…?私なりに大事にしてる事って一体何かというとね一つはね…真心からの思いやりを持って。
これ右手にそろばんを持っちゃいけない。
利き手にそろばんを持つと計算の方が強くなってしまう。
実は再建がみんなが協力をしてくれた。
自分の力でやるんじゃないんですよ。
みんなの力をどう集められるかという事なんだけどもその時にやはり「右手に忠恕」真心からの思いやりを持つ。
もしこれを右手にそろばんを持った瞬間にみんなはね「お前自分がもうけるためにやってるんだろう」と思われてしまうっていうふうに思いますね。
僕は経営者になった事ないから分かんないですけど「ほんとにやばいぞうちの会社」となったらついね利き手にそろばん持ちそうな勝手にイメージありましたけどそこをグッとこらえて闘ってらしたというのはなかなかまねできないですわねこれは。
これ結果どうなったんですか?立て直ったんですか?米沢藩は。
そうですね。
まあ立て直しは一歩一歩なわけですよ。
この鷹山と米沢藩その後どういう運命をたどったのか。
今日はこちらをご覧頂きながら締めとさせて頂きます。
本日はお越し頂きましてありがとうございます。
(一同)ありがとうございました。
巨額の借金を抱えていた米沢藩。
鷹山は誠実な姿勢を崩さず毎年きちんと返済を続けていました。
70歳になっても木綿を着て一汁一菜の生活を守っていた鷹山。
藩から生活費の増額を打診されるとこう答えたといいます。
文政5年3月12日鷹山はこの世を去ります。
享年72。
米沢藩が全ての借金を返済し終えたのは鷹山が亡くなったその1年後の事でした。
人生の大半を米沢藩の再建に尽くした鷹山。
その生き方は今も多くの人々の指針となっています。
2014/07/01(火) 05:30〜06:15
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)傾いた組織を立て直せ!▽上杉鷹山(後編)[解][字][再]
江戸時代の名君・上杉鷹山。なぜ現代でも尊敬され続けるのか。藩全員が取り組むことで生まれた大ヒット商品とは?鷹山の巧みな借金の頼み方とは?米沢藩、奇跡の復活物語。
詳細情報
番組内容
現代の経営者たちから注目を浴びている江戸時代の名君・上杉鷹山。巨額の財政赤字で「倒産」寸前だった米沢藩を、あの手この手で復活させようとしていたとき、彼の前にとんでもないことが立ちふさがる。しかし、鷹山は、どん底の状態から再び立ち上がる。そして、誰もが驚き、反対したという一つの政策を推し進めた。その驚きの内容とは?藩一丸となった改革運動は、やがて大逆転の復活劇を生む。晩年のエピソードも感涙モノ!
出演者
【出演】東京大学史料編纂所教授…山本博文,両備グループ代表…小嶋光信,ビビる大木,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz
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