(辻心響さん)誰か一人でも誰かの心に届くように…。
(ギターの演奏「手紙」)ぜひぜひ前で聴いてください。
・ある朝僕に届いた・1枚の手紙・最初で最後の・あなたからの手紙でした・ありがとうと・愛してると
(ナレーション)
週末街角でギターを奏でる女性がいます
歌っているのは母親のことです
母子家庭だった心響さんは小学生のころから児童養護施設などを転々としてきました
母親から暴力などの虐待を受けていたからです
テンション上がってるときはすごい楽しくやってるしでも下がってるときはほんまにボコボコんときもあるし。
だから私らも読めないから。
去年の春突然届いた1通の手紙
母親からの初めての手紙は遺書でした
心響さんが駆けつけたとき母親は自ら命を絶ったあとでした
手紙で初めて知ったこと?
(スタッフ)うん。
パッとは出てけぇへんけどやっぱこう思った以上に愛されてたんやなとは思いましたね。
・生まれてこなきゃよかったと・嘆いた夜も
もう母親に心響さんの声は届きません
でも心響さんは届かない思いを歌にしました
母親のことを一度も母さんと呼べなかったある女性の思いです
1人分の量が作れへんからいつも余りますね。
すでにもうこの時点で1人分の量を超えてるからね。
大阪市内で1人暮らしをする辻心響さんは小さいころから家族5人分の食事を作ってきました
母親から虐待を受けるようになってからは児童養護施設などを転々としたので1人の食事が苦手です
多いときほんま70人とか施設の食堂で食べるんで。
そんな少ないことないかな。
少なくても1020はおるから。
そうそう。
夜になると決まって自転車で出かけます
どこか行く当てがあるわけではありません
好きな音楽を聴きながらひと晩中走り雨の日はコンビニで時間を潰します
暗くなると家に1人でいられなくなるといいます
(スタッフ)夜は外で過ごすことが多いんですか?多い。
多いっていうか夜はほとんど。
(スタッフ)それはなぜですか?あんま家にいたくないよね夜。
なんでとかじゃないけど1人で家にようおらんのよね。
だから基本親が動きだすのが夜やし…なんかしてくるときに。
母親の感情が爆発するのは大抵夜でした
その記憶に今もとらわれています
明るくなってから家に戻り短い睡眠を取ります
入ってけぇへんの?
1人暮らしを始めてから昼夜逆転の生活です
心響さんは京都で生まれました
兄と2人の弟4人兄弟の2番目でした
「心」に「響く」と書いて「心響」と呼ぶ名前は母親が付けました
名前の意味はとうとう聞かずじまいでした
母親は結婚と離婚を3度繰り返したので兄弟の父親はそれぞれ違います
心響さんの父親はその後どうしているのかどんな人だったのか全く聞かされていません
私のお父さんですか?もう全然ないです。
(スタッフ)全く?名前もだから中学ぐらいになって初めて知ったぐらいで。
(スタッフ)記憶も全然ないしっていう感じですか?ないないない。
写真も見たことないし。
(スタッフ)気付いたらお父さんがいないって感じやったんですか?だから弟のお父さんをお父さんとずっと思ってたから。
アルバムには子どもの成長を喜ぶ母の気持ちが記されています
子どもたちの誕生日は必ず祝ってくれました
母親も上機嫌でした
ところが3度目の離婚をしたころから様子が変わりはじめました
夜中まで働いていた母親が引きこもり家事もしなくなりました
精神科での診断はうつ病とパニック障害
仕事もできなくなり生活保護で暮らすようになりました
小学2年生だった心響さんは幼い弟たちの世話に追われました
僅かなお金を基に兄と交代で食事を作りましたがそのころから母親は心響さんたちに暴力を振るうようになりました
普通に殴ってくるときもあればほんま髪の毛持って引きずり回されたりとかのときもあれば無言でずっと外出されて家入れてくれへんとか。
全然なんか違いますけどねそんときによって。
(スタッフ)お母さんに対してどんな気持ち持ってましたか?そんときは怒られてると思ってるからとりあえずなんで怒られてるかの理由探しですよね。
適当なん見つけて「あっこれかな」っていうので…。
結構…だからしゃべらんとガッとくるタイプやったんで。
「何したやろう?」っていうのがめっちゃおっきかったっすね。
いつ母親が感情を爆発させるか分からないので夜もぐっすり眠れませんでした
小学4年生のとき母親が薬を飲んで自殺を図ったのをきっかけに子どもたちは児童相談所に保護され施設で暮らすことになりました
児童養護施設で暮らす子ども…
食事が出て自分の時間も持てる施設での暮らしは心響さんにとって母親の顔色をうかがう生活よりも楽でした
お母さんもね一定の愛情を持っておられたと思うし子どものことやったら一生懸命なお母さんだったと思います態度も表情も。
はい。
なのでそういう…お母さんが自分たちに全く関心がないとかいう気持ちではなかったとは思うんですけど…。
でもやはり非常にお母さん気分のむらがある方やったからそのところでは正直こう気を許してべったり甘えるとかいったことはできてなかったんじゃないかなと。
鹿児島県出身の母親自身親が離婚し母を亡くしたあとは施設で暮らしていたと心響さんは聞かされています
「子どもがいないと生きていけない」とよく口にしていたという母親は心響さんたちを施設から引き取りたいと強く希望しました
「もう二度と同じことは繰り返さない」と言いながらひと月もするとまた子どもたちへの暴力が始まりました
私の中ではもう呼ばれたら行かなあかんっていうなんか知らんけどそういう関係があって…。
(スタッフ)お母さん?そう。
それは施設の先生にも分かってもらわれへんかったけど。
「帰らんかったらいいやんそんなんなんねんから」みたいなとこがあるわけやけど…それがたぶん普通の考えやけど。
絶対服従じゃないけどなんかどっかでそういうのがあって家来いって言われれば100%行ってたし。
そういうなかで帰ったら薬飲んでラリってて…。
自殺未遂じゃなくてもある程度飲み過ぎたりってのはよくあって。
そうそう。
だから帰ってボコボコとか。
ただただストレス発散のときもあるしほんまにたぶんさみしいから家来てっていうのもあるしどっちか分からんから余計行ってたし。
あそこ。
あの2階。
あれあれ。
(スタッフ)そこ?うん。
機嫌悪かったらみんな外にベランダから出んねん。
そこ乗り移れるやん貯水槽に。
それミカンの木やねんけどあのミカン食ってずっと暮らしとってん金ないときに。
中学1年生のころ一時期母親のもとに戻っていた心響さんですが生活保護費がなくなると母親は心響さんに働くよう命じました
お金ないからもう働かなしゃあないから。
そんな家に長時間おるというよりは…って感じかな。
(スタッフ)働くっていうのは誰が決めて働くんですか?親親。
親が働けっつって自分で探して働く。
(スタッフ)何してたんですか?そのときは飲食。
年ごまかしてやけどね。
ははっ。
(スタッフ)中学校には通ってたんですか?ほぼ通ってないね。
教室とかも入らんかったしたまに行っても。
もう仕事行ってる間は全然行かれへんから。
(スタッフ)休むことも?休むっていうかほとんど行ってなかったかな。
(スタッフ)甘えたいっていうか…。
別にない。
心響さんは弟たちに母の暴力が向かないようにするのが精いっぱいでした
ひどいとき骨折。
(スタッフ)どこを?あばら。
2本いった。
(スタッフ)何されたんですか?あんとき踏まれたんちゃうかな。
別にそれが変やとは思ってないからねそんときは。
それがだって毎日なわけやから。
(スタッフ)なんて呼んでたんでしたっけ?親のこと。
「なあなあ」っつっとったなしゃべりかけるときはね。
それか「あの〜すみません」って。
ははははっ。
(スタッフ)前も聞いたけどさ「お母さん」とか「ママ」とかそういう呼び方はしたことある?ないかなぁ。
人前…人としゃべってて「うちのお母さんが」って言い方はあるかもしらんけど本人に向かってはないな。
(スタッフ)「なあなあ」って?「なあなあ」って。
年齢上がってからは「あの〜」っつって。
あはははっ。
施設と家を行ったり来たりする生活
やがて心響さんはリストカットを繰り返すようになりました
17歳のとき精神科でうつ病や不眠症などと診断されました
てんかんの発作も頻繁に起こるようになり今も通院し生活保護を受けています
それでもちっちゃいときからありますよ。
そらそうやだって親に捨てられて施設おるわけやから。
じゃあなんで産んだん?って思うし。
産まんかったらよかったっていうときもあるし。
そんな心響さんが出会ったのが音楽でした
中学生のころ施設の職員からギターを教わったのがきっかけで弾き語りをするようになりました
そして18歳で施設を出た心響さんは母親のもとには戻らず1人暮らしを始めました
初めて自分の意思で母親から離れたのです
・来週はいつ会えるんだろう
心響さんが月に1度心待ちにしている日があります
中学1年の弟剛君です
剛君は10年近く児童養護施設で暮らしています
月に1度心響さんと一緒に過ごします
手伝いやん洗濯物洗って干すっていうのも。
兄弟4人は今バラバラに暮らしていて心響さんが自由に会えるのは剛君だけです
ばりきしょいやん。
ええやろ?
母親に代わってずっと面倒を見てくれた姉は剛君にとって心を許せる数少ない存在です
(スタッフ)お姉ちゃんのこと好き?好きっていうかまあ親代わりみたいなもんやな。
智子は親っていう感覚がなんかその…。
まあ親は親やったけど。
どんな感覚なん?智子?智子は親っていうか…。
うん。
はははっ…なんやろな?一緒に遊んでくれる人みたいな。
けど…。
遊んでもらってないやん。
遊んでもらってないねんな。
あんま思い出っていっても…ちょっとしゃべったぐらいやしなぁ。
飯一緒に食うぐらいやし。
家におる人やな。
うんどっちかっていうとな。
まあ親っていう存在やけどな。
もちろんな。
あんた産んだんはあの親やしな。
そういえば俺なんもしてへんな。
何したんやろな?う〜ん…。
思い出探すんがちょっとな。
約束とかはしとってんけどな。
来年プール…どっか旅行行こかみたいなことは話しとってんけどな。
まあ行かんと思ったわ。
ははっ。
そやな。
まあその気持ちはいいんちゃう?ほんまに連れてったろうと思ったんやろうし。
なっ。
(剛君)起こしたるわ。
ほんまに寝ようや。
ああ〜。
何?これ電気消す?
夜1人だと部屋にいられない心響さんも剛君が来たときだけは安心して眠ることができます
きっしょ。
(剛君)何がきっしょやねん。
ちょっと今の顔やばいって。
もう一回やって。
心響のねぐら。
高校1年の冬
施設から自宅に戻っていた心響さんはひと月以上もの間この橋のたもとで寝泊まりしていました
学校ギリギリまでおってほんで夜ここら辺ウロチョロしたりして寒いからコンビニとか行って。
ほんでちょっと寝て学校。
でも寝られへんからさ。
寒いとかじゃなくてもう痛いからさ。
めっちゃ風も通るやん。
で学校の保健室行って寝とった。
食事を全くとらない日もありました
家出ではありません
いや入られへんかってん。
入ったらあかんかってん。
(スタッフ)それどういうこと?どういうことって…だから心響は家に入ったらあかんかってん。
鍵締められてるっていうか「帰って来んな。
はい終わり」みたいな。
このときは高校が児童相談所に通報して保護されました
おととし判明した虐待およそ6万7000件のうち6割近くが実の母親によるものです
親子という閉じられた関係が解決を難しくさせていると専門家は指摘します
一般的にはできるだけまずは悪しき者を絶つっていうことで引き離すってことあってもじゃあそれでオッケーかっていったら難しいのは離れたらね戻りたがりますよ。
それまあ当然だしね。
結局…。
だから結局っていうなかでのもっとややこしい関係になっていくんですよね。
17歳でまた施設に入った心響さんですが母親から呼び出されると勝手に抜け出して家へと戻りました
そこで待っていたのは更に過酷な現実でした
どっからか知らんけど客取ってきてで心響が行って金は全部親。
意味分かる?
(スタッフ)そのときになんて言われるの?なんて言われる?別になんも言われへん。
「金ないねん」っつって。
(スタッフ)それで「はい」ってなるわけ?なるわけ。
(スタッフ)それでどうするわけ?どうするってだから別に普通におっさんの相手して終わる。
うん。
(スタッフ)それが日常的やったと?別にそれは日常的っていうか毎日ではないやんここ住んでないからあれやけど…。
それがないときもあるし普通に。
バラバラやな。
(スタッフ)母親は…俺前のインタビュー聞いたときにそれかなりひどいと…。
ごめんなんて?
(スタッフ)ひどいって思ったそれは。
うんうん。
はははっ。
(スタッフ)さらっと言ってたけどさ。
うん。
(スタッフ)「えっ?」っていう…。
うん。
(スタッフ)そのへんのいわゆる自分の意識はどうなん?そら別にやらんでいいんやったらやりたくないよ。
そらそうやろ。
ははははっ。
(スタッフ)拒否は?しない別に。
(スタッフ)しない?できない?どっち?どうなんやろな。
分からんけど別にしようと思ったことがない。
(スタッフ)けど嫌やと思って?それは嫌や。
はははっ。
1人暮らしを始めた心響さんのもとに…
手紙には自殺をほのめかし別れを告げる内容が書かれていました
これまでも何度も自殺未遂を繰り返してきた母親
それでも心響さんは警察に通報し家へと駆けつけましたが母親は薬を大量に飲んですでに息絶えていました
そんときはふざけんなぐらいしかないですよもう。
ただの逃げですからね。
でも見つけてほしかったんでしょう結局は。
鍵も開けたまんまやったしね。
心響さんは弟たちと3人だけで母親を見送りました
兄は当時行方不明で連絡を取るような親戚もいませんでした
どうもこうもないよねとりあえず剛は守ったらなしゃあないし。
葬儀とかのときは特にね。
(スタッフ)自分がわぁ〜って泣くようなタイミングはありました?泣くことはなかったかな。
ああ〜でも葬儀とかの前にずっと世話になってた先生と電話しとってそのときはちょっとあれやったけど。
これがあの日母親から届いた最初で最後の手紙です
「心chanは元気ですか?この手紙が届く頃には智はもうこの世にいないと思います」
「誰よりも幸福になってね。
今迄ありがとう…SAYONARA」
(スタッフ)その手紙で初めて知ったことってありますか?手紙で初めて知ったこと?
(スタッフ)うん。
パッとは出てけぇへんけどやっぱこうそれが別にずっと分からんかったわけでもないけど思った以上に愛されてたんやなとは思いましたね。
ずっと傷つけられてきた心響さん
でも母親も虐待する一方で苦しんでいたのかもしれません
その後3枚あった手紙の2枚目だけをどこかになくしてしまいました
いくら捜しても見つかりません
母親が…大嫌いだった母親が自殺という形で亡くなりました。
でその〜死んですぐぐらいにですね母から送られてきた遺書をもとに作った「手紙」という歌があります。
聴いてください。
母親が亡くなったあと心響さんは周りに勧められライブに出演することになりました
オリジナル曲を作るとき最初に思い浮かんだのが憎んできたはずの母親と手紙のことでした
(ギターの演奏「手紙」)
母親が自殺したあと心響さんは週末の夜になると大阪・ミナミの街角で歌うようになりました
でその〜死んですぐぐらいにですね母から送られてきた遺書をもとに作った「手紙」という歌があります。
聴いてください。
(ギターの演奏「手紙」)
(ギターの演奏「手紙」)
なくしてしまった手紙の2枚目には「ありがとう愛してる」そして「さようなら」というメッセージが書かれていたといいます
母親の口からは直接聞いたことのない言葉ばかりでした
・今なら胸を張って・言えるよ
心響さんが初めて入った児童養護施設です
施設に入ったり家に戻ったりを繰り返した心響さんにとって小学校4年から卒業まで最も長く暮らした場所です
(横山さん)あっこんにちは。
いらっしゃい。
髪の毛伸びたんちゃう?そうや。
つぼっち!
(坪本さん)おかえり。
ただいま。
どうぞまあ。
(横山さん)園長先生もちょっと今出てはるけど。
今も年に1度はひょっこり顔を出します
施設には小学生のころから心響さんを見てきた職員がいます
去年母親が自殺したことそしてその後心響さんがライブを始めたことも知っています
(横山さん)なんで歌歌ってるん?「なんで歌歌ってるん?」ってそれは別にあれやで…。
(坪本さん)もともとがななんで…きっかけなんでやったんかなぁと思って。
なんで?
(横山さん)「なんで?」って…。
だからもともとは先輩のストリートとか見に行っとって。
自然とつながっていくやんいろんなとこ。
ライブのこと生活のことそしてかつてここで一緒に暮らしていた弟のことが話に出ました
(横山さん)で剛には今まだ会いに行ったってんの?会いに行くっていうか帰って来るうちに。
外泊で。
今やっと2泊3日までこぎ着けた。
はははっ。
(横山さん)お姉ちゃんの方が大変。
(坪本さん)そうやな。
自分のことはせなあかんわ…。
(横山さん)弟のことも見なあかん。
基本はすごく優しい子なのでそこはもう昔から変わってないです。
我慢する子でした昔から。
自分の気持ちはなかなか表に出さずにそれよりも弟のことであったりだとか周りのこととか。
それは僕も覚えてますかね。
まあだからさっき言うてたちょっと強がりなとこもあるけどそうやって自分の気持ちを今は歌を手段としてね外へ伝えたいっていうことがあるのは彼女なりの伝え方やからいいんじゃないですかね。
面と向かってしゃべってなかなか弱いとこも出せなかったりするんだったら今は歌で気持ちが伝えれるということを一つの手段として使ってるんやったらそれは…。
受け止めてくれてる方々がいるっていうことがやっぱりありがたいかなと。
いただきま〜す。
イエ〜イ。
施設で出ていた懐かしいお弁当をごちそうになりました
心響さんは今度子どもたちの前で歌う約束をしました
(横山さん)品数も増えたかなちょっとは。
写真のネガとかはいらんよね?
(スタッフ)うん。
母の死後家を片づけていると写真や日記手帳が出てきました
どれも心響さんが初めて見るものばかりでした
なんか1人1人に向けて書いてるときもあればほんまにその日なんか…「今日朝起きて病院に行って」みたいな。
ほらこんなんとかも。
なんでここまで書ける親が虐待するかやね。
心響さんについてつづった手帳もありました
母親に髪を無理やりハサミで切られたことをなぜ他人に話したのかそんなに虐待されていると思われたかったのかと心響さんを責める言葉もありました
かと思えば1人暮らしを始めた娘に対し体調や食事などを心配する母親の表情を垣間見せます
「心から愛している」と書いている日もたくさんありました
そしてこんな記述もありました
「心の心の傷をいやす事も、つぐないも、何ひとつ返して、あげられなくて、ごめんね…」
「心chan…ごめんね、一人ではもう生きて行けなくて…先行く私を許して下さい心の帰れる家を作ってあげられなかった事もどうか許して下さい」
まあでもなんかそうやって例えば日記にしか書けなかったりとかそういうのが死んだときに一瞬にして見えたわけじゃないですか。
基本そういうところですけどね。
たぶんだから出されへんかっただけなんですようまいこと表現として。
そんなかでイライラしたり病気が絡んできたりとかいろんなことがあっての今までやったと思うんですけど。
プラスかマイナスかで言ったらたぶんプラスやと思うんですよね。
なんも知らんまま終わるよりはああやって日記とかが残っててあっそうやったんやって知れるだけで…。
死んだらなんも分からないんで結局。
それがあの日記に書いてることやったり遺書が本心か分かれへんし。
だって自殺するって決めてるんやから…自分で死ぬって決めてるんやからおかしいねんからその時点で。
そのときに書いてたことがほんまなんかどうかなんか知らんけどそれがあるとないとではやっぱり心持ちが違いますよね。
はじめまして。
「心」に「響く」と書いて「心響」といいます。
よろしくお願いします。
イエ〜イ。
ええ〜せっかく来たんやから盛り上がって帰ってほしいなとは思うんですが明るい歌が一曲もございませんので。
(客たち)はははっ。
ええ。
はははっ。
カバーで補っていきたいと思います。
・生まれてこなきゃよかったと・嘆いた夜も・1人うずくまったあの夜も・確かにあったけど・今なら胸を張って・言えるよ感動…感動というかすごい涙こらえながら聴いてて。
ほんまになんですかね…いやほんまに明るさと曲のギャップがすごくて。
その〜気持ちがきっとお母さんに伝わってる…伝わってたらいいなってめっちゃ思いましたね。
すごいなぁとか思いました。
僕だったらどうなんでしょう。
潰れてるかもしんないっすね。
こうやって気丈に…気丈というか普通に元気に明るく歌ってらっしゃるのがすごいなぁと思いました。
人前で歌うことが徐々に増えてきた去年11月心響さんの体調に異変が起きました
胃の調子が悪い日が続き突然血を吐いたのです
駆けつけた病院で下されたのは思いもよらない診断でした
(ギターの演奏)
去年11月突然血を吐いた心響さん
病院で胃潰瘍とともにがんが見つかりすぐに抗がん剤治療を受けたといいます
ああ〜でもなんも分かんなかったですね。
パッとしなかったですね。
結構テレビの世界じゃないですかがんとか。
そうだから最初はなんかへえ〜みたいな。
いまいちパッと分からん感じで。
まあでもそのとき全然初期やったんでいけるやろっていう感じでしたね。
(スタッフ)病気のこととか自分の体のことはどんなふうに思っておられますか?特になんも考えてないっすけどね。
まあ治りゃいいなぁぐらいの。
今は自覚症状はなくこれといった治療は受けていません
自分の体のことですがどこか現実感を持てないままでいます
なんとも思ってなかったですね。
なんか疲れてんのかなぁ思って。
はじめましてこんばんは。
心響といいます。
よろしくお願いします。
・僕は顔を見れず
この日のライブには弟の剛君が初めてやってきました
心響さんの歌を真剣に聴くのも初めてです
・あなたに出会え本当に良かった・ありがとうもうおかんに届けた曲っていうのもちゃんと理解はできるしまあそこらへんはいいと思います。
(スタッフ)それを書いたお姉さんの気持ちって分かる?多少悲しかったりはしたんかなと思いますけどまあいろいろと。
(スタッフ)こういう場で歌ってるお姉さんっていうのはどうですか?自分と接してるお姉さんと…。
まあちょっとちゃいますね。
すごくいい雰囲気で見れますね。
心響さんは去年から通信制の高校に通い直しています
中学のころからほとんど学校へ行けず高校も中退した心響さんはレポートの提出が中心の通信制高校でもう一度卒業を目指しています
もともと高卒はいるなっていうのはなんか知らんけど別に理由なくずっとあって。
でまた去年行こうかなと思って。
今は音楽やってるけどそれも変わるかもしらんし。
(スタッフ)なんかいつかこういう仕事したいとかこんなんしたいとか何か…。
子どもに関わる仕事したいですねなんか。
剛君の13歳の誕生日です
この日のためにバースデーケーキを予約していました
友達と一緒に祝います
よし剛今年の抱負は?今年の抱負言って消せ。
(剛君)抱負って何?今年一年何を頑張るかや。
(剛君)何を頑張ろうかな?恋愛頑張るわ。
フゥ〜!もう無理。
それ以外。
(剛君)とりあえず勉強。
おっ。
(剛君)で消せばいい?うん。
せぇ〜の。
(剛君)ふっ!カシャ
(携帯のシャッター音)一瞬やな。
おめでとう!
誕生日には母親がごちそうを作ってくれた思い出がよみがえります
母が亡くなって思い出すのはそんな楽しかった記憶ばかりだといいます
施設へ帰る前剛君が心響さんと暮らしたいと言いだしました
(剛君)ああ〜家帰りたいっつったらいいやん。
(剛君)帰りたいっつっても無理じゃない?いけるん?いけるやろ。
いや知らん。
そら言うてみな分からん。
(剛君)じゃあ言うとくわ。
まあすぐにっていうことは無理やと思うけどな。
(剛君)まあな。
そこででも剛のそういう意志があるとないとでは違うから。
(スタッフ)心響さんの気持ちとしてはどうですか?そりゃ今すぐにでも迎えに行ったりたいよ。
(スタッフ)家族がみんなバラバラになってますけどもそこはね将来どうしたいっていうようななんか希望は?まあどうしたいっていってもまあねえある程度の年にみんながそろえるとしたらなってくるやろうしでもみんなでねご飯行けるぐらいの関係でおれたらいいよねっていうのは兄弟みんな言ってて。
たまに集まって遊べる関係でおれたらベストよねって。
母親に対する気持ちはまだまだ整理がついていません
もちろん変わったからやっぱあの歌があるし。
うん。
もうねだから何回もライブでも言ってるけどほんまに死んでほしいと思ってたし親に対しては。
でもそう思ってたらあの歌はやっぱり書かれへんしそういうところの変化はありますよねもちろん。
いろんな人が聴いてくれてそれこそ知らんことを知ってくれたりとかその歌に共感してくれたりとかなんていうんやろ別に共感じゃなくてもああ〜こういうのもあるんやっていうのを知ってくれるとそれだけでうれしいなぁとは思うけど。
(ギターの演奏「手紙」)・生まれてこなきゃよかったと
一度も母さんと呼べなかった娘と面と向かって愛情を伝えられなかった母親
母親の手紙への返事はもう届きません
でも心響さんは今日も語り合えなかった思いを歌で伝えます
・あなたの元に生まれて来れたことを今・心から幸せだと言える・あなたなりの愛の形を・僕はやっと見つけたんだ・あなたに出会え本当に良かった・ありがとう2014/06/30(月) 01:00〜02:00
MBS毎日放送
映像’14「手紙〜母さんと呼べなかったあなたへ」[字]
母親からの虐待を受けて児童養護施設で育った、20歳の女性ミュージシャン。親と一緒に暮らすことの出来ない子どもたちの心の叫びや親への思い、家族とは何なのかを考える
詳細情報
お知らせ
厚生労働省によると、保護者の死亡や病気、経済的な理由などで、全国の「児童養護施設」で暮らす児童数は28831人に上る。(平成26年3月「社会的養護の現状について」)そのうち、半数が家庭内での虐待を経験しているという。母親からのネグレクトなどにより施設で育った経験を持つ女性ミュージシャンの姿を通して、親への複雑な感情を抱き、虐待による心理的トラウマに襲われながらも、家族の再生に向け歩み出す姿を描く。
番組内容
大阪で活躍する女性ミュージシャン辻心響(つじ・しおん)さん(20)は、ギター1本であちこちの路上で歌い続けている。幼い頃から母親から虐待を受け、ほとんど一緒に暮らすことがなかった母親への思いを歌に乗せる。初めて作詞作曲した「手紙」は、昨年自殺した母親(46)が彼女にあてた最初で最後の手紙を歌にしたものだ。
親と一緒に暮らすことの出来ない子どもたちの心の叫びや親への思い、家族とは何なのかを考える。
出演者
【ナレーター】
宮城さつき
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32722(0x7FD2)
TransportStreamID:32722(0x7FD2)
ServiceID:2064(0×0810)
EventID:1860(0×0744)