地球ドラマチック「新説!ストーンヘンジの謎」 2014.07.14

イギリス南部にある遺跡ストーンヘンジ。
長い間深い謎に包まれてきました。
この遺跡については優れた洞察力から生まれたものや迷信じみたものまでさまざまな説が唱えられてきました。
最近になって長年の謎を解くかもしれない発見がありました。
鍵となったのはストーンヘンジに埋葬されていた人骨でした。
マイク・パーカー・ピアソン率いる研究チームは世界で初めてその骨を分析しました。
最新の技術によってストーンヘンジの新たな姿が浮き彫りになっていきます。
建造された時代に関する新事実。
ストーンヘンジの最初の姿は今とは全く違っていた事も判明します。
かつてイギリス全土から人々が集まった事を示す証拠。
埋葬された死者たちの正体。
ストーンヘンジの新たな謎解きに挑みます。
ストーンヘンジに眠る人々の物語は1919年に始まりました。
その年イギリスの考古学者ウィリアム・ホーリーの研究チームが発掘調査を行っていました。
ホーリーたちは遺跡を囲むようにして開けられた多くの穴を発見します。
そのうちのいくつかには石器時代の人骨が納められていました。
ホーリーが発見したのは火葬された人骨でした。
しかしその骨をどう扱うべきか判断できず1935年に再び地中に埋めてしまいました。
特別な許可を得てピアソンたちは埋められた人骨を掘り起こす事にしました。
75年前の記録によれば骨は一つの穴に埋められその上に飾り板が置かれました。
掘り進めていくと鉛の飾り板が見つかりました。
板には研究者によって「ストーンヘンジの死者たちここに眠る」と刻まれていました。
骨の状態は期待を裏切るものでした。
一人一人分けられているかと思ったら何人分もの骨がごちゃ混ぜで埋められていたんです。
ピアソンたちはおよそ5万個ある人骨を拾い集め研究室に持ち帰りました。
全ての骨を部位ごとに特定し人数を割り出すのは気の遠くなるような作業です。
その間にピアソンは人骨が見つかった穴の調査を進め重大な発見をしました。
ストーンヘンジの中心には「サーセン」と呼ばれる巨大な石が円形に並びその上に「リンテル」と呼ばれる石が横たわっています。
内側には「ブルーストーン」と呼ばれる比較的小さな石が並んでいます。
全ての石は紀元前2500年ごろに同時に建てられたと考えられてきましたがピアソンは違う説を唱えました。
人骨が埋められていた穴の底の部分は比較的平らになっていて下の石灰岩が砕けています。
石灰岩には非常に重い物によって削られた跡が残っていました。
このような穴に巨大な石を垂直に立てると下の石灰岩は砕けて形を失います。
つまり人骨が埋められていた穴にはかつて石が立てられていたと考えられます。
立てられていた石はそれほど厚みがなく薄いもののようです。
ストーンヘンジでこの条件に当てはまるのはブルーストーンだけです。
ピアソンの説が正しければ人骨が発見されたのと同様の穴が56個ありそれぞれにブルーストーンが建てられていた事になります。
これは一体何を意味するのでしょうか。
(ウィリス)この小さな骨は石灰で覆われています。
周りにあった石灰の粉が骨に付着したんだろうね。
ブルーストーンが置かれた事によって穴の底にある石灰岩が砕け骨に付着したと考えられます。
この事から骨が埋められたのとブルーストーンが建てられたのは同じ時期だとピアソンは推測しています。
人骨が埋められた穴に意図的にブルーストーンが建てられた。
これはブルーストーンが墓石のような役割を果たしていた事を意味します。
放射性炭素年代測定の結果もブルーストーンが建てられたのと同じ時期に人骨が埋葬された事を示していました。
しかもその年代は紀元前3000年。
遺跡はこれまでの定説よりも500年古いものだったのです。
ストーンヘンジに対する認識を根底から覆す発見です。
ピアソンの調査によってかつてのストーンヘンジは今とはだいぶ違う形をしていた事が分かりました。
紀元前3000年ごろ最初に建てられた時の様子です。
現在中心部に置かれている巨大なサーセンはまだ存在しません。
ここが石器時代の墓地だったとピアソンは考えています。
それぞれの石の下には人骨が埋葬されていました。
生前は重要な人物だった可能性があります。
一体どのような人たちだったのでしょうか。
5万個に上る骨の分析が進められています。
まずは何人分の骨があるのかを調べます。
考古学者のクリスティー・ウィリスが良い方法を思いつきました。
発掘された人骨には耳の骨がたくさん混ざっていました。
左右両方の耳の骨です。
これを探していけば人数を割り出す事ができます。
小さな耳の骨が突破口になり埋葬された人数は63人である事が分かりました。
次に放射性炭素年代測定によって正確な死亡時期を割り出します。
これは埋葬された人々の関係性を探る事にもつながります。
調査によって石器時代の従来のイメージを覆す結果が出ました。
大抵の人は「石器時代の人々」と聞くと洞窟に住みこん棒を振り回す原始的な人を思い浮かべるでしょう。
しかし実際には石器時代の終わり頃の人々はせっせと農作物を育てていました。
解剖学的な面でも知性の面でも現代人とほとんど変わりません。
近年ストーンヘンジから800km離れたフランス東部のシャラン湖で石器時代の道具が発見されました。
ストーンヘンジとほぼ同じ時代のものです。
石器時代にヨーロッパ各地で使われていたものだと考えられます。
当時の技術の高さが分かります。
これは持ち手のついた木の器です。
トネリコの木で作られたものでしょう。
シンプルですがとても見事な出来でどんなふうに使われたのか一目見ただけで分かります。
5,000年近く前のものなのに現代でもそのまま使えそうなデザインです。
こちらのおたまもそう。
とても近代的で実用的な形をしています。
出土品から当時の文明がかなり発達していた事が分かります。
ストーンヘンジに埋葬された人々は生前どのような役割を担っていたのでしょうか。
「戦いで亡くなった戦士」というのがピアソンの1つ目の説です。
ストーンヘンジが造られる数百年前この地域は戦場でした。
ストーンヘンジの近くにある墓地の遺跡に戦いの痕跡が残されています。
ストーンヘンジから24km離れた場所にあるウエストケネット墳丘墓。
この石器時代の墓地にストーンヘンジの死者たちにつながるヒントが隠されていました。
リック・シュルティングは石器時代の戦いを研究しています。
石器時代末期の人骨の大半はこのような塚から見つかっています。
当時の共同墓地だったんです。
これは模型ですが発掘された頭蓋骨にはしばしば大きな穴があいています。
戦いの傷がもとで亡くなったんでしょう。
戦場の跡から矢じりなどの武器も見つかっています。
こうした事からストーンヘンジに埋葬されていたのは戦いで亡くなった戦士たちだという可能性があります。
ピアソンにはもう一つ別の説もあります。
埋葬された人々がある特殊な役割を担っていたというものです。
ストーンヘンジで人骨の他に2つの興味深い埋蔵品が見つかったからです。
これはつえの残骸骨を細工した装飾品です。
こちらはつえの上部に付きます。
つえ自体は既に朽ち果てています。
石器時代にこのようなつえを持っているのがどんな人物だったか大体想像がつきます。
王のような存在あるいは集会のまとめ役など何らかの権威や高い身分を示すものと見て間違いないでしょう。
身分の高い人々がストーンヘンジに埋葬された可能性を示すものです。
もう一つ小さな器も見つかっています。
これは香炉だと思われます。
片面に焼けた跡があるからです。
2つの手がかりを合わせると宗教や儀式の指導者という可能性が強くなってきます。
ストーンヘンジに葬られていた人々は果たして戦士だったのでしょうか。
それとも宗教的な指導者だったのでしょうか。
人骨の科学的な分析によって2つの説を共に否定する結果が出ました。
根拠となったのは骨の断片から判明した埋葬された人々の性別でした。
(ウィリス)こちらが後頭部の骨の画像です。
頭の真後ろだね。
断面がよく分かるな。
(ウィリス)CTスキャンを使っています。
ここを見て下さい。
大きく盛り上がっているでしょ?画像を止めた方が分かりやすいですね。
頭のてっぺんに向かって膨らんでいます。
後ろから筋肉が集まる部分です。
男性の特徴だね?
(ウィリス)そうです。
一方全く違う形の骨もありました。
(ウィリス)この骨は明らかに女性のものです。
断面を見て下さい。
なだらかに盛り上がっています。
本当だね。
(ウィリス)カーブが緩やかです。
ストーンヘンジには男性と女性両方の人骨が納められていました。
ピアソンによると性別に関係なく埋葬されている場合骨が宗教的な指導者や戦士のものである可能性は低くなります。
一般的に言って聖職者が男女の区別なしに同じ墓に眠るという事はほとんど考えられません。
戦士の場合も同じです。
男性と女性が同じ墓に葬られる事はまずありえないと言っていいでしょう。
つまりストーンヘンジの人骨は戦士でも聖職者のものでもなかったという事です。
骨の分析がほぼ終了しました。
骨は合計63人分。
大人の男性と女性に加え子供も混ざっていました。
また埋葬されたのは紀元前3000年から2800年の200年間である事も分かりました。
ピアソンはここからある結論を導き出しました。
恐らく地域社会の中で特別な地位にあった人々です。
いわば貴族や上流階級のような存在その一族という事です。
葬られていたのが身分の高い一族だとすれば男性女性子供が一緒に葬られていた事も納得できます。
彼らは火葬され骨は地中に埋められました。
ブルーストーンを墓石として円を描くように建てられた墓。
これがストーンヘンジの起源だったとピアソンは考えています。
しかしなぜこの場所に石器時代の人々が埋葬されたのでしょうか。
ストーンヘンジがあるのはイギリス南部ソールズベリー平原の小高い場所。
ここを選んだのには何か理由があるはずです。
ピアソンはその理由としてストーンヘンジと太陽の配列に注目しました。
ストーンヘンジを再現したCG画像を見ればこの遺跡がなぜさまざまな論争を引き起こしてきたのかがよく分かります。
特に重要なのは夏至や冬至との関係です。
中心に並ぶ巨大な石の配列は夏至の日の出と方向が一致しています。
そして反対側に目を向ければ冬至の日の入りとも一致しています。
夏至や冬至の日には中心の巨大な石と太陽が一直線に並ぶ光景を見る事ができます。
偶然ではなくそうなるように意図的に建てられたのです。
石器時代の人々は太陽の周期に合わせてさまざまな節目を定めていました。
一種の暦です。
特に夏至は一年の中でも重要な日でした。
中心の巨大な石は紀元前3000年から紀元前2000年の間に建てられたと見られています。
その時代の建築物が夏至の日の出や冬至の日の入りに合わせて建てられていたとしても何ら驚く事はありません。
ストーンヘンジには他にも夏至や冬至と関係する秘密が隠されていました。
ここは「アベニュー」と呼ばれる道でかつて人々はここを歩いてストーンヘンジに向かいました。
両側には溝と土手があります。
そちらにもう1本別の土手が並行に走っています。
時と共にアベニューは埋もれ上空から見ないとよく分からなくなっています。
アベニューはストーンヘンジへ向かうために造られた道だと考えられてきました。
しかし実はアベニューはストーンヘンジが出来る前から存在ししかも人工的に造られたものではない事が分かりました。
まっすぐに延びた2本の土手は氷河期の終わりに解け出した水が造り出したものではないかとピアソンは考えています。
自然の中に出現した2本の直線を見て石器時代の人々は驚いた事でしょう。
しかしその直線が指し示す方向は更に驚くべきものでした。
自然がつくり出した2本の直線は夏至の日の出と冬至の日の入りの方角を指し示していました。
まさに奇跡的な偶然です。
石器時代の人々にとっては神のお告げのように感じられた事でしょう。
ここを世界の中心だと思っても不思議はありません。
時計はもちろん詳しい暦もない世界で夏至と冬至を示す直線は偶然の産物には思えなかった事でしょう。
石器時代の人々はこの場所を神聖なものと見なし身分の高い人々を葬るのにふさわしい場所だと考えたのかもしれません。
場所だけではありません。
使われた石にも特別な意味がありました。
ブルーストーンは「流紋岩」と呼ばれる石を加工したものですがストーンヘンジの周辺には存在しません。
ではブルーストーンはどこから運ばれたのでしょうか。
イギリスで流紋岩が産出される場所は1か所しか知られていません。
ストーンヘンジからおよそ280km離れたプレセリ山地です。
しかしここがブルーストーンの原産地だという明らかな証拠は見つかっていません。
ピアソンたちが調査を開始しました。
流紋岩です。
このような形でまっすぐに立っています。
今は自然のままですがいつでも採石できる状態です。
土をどけると…ご覧のとおり。
ストーンヘンジにあるブルーストーンとほとんど同じものです。
ストーンヘンジはこの場所から280kmも離れています。
しかしブルーストーンがここで採石された事を証明したいと思っています。
調査によってストーンヘンジのブルーストーンがこの山から切り出された証拠が見つかりました。
発掘を始めてしばらくすると採石場の跡で思わぬものが見つかりました。
いわば大昔の人々の置き土産です。
これを見て下さい。
完成された石の柱が見つかりました。
採石場から運び出される直前のものが置きっ放しにされていたんです。
ここがストーンヘンジの採石場であった事を示す証拠が見つかったわけです。
幸運としか言いようがありません。
ピアソンたちが発見した石柱と280km離れたストーンヘンジにあるブルーストーンはうり二つです。
確かにこれは有力な証拠になるでしょう。
しかし新たな謎が生じます。
まだ車輪など存在しなかった時代に3tもある石をどうやって280km先まで運んだのでしょうか。
この時代は共同体のために働く事がとても重視されていました。
巨大な石を動かし元の地形を変えるような大事業がいくつも行われています。
ストーンヘンジもその一つです。
石器時代の人々にはそれを成し遂げるだけの力があったし成し遂げたいという強い思いもあった。
それを忘れてはいけません。
強い意志があれば山でも動かせる事を当時の人々は実証したんです。
重い石を力を合わせて運ぶ作業を通じて人々は一つにまとまり共同体としての団結力を高めたとピアソンは考えています。
ストーンヘンジが造られた場所の神聖さも人々を動かす大きな理由になったと考えられます。
ストーンヘンジは身分の高い人々を埋葬する墓地として造られました。
そしておよそ500年間当初の形を保っていました。
その後第二の建設が行われました。
中央に巨大な石「サーセン」が建てられた事でストーンヘンジの姿はがらりと変わりました。
この石は30km離れた採石場から運ばれたものです。
こんな大きな石を建てるのは大変な作業だったはずです。
その意味からもストーンヘンジは石器時代のヨーロッパにおける最も貴重な遺跡の一つだと言えます。
合計でおよそ2,000tの石が使われました。
ストーンヘンジは現在のものとほぼ同じ形になったのです。
これまで考古学者たちは巨大な遺跡をどうやって築いたのかという問題に注目してきました。
しかしピアソンたちは今回の調査でストーンヘンジにまつわる別の側面に注目しました。
きっかけとなったのはストーンヘンジから3km離れた場所での大発見でした。
そこは4,500年前の村の跡で「ダーリントンウォールズ」と呼ばれています。
住居の跡に加え家畜と見られるおよそ8万の動物の骨建設用の工具土器などが発掘されました。
石器時代のイギリスで最大級の村がストーンヘンジから歩ける距離にあった事は何を意味するのでしょうか。
ダーリントンウォールズで発掘された家畜の骨を分析したところ興味深い事実がいくつも浮かび上がってきました。
豚の歯は生える時期が決まっています。
その後の成長のしかたにも特徴があります。
ですから歯の状態を調べれば例えば生まれて1年目の冬に処分されたとかいつごろ死んだのかを特定する事ができます。
分析の結果春に生まれた家畜が真冬頃に処分されている事が分かりました。
人々が牛や豚を消費した時期はかなり限られています。
人々はダーリントンウォールズで一年中暮らしていたわけではなく一年のある特定の時期に家畜を連れて集まってきたと考えられます。
骨の分析によって家畜は冬至の頃に処分されて食べられた事が明らかになりました。
大量の家畜が食べられていたのはストーンヘンジで第二の建設が行われていた時期と重なります。
ダーリントンウォールズにはストーンヘンジの建設に関わった人々の住居があったと考えられます。
そして人々は冬至の頃に大規模な祝宴を開いていたようです。
ダーリントンウォールズで発見された何千もの土器の破片からその様子が明らかになってきました。
新しい方法を使って土器に染み込んだ食べ物の痕跡を調べる事ができるようになりました。
それによって当時どんなものが食べられていたのかが分かるようになったんです。
食品に含まれる栄養素を調べる技術を応用してオリヴァー・クレイグは4,500年前の祝宴の様子を解明していきました。
ダーリントンウォールズではいろいろな料理を作っていたようです。
家畜の肉もそれぞれに合った調理をしていました。
例えば豚は丸焼きにしていたし牛は土器を使って煮込んだりしていました。
ふだんの食事とは全く違うごちそうが並ぶ真冬の宴。
人々は大いに楽しんだ事でしょう。
人々は何を飲んでいたのでしょうか。
さまざまな肉の他に牛乳の痕跡も見つかっています。
祝宴というと多くの人はお酒を思い浮かべるでしょうがアルコールは痕跡が残りません。
ですから確実な事は言えませんが彼らは既に何千年も農業を行っていました。
酵母に関する知識はあったはずです。
アルコールを造る技術もきっと持っていたと思います。
祝宴の様子が明らかになるにつれ新たな謎が浮かび上がってきました。
宴の規模があまりにも大きすぎるのです。
ストーンヘンジの周辺にそれほどの人口はなかったはずです。
参加者はどこからやって来たのでしょうか。
祝宴の席で食べられた動物の歯によって答えが明らかになりました。
歯の成分を分析する事でその動物がどの土地で育ったかが分かるのです。
動物の歯には食べてきたものや育った場所の情報が含まれています。
歯に含まれるストロンチウムという元素の同位体を調べる事で育った場所を特定できるんです。
ストロンチウムの同位体は飲み水を通して体内に摂取され歯や骨に蓄積されます。
同位体は場所によって特徴があるため分析する事で動物の育った場所を特定する事ができるのです。
家畜の育った場所が分かればストーンヘンジの祝宴に参加した人たちがどこからやって来たのかも分かります。
ストロンチウムの同位体の分布図ですね?はい。
イギリス全土の分布状態を色分けして分かりやすく表示したものです。
オレンジや赤で示されている同位体は?オレンジや赤はストーンヘンジのはるか北スコットランドで見られる同位体ですがそれも含まれていました。
スコットランド?そんな北からも?これは驚いたなあ。
調査の結果ストーンヘンジの建造と宴のためにイギリス全土から人々が集まっていた事が分かりました。
ストーンヘンジのはるか北にあるオークニー諸島からも人々がやって来たとピアソンは考えています。
ここからストーンヘンジまでは現代の交通機関を使ってもほぼ1日かかります。
石器時代に船や徒歩で移動するとしたら何か月もかかった事でしょう。
ましてや往復するとなれば大変な事です。
それでも人々は家畜を連れてはるか南にあるストーンヘンジを目指したんです。
ストーンヘンジはイギリス全土から人々を惹きつける神聖な場所だった可能性があります。
出土品から推定して真冬のストーンヘンジにおよそ4,000人が集まったとピアソンは考えています。
当時の人口が数万程度だった事を考えると大きな割合です。
ストーンヘンジでの真冬の祝宴はイギリスの歴史上初の巨大イベントだったのかもしれません。
これまでの発見からピアソンは真冬の祝宴は次のようなものだったと考えています。
まずダーリントンウォールズでごちそうが並ぶ盛大な宴が催されます。
そして参加者はアベニューを通ってイギリスで最も重要な墓地ストーンヘンジへと向かいます。
そこで死者たちに敬意を払い中央の巨大な石と一直線に並ぶ冬至の日没を拝んだのです。
それ以前にはない一大イベントだったと考えられます。
スケールの面で他とは比べ物になりません。
集まった人々の興奮が目に浮かぶようです。
壮大な光景だった事でしょう。
しかしストーンヘンジがイギリスの中心地だった時代は長くは続きませんでした。
家畜の骨や土器の破片を調べた結果ストーンヘンジでの祝宴が突然終わりを迎えダーリントンウォールズから人々がいなくなった事が分かりました。
ダーリントンウォールズに人がいたのは紀元前2500年ごろ。
その期間は45年にも満たなかった事が判明しました。
ストーンヘンジはイギリスの中心地ではなくなり盛大な祝宴も終わりを迎えました。
劇的な変化はなぜ起きたのでしょうか。
ピアソンはその答えを人骨に見いだそうとしました。
ストーンヘンジの近くで見つかったこの骨はストーンヘンジに埋葬されていたものとは大きな違いがありました。
火葬されていないのです。
これは石器時代で最も有名な人骨の一つ「エームスベリの射手」です。
男性の骨でイギリスにおける埋葬方法の変化を物語っています。
当時の重要人物で盛大な葬儀が行われたようです。
それ以前の死者は火葬され副葬品もなく埋葬されていました。
しかしこの男性は火葬されず100以上の副葬品と共に葬られていました。
「エームスベリの射手」はヨーロッパ大陸からイギリスに渡ってきた民族ビーカー人でした。
ビーカー人はそれまでとは違う文明をもたらしイギリスの歴史を大きく変えました。
埋葬方法もその一つです。
この辺りにあるのはビーカー人が残した紀元前2000年ごろの墓で「円墳」と呼ばれるものです。
遺体は火葬されずに埋められその上に小さな丘が築かれました。
ビーカー人にとってもストーンヘンジは重要な意味を持っていました。
この一帯にある円墳はストーンヘンジを取り巻くような形で造られているからです。
ストーンヘンジが重要な意味を持っていた証しと考えていいでしょう。
ストーンヘンジで見つかった63人の骨を納めた墓はどれもが同じように円形に並んでいました。
一方ビーカー人の墓は全く違うものでした。
ストーンヘンジの墓は1つの墓石の下に複数の人々が埋葬されていましたがビーカー人は1人につき1つの円墳を造りました。
ビーカー人は共同体よりも個人を重視していた事が分かります。
謎に包まれたビーカー人とはどのような人たちだったのでしょうか。
ピアソンたちの研究チームはイギリスで発見されたビーカー人360人の骨を科学的に分析しました。
骨や歯に含まれる元素を調べる事でその人物が暮らしていた気候地質環境それに食生活まで知る事が可能です。
それらの情報を総合すればビーカー人がどこからやって来たのかを突き止める事ができます。
ビーカー人にまつわる謎が少しずつ解けていきます。
まずは有名な「エームスベリの射手」から。
「エームスベリの射手」はイギリスで見つかったビーカー人の中では例外的な存在でした。
この人物は気温が低い大陸の気候の中で育った事が分かったからです。
イギリスではなくヨーロッパのどこか恐らくアルプス地方でしょう。
「エームスベリの射手」はヨーロッパ大陸で生まれ育ち成長してからイギリスに渡ってきた事が分かりました。
ふるさとはアルプス地方現在のフランスとスイスの国境地帯だったと推定されます。
他のビーカー人は大部分がイギリスで生まれ育っていました。
しかし彼らは先祖が大陸から持ち込んだ文明を受け継いでいました。
以前からイギリスに住んでいた人々もビーカー人の新しい文明に惹きつけられていきました。
ストーンヘンジでの祝宴が廃れたのもそのためだと考えられます。
ビーカー人の文明はなぜ多くの人々を惹きつけ古い文明を圧倒する事ができたのでしょうか。
その理由は副葬品にあるとピアソンは考えています。
副葬品の一つである短剣は銅で作られています。
美しく輝く金属製の短剣。
イギリスではそれまで誰も見た事がなかったものです。
とても小さいので実際の武器としてはほとんど役に立ちません。
実用品ではなく権威の象徴として作られたものでしょう。
当時としては最先端の装飾品です。
大陸から伝わってきた金属製品は初めて見る者に大きな衝撃を与えました。
イギリスでは何千年もの間武器や道具の多くは石で作られていました。
美しく機能的な金属製品は魔法のように思えた事でしょう。
その魅力が石器時代の社会の在り方を大きく変えました。
銅や金で出来たものを持つ事が地位の象徴となり派手さを見せびらかす新たな文明が始まったんです。
ピアソンにとってビーカー人の骨はジグソーパズルを完成させる最後のピースとなりました。
紀元前2500年を過ぎた頃ビーカー人が大陸から持ち込んだ新しい文明は石器時代のイギリスに大きな変化をもたらしました。
冬至の季節にイギリス全土から人々が集まるストーンヘンジの祝宴は途絶えそれまでの共同体は衰退しました。
ビーカー人がやって来た事でイギリスでは石器時代が終わり青銅器時代の幕が開けました。
同時にストーンヘンジはイギリスの中心地ではなくなり徐々に荒廃の道をたどりました。
そして巨大な石の遺跡だけが残されたのです。
2014/07/14(月) 00:00〜00:45
NHKEテレ1大阪
地球ドラマチック「新説!ストーンヘンジの謎」[二][字][再]

イギリスの巨大遺跡ストーンヘンジはいつ何のために作られたのか…。これまでにない新たな説が浮上し、注目されている。最新の研究結果から明らかになった驚きの真実とは!

詳細情報
番組内容
建造目的や利用法など多くの謎に包まれているストーンヘンジ。このほどイギリスの考古学者マイク・パーカー・ピアソン教授が新説を発表した。5千年前に作られた円形の墓地で、当時中心には石がなかったという。確認された60体以上の老若男女の人骨は誰のものか?近くで発掘された動物の骨から、冬至の日に数千人規模のうたげが開かれていたことも判明。誰が何の目的で行ったのか?(2013年オーストリア・イギリス)
出演者
【語り】渡辺徹

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – 宇宙・科学・医学
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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日本語
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