およそ60種類で、園内を埋め尽くすように咲き誇るユリの、甘い香りが漂います。
華やかなユリの見ごろは、来月上旬までです。
また園内では、満開のあじさいも楽しむことができます。
(黒柳)まあなんて素敵なご夫婦でしょうね。
これはどこでお撮りになったのかわかりません。
今日のお客様は左側にいらっしゃるお奇麗な方でいらっしゃいます。
月に120枚も原稿をお書きになるという大変お忙しい方ですけど。
足首をお折りになったり何だりしてもどんどんどんどんカンボジアでもアフリカでもお歩きになる方でいらっしゃいます。
曾野綾子さん今日のお客様でいらっしゃいます。
お久しぶりでございます。
ご結婚60年ということでご夫婦の本をお書きになりました。
素晴らしい。
どうも。
今日はね主人もお招きいただきましたのにねちょっとね耳が遠いんで…88歳で。
それでね公のところに行ってね難聴でご迷惑をおかけするのは申し訳ないからよろしくって申して。
ありがとうございました。
恐れ入りました。
ご主人様にもおいでいただいてお二人で「ご夫婦のルール」という本をお書きになったのでご主人にもおいでいただければと思ったんですけどそういうことでございまして。
ご主人は今日本藝術院の院長でいらっしゃって元文化庁の長官もなさいました三浦朱門さん。
作家でいらっしゃるんですね。
そういうわけでお一人でおいでいただいて…。
ありがとうございますどうも。
結婚なすってすごいですね。
そうですね。
六十何年。
ねえ六十何年。
よく続いたもん…。
でもご本読んでるとすごく面白くて今ご主人…あっこれ初めのころ?若い時ですねはい。
あっそうね。
曾野綾子さん随分お若いですね。
20代でしょうこれは。
20代。
でも割とお二人のお写真があるんですねこんなふうに。
いえもう…いつも同じの出してるんですよ。
それ以上言われると困っちゃうんですけども。
写真嫌いなもんで。
ああそうですか。
でもいつも景色のいいところでお撮りになったりして。
さっきのあの奇麗なねお花のいっぱいあるところもあれどこでお撮りになったのか…一番最初の。
あれはねシンガポールにねちょっと前まで…約20年間古アパートを買って始終行ってたんです。
あら!そうですか。
私ね南方が好きで。
暑いとこが好きで寒いの嫌いなもんですからね。
シンガポール行ってただ何てことないですよ。
普通に書いて…暮らしてました。
あっそう。
シンガポール。
ですからランがねとても奇麗だったんですけれど。
お花がすごい奇麗でした。
そうなんですね。
手に持ってらっしゃるのかしらね奇麗なお花。
えーシンガポール…。
でもご主人様は随分お背が高くて背中がきりっとしてらっしゃるんですね。
姿勢だけいいんですはい。
「姿勢だけ」だって…。
とても本当ね姿勢…。
ここどこでしょう?わかりません。
大体2人で行ったとこを愛して覚えてるってことありませんのでね。
でもよさそうですね景色がね。
後ろが川か湖でよさそうな。
ご主人はそういう文化庁長官とか色々なさったけどやっぱり作家でいらっしゃるので。
そういうご夫婦がずっと60年もご一緒にお暮らしになるのはさだめし大変なことだろうと思うんですけど。
あのね家庭内別居っていう言葉がありましてね。
うちたぶんそうなんですよ。
絶えず別で。
行くのも…たまたま景色のいいとこで写ってますけど私はアフリカばっかり行って。
それで夫は行かないんですアフリカなど。
いらっしゃらない?はい。
ですから趣味も違いますし旅行も別なんです。
あっそうですか。
ですから別居してるから何ていうんでしょうか…。
あんまり摩擦の時間がないんでしょうねきっと。
でお話し合いはものすごくなさるんですって?会話はある。
はい。
ご飯の時におしゃべりばっかりしてる。
ないことないこといつも。
でもご本読んでたらすごく面白かったのはなんか曾野さんが出版社の方たちとお出かけになったら電話にご主人がお出になって「ああさっき男の人と一緒に出かけました」。
「奥さんいますか?」ってどなたか仰ったらね「ああさっき誰か男の人と出ていっちゃいました」っつったって言うんでね。
もうあきれ返ってみんなで。
「そのとおり言ったんだぞ俺は」っつってました。
それで相手がどなたかわからなかったって。
わからないんです。
そういうことはちゃんと…。
だからそういう何ていうかしら…。
ユーモアっていうんですかね。
面白いことも交ぜ込んで。
そうですね。
私たちの世界っていうのは…。
人のことを言っちゃいけないんだけど平岩弓枝さんって方もね面白くて旅行にいらっしゃるとねご主人がね「俺の飯は?」ってまず言うんですって。
そしてね「誰と行くんだ」とかねちょっと嫉妬して…。
聞かないんですって。
「俺の飯は?」って仰るんです。
その話で盛り上がって。
「留守の間の俺の飯は?」って…。
そうそう。
それだけが心配なんです。
みんな色々ですね。
そうですね。
でもこのごろなんか朝ご飯とか作ってくださるようになったんですって?ええ。
私ね昔から一人で生きられない男をつくると可哀想だと思って。
私が死なないまでも入院しますでしょ?でやっぱりいけませんでしょ?ご自分でできないと。
ええ。
自分でできないと。
だから何か最低できるようにしてね。
「すいません。
ホットケーキ焼いてください」って座ってるんです。
そうすると敵はしょうがないから焼いてくれます。
本か何かご覧になって?いえいえ。
それはできてるんです。
そういうのお得意なんです。
何とかの粉使って卵をいくつ…。
卵1つで牛乳をこれだけ…。
だから最低やっぱりね世の中の奥様たちは旦那さんをおしつけになんないと駄目ね。
危なくて可哀想。
しつけるべきだ。
お茶をも淹れられない男がいる。
それは可哀想。
本当にそうですね。
あと女の人が男の人に「お茶なんか淹れなくていい。
私がするから」っていう奥様まだ随分いらっしゃるので。
いい奥様なんですけどね。
少し意見を変えたほうがいいように私は思いますけど。
でもまあ今月120枚も書いていらっしゃるんですが月120枚っていうとすごいですね。
一日40枚ぐらい?でもね今私ね書くの一番速いんです。
そしたらねみんながねさだめし人間がいいかげんになって年取ってそれでだから速いんでしょうねっていう説とね。
やっぱりこれ職人ですから書くということは。
だからやっぱり他のことはできなくなっても書くことだけはできるかもしれませんですね。
ちょっと私計算できなかったんですけど120枚お書きになるってことは…。
一日4枚ね。
一日4枚ですね。
今40枚って申し上げてた…。
一日4枚…でも一日4枚コンスタントにお書きになるっていうのは大変ですものね。
そう…でも続きですしね。
…のもありますし。
書くことが決まるとね頭の中にあるものをただ写すだけなんです。
私コンピューター作家ですからこうやって書くの。
『夫婦のルール』という本をお書きになってね両方で書くっていうことに本当はなってらしたんでしょ?はい…何ですか?一緒に書くっていうことですか?代わりばんことかいうふうに。
あのね元々ね机を並べて夫婦が書いて嫌じゃない?っていうんですけどね。
仰る方があって。
本当にそれはねご心配のとおりだと思うんですけどね。
私ねもうお互い相手をね机みたいに思ってますからね。
人間と思ってないから。
すぐそばで書いてたって何の気にもならない…みたいです。
じゃあお隣に並べて本そういうふうに書いてらして…。
ちょっと顔の見えない角度なんですさすがに。
でもハンサムな方だからいいじゃありませんか。
安物のね事務器屋さんでね買ってきた全く趣味のないのを…戸棚を置きましてちょっと斜めですから顔は見えないんです。
パチパチ音は聞こえますけど。
やあね。
それでお隣で書いてらっしゃるの?そうですね。
3メーターぐらい離れたとこで。
あっそう。
それでお書きになった本なんですけどとってもそれ面白くて何ていうかしら…。
「どうすべきじゃない」っていうふうにじゃなく「私はこうしてます」っていうふうにお書きになってらっしゃるのね。
そうですね。
もうよくも…見ていただこうという気もなくなる年ですからお互いに。
すごい。
でもそんなお年じゃないんですよ。
でもご主人のほうが年上でいらっしゃるんですよね。
はい。
両方とも80代でございますからね。
それで主人のほうだってもう90近いでしょ。
でも私はね結構ね「これをやってください」って言うんです。
色んなことを頼むんです。
朝新聞は持ってくるとかね。
夜の…門は閉めに行くとかお願いして。
たまに「アイスクリーム買ってきて」って仰ると違うの買ってくるんだけどそれはもうしょうがない…。
よろしいんですそれは。
私が頼んだのじゃないんだけどそれはいちいちブーブー仰らないで「ありがとう」って仰るんですって?昔から私はねシュークリームってあるでしょ?あれねカスタードじゃなくて生クリームが好きなんですよ。
それなのにそんなこと知ってるはずなのにねある日風邪引いて「お父さんシュークリーム買ってきてください」って言ったらね全部カスタードなの。
で私が文句言ったわけ。
そしたらそれをね三浦朱門が全部庭に放り投げたんですよ。
そしたら犬が喜んで。
うちの犬ものすごい質素なもの食べてたもので。
こんなおいしい目に遭うのかというような顔をしてね食べましたからよかった…。
犬も食うんですよ夫婦ゲンカは。
犬も食うんですね。
そうなんですやっぱり。
でも面白いですね。
そういう…何ですか?本当にやだって仰ったらやなのね。
そうそう。
「わかってるでしょ」って言ったらねブワッとまいたんですよ庭に。
でもそこにそういうこと書いてある時にその時にそれが愛がないとか何とかって思わないほうがいいって書いてらっしゃいますね。
そうですね。
人間っていうのは未熟なものですから終生。
だから限度の中で醜いことしたりたまにいいことしてね。
そんなもんじゃないかと思いますけど。
だからそこで私がシュークリームは生クリームが好きでカスタード…黄色いのは嫌いって知ってるけどそれお買いになったから投げはしたけどだからといって自分を愛してないといって憎んだりはしないと。
つまりねそういうシュークリームの組成なんてものはねこの世で最もどうでもいいことだと思ってるんですね。
それは賛成なの私。
召し上がらないのがすごいですね私だったら食べちゃう。
食べちゃう?嫌いでも。
他のものだったら食べますけどね。
シュークリームはね…。
その日病気だったから。
それでちょっと面倒くさかった…。
私びっくりしたんですけど膠原病もお持ちなんですって?あのね線維筋痛症ってちょっと痛む病気があるんですよ。
大したこともないんだけど。
でも随分色んなところ…カンボジアだとかアフリカとかいらっしゃいますよね。
このごろ面白くてそれは私たち老年のね生き方でもあると思うんですけど。
「痛みと付き合うな」って。
まともに。
だから遊べって言うの。
私マージャンできないんですけどねもしマージャンできたらずーっとマージャンしてたほうがいいんですね痛かったら。
遊びなさいって。
それでうちにいてじーっとこうやってるとね痛みという存在と付き合って誠実に付き合う。
それがよくないんですって。
ですからね私体が悪いから去年アフリカ行ったんです。
あっそうなんですか。
そうしたら何とかなりました。
だってジブチっていうところ降りたら57度だったんですよ。
痛いより暑いわね。
そうですね。
そうすると痛いのやなんかはそこで我慢できちゃうっていうことですね。
ごまかされるんですよね。
私は人間はごまかされるっていうこともやっぱり偉大な贈り物を受けてるんでね…。
なんかはっきり書いてらっしゃるんですけど曾野綾子さんのご両親はなんか仲が…。
悪かったの?悪かったんですね。
夫婦は仲がいいほうがよろしいんですけどね。
おかげで私は苦労人で育ちましたので。
ちっちゃい時から嘘っていうのも必要なんだなとかね。
それからだまされる気でだまされて…都々逸の口で…。
だけどねそういうことも世の中で必要なんだなとかね。
随分大人びましたね。
だからそれが作家になれたね…ならなくたっていいんですけどもとかなと思います。
だから何でもいいんですよ。
そうですね。
そうじゃないと戦争があったこともあるんですが私たちの年代はね。
でもそういうのがないとただぼんやりお嬢さんで育っちゃうことになるので。
そういうことですよね。
色んなことがあると…特に作家におなりになる時は全部が…。
他になれなかったからなったんですけども何でも無駄はないっていうことでしょうね。
ご結婚のいきさつなんですけどいきさつはどういうことから?同人雑誌の仲間だったんです。
東大派のね『新思潮』という雑誌がありましてね。
で私はそこに入れてもらったんです。
苦心をしたかった。
今みたいに投稿なんていうのがありませんからそういうところに行って仲間にいじめられるのが必要なんですよ。
「こんな下手な文章書いて」とか「こことこことがつながらない」とかね。
それに入れてもらいましたらそこの3人ぐらいいた親分の1人なの。
曾野さん聖心でいらっしゃるからね…。
東大派ですから入ってなかったんですねそれまで。
まあ東大もいいかげんになってきたらしくてみんな外から入れようっていうんで私が入れてもらったんです。
でもお奇麗だし若いしできっと…。
それで本郷のねおんぼろ下宿に1人がいましてね。
もうすごいおんぼろ。
マッチ1本で全部燃えるっていうようなうちだったんですよ。
何?マッチ1本で全部燃えるぐらいのうち?ぼろぼろ。
黒柳さんの年でちょっとご記憶ないかもしれないですけどね2階がね…部屋の周りがむき出しの廊下なんですよ。
冬ですよ。
ガラスがないのむき出し。
でここにね破れ障子の中が…例えば六畳ひと間がその彼のうちなんです。
障子も破れてんですよ。
だから外と同じ気温なのね。
その廊下のところにね七輪っていうのがあるんですよ。
七輪と炭俵と長靴とマッチと。
うちの中なのに?そう。
それからうちわが置いてるの冬なのに。
それで七輪に火をおこしたの。
そういう生活の中でねやって…暮らしてらっしゃる。
そこでみんな同人雑誌作ったんですよ。
相当貧しい…。
楽しかったですね。
貧しくてね。
そういう貧しさっていうのは爽やかなものでもありますね。
今それご存じないからお気の毒。
なるほどね。
両方知ってたほうがいいでしょ?貧しさと豊かさとね両方知ってたほうが本当はいいと思いますけども。
で結局ご主人は曾野さんのおうちのほうにいらっしゃったんですか?はい。
私が一人娘だったものでね誰かに住んでもらったほうが便利なんですよ母は。
合理主義者というか実利主義者ですから。
それでご主人がうちにお住みになるようになって。
それでその当時日大へ勤めておりましたので。
で学校の先生して…。
随分若くて日大の先生ですよね。
22歳とかそのぐらいでなんかね…。
でもね学生さんのほうが年上だった人いる…。
復員して帰ってきて。
なるほどね。
そのころ新宿を歩いているとねサンドイッチマンっていうのがね当時いたんです。
そしてなんかお面かぶってるんですか?よくわかんないですけど。
こういうのを持ってね。
そしたらねこういうふうにして「ここの店へ入れ」って言うんですってサンドイッチマンが。
じいっと若いから見てたらね「先生いい子がいまっせ」って…。
それ学生なんです。
全部学生がアルバイトだったんですってね。
教師よりも物知り。
世の中知っててね。
だから非常にそういう学生たちを愛してましたね。
あっそうですか。
復員して帰ってきてね。
だから大陸も知ってるそういう人たちがいてそんな教師の出る幕じゃないぐらい大人だったらしいですね。
そうですか。
でもそういうことっていうのはやっぱり本当に…例えば文化庁長官とかそういうのをなさる時に色んな生活がねおわかりだと…。
はいはい。
やはりね決して私あの…日本の空襲の時に子供でね。
ですから戦争があったほうがいいなんて絶対思いませんけどもあってしまったらあってしまったでそれは個人のね大きな精神的な財産だと思います。
それをうまく使いこなせないとねいけないんじゃないかなっていう気はしますね。
どんなに人が親切だったかとかね親と別れるのはどんなにつらかったとか色んなこと覚えましたもんね。
でもあの…焼け跡を放浪しててもね人間は死なないもんで…どうにか生きてましたね。
でもそうやってらっしゃる間にお隣に三浦さんのご両親も引っ越していらして一時に老人が3人に…。
3人…。
ですからミニ老人ホームやってたんです。
するとねいかにね不誠実にいいかげんにね今日を生きてただ私が潰れないで。
絶対両親たちを捨てるとか別居しましょうっていうことだけは言わなかった。
何でもケンカしてもいがんでもどうしても一緒に住んだんです。
それでおかげさまでね何とかもちましたからよかったのかなと思いますね。
でも随分3人ともご長寿でいらっしゃいましたね。
はいはい。
私の母が83で亡くなりましたんですけど主人の母が89で主人の父が92でうちの猫は22歳って必ずそれ言わないとね…。
お得意なんですよ三浦朱門が。
なんで猫が出てくるの?って…。
でも猫22って随分のね長寿ですかね。
ですからねうちはみんな長寿なんだって言ってね…。
皆さんそれでおうちでお亡くなりになったんですって?はいはい。
曾野綾子さんは親の死は世間には知らせないっていうふうに決めていらした…。
それは母も言っておりまして。
うちのようなのは私が仕事でお世話になる方っていうのは母にお会いになったことないけど何となく「母が亡くなりました」って言えばねちょっとあいさつに行かなきゃいけないってお思いになるだろうから絶対隠せって。
あっそう。
はい。
それで今なんか家族葬とか何とか…直葬とかいって通夜世代なんでその当時そんな言葉ないんですけどね。
うちがひそかにひそかにやってうまくいきました。
あっそうですか。
はい。
それで私が母のまあお葬式らしい…焼き場に運ぶ日に私当時中曽根総理だったと思うんですけど総理官邸で対談があって。
で朝伺って…。
私そのままの服でいいんですけど焼き場に行ったら他のお葬儀もおありになので悪いと思って守衛さんの部屋へ頼んでねそこで黒い服に着替えて。
それでうちからは母の遺体を夫とそれから…母からいって孫に頼んで。
ええ。
息子。
息子…私の息子に頼んで行きましたんですよね。
それで三浦朱門に会いましてから「お父さん誰にもうまく見られなかった?」って言ったら「なんか少し散歩の人がじーっとお棺を運び出されるのを不思議そうに見てた」って。
「ああじゃあやっぱり知られちゃったのね」って言ったら「馬鹿。
一人も見られないで遺体を運び出せたら完全犯罪だわ」ってこういう…。
相当…相当おかしい。
まったくねもうね言うことなすこと全部おかしいんですけどそうですわね。
まあそうですね。
見られてよかったんですけどね。
でもお母様っていう方はすごくていつの間にか全部物を整理してらしたんですって?はい。
あの…小ちゃなね6畳ひと間の…。
大邸宅って言ってたんですけど離れでございましてね。
トイレとお風呂がついてたんで。
本当にそれだけなんで…押し入れと。
そこで…亡くなりましてから後にねそこにあった押し入れの物しかないんです。
あと整理ダンス1本と。
だから例えば草履が何足かあったのにありませんのね。
そしたら要するに…万が一病院行く時のために1足だけ。
着物もなんか病院へ行くのに…しかもウールのなのよ。
ウールのね手縫いの…自分の。
簡単な。
それだけ残してあとみんなあげてしまって。
へえー。
いつの間にか。
はい。
それで下手くそな和歌書いてたの。
そのね書いてるのは薬包紙って…昔薬はねこれくらいの紙に包んでくれたんです粉をね。
それを伸ばしてそこに書いてありました。
あっそう。
だから別にあの…ノートを買うお金がなかったとも思いませんけどもう自分のような歌はねそれでいいと思ってたんでしょうね。
お薬作る時にこんなふうにしてこのぐらいのね…。
ぱっぱっとはたいてそれを伸ばしておくとノート代わりになったの。
すごい。
時代もね私なんかもまだねすごいケチなね時代の思いが残ってるんですよ。
物捨てませんしね。
でもお母様すごいですよね。
お母様亡くなった時はもうぜいたくな…。
午前中だけで済みました。
お掃除…。
後片づけ。
後片づけが。
すごい。
それで少しお浴衣がね…だからそのお浴衣でね当時はねおむつを使ってたんですね老人用の。
それなんかにするように回しただけであと何も捨てる必要…。
すごいですね。
でもあれですよね?義理のお母様のおうちの畳をお替えになったっていうの?これがねおかしくて。
私の母は福井県で。
お差し障りあるかもしれませんが福井県ってねいい意味で浪費県なんです。
派手なのね。
それで私のしゅうとめさんは新潟県なのね。
これはいい意味で倹約県なんですね。
するとね片っぽはねどんどん使う。
お金が…物も使う。
片っぽはもう何にも使わないっていうほうなんですよ。
そしたらね…お布団もねしゅうとめさんのほうは硬くて重いのがいいんですって。
軽いのをやったら寒いんです。
私ね…面白かったですね。
畳も替えさせないんですおしゅうとさんは。
ですからね時々入院なさるとねこれ幸いと思ってねいない間に私全部畳替えちゃう。
でねなんか不愉快な顔してましたけど見ないふりしてね。
新しい畳を古い畳に…もう変わらないでしょ?そうそう…それはそうですね。
やったが勝ちと思ってましたけど。
でもあれですね曾野さんはもう82歳ぐらいでもマダガスカルとかいらっしゃって。
今でもいらっしゃってるんでしょ?今年83になりますから去年82の時にも外国行って。
マダガスカルは前にお書きになった本大好きで私…。
ありがとうございます。
今はね昭和大学っていうところの…口唇口蓋裂って今難しいのが…。
ここが子供の時から割れている子供…。
でそこの先生に行っていただいて。
貧しい子ってほったらかしなんですよ。
割れたまんまでね。
割れたまんま。
それをついでいただいて。
世界的なレベルの奇麗な…。
すごいですね。
日本から先生もいらっしゃったりして?全部行っていただいて。
子供って麻酔がいるんですよ。
全員麻酔なんです。
麻酔科がついてないといけない。
そう大変。
そうすると麻酔器があって…。
じゃあこういうものを全部器具も?はい。
これ最初の日で次年は1.2トン運びました。
そんなに?はい。
麻酔器があってねそれからマダガスカルにどれだけ薬があるかわかんないっていうんで食塩水からねブドウ糖までお持ちになったの。
私が「塩水と砂糖水運ばないでください…」。
向こうでね「塩と砂糖混ぜていただけませんか」っつって笑ったぐらいなんですけど。
でもおかげさまでもう定着いたしまして3年間で七十何人治していただいて。
ああよかったですね。
でも持てるものっていうのはお金も物もありますけど技術もそうであったらないほうに差し出すっていうごく自然な精神というのは水と同じでしょ。
高いほうから低いほうへ流れる。
それはやっぱり私たち忘れないほうがよろしゅうございますよね。
そうですよね。
でもあの…足首ケガしたり何だりしてもどんどんそういうマダガスカルだろうとカンボジアだろうとどこだかいらっしゃるってすごいなと思って…。
歩いたほうがいいんですよ。
そうですってね。
つかまるとこはつかまるけどつかまんないところはどんどんつかまんないでお歩きになったほうがよかったんですってね。
あのねルール決めましたの。
そうでないとね人に他者ぐらい…つかまるのにいいことはあるんですけどね…。
その中から色んなお話を伺ってたんですけど本当にお元気でうらやましいことでございます。
どうも本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
曾野綾子さんでした。
続いては上沼恵美子さんです。
おいしいお料理どうぞ。
2014/06/30(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋[字]
〜3人の親を介護し…82歳現役人気作家の暮らしぶりは〜曾野綾子さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
作家の曾野綾子さんがゲスト。
◇番組内容
88歳の夫・三浦朱門さんとの結婚生活は60年を迎えた。妻のモットーは「最低限の料理を作れるくらいには夫をしつけるべき」。という事で、時折朝食を作るようにお願いすると夫は器用に作ってくれるという。82歳の現在、月120枚も原稿を書いているが、夫の両親と自分の母、3人の親を介護しながら作家活動をしていた頃もあったと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
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バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
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