「柳原です」
「もう疲れたから自殺するところを撮影してください」
彼には家族はいません
孤独な人生を歩むうちに衝動的な思いに駆られるといいます
(柳原さんの声)…とかあったんです。
北陸から1人東京へ出て来て3年半が経ちます
思い出が詰まったふるさとを去ったのには訳がありました
きっかけは12年前
全く身に覚えのない強姦事件の容疑者として逮捕されたのです
無実を訴えたものの誰一人として信じてもらえず有罪判決
そのまま2年以上にわたり服役します
出所後真犯人が判明しようやく疑いが晴れました
柳原浩さん
えん罪事件の被害者にもかかわらず人目を避けるように今東京のアパートでひっそりと暮らしています
うん。
あるところでは…。
…とかも言われたこともあるし。
地元富山での就職活動は25社で不採用だったといいます
返って来る返事は…。
…とかそういうのばっかだったし。
無罪判決から7年
人生の歯車は完全に狂いボロボロでした
そしていまだに自分が逮捕された本当の理由も分かっていないのです
えん罪の被害の闇ではかない人生が揺らめいていました
富山湾に面し漁業が盛んな町です
今から12年前市内で強姦と強姦未遂の2つの事件が発生
いずれも自宅にいた少女が襲われました
被害者の証言をもとに作られた犯人の似顔絵です
警察は聞き込み捜査で「似ている男がいる」という情報を得て当時タクシーの運転手だった男性に事情聴取します
それが柳原浩さんでした
職場で数人の警察官に取り囲まれ「話が聞きたい」と警察署に連れて行かれました
「お前がやったんだろ」
取調官は拳を突き出して威嚇し怒鳴り続けたといいます
同じことばっかり聞かれるのでやってないので「やってない」とずっと言ってました。
これは被害者の少女がマジックミラー越しに柳原さんを確認した時の調書です
(女性の声)「大きい目輪郭高い鼻からして犯人の男だと思います。
声の感じ口元そっくりです。
ほぼ間違いないという確信があります」。
被害者の方が顔を見て「この人だ間違いない」と言ってるとそういう言葉ばっかり突き通されますのでそうなっちゃうともう否認する気力も何もないですから。
もう何言ってもダメだと。
「ウソをつくな」「早く楽になれ」
亡くなった母親の写真を突き付けて夜遅くまで繰り返し自白を迫る取調官
そして限界に達します
これは柳原さんの供述調書です
最初の事情聴取から1週間後
柳原さんが「間違いありません」と犯行を認めたと記されています
警察はこの自白を決め手にその日のうちに柳原さんを逮捕します
悔しさが込み上げて来る感じです。
やっていないのに認めざるを得ない状況まで追い込まれましたので。
逮捕を受け警察は自白の裏付け捜査に突き進みます
強姦と強姦未遂2つの犯行現場に残された同じ足跡
物証が少ない中最も大きな手掛かりでした
鑑識結果と被害者の証言から星のマークの運動靴が特定されました
捜査員が作成した事件報告書です
逮捕前の段階で「星型のマークがついた運動靴が柳原さんの車の中にあった」と記されています
逮捕後警察は自宅を捜索しましたがその運動靴を見つけることができません
最初「捨てたんだろ?」と言われるんで「はい」と答えたら「場所を案内しろ」と言うんで適当にこの場所来て「ここです」ということで言ったら捜査官が中に…下まで下りて行きました。
しかし当然出て来ません
「捜索したんですが出て来ない」と言うんで…。
と言うから…。
…言ったら家のそこで燃やしたことになってます。
柳原さんは「星のマークの運動靴は持っていない」と主張しましたが柳原さんが犯人だとするストーリーのもと警察の強引な捜査で重要な証拠がでっち上げられて行ったのです
言われますので「はい」と。
何が言われても「はい」とか「うん」しか言えませんからおかしいとか違ったことを言うと何かされると思うんで怖いですから何も言えません。
また被害者は「サバイバルナイフを突き付けられチェーンで手を縛られた」と証言
警察は証拠として柳原さんの自宅から果物ナイフとビニールひもを押収します
こちらですけど。
ただ果物の皮むきとかに使ってただけですけど。
どちらの証拠も被害者の記憶違いとしてつじつまを合わせたのです
裁判では弁護士までが…
…と犯人扱い
孤立無援でした
柳原さんに下された判決は懲役3年
福井刑務所を仮出所するまで2年余り服役したのです
ところが出所して2年後
約2年9か月の長期にわたり身体が拘束されたところでありまして男性に対しては大変申し訳ないと考えております。
鳥取県警が逮捕した男が柳原さんの事件を自供
真犯人が明らかになったのです
逮捕後の捜査においても引き続き裏付け捜査を行いましたが…。
今から振り返れば…。
と言わざるを得ず…。
柳原さんは無実だった
しかし富山県警は重大な捜査のミスを犯したにもかかわらず誰一人処分されていません
結果においては誤認逮捕になりましたけれども当時の捜査幹部の指揮あるいは捜査員の捜査手法それを一つ一つをあげつらってこの時に捜査の懈怠があったあるいはそこに捜査のミスがあった…ということで処分に該当するものだというふうに判断できるのかどうかということになると当時の捜査状況をつぶさに検証した立場からして…。
2007年10月
再審裁判で晴れて柳原さんの無罪が確定します
しかし責任を取ろうとしない警察自分を陥れた取調官らを絶対に許すことができないでいました
なぜ僕の所に最初に来たのかということが全然明らかになってないということです。
なので…。
柳原さんは国や取調官らを相手取り慰謝料やこれまで失った利益などを請求する国家賠償請求訴訟を申し立てました
なぜ犯人にされたのかその理由を知るためです
2009年逮捕から7年が経っていました
都会の片隅に逃れ人目を避けて暮らすしかありませんでした
富山を離れ3年半が経ちました
(記者)丁寧に折り畳まれるんですね。
拘置所にいた時は…。
その癖が出ちゃう。
2年余り服役した補償として国からおよそ1000万円を受け取りましたが生活費や弁護士費用などで底を突きました
今は就職できず生活保護を受けています
アパート代を差し引くと毎月の生活費は8万円余りです
柳原さんは富山で仕事を探しましたが25社で不採用
「警察と裁判中の人間は採用できない」…と言われたこともあります
人生の歯車は狂ったままです
これ一日4回これ寝る時。
これは一日2回。
拳を突き出し威嚇する取調官が脳裏から消えることはなくあの悪夢から逃れるには精神安定剤に頼るしかありません
医師からは…
…という診断を受け今も通院しています
仕事をすることは医師に止められています
精神科医に去年聞いたんですけど今の状況仕事してもいいですかと聞いたら…。
…という感じでドクターストップかかっちゃってるんで。
東京での一人暮らし2日に1度のペースでスーパーマーケットに出掛けます
腐らせることのないよう食べ切れる分しか買いません
トリスのハイボール…。
安いんだよね。
食事は毎日夕食の一回だけです
なぜ自分がふるさとを離れここで暮らさなければならないのか
取調官達が自分を標的にした理由と責任を裁判で明らかにする
その思いだけが柳原さんを支えていました
富山えん罪事件柳原さんが5年前に起こした裁判は今も続いています
柳原さん側は警察と検察に…
しかし提出されたのはごく一部ほとんどが黒塗りでした
捜査員の動きや当時の捜査幹部の認識が分かる資料も被害者の特定につながる恐れがあるとしてページ全体が黒く塗りつぶされていました
(奥村弁護士)こういう状態なんですよね。
ぜひきちっとしたものが出されるべきであると…。
証人尋問で当時の氷見警察署長は犯行時間の直前に柳原さんが自宅から電話していた記録がアリバイとしてあったにもかかわらず「通話先に気を取られ通話した時刻をチェックしなかった」と弁明
さらに当時の科学捜査研究所の担当者は現場に残っていた体液について「柳原さんの血液型と一致しない可能性があった」と認めた上で「氷見警察署から依頼がなかったから再鑑定しなかった」と述べました
明らかになったずさんな捜査
しかし疑問は深まるばかりでした
柳原さんのふるさとです
にぎやかだった実家は今誰も住んでいません
4人きょうだいの末っ子で少年時代は野原を駆け回り伸び伸びと過ごしました
ここはもう…。
いい思い出もあるけども悪い思い出もあるからね。
柳原さんが通った小学校は22年前に廃校になりました
缶蹴りとかやってたし鬼ごっこのようなことやってたんかな。
全校児童は20人余り
みんなきょうだいのようだったといいます
しかし中学校に入ると様子が変わります
中学校の時はもう仲間外れとかされてたしいじめもされてたし…。
まぁ学校行きたくなかったし。
他の小学校から来た同級生から言葉によるいじめを受けます
気が弱く話し下手の柳原さんは言い返すことができず耐えるしかありませんでした
朝「いってきます」って出て自転車で出て途中で引き返したことも何度もありますよ。
学校行ったり休んだり行ったり行かなかったり繰り返してたから授業にもついて行けないしね。
中学卒業後は手に職をつけようと職業訓練校に進学
いじめを受けたことでひとと付き合うことが苦手になった柳原さんは鉄工所やホテルで働きながら大型トラックやバスの運転免許を取得し運転手として働き始めます
タクシーとかバス小さい時から憧れてたしなので2種免許取ってまぁそういう仕事でずっと行こうかと思ってたんですけども…。
逮捕される前家庭を持とうと考えていました
誤認逮捕される前は付き合ってた人もいたんですけども…。
誤認逮捕されてからは終わっちゃいましたけど。
警察はやっとつかもうとしていた幸せも奪ってしまったのです
今年2月裁判は最大の山場を迎えていました
ついに明日自分を犯人に仕立てた取調官の証人尋問が行われます
警察官からどう証言を引き出して行くのか弁護士や支援者らと綿密な打ち合わせを行いました
取調官と会うのはえん罪が明らかになってから初めてです
前の晩は眠れませんでした
(柳原さんの声)当時の…。
法廷に現れた取調官
柳原さんはその顔を厳しい表情で見つめ拳を強く握り締めました
取調官は50歳代後半
柳原さんの事件を担当した当時すでに400人以上の容疑者を取り調べて来たベテランです
尋問の焦点はなぜ柳原さんがやってもいない強姦事件を詳細に供述できたのかです
これは柳原さんが描いた被害者の自宅の見取り図です
玄関や階段部屋の入り口やテーブル障子戸の位置まで正確に記されています
柳原さんはこれまで「後ろから…」
…と主張して来ました
これに対し取調官は…
…と食い違う証言をしました
そして凶器として何を使ったのかや被害者の縛り方など柳原さんが答えられない場合には…
…ことを認めました
また柳原さんの前に握り拳を突き出したり机を叩いたりしたことについては…
…と否定
取調官は最後まで柳原さんに視線を向けることはありませんでした
「真実を語らず何も反省していない」
柳原さんの憤りがあふれ出て来ました
今日の尋問の中でぬけぬけと答えて来たことに対してもう腹の中煮えくり返るほどもう怒り寸前まで行ってましたけども…。
取り調べではあれ以上の声出てますよ。
(弁護士)もっとデカい声なの?あれより倍の倍の声が出てます。
気晴らしのためよく散歩に出掛けます
柳原さんには友達と呼べる人はいません
いつも1人です
時々パソコンのソフトを使って住宅の間取りなどを考えます
仕事ではありません
この日設計していたのはバルコニー付きで広いリビングのある2階建ての住宅です
うんまぁ…。
…というのも含まれてるかもしれない。
柳原さんは母親に似ているとひとから言われます
母が亡くなったのは4歳の時
…という思いもあるんで。
温かい家庭への憧れ
しかし現実は…
…とかそういうのをされて来たんで。
今も月に1度は通院し精神安定剤は手放せません
裁判は終盤を迎えました
この日の証人は検察官
なぜ警察のでたらめな捜査に検察は気付くことができなかったのでしょうか
柳原さんのアリバイを証明できる重要な証拠だった通話記録について検察官は「見たが精査はしなかった」と弁明
また事件現場に残っていた運動靴の足跡と柳原さんの足のサイズが大きく違うことについても…
…と証言します
警察の調書をそのままうのみにして検察はいくつもの無実のサインを見落としていました
続いて柳原さんが証言台に
自分の未来が壊され苦しい生活を強いられている現状を裁判官に語り掛けました
そして…
…と訴えました
神経をすり減らしての25回目の裁判が終わりました
これから4時間かけて東京へ戻ります
えん罪防止の切り札とされるのが取り調べの録音や録画をする可視化
…として全面的な可視化には抵抗しています
一方柳原さんら被害者は全面的な可視化の実現を求めています
6月30日法務省は可視化に向けた法改正の最終案を示しました
取り調べ開始から終了までを全て可視化するよう義務づけていますが対象は裁判員裁判となる事件と特捜部などによる検察独自の捜査事件に限定されています
その割合は全ての刑事裁判の2.4%にすぎません
さらに例外も
取調官が十分な供述を得られないと判断した場合などは必ずしも録画・録音しなくてもよいことも認めています
今月9日法制審議会の特別部会はこの最終案を全会一致で了承
しかしえん罪を防ぐ本来の狙いが骨抜きにされると可視化に詳しい弁護士は指摘します
例外をかなり広く取るとかですねあるいは…重い事件だけでえん罪が起きているわけではないですねだから…。
ですからそこが問題だというふうに思いますね。
本当に…
警察は知っていた
獄中から手紙を通じて証言する人物がいます
「拝復希代の強姦魔である私に御丁寧な手紙をいただき恐縮です」
それは…
大津受刑者には犯行後被害者の女性に対し特徴的なあるセリフを言う癖がありました
逃げるための時間稼ぎに言ったこのセリフは柳原さんが逮捕された事件そして柳原さんの逮捕後に相次いだ強姦事件でも使われていました
当時…
…という疑問の声が上がりましたが「似たような事件は起こる」として関連について捜査は行われませんでした
このことは後の裁判で明らかになります
大津受刑者は「警察は柳原さんが犯人でないと認識していたがそれを隠蔽した」と記しています
その後記者が面会した際も「警察は知っていたんだ」と繰り返しました
大津受刑者の言っていることは本当なのか
富山県警は…
…と沈黙を通しています
裁判で証言した取調官に取材しました
(記者)本当は犯人じゃなかったとかそういったことは気付かれたとか?
(当時の取調官)ちょっとやめてもらえんですか。
(記者)取り調べ中に何か気付いたりとか…。
(当時の取調官)やめてください。
ノーコメントですやめてください。
この日柳原さんは1年ぶりにふるさとを訪ねました
父親の行雄さんが亡くなったのは12年前
逮捕から半年後
拘置所の中にいたため死に目に会うことはできませんでした
疑いが晴れて兄姉とは和解したはずでした
しかし5年前裁判を始めるに当たり…
…と言われたといいます
自分は一度警察検察によってめちゃめちゃにされてそれをだから僕はその…。
国賠始めてるんで別に柳原という姓を汚してるわけでも何でもないんで。
それ以来兄と姉とは音信不通のままです
両親が「頑張ってやれ」と言ってくれてるような感じになるんでお墓に来るといわゆる最後までやらなきゃいけないのかなと思いますね。
両親の葬儀をあげた寺です
こんにちは。
(武田さん)あらっ浩君。
武田千恵子さん
さぁ入ってお茶一杯飲まれ。
さぁどうぞ。
(記者)すいません。
墓参りの後には必ず訪ねます
浩君いつものように本堂お先に参ろうね。
あぁはい。
あんた数珠持って来た?今日持って来てないんです。
(読経)
事件に巻き込まれる前もそして今も温かく迎えてくれます
でもね私思うがねあなたのお父さんとお母さん必ずあなたを見とってやよ。
あぁはい。
必ず見とってや。
はい。
実は武田さんは柳原さんの小学校時代の恩師でもあります
(記者)当時どんなお子さんでした?
(武田さん)ねぇ浩君ハハハ…。
(武田さん)でもあなた1人で切り抜いて来たがいからね。
いや…はい。
この後も私の年になるまでいろんなことあるからとにかく…。
お付き合いして行ったほうがいいと思う私は。
はい。
柳原さんの兄や姉が少し前に寺を訪れたことが分かりました
きょうだいとの音信不通を知った武田さんははがきを10枚渡しました
(武田さん)慌てんでいいから。
(武田さん)切手貼って出され。
兄ちゃんと姉ちゃんのとこへね。
あっはい。
これで話何もない。
(柳原さんの声)この今やってる裁判が決着ついてからあらためてきょうだいの仲を取り戻そうかなと思ってるんでその時にあらためてはがきだろうが手紙だろうが出そうかと思ってるんで。
ふるさとは今陽炎のかなた
戻ることのできない場所です
まぁ人生はもうガラリと変わっちゃいましたけどね。
まぁできることなら当時の親父とかがまだ生きてる頃に戻してほしい。
償いっていうよりか今の裁判でもそうですけど正直に全部話してほしいというのが今の自分の願いですね。
まぁとにかく何もやらないうちにくよくよしてたって前には進まないんで。
自分の力で生きて行きたいなという思いはあるんで。
柳原さんに真の意味での「無罪」はまだありません
この夜歌が好きな柳原さんをカラオケに誘いました
♪〜たがいに傷つき♪〜すべてをなくすから
カメラの前で照れくさそうに『また逢う日まで』を歌ってくれました
♪〜ふたりで名前消して♪〜その時心は何かを♪〜話すだろう
救われる日は必ず来ると信じて…
柳原浩さん
事件に巻き込まれてから12年が経ちます
失った人生ふるさとそして真の無罪
真実が闇に葬られたままなので…。
それら全てと向き合い1人陽炎の中を歩いて行きます
2人の少女が京都に来た訳
それは憧れの舞妓になるため
伝統と厳しい修業の中で徐々に見失う自分らしさ
揺れ動く15歳の心
2014/07/14(月) 01:00〜01:55
読売テレビ1
NNNドキュメント「陽炎 えん罪被害の闇」[字]
富山えん罪事件の被害者、柳原浩さん(47)。疑いは晴れたが、25社で不採用。今は東京で生活保護を受ける身だ。厳しい取り調べがフラッシュバック…PTSDの症状だ。
詳細情報
番組内容
「もう疲れたから、自殺するところを撮影してください」メールの送り主は、柳原浩さん(47)。富山えん罪事件の被害者だ。えん罪発覚後、地元で就職活動をしたが25社で不採用。3年前に故郷を捨て、生活保護を受けながら東京で1人暮らしをしている。厳しい取り調べがフラッシュバックするようになり、「心的外傷後ストレス障害」と診断された。なぜ犯人にされたのか?えん罪によって人生を狂わされた男の絶望と希望を描く。
出演者
【ナレーター】
あがた森魚
制作
北日本放送
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
ステレオ
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32725(0x7FD5)
TransportStreamID:32725(0x7FD5)
ServiceID:2088(0×0828)
EventID:36302(0x8DCE)