日本からは直行便がないため…。
到着後乗り換え便の待ち時間が14時間もあるためここデリーに1泊するというのですが…。
泊まるのはまるで翌日たどり着いたのは…。
そして日中に行っているのはそのすぐ横では頭髪を整える人やお風呂代わりに入浴する人。
こんな大きなシーツまで干している方もいます。
道のど真ん中で吹き上がる花火。
こちらはインドの結婚式。
おとぎ話に出てくるような果たしてそんな日本とはまるで環境が違う地元の方に話を聞くと早速情報をもとに現場へ。
さぁたどり着くのか日本食堂。
ついにインドの日本食堂イーバ・カフェに到着。
さすが日本食堂!更に店内はというと…。
なんと現地のお客さんで大盛況。
こちらのお客さんは…えっ手づかみで餃子食べてますが…。
しかし最近はお箸を使って器用に味噌ラーメンを食べる方も…。
聞けばこちらの日本食堂ではなんと130種類以上もの本格的な日本食が出されているそうです。
とそのなかに色白の日本人らしき人物が。
と思っていたら…。
こちらは先ほど入り口で迎えてくれた日本語ペラペラの店員さん。
実は彼女が杉本さんの奥さんだったんです。
しかし海外でお店を始めるってことは杉本さん腕には相当自信がおありなんですよね。
と思いきや…。
料理経験なし。
杉本さんはなんとまったくの素人さんだったのです。
しかも驚いたのはお店で働くインド人スタッフも皆料理経験なし。
素人さんだというのです。
ですからご覧のとおりあろうことか料理をじかにテーブルに置いたり…。
焼き鳥をフライパンで焼いてしまったりと日本人の感覚とはまるで違います。
更に驚いたのはワケありスタッフだけでなく杉本さんはしかしいったいなぜ杉本さんはそしてお店の看板娘そんな彼女は現在お店の近くの小さな借家で3人のお子さんと75歳の高齢のお母さん。
5人で生活しています。
一見幸せそうに見えるそうレーカーさんは麻薬に手を出し働けなくなった…。
完全に路頭に迷ってしまったのです。
挙げ句の果てには住む家まで失い家族5人まともに食べることすらできない日本食堂を営む杉本さんでした。
更に杉本さんはこの日ガンジス川沿いに住むスタッフだったチャンダンさんは日本食堂の仲間のスタッフを殴った挙げ句お店を飛び出した暴れん坊。
彼はもともとそう実はこの日杉本さんはお店をやめたチャンダンさんがまともにものも食べられていないんじゃないかと心配になりわざわざその裏には何かを得るために何かを失った…。
高校生のとき夏休みを利用して友人と初めてインド旅行に行きました。
そこで杉本さんはその後のそこには日本の社会では考えられない街を歩いてると物ごいに囲まれてしまったり手のない子供足のない子供が路上に寝転がって物ごいをしていたり10代の僕にとってはすごい衝撃的でしたね。
そうインドにはそんな志のもと杉本さんはしかしいざ行ったものの結局杉本さんは教師という仕事でするとすぐにそして実はそのとき杉本さんの授業を受けていた生徒の一人が後の妻となるラチタさんだったのです。
当時のインドには厳しい身分制度の慣習が根強く残っており…。
杉本さんがそんな思いでいた大学での授業中日本語に興味を示す学生を見てある考えが浮かんだのです。
それは…。
そうそんな考えのもと杉本さんはすると日本食堂は思惑どおり開店早々現地の方に大盛況。
こうして2006年ラチタさんの両親にも祝福され2人は結婚することができました。
そして日本人とインド人の結婚は珍しく更にそんななか杉本さんはそう日本食堂をオープンさせたことで杉本さんは当初のインドに来た貧しい人を救いたい。
その目的を少しだけ叶えることができたのです。
日本とインドまさに国境を越えた絆で結ばれた杉本さんとワケありスタッフ。
実はそんな彼らが作るある日本食が現地のインド人をヤミツキにさせる日本食堂人気No.1メニューだったのです。
それでは現地のお客さんに大人気。
杉本さんとインド人スタッフの絆を固く結ぶ…。
広島で起きた原爆の悲劇を乗り越えいったいおばあちゃんの身に何が…。
実はその裏にこそそれでは杉本さんとスタッフたちの絆を固く結ぶ人気No.1メニューを大公開です!やはりインドといえばそこに日本の味醤油を加えダシを作ります。
そして圧力釜で一気に茹であげているのはそこに先ほどのカレーをかければ完成。
日本人とインド人まさにその絆を結ぶ珠玉の一杯!そしてこのカレーうどんはラチタさんのご両親も大好物。
インドバラナシには国境をも越えた大人気の日本食堂がありました。
いい香り!うまっ!う〜ん!でも嬉しいですねインドの方にもこれがおいしいって思ってもらえるっていうのは。
冒険してますよね。
続いてはこちら。
東南アジアに位置するタイ王国に到着。
とそんななか…。
実はここ最近タイは…。
今年の1月にも更に5月には果たして危険がつきまとうすると…。
日本の寿司チェーン店と思いきや…。
よく見ると小僧の「僧」がゾウさんの「象」に!タイでは象が幸せのシンボルだからなんですかね。
更に街を歩いていると…。
日本のあのお店にそっくり!とにかく野家じゃなくて牛野家の店員さんに聞いてみることに。
諦めずに更に聞き込みを続けているとということで早速お聞きした住所へ行ってみることに。
さあたどりつくのか?日本食堂。
あれですね。
「まりこ」って書いてあります…。
早速店内へと思ったのですが…。
えっ?なんか真っ暗ですけど店の中。
そこで近くの人に聞いてみることに。
本来の飲食店ならいちばんのいったいなぜ?開店時間の9時まで待ってみることに。
するとその1時間前暗闇から人影が…。
どうもはじめまして。
そうこの方こそなんとこちらのお店はしかも81歳の真理子さんは…。
そして真理子さんにはこんな日課がありました。
それは…。
なんと生のまま飲んじゃうんです!新鮮さはやっぱり生で飲むのがいちばんわかるといいます。
しかしなぜ真理子さんはスタッフも雇わずしかしそんな彼女がそうそれは今年の5月にですから深夜2時まで営業が許可されている真理子さんのお店のまわりも静まりかえっています。
結局この日真理子さんのお店には再び夜9時にお店を訪ねてみると…。
中は常連のお客さんでいっぱい!81歳の真理子さんも大忙しでした。
そしてお店に来るお客さんはどうやら久しぶりのお客さんに真理子さんもホッと胸をなでおろします。
そして日本食堂まりこにはなぜか真理子さんは料理経験ゼロ。
なんと素人さんだったのです。
それでもそんな思いで料理はそのお客さんに合った料理をその場で考え出しているのです。
一杯ひっかけてお店に来るお客さんにはさっぱりと食べられる野菜が不足がちな独身駐在員さんには野菜たっぷり栄養満点の常連さんには同じメニューで飽きないよう季節ごとにそう真理子さんは海外生活で何かと不安なことも多い日本人のお客さんをおふくろの味で癒やしているのです。
お客さんが帰ったあとも真理子さんの仕事は終わりません。
およそ2時間かけお店の仕事をした真理子さん。
休む間もなくまた何かを始めたようですが…。
実は真理子さんバンコクで発行している彼女が書いているのは『愛の泥んこ道』という人生相談コーナー。
ちなみに相談の内容はというとバンコクに住む今度は読書を始めました。
実は真理子さんもしお客さんが来てお店がやってなかったら申し訳ない。
そんな思いで日もあがった朝8時ようやくお店は閉店。
さすがに81歳。
お家に帰ってもうぐっすりですねと思っていたら…。
なんと真理子さん。
市場へはこちらのそれにしてもバイクに横座り。
昭和の女性のおくゆかしさを感じます。
走ること20分。
食料品ならなんでも揃うという市場ですがこの日は海鮮炒めに使うアスパラを買いに来たようです。
こちらのアスパラは一束250円。
野菜は日本の半額程度で買えるといいます。
真理子さんお財布に優しい買い物ですね。
と思っていたら…。
真理子さん!おやおや真理子さん買った野菜を忘れるなんて。
年をとるとこんなこともよくありますよね。
買い出しを終えると店に食材を置いてようやく帰宅。
真理子さんが暮らすマンションのこのあと真理子さんは寂しいと思わないといえば嘘になります。
しかしそもそもいったいなぜ81歳の真理子さんはたった一人危険がつきまとう戒厳令下のタイで日本食堂を営んでいるのか?その裏には何かを得るために何かを失った…。
たった一人で営む日本食堂。
しかしそもそもいったいなぜ81歳の真理子さんはたった一人戒厳令下のタイで日本食堂を営んでいるのでしょうか?その裏には何かを得るために何かを失った…。
真理子さんの住む台湾の街にも爆弾が投下され日々空襲の恐怖に怯える少女時代を過ごしました。
しかしそんな恐ろしい戦況下でも真理子さんには「かもめの水兵さん」実は真理子さん以前台湾高雄市長さんの前で『かもめの水兵さん』を踊り喜ばれたことがきっかけで兵士たちのための慰問ショーに呼ばれることになったのです。
これから死ぬかもしれない戦場へと向かう多くの兵士たちが招かれていました。
そう兵士たちは口々にこんな言葉をかけてきたのです。
真理子さんが踊る姿は兵士を癒やし幼きアイドルといわれるほどの人気者に。
よく兵士たちに抱きしめられたといいます。
そう戦地でこれから命をおとすかもしれない兵士たちにとって真理子さんはまるで我が子に癒やされるその喜びを知った真理子さんはそのときこう思ったのです。
大きな夢に向かってつらい下積み時代を経験。
そんななかでも彼女は華やかな世界でした。
しかしそんなとき真理子さんに話によればしかし…。
しかし300万円の負債返済のためには行くしかありませんでした。
こうして真理子さんは34歳のとき当時圧倒的な軍事力を誇っていたアメリカ軍。
しかし戦場はなれないジャングルの中。
次々と死者が出るアメリカ兵にとってはそれは地獄のような戦争でした。
そんな米軍兵士を目にしているうちに…。
そう『かもめの水兵さん』を踊っていた子供の頃…。
自分の踊りに喜んでくれる兵士たち。
そのとき真理子さんは改めて人を幸せな気持にさせるその喜びを感じたのです。
ベトナムで6年間過ごしたあと香港を起点にインドネシアやマレーシアなどを巡業。
そんななかしかしそのとき真理子さんはダンサーとしては真理子さんは生きる希望を失っていたそうです。
そんななか知人の紹介でそのとき真理子さんはお店に来た日本人客が…。
そんなことを言っているのをよく耳にしたのです。
そして彼女はこう思いました。
そんな思いでオープンしたお店こそ戒厳令下のタイには人を喜ばせることに生きがいを感じ人生を歩んできた日本人店主がいました。
続いてはこちら。
日本からは直行便がないためまずはしかし目的地はまだまだ先。
再びついに…。
そんなパラグアイの街なかでなぜかほとんどの方が大事そうにポットを抱え何かをお飲みになってるようですが…。
こちらは最近日本のコンビニでよく見かけるテレレはそれにハーブなどの薬草を混ぜたいわば本場のマテ茶なのです。
専用ポットから冷たい氷水を注げば完成。
そんななか今回我々が目指す日本食堂は長距離バスで6時間もかけて行く田舎町にあるという。
こうして日本から実に40時間以上もかけ…。
果たして日本の真裏ここ南米地元の方の話によると早速情報をもとにいざ現場へ。
さあたどり着くのか?日本食堂!ついにパラグアイの日本食堂広島に到着。
到着時はちょうどお昼どき。
現地の方がランチタイムを楽しんでいるようです。
こちらは野菜の天ぷらでしょうか?しかしつけるのは天つゆではなくえ〜おみそ汁!?みそ汁につけて食べちゃうんですか?更に…。
そう言って彼がお寿司にかけたのはええっとんかつソース!?そこに…。
であの…お味は?
(スタッフ)おいしいですか?とまぁ食べ方はさまざまですが皆さん日本食を楽しんでいるようです。
それにしてもいったいということで広い厨房には現地のスタッフさんが数名いらっしゃいますがとその奥のほうに…。
メガネをかけた日本人らしき女性が。
どうもすみません突然。
そう彼女こそ聞けば…。
現在はオーナーの座を刺し場担当の息子俊輔さんに譲られたそうなんです。
と思っていたら…。
実は72歳の芦子さんの更にその上にいるそうこの日本食堂はなんと果たして日本の真裏ここパラグアイで日本食堂を始めた
(スタッフ)そうです。
探してきたんです。
ついに91歳のおばあちゃんが下りてきました。
(スタッフ)すみません突然で。
いいえどうもこちらこそ。
お肌ツルツル元気いっぱいの彼女こそみんなからはサカエばあちゃんってよばれています。
聞けばサカエばあちゃん30年前最愛の夫俊光さんを食道ガンで亡くし…。
更にお子さんも4人いましたが現在は長男次男が仕事のためパラグアイの別の町に。
長女はアルゼンチン。
次女は日本で家族をもちそれぞれ別々に暮らしているそうです。
ちなみに芦子さんはその長男のお嫁さんで…。
そんなサカエばあちゃんは現在そのまま入ってください。
(スタッフ)なしで大丈夫です。
先ほどお会いしたばかりなのにいろいろとおもてなしをしてくれるサカエばあちゃん。
そんな彼女にはなんとサカエばあちゃん91歳にしてタッチパネルのiPadを使いこなせるといいます。
しかも今一番ハマっているのは世界中の友達とメッセージのやりとりができるフェイスブックだそうです。
この日もアルゼンチンに住む娘さんにメールを送っています。
はい。
実に若々しいサカエばあちゃんですがそんな彼女にはこうしてサカエばあちゃんはコーラを毎日欠かさず1本は飲んでいるそうです。
しかしそもそもいったいなぜサカエばあちゃんは日本の真裏パラグアイでそれはある日突然その日を境にサカエばあちゃんが送ることになった深いかかわりがあったといいます。
彼女の1日はこんなことから始まります。
実は現在お店には立っていないというサカエばあちゃんですがこうして食堂で使うテーブルクロスを洗うことが今の仕事なんだそうです。
部屋に戻り続いてサカエばあちゃんが始めたのは…。
なにやらプチェロというパラグアイの国民食を作るようです。
日本の肉じゃがのようなものだといいます。
まず取り出したのは骨付きの牛肉。
ステーキ状に切りわけたあと表面に軽い焼き目がつく程度に炒めます。
そこに大きめにカットしたジャガイモとニンジン更にキャベツを投入。
今度はカボチャを切ろうとしていますが…。
かたくてなかなか切れないようです。
味付けはシンプルに塩のみです。
これを2時間煮込めば完成なのですがいったいそんな日本食堂の支えているのは…。
また日本食堂広島が現地で人気になっているのは150品というバラエティーに富んだメニュー数にもありました。
そして中にはサカエばあちゃんの時代からこちらはそしてこんなものまで。
こちらは開店以来ずっと手作りにこだわりうどんを打っているんです。
サカエばあちゃんの料理が完成したようです。
こちらが骨付きの牛肉と10種類以上の野菜を煮込んだ日本の肉じゃがのような料理です。
いただきます。
そう実はサカエばあちゃんが作っていたのはさあ行きましょう!夕方日本食堂の休憩中川沿いをお散歩するのがサカエばあちゃんの日課。
それにしてもずいぶんと長い距離を歩いてるようですが。
どのへんでしたっけ?車。
歩くことよりこうして親子2人日々楽しく会話をすることが健康の秘訣かもしれませんね。
夜の営業が始まります。
この日は週末の土曜日だけあってご覧のとおり店内は大盛況。
これどうするんですか?そう聞けばサカエばあちゃん翌日の営業に間に合わせるため朝洗濯していた30枚ものテーブルクロスをたった1人でしかも毎日たたんでいるというのです。
なにやら芦子さんが朝から慌ただしくしています。
とそんななか…。
今日頑張りますよ。
ふだんは厨房には立たないサカエばあちゃんがエプロン姿で現れました。
実は仕出しの中にそこで急遽おにぎりを握れるサカエばあちゃんが作ることになったのです。
91歳の小さなサカエばあちゃんが小さな手で握る小さなおにぎり。
しかしばあちゃんは一つひとつに大きな大きな愛情を込めて握ります。
1代目2代目が力を合わせ無事おにぎり120個おこわ100個が完成。
そして実はお店にはサカエばあちゃん時代から3世代にわたり味を引き継ぎ今もなお現地のお客さんを夢中にさせる不動の人気No.1メニューがありました。
そして実は大人気のこの料理にこそそしてそもそもいったいなぜサカエばあちゃんは親子3世代にわたり遠い異国の地パラグアイで日本食堂を営んでいるのでしょうか?実はその裏にこそ何かを得るために何かを失った…。
時をさかのぼること92年前。
そんな彼女がお相手は一点の曇りもない明るい未来が開けていました。
がしかしその未来は歴史によって大きく変わってしまったのです。
サカエさんが出産を間近に控えた頃最愛の夫俊光さんが大和以下の水上特攻隊はイトウ中将指揮のもとに沖縄に向かっていた。
行き先は戦火に包まれた沖縄。
夫は日本人の誇りを胸に日の丸とともに最前線へと向かったのです。
妻はただただ祈り続けました。
ところがそのときはやってきたのです。
4月7日巨大戦艦大和は徳之島の沖合でミッチャー中将の機動部隊艦載機による反復攻撃を受けた。
戦艦同士の決戦をするまでもなくすでに出撃中のミッチャー機動部隊の多数の魚雷と爆弾を受け不沈戦艦大和はここにむなしく沈んだ。
その悲しみは計り知れないものでした。
アメリカ軍が広島に原爆を投下。
サカエさんは九死に一生を得ました。
しかし聞けばサカエさんのお父さんは広島市内で仕事中に被爆。
父は死の直前娘の名前を2度叫んでいたといいます。
黒い雨のなかサカエさんは遺体を探しまわりました。
しかしそんななか一つの奇跡が起きていました。
しかし無情にもところが終戦後信じられないなんと生き延びて家に帰ってきたのです。
しかしサカエさんはしかし働けど収入はごくわずか。
夫子供を養うだけで精一杯。
自身はまさにまともにものも食べられない生活が続いたせいで…。
(咳き込む声)サカエさんは当時不治の病と言われていた…。
しかしそんななか…。
昭和32年春南米の新天地に新しいふるさとを求めてよりよい生活を切り開こうと望む人々にとって今日はその鹿島立ちの日。
日本政府は戦後の失業問題を打開するため中南米のブラジルドミニカパラグアイなどを夢の新天地として宣伝。
…と発表したのです。
理想郷どころか想像とはまったく異なる与えられたのは約束とは違いそうはいってもしかしまともに飲み水もない環境。
ようやく結ばれ…。
明るい未来への第一歩が芽生えました。
とうもろこしや大豆が育ち生計が立てられるようになったのです。
サカエさんはそう確信していました。
57年前農業移民としてパラグアイに移住したそんななかようやくサカエさんはそう確信していました。
その後このときサカエさんはこう思ったのです。
しかし農業しか知らない一家。
そんな話を聞いたとき…。
そんな彼女が…。
そして実はサカエばあちゃんの思いを引き継ぐ形でオープンしたお店こそ現在のそれではいよいよパラグアイの日本食堂広島で大評判…。
それではいよいよパラグアイの日本食堂広島で大評判…。
まずはこの料理の命とも言うべきタレ作り。
醤油酒砂糖などの割合はサカエばあちゃんから引き継いだ秘伝のレシピ。
専用のマシーンで薄切りにしていたのはパラグアイ人の大好物牛肉。
そのお肉と4種類の野菜を専用の鍋で炒め仕上げに秘伝の醤油ダレをかければ完成。
甘辛ダレをつけたお肉と野菜は生卵との相性抜群。
もうたまりません。
移民としてパラグアイに渡り57年。
歯を食いしばり必死で生きてきたサカエばあちゃん。
この広島という看板を見るたびに歩んできた91年の時がよみがえりいつも感じます。
私たちは日本人なんだと。
南米パラグアイ。
そこには幾多の波瀾万丈を乗り越え親子三世代で営む日本食堂がありました。
パラグアイでこのすき焼き食べられたらもう涙出るやろうな。
よろしくお願いいたします。
本日のスペシャルゲストかたせ梨乃さん出演。
主人公にいろんな男女が…。
彼女には若いボーイフレンドがいたりパトロンがいたりいろんな人間関係が入り乱れて私は実は家政婦です。
(一同)え〜っ!全部見てるんだ。
ぜひご期待ください。
すごい怖いですよ。
皆さん見ましょうぜひね。
はいということで本日は以上になります。
皆さんどうもありがとうございました。
2014/06/29(日) 19:54〜21:48
テレビ大阪1
日曜ビッグバラエティ「世界の秘境で大発見!日本食堂14」[字]
好評企画第14弾!インドの日本食堂、従業員は問題児ばかり。オーナーはそんな彼らを一から教育し、住まいを与えている。なぜそんなことする?衝撃の人生ドラマ、必見です
詳細情報
番組内容 1
好評企画の第14弾。日本から遠く離れた日本食堂を捜索。「どんな日本食を出しているのか?」「なぜ世界の果てで日本食堂を開くのか?」という謎を解明し、そこにある人生ドラマに迫る!
番組内容 2
インドの日本食堂「イーバカフェ」。お店で働く従業員は問題児ばかり。だがオーナーは、彼らを受け止め、教育し、住まいを与えている。なぜ異国の地で日本食堂を営むのか?衝撃の人生ドラマをお届けします。その他、タイ、パラグアイの日本食堂も紹介します。
出演者
【MC】
名倉潤(ネプチューン)
【ゲスト】
井上和香
かたせ梨乃
河本準一(次長課長)
中村アン
松本あゆ美
番組概要
今、世界中の人を虜にしている「日本食」。番組では、日本から遠く離れた日本食堂を捜索。その地で「どんな日本食を出しているのか?」「なぜそんな世界の果てで日本食堂を開くのか!?」という謎を解明しつつ、そこにある日本人の人生ドラマに迫ります!
関連情報
ゲストかたせ梨乃さん出演ドラマ
7/2(水)夜9時放送「松本清張 強き蟻」
▽松本清張原作を米倉涼子主演でドラマ化。31歳上の男と結婚した伊佐子は、10億円の財産を秘かに狙っている。だが、愛人が殺人容疑で逮捕され、伊佐子の計画は崩れ始める…
【出演】米倉涼子、高嶋政伸、比嘉愛未、笛木優子、かたせ梨乃、矢島健一、要潤、宅麻伸、橋爪功【強き蟻 ホームページ】http://www.tv-tokyo.co.jp/seicho_ant/
ホームページ
http://www.tv-tokyo.co.jp/sun/
ジャンル :
バラエティ – その他
情報/ワイドショー – グルメ・料理
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
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