寝苦しい日々。
そんなあなたに「知恵泉」の夏日本史の夏。
今夜の主役は明治から昭和にかけて活躍した3人の文豪たち。
といっても文学作品をひもとくわけではありません。
味わって頂くのはプライベートな魅力あふれる手紙です。
夏目漱石の温かいユーモアのある手紙。
島崎藤村の短くも真心の籠もった手紙。
石川木の臨場感あふれる手紙。
そこには現代にも生かせる優れたコミュニケーション術が秘められています。
文豪たちの手紙を読み解くのは作家の林望さん。
通称リンボウ先生です。
柔らかく知性に富んだエッセーで人々を魅了。
2013年には「源氏物語」の現代語訳を完成させた日本語のスペシャリストです。
そんなリンボウ先生は大の手紙好き。
最新作では英国滞在時に家族に宛てた愛情あふれる100通の手紙がまとめられています。
これであなたも手紙名人。
「知恵泉」お手紙講座実践編です。
今週も「心をつかむ手紙術」。
後編は文豪たちの登場であります。
明日から使える知恵をオンパレードでお送りしたいと思うんですがリンボウ先生文豪たちの手紙というのはどんな魅力があるんでしょうか?多分文豪たちっていうか文学者っていうのは手紙を書く時にその手紙は恐らく公開される可能性というのを必ず可能性の中に入れてると思うんですね。
日記なんかでもそうですけど。
だからやっぱりどこか作品なんですよ文豪の手紙って。
漱石の手紙なんてやっぱり読んでくめども尽きせず面白いですよね。
今日はつきだしにはちょっと変かもしれませんがこういったものご用意いたしました。
ビスケットと紅茶でございます。
リンボウ先生は実際にイギリスにも留学されていたという事ですよね。
このおいしい食べ方正式なというんでしょうかねマナーみたいなものはあるんですか?まず紅茶は必ずミルクティーですからね。
こういきましてですね。
イギリスの伝統的なビスケットですけどこれをねここへこう…。
あっディップするんですね。
つけましてですね。
軟らかにして食べる。
え〜!これがおやつの食べ方ですね。
夏目漱石さんもそうやって食べてたんですか?恐らくそうだと思います。
へ〜!これを…。
たっぷりとねぐっとしばらくしませてね。
軟らかくなるまでそうそう。
う〜ん何かこれバラバラに食べたいな。
ビスケットの脂も入っちゃうしとか思っちゃいますよね。
うんバラバラに食べたい。
(笑い声)まず今日は夏目漱石の手紙術から味わって頂きたいと思います。
「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「こころ」。
100年たった今も夏目漱石の作品は愛読され続けています。
名文家として名高い漱石ですがその技が光るのは小説だけではありません。
生涯に書いた手紙のうち2,500通余りが今に伝わり私たちが手紙を書く時のお手本になっています。
ここに漱石の手紙が187通保管されています。
「人に手紙を書くことが大好き」と語った漱石。
その魅力の一つは人をクスリとさせるユーモアです。
こちらは門下生を集めて牛肉を食べる会を開いた時の葉書です。
漱石は弟子たちに文学作品を持ち寄らせて検討会をよく行いました。
時には皆で食事をしながら議論する事もありました。
この葉書は漱石が弟子たちに宛てた会の案内状です。
至ってシンプルな案内文。
しかし会の魅力を端的に伝えています。
列席者の名を朗々と読み上げているのは集まる文士たちこそが最大のごちそうという意味。
文章を磨き合う友との議論は何物にも代え難いものでした。
最後の一文でオチをつけてクスリとさせるのもポイントです。
こちらは漱石が東京帝大で英文科の教師をしていた時に教え子の野村伝四に宛てたもの。
最終的には伝四にある手伝いを頼む内容なのですがそこに至るまでの筆の運びが漱石流。
ユーモアに富んだ手紙です。
赤インクなのは採点中に書いた手紙だからです。
注目は各段落の終わりに繰り返されるフレーズ。
リズミカルな問いかけを挟みつつ冗談を次々に飛ばして相手を楽しませます。
そして油断しているうちにちゃっかり引っ越しの手伝いを頼んでいます。
一度笑わせてしまえばこちらのもの。
漱石先生はユーモアあふれるセリフ回しで相手の懐を開かせる達人でした。
こちら複製なんですけれども漱石のお手紙を作ってみました。
どうぞご覧下さい。
すご〜い。
今リンボウ先生がお持ちの方が牛を食べる会の案内文ですね。
私はビスケットの方ですね。
そうですね。
いかがでしょう?先ほどのリズミカルな文体の中にユーモアが必ず隠れていると。
リンボウ先生この漱石の手紙どういうふうに読み解いたらいいでしょうか?これね要するに人を食うという人を食った手紙なんですよね。
食うものは人を食うよりほかに手がない。
ほかには牛肉であとは何もないという実に人を食った手紙で面白いですねこれね。
これ「何か持ってきなさい」と言われてるような気もしますね。
「じゃ俺白菜?」みたいな。
「シラタキ?シイタケ?」みたいな気持ちになりますもんね。
そういう含意もあるかもしれない。
あると思います。
今日はこういった文豪の手紙術を読み解いて頂くもう一方にお越し頂く事になっているんです。
実はですねもうそろそろいらっしゃると思うんですが…。
いらっしゃいました!ようこそいらっしゃいました。
(中川)こんばんは。
もう一人のお客様は中川越さん。
文豪たちの手紙に魅せられ27年。
この道の専門家です。
まずは中川さんお気に入りの漱石の手紙を一つご紹介しましょう。
ユーモアを交えつつ借金の依頼を巧みに断る手紙です。
これは全くこの追伸がいいですよね。
「家主を退治したまえ」って。
「1円あるからそれで少し払え」と言うのかと思ったら「酒でも呑め」って。
この手紙の特徴というのはどういうところにあるんですか?断りの手紙は特に借金の場合はですね「ない」っていうそれだけを聞きたいわけですよね相手は。
なぜないのかっていう理由を丁寧に書いているところはやっぱりこれは優しさの一つであるわけですよね。
1円といっても当時多分1万円近い額だったと思うんです。
それだとですね結構呑めると思うんですよね。
かなりそれで勢いつけろ頑張れという意味合いというのはその1円に託されてるという事と……というのは手紙を読んでると気がします。
やっぱりねこれは漱石にかぎらない事だけど…人を悲しませるとか人を傷つけるとか人を陥れるとかそういう事のために書くべきものでない。
やっぱり読んだ人がもうほんとにうれしくなる楽しくなるために書くものですよ文章って。
そういうツールだと思う。
何かこうユーモアっていうものはね文章なんか書くのには欠く事のできないものだと思いますね。
話もそうだけど。
ユーモアのセンスのない話はやっぱりすぐ退屈するしね。
どんな深刻な話でもユーモアの味付けというのは必要だろうと。
とはいえいきなり漱石ほどのユーモアのある文を書くというのも難しい話なのでお薦めしたいのがこちら。
「筆短情長」。
聞いた事ありますかね?「文は短く情は深く」という技なんですけれどもこの筆短情長の名手が次に味わって頂きます島崎藤村です。
ロマンあふれる処女詩集「若菜集」や自然主義文学の先駆けとなる小説「破戒」。
島崎藤村は明治から昭和にかけて文壇の第一線で活躍しました。
藤村は随筆の中で手紙についてこう述べています。
「何も言い廻しの巧みさを求めるでもない。
たくさんな言葉を求めるでもない。
真心がありのままに書かれてあってその人がよくあらわれていればと思う」。
藤村が最も手紙を多く書いた相手が信州の資産家神津猛です。
藤村への資金援助を惜しまずまた生涯にわたってよき友人でありました。
藤村の手紙は今も神津家で大切に保管されています。
全部で226あったかと思いますがその手紙のうちの書簡巻物にするような長い手紙がこういう形で整理してありますけれどもね。
こういう手紙もちろんよろしいんですけれども私はこういう葉書の中の特に…小説「破戒」を書き上げた時の葉書です。
「草稿全部完了。
十一月二十八日夜七時長き長き労作を終る」
「無量の感謝と長き月日の追懐とに胸躍りつつこの葉書を認む」
初の長編小説を書き上げた藤村。
その充実感が短い葉書からひしひしと伝わってきます。
それからいろいろ悲しい出来事もたくさんあったんですね。
その悲しみの中で書かれた手紙がありまして。
長女が亡くなる5日前藤村が病室で書いた葉書です。
「すべての望みは逝けり生等はただ幼きものの死を待つのみにこれあり候」。
ほんとに心からにじみ…何と言いますかね絞り出すような文面ですよね。
藤村の手紙の中で一番私が好ましいと思うのはまずほんとに…その部分じゃないかと思います。
藤村は手紙の形式や時候の挨拶にはほとんどこだわりませんでした。
手紙の多くは「一番伝えたいひと言」から切り出しました。
農業を始めたばかりの息子へ宛てた手紙です。
待ちわびた恋人の手紙への返信です。
短くも真心の籠もった筆短情長。
藤村はいつも飾らないふだんの言葉で自分の心を手紙にしたためました。
言葉は短くそして情は深く。
筆短情長。
サトエリさんいかがでしたか?ほんとに急に文章が始まるので単刀直入にポッと感情と情景が思い浮かびますよね。
「すべての望みは逝けり」とか「弱いのは恥じゃない」とかもうその最初の一文で言いたい事がパッと分かっちゃいますもんね。
ちょっと自分自身の事思い出したんですけどつい先頃「謹訳源氏物語」という全部で10巻から成る膨大なものを書き終えた。
原稿用紙にして7,000枚ぐらいなんですけど。
それを書き終えたの午前3時ぐらいでねその時に一緒にずっと歩いてきてくれた編集者のクリハラ君という人に対してたった1行「たった今書き終わりました」というメールを出したんですよ。
この「たった今書き終わりました」というのを書いた時の気持ちは何とも言えなかったですね。
それはちょっとさっきの長編小説初めて書き終わった時の島崎藤村のあの短い手紙を見た時に何か自分自身の事のように感じました。
その事は非常に大切ですね。
手紙にとっては。
たらたらいろんな事をどうでもいい事を書いちゃうと何を言いたいのかってそこのところがぼけてしまうので本当にこれだっていう手紙の時にはもう単刀直入にその事だけを言うという事は藤村の手紙に大変に学ぶべきとこじゃないでしょうか。
これは昭和33年に発行された手紙の文例集。
辞書と一緒になったものですがお礼の手紙の見本として藤村の手紙が紹介されているんですけれども。
梅干しをもらった時のお礼の手紙です。
「何よりの梅干お送り下されありがたく存じます。
朝茶に添えて梅干を頂くのは私の習慣のようになっていますからこれから当分お送り下すったものを毎朝の友としてそのたびに御地の事を思い出すでしょう」。
分かりやすい。
この手紙にはどんな特徴が見て取れるんでしょうか?まず出だしの……というのが藤村らしい。
これはですね藤村の手紙書簡集を読みますとかなり随所に出てくる言葉で決まり文句のような形をとっているんですけれどもでもそれは単に形ばかりの事じゃなくてやっぱり心の底からそれを思っているなというのは伝わってくるような…。
実際にこの梅干しをどういう形で楽しむかという事を紹介している。
それは毎朝そうするんだという事によって朝の時間になるとこれを受け取った相手の人というのはまた藤村さんはこれで楽しんでくれてるだろうなという事が思う事ができるような効果があるんじゃないかなと思いました。
あのねお礼状を書くというのはそれこそ筆短情長でなきゃいけないですね。
それで食べ物だったらねまず必ず食べてみてから書かなきゃ駄目ですよ。
もらったのを開けもしないでね「どうもありがとう」と言うとね心が籠もらない。
だから頂いたものは僕は必ず食べてみてこれをね「口果報」といいますけどね口に果報を頂いたというような思いでねそうして例えば今朝はこう食べました。
明日はこれで焼いて食べてみようと思いますとかそういう具体的な料理法までね。
それから本だったらね必ず全部読まなくてもいいけどとにかくある程度読んでですねその内容に触れた礼状を書くという事。
そういう事がね人と人とを結ぶ真心っていうものじゃないですかね。
さあ今日はとことん実践的にまいりましょう。
手紙を書く時の切り出しの定番が時候の挨拶ですよね。
これもうまく生かせば魅力的な手紙が書けるんです。
文豪たちの四季の挨拶を並べてみました。
こちらです。
まずは北原白秋の時候の挨拶から。
この手紙を書いた時白秋は二十歳になったばかり。
春めく風景に自分自身の青春を重ねました。
胸の病で療養中だった梶井基次郎。
体調のよさを初夏の素足での散歩によって伝えています。
苦悩を抱えながら執筆に打ち込む太宰治。
その奮闘ぶりがひしひしと伝わってきます。
そして個人的に私これ一番好きなんですけれども夏目漱石。
きれいですよね。
きれいですね。
何か「こころ」の最後みたいな感じですね。
その無常観ですよね一種の。
一番美しい漱石の時候だと思っています。
これもやっぱりさすがに文学者っていうものは無駄には言葉を遣わないっていう……という気持ちがとても感じられますね。
どの手紙を見ても。
そうですね自分の言葉で語っているって自分らしさですよねまさに。
やっぱりね食べ物でも何でもね出来合いのものっていうものは自分の手で作ったのと比べれば絶対おいしくないですよ。
それと同じでこういうものも出来合いの言葉にしちゃ駄目で人から借り物じゃ駄目で…一つ一つがオーダーメードじゃないと文章というのはね。
では自分なりの時候の挨拶皆さんで考えてみませんか?ちょっとこちらに紙とペンを用意させて頂きました。
お題はですね夏ですので懐かしい友達に久しぶりに書く時に書き出す言葉。
時候の挨拶いかがでしょうか?これをお題とさせて頂きたいと思います。
それでは書いて頂きました時候の挨拶拝見させて頂きたいと思います。
まずは中川さんからお願いします。
「啓」拝啓の「啓」ですね。
友達なんで「啓」としました。
「蝉とりを競ったあの頃を思い出します。
君はヒグラシ僕はツクツクボウシが好きで今も好きです。
一曲終わらないと飛び立てないからです」としました。
これはどんな思いを込めて書きましたか?ツクツクボウシっていうのは本当に一曲鳴きやまないと飛び立てないんですね。
そういうところがありましてそういう不器用なところが好きだったという事と自分自身もツクツクボウシに似てるところがあるかなという事をかけましてリンクさせるというのをちょっと考えましてはい。
いや〜もう恥ずかしいです。
情景が浮かびます。
すごい優しい人柄が出ている。
私これ発表しない方が…。
いえいえいえ。
さあ続いてはサトエリさん。
じゃいきます!「先日結婚式であなたの姿を見て知っていたのにお中元に知らぬ名がありよく見るとあなたの名前の上に新しい名字がありびっくりしました。
結婚おめでとう。
お中元ありがとう。
楽しい夏の日々を…まだ・佐藤えり子」。
(笑い声)「まだ」がね。
「また」ってしておこうかと思ったら「まだ」。
まだ私は名字は同じですから。
ずっと親しい仲だったから要はね20年間とかじゃないけど10年以上その名前で呼んでいたのでびっくりしたんですよ。
あぁそうか。
上の名前変わった。
関係性が本当によく分かる。
分かりました?ありがとうございます。
温かい時候の挨拶ですね。
時候だけじゃなくて完璧な手紙ですよね。
本当ですか?いえいえ。
ちゃんとオチもついてる。
いえいえ全然。
すみません。
ではリンボウ先生よろしくお願いします。
「九夏三伏ご存じのように暑さが何より嫌いな私ゆえこんな一句をものしました。
『脳天に棒刺さりたる暑さかな』宇虚人」。
「宇虚人」って僕の俳号なんです。
暑いなって言いたいわけですよね。
言いたいんだけどもやっぱりただ「暑いですね」だけじゃ能がないから少し色をつけまして俳句を織り込んで。
よく僕手紙の書き出しや締めくくりに俳句を織り込むという事をやるんですね。
亡くなった丸谷才一さんが手紙をやり取りすると必ず終わりに一句詠んであったりなんかしてそれがとてもうれしかったのでそういう事を学んでそのつど適切な俳句を作っては書くというような事をしてますね。
この一句入っている事によって自分の事をすごく大切に考えてくれているような気持ちがするものですね。
これは取っておかなきゃという気持ちになりますよね。
本当に三者三様やっぱりすごく味わいのある時候の挨拶になりましたね。
「暑さ厳しき折いかがお過ごしですか」だけじゃない。
あれでは味わえないようなジーンと来るものを感じました。
本当にありがとうございました。
さあ最後は石川木の手紙術ご覧頂きましょう。
26歳の若さで世を去るまでに今も人々が口ずさむ多くの優れた歌を残しました。
ふるさと岩手や青春時代を詠んだ歌がある一方で生活の苦しさも多く歌にしました。
木の残した借金メモです。
63人の知人友人から借りた金額の合計は1,372円50銭。
現代に換算するとおよそ1,400万円です。
木がここまでの金額を借りられた背景には切々と窮状を訴える独自の手紙術がありました。
木が上京して間もなく親友金田一京助へ金を無心した時の手紙です。
木の窮状が目に浮かぶ何とも涙ぐましい手紙。
金田一京助は当時学生でしたがこの手紙を受け取ると自分の持っていた本を質屋に入れてまでお金を工面したといいます。
優しいですね。
金田一京助。
金田一さんだけ「100」って書いてましたもんね。
桁が違かったですもんね。
優しいんですよ。
だからこう丁寧に書くというのもあるのかもしれないですけど。
大体借金する人っていうのは来月の1日になったらねかくかくしかじかのところから10万円もらえる事になっているからそれですぐお返しするからって返したためしはないんですよ。
だから多分こういうのを僕ももらったらさっきの漱石のお断りの手紙のように「ほっておきたまえ」なんて書いたかもしれないね。
どうなんでしょう?中川さんこの手紙の状況というのはどういったものでしょうか?実際に困っていたというのはあると思うんですけれども彼は詩集を出すという事が大きな目標としてあってこのあと5か月後ぐらいに「あこがれ」という詩集を出すんですけれどもそのためにお金が必要だったという説もあるんですよね。
その中でやっぱり面白いのは「違算違算誤算誤算」という繰り返していくようなリズムの中でまさにその状況がこういうふうに進展していくんだというような臨場感ですよね。
通常手紙というのは漱石の手紙にしても距離感というのは非常に適切な距離感をとってそこに清潔なすがすがしさというのを感じさせるものがあるんですけれども木はぐっと近づいていくんですよね。
そういう臨場感というかそれを具体性の中でどんどん示していくと。
まるで自分も追い込まれていくような感じを相手に与えてしまうって助けなくちゃと思わせるようなそういう気持ちにさせてしまうようなところがあったみたいですね。
本当にこの木という人はタイミングよく手紙を送る人だったらしいんですね。
借金をお願いする時にもすぐ手紙。
お金を受け取ったらすぐお礼の手紙。
返済が間に合わない時もすぐに手紙というような人だったと。
これはね実に多くの借金に成功したんですけれども返せないっていうお詫びの手紙が面白いです。
ちょっとご覧頂きましょうか。
すごい何か「大地の子」を見ているみたいでしたね一瞬。
壮大なちょっとスペクタルな感じでしたね。
要はお金を返せないとしか言ってないんですけれども。
でもね借金できるという事はその人の人徳でもあるんですよ。
本当にねくだらないやつだったら誰もねそれは貸しません。
まあしょうがないなこいつは。
どうも困ったやつだなと思いながらねやっぱりそれでも何とかしてやろうかって思った人は金田一さんだけじゃなくて何十人もいたからこそ千何百円も借りられたわけですよね。
それを思わせるというのはこれは一種ねちょっと曲がっているけども人徳は人徳だと思いますね。
書簡をですねやっぱり木のを見ると若い時代からのを見ても構成力とその表現力においてこれは天才だなって思わせるものというのはあったんですよね。
その天才のそばにいたら何かこう震えて出してしまいそうなパトロンとして自分が役目を果たしたいって思う人がいてもおかしくないかなって。
今日はさまざまな文豪の手紙について見てまいりました。
サトエリさんはどういうふうにご覧になりましたか?こんなに短い手紙とか季節の事だけしか書いてない文章だけだとしてもやっぱりその人のカラーというのが出るからすごいなと思いました。
もちろん友達もそうですし有名な作家さんからもらった手紙は取っておこうと思って宝にしようと思いました。
リンボウ先生は文字で人に気持ちを伝える。
これはどういう事を心がけてやるべきだと思われますか?温かい手紙を書きたいなという。
冷酷な手紙じゃなくてやっぱり相手の心がねフワーッと温かくなるように是非書きたいものですね。
借金の断り状であっても。
さっきの漱石の借金の断り状は温かくなるじゃないですか。
あれ見るとね。
貸してはもらえなかったかもしれないけど1円で酒呑めたなんて実にいいなというね。
やっぱりあの心がけでしょうね結局手紙を書く要諦というのは。
漱石は毎朝午前中は手紙を書くみたいな事をなさってたみたいですね。
それをウオーミングアップ代わりにして小説を書いたという事があるみたいですね。
でも朝書く方がいいというのは何か思います。
少なくともね夜書いた手紙は朝見直してからお出しになった方がいい。
朝は冷静なんですよ心が。
そうそう。
夜になると太宰治みたいな。
夜書いた寝ぼけながら書いた手紙なんていうのはですねさっきの情長筆短じゃないその逆でね「情貧筆長」になっちゃう。
それを早く聞いておくべきでしたね。
サトエリさんへの案内状あれ真夜中に書いたんですよね。
朝もう一度トライして下さい。
そうですね。
そうすればもうちょっと心届きますかね?届きます届きます。
またご来店頂けますでしょうか?はい。
是非よろしくお願いします。
本日はどうもありがとうございました。
2014/07/15(火) 05:30〜06:15
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先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 心をつかむ手紙術「文豪編」[解][字][再]
明治・大正の文豪たちは、手紙においても巧みに言葉を操り、読む人の心を動かした。夏目漱石、島崎藤村、石川啄木という3人の手紙から、現代に生かせる知恵を読み解く。
詳細情報
番組内容
携帯電話の普及やSNSの発達によって、いまやメールやメッセージは毎日の生活に欠かせないものとなった。どんな言葉をどんなタイミングで送れば、仕事や人間関係が円滑に進むのか、悩みどころだ。そこで今回は、明治・大正の文豪たちの手紙術を学ぶ。巧みなユーモアで相手を和ませた夏目漱石。簡潔な文章の中に真心を込めた島崎藤村。臨場感あふれる描写で相手の心に迫った石川啄木。言葉の力で心をつかむ知恵を読み解く。
出演者
【出演】作家・元芸大助教授/書誌学者…林望,佐藤江梨子,作家…中川越,【司会】井上二郎
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ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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