(谷原)
台北の故宮博物院へ歴史好きの台湾の女優シア・ルージーさんとやって来た
ここに収蔵される作品のほぼ全てが中国の皇帝たちの持ち物だ
不思議なものに出会った
(シア)こっちこっち。
これですか?はい。
ふ〜ん。
あっシアさんこれ作品の上にベタベタはんこ押しちゃってますよ。
へえ〜。
一番下は最後の皇帝XuantongdiPuyi。
XuantongdiPuyi?あ〜すごいすごい。
XuantongdiPuyiの印鑑です。
最後の皇帝っていうと宣統帝溥儀!ラストエンペラーの!はいそうです。
歴代の皇帝たちは宝を受け継いだ証しとして自らの印を押してきました。
古くは12世紀宋の皇帝から金元明清20世紀のラストエンペラーまでおよそ1,000年。
故宮の宝物は王朝が替わっても皇帝から皇帝へと受け継がれてきたのです。
その一方で皇帝たちは自らも新たな作品を作らせました。
70万点を数える故宮のコレクション。
一つ一つに皇帝たちの思惑が秘められています。
15世紀。
諸国との戦いに明け暮れた皇帝が世界に広めた磁器。
この器を利用した意外な外交戦略とは?17世紀突如現れた奇跡の超絶技巧。
ヨーロッパ文明に対抗した皇帝が象牙の球に込めた意地とは?18世紀多民族統治に悩んだ皇帝が作らせた故宮最大の宝。
そこに秘められた国家の統治術とは?小説「蒼穹の昴」などで皇帝たちのドラマを描いてきた浅田次郎さん。
皇帝たちの思惑に迫ります。
ものすごい厚みを感じますよね。
その厚みっていうのは軍事力だとか政治力の厚みのほかにそれと同じ厚さの文化力を持っているぞというこれらの厚み。
これが中国の皇帝の権力なんだと思うんですよ。
NHKスペシャル「シリーズ故宮」。
第2回は故宮の至宝に秘められた皇帝たちの壮大な夢と野望を探ります。
谷原さん。
はい。
シアさんからかわないで下さいよ。
チャイナっていったら中国の事でしょ?もちろんそうですが…それは…あ〜磁器…チャイナなんですか。
ええ。
なぜ磁器がチャイナと呼ばれるのか。
その答えがこの作品に秘められているという
はあ〜立派な作品ですね。
これは龍ですか?はい。
龍ですよ。
「青花龍紋天球瓶」。
高さ45cmのどっしりとした磁器だ。
純白の下地に皇帝のシンボルである龍が鮮やかな青で描かれている。
白地に青で描く磁器を中国では青花というそうだ
はあ〜。
なるほどね。
青花が世界に広まった背景にはこの人物明の第3代皇帝永楽帝の外交戦略があったという
青花と世界との関係を知る手がかりがイラン北西部の町アルダビルにあります。
ここは14世紀以降イスラム教の一大勢力サファヴィー教団の拠点として栄えてきました。
サファヴィーはイラン全域を支配。
明やオスマン帝国と肩を並べた大勢力でした。
町の中心に建つアルダビル廟。
指導者が外交の使節と会っていた建物です。
モザイクで彩られたイスラム建築は世界遺産にも登録されています。
最も奥にある部屋へ。
かつてはこの一つ一つのくぼみに青花が収められていました。
ここはサファヴィーの指導者が青花のために造った特別な部屋でした。
この部屋にあの天球瓶がありました。
文様も大きさも故宮のものと全く同じ。
一体どんな経緯でイランに渡ったのでしょうか?天球瓶を作らせイランに送ったのが明の第3代皇帝永楽帝です。
永楽帝はさきの王朝元の残存勢力との戦いに明け暮れていました。
明の時代になってもモンゴル族の国は北や西にあり軍事的な脅威は常にあったのです。
戦い続けても国は安定しない。
永楽帝は一つの外交戦略に打って出ます。
西暦1405年永楽帝は300隻の大船団を世界に派遣した。
率いたのは和。
和の船団はアジアからアフリカまでおよそ30か国を巡った。
サファヴィーのイランもその一つだった。
明の軍団は領土は征服しなかった。
そのかわり相手国に迫ったのが朝貢だった。
朝貢は諸国の使節を呼び寄せ明の皇帝に臣下の礼を取らせる。
そのかわり皇帝が莫大な財宝を諸国に与えるというものだ。
永楽帝が与えた最高の宝が青花。
永楽帝の時代60以上の国々が明に朝貢に訪れるようになった。
諸国にとって青花はどのような魅力を持っていたのでしょうか。
イラン中部の村…青花がもたらされる以前の焼き物作りが今も行われています。
地元で取れた粘土で形を作り低温の窯で焼き上げる。
こうして作られた肉厚でざらざらした器は陶器と呼ばれます。
一方青花は陶器ではなく…カオリンという特別な土を使い陶器よりおよそ300度高い温度で焼きます。
陶器よりも薄く白く滑らかな表面が特徴です。
イスラム王族の行列。
青花が恭しく運ばれています。
当時は明でしか作れなかった先端技術の結晶は黄金にも勝る貴重な宝とされていたのです。
永楽帝は青花を使って諸国と友好関係を結ぶ事に成功した。
でもなぜわざわざ諸国の使節を呼び寄せなければならなかったのだろう?
涼しいねやっぱり。
浅田次郎さんは諸国の使節が皇帝に謁見した場所を訪ねました。
中国・華北省承徳の避暑山荘。
清の皇帝の夏の離宮です。
ここがこの山荘の本殿です。
ここで皇帝はよく外国の朝貢使節との謁見を行っていました。
安南国の王子が避暑山荘を訪れた様子です。
諸国の使節を呼び寄せる外交は永楽帝の時代以降も続きました。
浅田さんは中国皇帝の朝貢外交は一般的な交易とは異なるものだったと言います。
自給自足できるんですよやっぱり中国って国は。
だから清王朝も明王朝もそうだけど外国との何の貿易をしなくても世話にならなくても自分たちだけの世界ってのが自給自足してできる。
あなたからもらうものは要りませんよ。
私からどうぞいいものはいっぱいあるから持っていきなさいという態度をあえてとったんじゃないかと思いますね。
最近永楽帝の朝貢には自らの悪名を払拭するねらいもあった事が分かってきました。
大勢を殺して帝位についたため血ぬられた王と呼ばれていたのです。
中国・江西省の景徳鎮。
永楽帝が用いる磁器を一手に生産していた場所です。
窯跡の発掘から永楽帝のたくらみが見えてきました。
永楽帝が宮中で使った磁器です。
それまでにない新しいデザインが取り入れられていました。
ここにある磁器はもともと中国にはなかった形をしています。
この器などは形も模様もアラブの影響が見て取れます。
突如現れた異国風のデザイン。
この形は中東の遊牧民族の水筒の形と同じです。
こちらはペルシャのモスクで使われていた燭台の形をしています。
永楽帝は朝貢に訪れる国々のデザインをわざわざ取り入れていました。
これらの器は国内向けに作られたものでした。
永楽帝の行為からは皇帝の権威というものは武力だけでなく文化の力がなければ高まらない事が分かります。
永楽帝は世界の王という姿を国内に示す事で権威を確立しようとしたのです。
永楽帝の跡を継いだ皇帝たちも朝貢に用いる新たな磁器を次々と開発しました。
やがて17世紀には日本で。
18世紀にはヨーロッパでも磁器が作られ始めます。
こうして磁器は全世界に普及しチャイナと呼ばれるようになりました。
その最初の一歩が永楽帝の戦略が生んだ磁器青花だったのです。
谷原さん。
谷原さん。
はい。
次は長い間作り方すら謎とされてきたものをお見せしましょう。
えっ何ですか?あれなんです。
そう言って案内されたものに私は思わず目を奪われた
これは象牙多層球といいます。
多層球?えっ17層も?はい。
本当だ。
球の中に球が重なってる。
すごい…。
見る者誰もが息をのむ象牙多層球。
シアさんによればこれが生まれたのは最後の王朝清の時代。
故宮の中でも最も謎めいた作品といわれてきたという
故宮随一の超絶技巧…内側を内視鏡カメラでのぞいてみました。
球の中に球が入れ子の状態になっています。
奥の方の球にも透かし彫りが施されています。
球の一つ一つはつながっていません。
しかもそれぞれの球に継ぎ目が一切ない事から一本の象牙を彫り出したものである事が分かります。
この造形は中国の美術史上こつ然と現れた奇妙な形。
どうやって作られたのか謎でした。
宮廷の職人が3代かけて作り上げた。
完成のあと作り方を秘密にするため命を奪われた。
そんな伝説が語り継がれてきました。
その真相が最新の研究によりついに明らかになりました。
ドイツ東部の町…ここは中世この地を治めたザクセン公の宝物庫です。
象牙の彫刻が200点も飾られた象牙の間。
その中に…。
象牙の球が何層にも重なっています。
これらが作られたのは16世紀後半です。
中国で言えばまだ明の時代。
故宮のものより100年以上前です。
中心の球の周りにいくつもの輪が重なる形。
これは16世紀ヨーロッパの画期的な発見と深い関係にありました。
ガリレオやコペルニクスが説いた地動説。
太陽の周りを惑星が巡る。
この最新理論のモデルとして象牙の球は作られたといいます。
それにしても一本の象牙からあれほど複雑に作る事ができるのでしょうか。
この町にヨーロッパでただ一人象牙の球の制作技術を伝える人がいました。
秘伝の技を今回特別に見せてくれました。
まず丸く削った象牙に穴を開ける位置を記します。
最初の設計が肝心なんですよ。
象牙を削るのには旋盤を使います。
この旋盤も16世紀ヨーロッパの発明品でした。
球の外側から7か所穴を開けます。
この穴の内側を奥から徐々にえぐり出して層を作ります。
専用の工具。
先端がかぎ形になっています。
最初は奥の層から。
手前の層へ。
順番に層を増やします。
ほかの穴からも同じ手順を繰り返す事で内部に球体が出来るのです。
5層の球体から成る象牙の球が出来上がりました。
果たしてこの象牙の球が故宮の象牙多層球のルーツなのか。
象牙細工専用の旋盤が清の宮廷にあったという記録が見つかりました。
ドイツの象牙の球が同じ時代に清の宮廷に献上されていた事も分かりました。
それを導入したのが清の第4代皇帝康煕帝でした。
しかしヨーロッパのものに比べ故宮のものは表面に複雑な透かし彫りが施されています。
内部の層も圧倒的。
なぜこのような違いが生まれたのでしょうか。
その謎を解く鍵が清の都だった北京にありました。
うわ〜すごい。
ここにあるのは天体観測の器具です。
康煕帝の時代に作られたものですよ。
観測器具はヨーロッパの天文学に基づいて作られています。
設置を担当したのは…当時中国にはヨーロッパの影響が及び始めていました。
中世から抜け出し急速に発展を遂げたヨーロッパ諸国。
17世紀アジア各地を力で征服し中国へと迫っていました。
いち早く訪れた宣教師は西洋の最新学問をもたらします。
押したり引いたりしながら…ヨーロッパから流入した最新の学問。
それに反発したのが清の知識人でした。
中国の学問こそ世界一と自負してきた彼らは受け入れに激しい抵抗を示します。
そこで康煕帝は一計を案じます。
面白い。
康煕帝が作らせた観測器具。
どの器具にも中国の皇帝のシンボルである竜があしらわれています。
西洋のものそのままではなくあえて中国風にアレンジして導入したのです。
康煕帝は西洋の学問を拒む臣下に対して言い渡します。
「西洋の学問が我が国の学問と違うと言っている者は歴史が分かっていない。
あの学問の基は皆中国に起源がありそれが西洋に伝わったものなのだ」。
これは中華思想を守るための大義名分だと思います。
そういう事を康煕帝は言い訳として言ったんだと思いますね。
何か違う思想が入ってきても自分たちの思想って変えていって全部自分たちのはんこを押していく。
ヨーロッパ文明に直面した時康煕帝が示したしたたかさ。
それが故宮の象牙多層球にも現れていた
竜の彫刻
内側に施された細かい透かし彫り
こうした細工は西洋の旋盤では作れない手彫りの技の極致だ
自国の文明に対する意地とプライドがこの美しい超絶技巧を生み出していた
谷原さん。
うん?へえ〜何ていう皇帝ですか?乾隆帝?見て下さい。
こちら全部乾隆帝なんですよ。
清朝12人の皇帝の中でも名君といわれる乾隆帝。
その彼が作った究極の宝があるという
それが故宮最大の作品ともいわれてるんです。
故宮最大の作品…。
清は北方の満州族が打ち立てた王朝です。
歴代の皇帝は領土を拡大し続けましたが中でも乾隆帝はウイグルチベットの国々に遠征。
最も広い領土を手に入れました。
乾隆帝は美術品の収集にも力を注ぎました。
宋の時代汝窯で焼かれた青磁。
幻の逸品を手に入れた喜びを乾隆帝は刻ませています。
乾隆帝は古代から4,000年にわたる名品を集め尽くしました。
その乾隆帝が60歳を境に一つの作品にのめり込んでいきます。
それは今故宮の地下深くに納められています。
かつて故宮の文化財を戦火から避難させた時も真っ先に持ち出された宝。
それは…。
あちらの棚から奥の棚まで全部で3万6,000冊。
これで一つの作品なんですよ。
故宮最大の作品「四庫全書」。
それは乾隆帝の「世にある全ての書を集めよ」という途方もない発想から始まりました。
乾隆帝は清国の津々浦々に勅使を送りあらゆる書物を集めた。
それを宮中で作った特製の紙に一言一句漏らさず写させた。
もしも誤字が発覚すれば減俸。
紙も弁償しなければならない。
関わった人数延べ4,000人。
かかった年月15年。
こうして3万6,000冊の写本が出来上がった。
全ての書を集めるとはどういう事なのか。
浅田さんが台北の故宮博物院を訪ねました。
そりゃあ楽しみですよ。
一生のうちに「四庫全書」を肉眼で見られるなんて思ってもいませんでした。
こんにちは浅田でございます。
ニーハオ。
よろしくお願いします。
ニーハオ。
ニーハオ。
乾隆帝の「四庫全書」が運ばれてきました。
「四庫全書」の「四庫」とは儒学歴史学哲学文学の4つの分野の事。
表紙もそれに合わせて色分けされています。
(浅田)これ表装もオリジナルですか?そうです。
元のままです。
すばらしい保存ですねこれ。
これが延べ4,000人による手書きの文字です。
どの本も筆跡はまるで活字のように統一されています。
「四庫全書」の中に意外なものがありました。
日本の書物です。
江戸時代の日本の学者で山井鼎という人が書いた本です。
紀州藩出身の儒学者山井鼎の「七経孟子考文」。
日本に伝わった宋や明の時代の儒教の書物をまとめ比較研究した書物です。
実は宋や明の儒教の書物には失われたものが多かったので中国の学者にとって大変ありがたい本でした。
中国では王朝交代の動乱の度に多くの書物が失われました。
山井鼎の書はその空白を埋める貴重なものでした。
いや〜私たちもうちょっと自分たちの国の学問の事を見直さなきゃいけないね。
すごいね〜。
こちらはポルトガルの天文学書。
当時安南と呼ばれたベトナムの歴史書もありました。
「四庫全書」には当時の世界が凝縮されていました。
う〜ん…。
この乾隆帝っていうのは世界を知ってた人だね。
世界の存在を知ってた人だね。
ただそれが自分たちよりも劣った野蛮な国だっていうふうに思ってたらこういう取り上げ方はしないはずだからある程度違う異文化として確認はしているという事ですね。
乾隆帝が「四庫全書」を編さんした目的は何なのか。
乾隆帝の夏の離宮承徳の避暑山荘です。
ここに乾隆帝が「四庫全書」編さんの意義を記した碑文があります。
この碑文は乾隆帝の直筆の文字を彫ったものですよ。
支流とは満州族漢民族モンゴル族などこの国に暮らすさまざまな民族の文化の事です。
それが流れ込む港が「四庫全書」だと言っているのです。
なるほどね。
乾隆帝が戦いに次ぐ戦いで広げた領土。
そこには多様な民族が住んでいました。
晩年そうした民族をまとめる事に苦心した乾隆帝。
ここ避暑山荘で多くの民族の指導者と対話を重ねました。
モンゴルの族長と会うためにはテントを設けチベットの高僧を迎えるためには寺を築きました。
避暑山荘には漢民族が多く住む中国南部の風景も再現されています。
乾隆帝が最も悩んだのは漢民族への対応でした。
人口の1%にも満たない満州族の支配に対し半数以上を占める漢民族には不満が高まっていました。
これはその漢民族が記した本です。
「野蛮な異民族」という表現。
乾隆帝はこの本を「四庫全書」から除外しました。
乾隆帝は根強く残る異民族への蔑視をなくすため「四庫全書」の編さんに特別の注意を払っていました。
差別表現ありとの疑いが持たれた本は一冊一冊乾隆帝自らがあらためていた。
漢民族の満州族に対する敵意を根本から変えようとした乾隆帝。
異民族を差別する書は禁書とした。
そして出来上がった「四庫全書」。
乾隆帝はこれを各地で公開した。
満州族の皇帝が集めた書に接した漢民族は態度を一変した。
「『四庫全書』のおかげで学問が行き渡る。
あの書庫がこの地を豊かにしてくれるだろう」。
「四庫全書」完成の17年後乾隆帝は世を去ります。
大きな存在を失った清は世界の列強の侵略にあらがいきれず1912年滅亡。
皇帝たちの歴史は終わりを告げました。
それから100年の時がたった
私は故宮で皇帝たちが生み出した数多くの美術品に出会った
世界に羽ばたいた皇帝の磁器
多様な民族を一つにまとめた書物
宝物の一つ一つには文化の力で広大な国を治めようとした皇帝たちの苦闘の記憶が刻まれていた。
だからこそ美を超えた輝きを今も放ち続けている
2014/06/29(日) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル シリーズ故宮 第2回「皇帝の宝 美の魔力」[字]
中国歴代の皇帝たちが集めた故宮の至宝。青花、象牙多層球、四庫全書などの名品に秘められた皇帝たちの夢と野望を探る。
詳細情報
番組内容
中国歴代の皇帝たちが集めた故宮の文化財。宝物のひとつひとつには文化の力で国を治めようとした皇帝たちの苦闘が秘められている。明の永楽帝が世界に広めた磁器「青花」。清の康煕帝が作らせた謎の超絶技巧「象牙多層球」。すべての書物を写させた乾隆帝の「四庫全書」。作家の浅田次郎さんとともに名品に秘められた皇帝たちの夢と野望を探る。
出演者
【出演】浅田次郎,谷原章介,シア・ルージー,【語り】貫地谷しほり,金田明夫
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
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