ワンダフルライフ【ゲスト:長渕剛】 2014.07.13

(長渕)・「大きな大きな舞台に立ち」
(長渕)・「遥か長い道のりを歩き始めた」・「君に幸せあれ!」
長渕剛
その歌声は世代を超えて人々の魂を揺さぶる
(市原)だから…。
57年前鹿児島で生まれた一人の少年が初めてギターを手にしたのは15歳のとき
歌に人生を捧げた…
ステージの裏側には知られざる意外な姿があった
(山岸)え〜?もう正直言いますけど。
こよい本当の長渕剛をひもとく

(リリー)よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
ホントよくぞお越しいただきました。
最初から僕の話になっちゃうんですけど15のときに親元離れて一人で九州の福岡から大分に引っ越したんですけど。
でやっぱ独り暮らしは寂しくて夜深夜のラジオ聴いててそのときに長渕さんの「裸一貫ギターで勝負」やってました。
それ聴いててこの人すごいカッコイイなと思って僕それで初めて自分の小遣いで買って行ったコンサートが79年のツアーの大分のホールだったんですけど。
パイプ椅子のホールで。
あ〜まだ座ってやってましたね。
長渕さんが「おいもうちょっと前に来いよ」って言って。
何かみんながパイプ椅子をこうやって前に行って。
福岡ですか。
僕そうなんです。
あ〜僕だから母にねホントにこうやって正座してね。
「お母さん僕には歌しかありません」「ですから歌を歌わせてください」「ホントにごめんなさい」っつってね。
「分かった。
絶対帰ってくるんじゃないよ」って。
「覚悟して行きなさい」っつって。
で「いってきます」っつって出ていった口でそのときはねまだ九州新幹線も当然走ってなかったですから精神的な距離も実動的な距離も非常に長かったんですねまず東京までが。
僕はその前に福岡で降りたんですね。
で福岡で3年間大学生活を送ってそれで中退でしたがそこでライブハウスをずっとやってたもんですから。
歌を歌うために上京したわけですからね。
だから福岡は3年間いましたね。
照和でやられてたんですよね。
はいはい。
周りのミュージシャンのを聴いて「あっ俺これだったらいけるな」って思ったとか「うわっこれはすごいやつが集まっとう」とかは?やっぱみんなすごかったよね。
そのときは18歳ですかね。
それでどっかで自信はあったんですけどね。
たった一つだけ圧倒的に違うところがあったんだよ。
業界用語でべしゃりっていうでしょ?しゃべりよ。
曲と曲の合間をつなぐしゃべりが絶妙にうまいわけ。
笑わして笑わしてもうケタケタ笑わして歌にパ〜ンと入るわけ。
その当時の僕は…例えばさ例えばねこうあんじゃん。
・「天神あたりの交差点で待ち合わせですか?」どうもありがとうございました。
え〜次の歌は『スーザン』っていう歌を歌います。
・「スーザン」・「スーザン」どうもありがとうございました。
こういうステージをね美しいと思ってやってたわけ。
べしゃりなんか何で俺が話さなきゃいけねえんだよって思いながらそういう歌だけ歌えばいいじゃねえか。
っていう気持ちでやってたんだけどそれじゃやっぱり面白くも何ともないよね。
暗い髪の長い青年が出てきてそれで何となくギター1本で暗いのか楽しいのか分かんないような歌をポロッと歌ってねそれで「ありがとうございました。
次の歌は」なんてさノートをぺらぺらめくりながらねやったって客増えっこねえと思って悔しくて悔しくて。
そうかしゃべりだと思って。
そっからもうしゃべりの練習しまくってました。
ふ〜ん。
歌はこっちに置いて。
悔しがり屋なんだよね。
とても…。
負けたくない負けたくないと思って負けて生きてるっていう感覚がすごく自分であるんで。
勝ち上がるためにはっていつも思いますね。
男なんてのはさ闘争本能をむき出しにした毛虫みたいなもんなのよ。
女性にはちょっと分かんないかもしんないけど。
はい。
ホントにね勝ちたい勝ちたい勝ちたいっていつも男ってね思ってるホントに弱虫なの。
へえ〜。
僕はその最たるものですね。
え〜?もう正直言いますけど。
だから僕の過去の歌なんかをひもとくと恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがない。
穴あったら入りたいもんね。
何かそういうイメージとは違いました。
そうですかね?はい。
ラジオで聴いたときから思ってたのはこんなふうに自分の実際にあったことを歌にして本来だったら恥ずかしいようなことをままストレートに歌にしてるっていうのが何かすごくショッキングだったんです。
初めて聴いたそういう日本語の言葉っていうか。
あのね15でギターを手にしたんですね。
でそれまではね僕はね何にもなかったガキだったのよ。
人を藪睨みして「くそくそ」ってそういうひねたねガキだったんですよ。
てめえに何もないから。
そういったときに不意にある瞬間に15歳のときにギターを手にしてC・Aマイナー・F・Gって4つのコードを覚えたら僕はもう誰にも負けないと思ったの。
これで自分の全てを歌にできる。
行くぞ〜!
熱狂的なライブで知られる長渕剛
だがステージの裏には知られざるもう一つの姿があった
(辺見)あちゅいね〜。
(木下)来たよ夏。
夏のニオイね。
(2人)ニオいますわね。
(井ノ原)そこは「メリット」でしょ?メリット先生?どこ?
「メリット」の泡は落としにくい夏のニオイ・ベタつきまですっきり落とす
頭がスッと軽〜く…
リセ〜ット!・「いい地肌いい髪『メリット』」うんいい匂い。
うんキレイだ。
(一同)「ビオレu」でスキスキ手あらい〜!
(あけみ)新らくらくポンプになったよ!ほ〜ら!小さな手でも押しやすいでしょ!選んであげなくっちゃ!「泡ハンドソープ」なら…。
・「弱酸性ビオレ」
(あけみ)子どもの目線になると手あらいって大変かも!だから新らくらくポンプ!小さな手でも押しやすい!下向きでこぼれにくい!しかも倒れにくい!
(女の子)わぁ〜!「泡ハンドソープ」なら…。
・「弱酸性ビオレ」
(向井)夏っていろいろ大変ですよね。
いつのまにか体ぐったりお疲れさん。
気づいたら手足ひんやり冷え冷えさん。
そんなあなたに「バブ」38℃のぬるめのお湯でも炭酸がシュワ〜。
全身の血行を良くして体の芯までじ〜んわり。
疲れも冷えもスッキリやわらげます。
・「炭酸のお風呂『バブ』」夏はぬるめで!
湯あがりさっぱり!「COOL」も
さあ今日はですね長渕さんの生き方をキーワードとともにひもといていきたいと思うんですけれども最初のキーワードまずはこちらです。
行くぞ〜!
長渕が叫び観客がうねる
熱く高ぶる熱狂的なステージ
しかしその熱さの裏側にはもう一人の長渕剛がいた
ライブの前まだ誰もいない観客席で1人考え込むようにステージを見詰める
彼の姿を追ったカメラはその秘めたこだわりの数々を捉えていた
ステージに立つ数時間前会場の控室で始まったのは…
ウオームアップトレーニング
ツアー中は自らトレーニング器材を持ち込み2時間近くも体を鍛える
そこには長渕なりの考えがある
ライブ前のリハーサルでは
観客席を走りどの場所にもしっかり音が届いているかをチェック
さらに照明に関しても
長渕はステージに立つだけではなく観客一人一人からどう見えるか徹底的にこだわり抜く
そんな長渕のライブに長年携わってきたスタッフは
(河野)っていうことは常に言ってもらってるんですよね。
だから頑張れと。
(河野)それはうれしい。
その優しさはライブツアー中の舞台裏にも
「長渕食堂」
長渕自らが料理を用意しスタッフ一同に振る舞うのが恒例だという
彼の素顔を知る照明スタッフはこう語る
ホントに心から感謝してます。
ありがとうございました。
関わるもの全てにこだわる。
それが長渕流
表方はね表方「さま」は付けないですけどね裏方には「さま」が付くんですね。
裏方さまって昔から言うでしょ。
裏方があってわれわれはみこし担いでもらってえっさえっさってええ格好できるわけですからね。
裏方はいっぱいおいしい物を食ってそれで力付けてそれで頑張ってもらわないといけない。
食わなきゃ駄目ですよ。
大食いするやつは生命力がありますからね。
ちょろちょろっと食ったっていい仕事しない。
痩せてようがデブであろうがぐあ〜っと飯をねスタッフは食うやつと僕は仕事をすることに決めてんですよ。
面接はねだいたい一緒に飯食いに行くんですよ。
へえ〜。
「もう一杯食っていいですか?」ってやつはOKお前合格。
ホントよ。
ホントなの。
コンサートの前もあれだけのエネルギッシュなコンサートを長時間やられるのにあれくらい体を追い込んでからやられるわけですか?ですね。
やっぱり音楽っていうのはどちらかというと非常に軟弱なものとして皆さんだいたいの人は思ってらしたかもしんないけど実はですね硬質でとても硬派なエネルギーが必要でそれで肉体っていうものがなければショービジネスの中には入れないんですね。
30代の僕はこういうふうな飛行をしてたような感じですね。
つまり精神だけがぐ〜んといくんですね。
ですからそれをきちんと保つためには心が先か体が先かっていったらやっぱ体が先で歌をやめてまでもきちっとした肉体を管理できる。
肉体を作っていく。
そこで精神がこういうふうな飛行を取りますから。
そうすると表現をやる場合はこういう飛行になってもまた元に戻す。
こういう飛行になってもまた元に戻れるっていう。
健全の中にあるもう少し奥の方にある不健全の中にもっともっと奥底にある人間の本質とか憎しみや憎悪やそれに相反するピュアなものっていうのはもっと奥にあるんですね。
その奥っていうのはいつもこうやって「ランラランラン」って水平飛行してる人間たちにはなかなかあまりそこまで考えなくてもいいわけですが表現をする上ではこういう飛行をしてみないと本当のことが見えなかったりするっていうことはありますよね。
そういった意味ではまずはそういう飛行をしていくためには…。
ハァー。
リリーさん大丈夫ですか?ちょっと俺もジム行きたくなってきた。
22歳でデビューしスターへの階段を駆け上った長渕
だが30代手前歌手生命を失うほどの事態に直面してしまう
ゴクッゴクッ。
(のみ込む音)ゴクッゴクッ。
ゴクッゴクッ。
(香川)「ヘルシア」のにがさ。
それは日本で一番濃厚な茶カテキン。
他にはまねできないこの濃厚な茶カテキンが脂肪を燃やす特別な力になる。
おっ。
おーっ。
一番濃い。
燃やす力が濃い。
それが「ヘルシア」カラダは変えられる。
(天の声)要さ〜ん!
(要)あービックリした!それ直シャンノズルですよ。
頭皮に直?
直シャンは液が濃いまま頭皮に届く
おぉー!確かに直!
地肌で泡立ち毛穴のアブラを落とす
「サクセス薬用シャンプー」
(要)シュワもみ?
(乱一世)そう。
シュワもみですよ。
炭酸ジェットがシュワッときて…。
あっ冷てっ!すぐにもむ!ジンジンきたー!
有効成分が毛穴に浸透。
血行を促進して抜け毛を防ぐ
「サクセス育毛トニック」
(長渕)・「順子君の名を呼べば僕はせつないよ」
22歳で本格デビューし時代の寵児となった長渕
だが思わぬ事態に直面する
1985年にスタートしたHUNGRYツアー
当時29歳の長渕に異変が
(長渕)もっとこい!
声を張り上げるもすぐにしゃがみこむ
どこか疲れきっているように見える
(長渕)もっと!もっとこい!
(長渕)自分はどこでこう…。
このツアーは全国40カ所に及ぶ長期ツアー
体重は50kg台にまで落ち込み今にも倒れそうな状態で歌い続けていたという
当時バンドとの不和が表面化
愛する母も病に倒れ精神的に追い詰められた長渕は肉体的にも消耗
その結果ついに
86年1月の日本武道館を最後に残り20公演を全てキャンセルする事態となった
病院のベッドの上で本気でこう考えていたという
長渕が追い詰められた最大の理由
それはスタッフへの不信感だった
誰がリングにタオルを投げてくれるんだろうと思ったんですよ。
へえ〜。
「もう剛危ないからいいよ頑張ったから」ってタオル投げてくれると思ったの。
なぜかっていうと僕は信頼してたわけだから。
そうしたときに誰もタオルを投げてくれなかったんですね。
そしたら僕は今度どう思うかっていうとね「俺がぶっ倒れたらタオル投げんだろうな」って。
あるいは「死んだらお前らタオル投げんのか」って。
「とにかく俺衰弱してやっからよ」って。
そんな思いに駆られるガキだったんだね。
それで僕はあのステージ終わってそのまんま病院に搬送されたんですよ。
その夜決めたことがあるんですよ。
よし。
これからは…。
全部自分でやるって決めたんですよ。
だからそこからですよ。
僕契約書なんていうのも甲乙丙丁全部見るようになったしてにをは一つチェックしてね。
へえ〜。
失うものもたくさんありましたけどだけど僕は基本的には全て自分でやる。
マネジャーはいらない。
あるべきじゃないっていうぐらいまで思ったんですね。
もう一度歌いたい
10カ月ぶりに長渕はステージに戻ってきた
それは伝説に残るライブになった
これはやっぱしびれましたね僕は。
(3人)「キュキュット」
(オトワ)「キュキュット」に新メンバーが仲間入り!イェーイ!「ホワイトピーチの香り」です!
(アラタ)おー!うわぁー!
(レン)ママカワイイ!イェーイ!・「気分で選んで香りで洗おう」・「汚れも1度でスッキリ〜」・「スッキリ〜」・「はじける香りで」キュキュッ!
(皿をこする音)・「キュキュット」「ホワイトピーチ」新登場!10周年の感謝をこめてクリスタルボトルもどうぞ!
(母)あちゃ〜。
あららら〜。
こぼしちゃったね〜。
(福士)奥さん!ダメですよ拭くだけじゃ。
えっ!?こぼした牛乳がカーペットに染み込んで菌が増えています。
そしてニオイまで!拭くだけじゃダメなんだぁ。
そこで「リセッシュ」!
せんいの奥まで広く深〜く届いて消臭・除菌!
気持ちいいね。
(息子)気持ちいい。
奥まで安心!
「リセッシュ浸透除菌EX」新発売!
汗が染み込んだふとんにも。
無理を重ね公演をキャンセルするに至ったライブから10カ月
長渕はステージに戻ってきた
たった一人で1万人と対峙する伝説のコンサート
原点に返り…
その第一声は
(長渕)I’mSuperStar!ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイヘイ!AllRight!ハハッ!満身の力を込めて最後の歌を歌わせてください。
でも何か『STAYDREAM』のときは円形に立ってるときの表情とかは何か鬼気迫るものありますよね。
大元は開き直ってるわけですからね。
矢でも鉄砲でも持ってこいよ。
僕はねこの前まで死にたかったんだと思うんですね。
もう死のうと思ってたと思いますこれは。
僕はそのとき言いたかったのはね「I’mSuperStar」ってのはねお前ら人生の…人生のスターだ。
人生の…お前たちが「I’mSuperStar」なんだぞと。
自分がスターなんだ。
見てみろこの負け犬を。
でも俺は…お前らも「I’mSuperStar」だからきっと俺のこうやって開き直ってね今からやるパフォーマンスに関してどっちが勝つか負けるか分かんないけども俺らで一緒になって社会に対する苦しみやその当時のカワイイけどもね裏切りやそれから金にまつわるいろんなことや全てもって俺の詩や歌の中に今日のパフォーマンスの中に全て内包されてるから絶対にお前ら最後はきっと最高の気分になって拳が上がるだろうって。
それをあいつらに見してやれって。
そういう気持ちがものすごくあったんですね。
でもあのころホントお客さんの中でもやっぱ何かに俺は負けたと思いながら暮らしてる人がたくさんいてそこでやっぱりあのギターケース持って照明もなくパジャマで現れて俺は負け犬だっていうものを見してもらえた何かその人の強さみたいなのもまたその人たちの勇気にはなったでしょうね。
どうですかね。
今でも忘れませんが富ケ谷のね当時住んでたマンションのね一室にピアノが1つあったんですね。
小さな電子ピアノみたいなのを置いて。
「あ〜あ俺もう終わっちゃったな」と思って寝間着のまんまねあぐらかいてピアノ椅子の上に。
それで「死んじまいたい」って歌ったらその後は「ほどの〜!」って出てきたんですよ。
いきなり。
「ほどの!苦しみ悲しみ!」そっから3分か5分でば〜っと書き上げたんです。
それで立ち上がりました。
「もしもしイシヅカちゃん?俺アルバムできたぞ」「次のツアーだ。
ギター1本だ。
センターステージよろしく!」バーンって電話切った。
そういうもんなんですねきっとね。
そういうもんなんですか?そういうもんなんですよ。
ホントに。
えっ…。
だからホントに死のうと思いましたからね。
そしたら「ほどの」って出てきちゃうんだもん。
しょうがないやそれはね。
僕のせいじゃないもんそんな。
フフッここからですね。
まあ自分で言えば言葉として好きなのは何かに対する反撃ですかね。
やってやるぞお前ら見てろよって。
誰もそんな敵いなかったかもしんないんだけど見てろよお前らっていうそこからですね。
だから本来の表現者としての出発は明らかにこの『STAYDREAM』からなんですね。
再び表舞台に帰ってきた長渕は歌に芝居に活躍

その後子供が誕生し一方で病と戦う母を支え続けた
人の生と死とは?
その答えを求め36歳のとき…
まあそこに老人老婆死期を迎えた老人老婆がね各インド…各地からやって来るんですよ。
それでね一杯の聖水っつったってガンジスの汚い水ですよね。
それと木の葉を食べながら死を待ってるわけですよ。
今死にましたっていう老人たちは白い布でくるまれて今死にましたっていう老婆は赤い布でくるくるっとくるんで。
それでみんなで下の露天の火葬場に行くわけですよ。
それでぐるぐる巻きにされたさっきまで生きてた…人生例えば80年でしょうか75年でしょうか90年でしょうかね。
その老婆たちの周りに家族がずっとこうやって見ながらですね僕はもうそれがどうやって焼かれていくんだろうかっていうのをすごい距離で2mぐらいの距離でこうやって見てたんですよ。
そうするとねまきをくべてそれに火が付きますね。
まず布がば〜っと燃えていきますね。
そうすると人間の体の中にある脂分がジュージュージューと音を立ててそれが煙とともに巻かれるようにだんだん火になっていきますね。
そうするといきなりですね1時間弱1時間ぐらいですかねそうするとね「パリパリパリーン」っつってね頭蓋骨ときょう骨がせり上がってくるんですよ。
「パーン!」と。
ほいで四方八方にですね「俺だよ!」とか「私だよ!」って言わんばかりに死というものの命をね「バン!」と痛烈にわれわれに突き付けてくる刺さるぐらいに。
「熱っ!」っていうぐらいに。
「すげえ!」と僕は思ったんです。
僕はこう思ったんですね。
そのときに高らかに上る炎は3mですね。
人間の炎が自発的に出すのは。
僕はすごいと思いました。
そして僕は高らかにやっぱり死を自覚して生を謳歌せよというふうな気持ちをこの死に人から再確認することができたっていうふうに僕は思ってます。
感性の違いですから色々ありますね感じ方は。
だけど僕は死というものは非常にポジティブに思えて。
デッドラインという今まで僕が軽率に使ってた言葉が違う違う。
本当のデッドだと。
つまり自分が何かをやるにしても必ず死というものを考えろと。
死というものをやがて訪れる死が2カ月後だなと思ったら今やるべきことがおのずと見えてくるぞと。
そんなふうにね実はホントにそうやって日誌に書きながらですね生きていかなきゃいけないっていうふうに思いましたね。
2002年ライブ会場で長渕は無謀ともいえる壮大な計画を言い放つ
(一同の歓声)
(長渕)OK!
コンサート会場などない桜島で7万5,000人規模のライブを開催する
第2回目の歌やめちまおうっていう。
決死の覚悟で桜島をやったんです。
2002年横浜スタジアムでのライブ中突如長渕はある壮大な計画を言い放った
(一同の歓声)
(長渕)OK!
古里鹿児島…
会場すら決まっていない
だがどんな困難があろうとファンと共に桜島で日の出まで一緒に歌いたいという熱い思いがあった
当時長渕からオファーを受けた職員はこう語る
(金子)…という話をしたのは覚えてます。
私は直接お話しさせていただいたりしたんですけどそのときに…。
(金子)そういった意味で当時私も県という立場でございますけども…。
(金子)いろんな方々が「それはいいことだよね」ということで…。
その日桜島に渡るフェリーは人であふれ島は異様な空気に包まれていた
目指すは港からおよそ2km…
ついにその幕は開いた

会場を埋め尽くした観客は全国から7万5,000人
夜通しおよそ9時間桜島が熱く燃えた
(長渕)青い空。
白い雲。
青い海。
そして奇麗な心のみんなたち!ホントに心から感謝しま〜す!
しかしなぜ長渕は突然桜島コンサートを宣言し無理難題に挑んだのだろうか
何で桜島だったんですか?やっぱり決められたコンサート。
例えばアーティストは決まったように年1枚のアルバムを作りそしてそのプロモーションツアーをやりそいでまあ終わってゆく。
それをずっと繰り返すんですね。
決められたスケジュールをループしていく自分の生活というものがこれでいいのかっていうことにもへきえきし始めそれで何のために自分が声帯も壊しながら作って壊しながら作って。
それでそれをどこに向けて社会に対して…。
やっぱり社会に投石しなきゃ駄目なんです僕らは。
つまりお客さんと一緒になってが〜っと時代を駆け抜けていきますよね。
それ一つの大きなエネルギーですよね。
火の玉なんですね。
この火の玉を社会という額縁の中にば〜んって投げ捨ててみないと何も変わらんのですよ。
だからそういう作業を一介のコンサートの歌い手がやるとかやらないとかじゃなくて。
表現ってのはそういうものですから。
そういうことをやらなきゃいけないっていうふうに末期だなっていうふうに思ってたんだと思うんですね。
もう決まったことの額縁の中で何かをやり決まったことのように何もなかったことのように終わり。
そして決まったことのようにツアーの収支決済が来て。
「えっ?」って思って。
で誰のためにこれツアーやってんのというのを何年俺は繰り返していくんだ。
冗談じゃねぇと。
もうこれで第2回目の歌やめちまおうっていう。
それぐらいの思いで決死の覚悟で桜島をやったんです。
でも桜島は整地もされてないとこから整地から始まるわけですもんね。
僕はねいろんな場所を回ったんですよ。
そしたらここしかないと思ったとこはもう断崖絶壁のですね土砂捨て場だったんです。
でそこには僕の絵面がぱ〜っと出てて桜島東にありましたからそっから朝の5時半すぎには太陽が出ると錦江湾がば〜んと金色に染まるだろうと。
そのときに俺は声を高らかにして「うわ〜!」って血を吐いて死ぬのだ!おおっ!こういうふうにストーリーはできてたんです。
はい。
はい。
ところが死ななかったんですね。
死のうと思わなきゃできないんですこういうことは。
ええ。
生きてちゃいかんのですよやった後に。
そこがちょっとねもうひとつでしたがちょっと体鍛え過ぎたんですね。
いつも長渕さんって色々考えながらまた挫折したりしてまた何かを見つけてそしてどんどんシンプルになっていくっていう。
いつも何かを意識して何かに憤っててっていうのはあるんでしょうね。
怒ってますよね。
いつもね。
もう毎日こうしていかなけりゃいけないって計画を立てるんですけどもそれがちゃんとでき得なかったことの自分にも怒るし他者に対してもよく怒りますけどね。
まあ常に…。
っていうように僕は思ってますね。
喜怒哀楽って順番別だよね。
あれは順番がおかしいね。
喜びなんてないもん。
最初には。
僕は怒りが「怒」次が悲しい「哀」な。
次は何だろう怒りがあって悲しいがあると今度は優しくなれるか。
「優」かな優しい。
そして何だろうな「楽」はないから「喜」だな喜ぶ。
順番変えた方がいいね。
そろそろ。
あの日の後長渕はあることに力を注いだ
被災地からの声を集め…
始めた経緯をラジオ局のスタッフはこう振り返る
周囲の協力を得て始まったその番組は…
現地に駆け付け行ったこと

(一同)剛!剛!剛!・
(一同の歓声)
(一同)剛!剛!剛!剛!
ギターを手に上がった舞台
そこは航空自衛隊松島基地
(長渕)・「かたい絆に想いをよせて」・「語り尽くせぬ青春の日々」
被災地で過酷な支援活動を行っていた自衛隊員たちに歌声を届けた
異例のライブ。
それも長渕の強い思いで実現したという
(稲村)っていきなり言われたんですね。
(稲村)これは大変なことだなぁというのはもちろんすぐ思ったんですけど考える前に動けっていうところで…。
僕たちもそこに…。
(稲村)僕の父親も非常に厳しかったんですけど…。
(稲村)なんですけど…。
(稲村)人間対人間というところで…。
どうもありがとう!
長渕を駆り立てたものとは何だったのか
なぜ僕がそういう思いになったからかっていうとね思想的なことでも実は何でもないんですね。
その40代ぐらいまでたくさんのコンサートをね年間40本50本60本回るじゃないですか。
特に秋から冬にかけて20代30代のころは東北を北海道から東北をこう回っていくんですよ。
そうするとね音楽の祭典を企画してくれた仲間たちが当時若い仲間たちでねそれでコンサートが終わった後にそのいろりを囲んでねあったかい鍋料理を東北独特の鍋料理を囲んで今日の歌がどうであったかとかわれわれ若い青年団の連中たちはねどんなことを思って長渕の歌を心待ちにしてたのかとか。
一つの僕の歌のことに対して宴が始まるわけね。
とても幸せな時間だったんですよ。
震災が起きたときにその人たちの顔がぱ〜っと飛び込んできたんです。
生きてるかなって。
そこにまず飛び込んでいきたいっていうことが本来正直な衝動だったと思います。
それから自衛隊の方たちもそうでしたね。
特に震災のときには警察消防隊自衛隊の方たちが一生懸命血眼になってねやってくれたわけじゃないですか。
だからそこに…。
そこの何かね僕はたまらなかったんですよね。
その何かよく理由は分かんないですけどね。
どうもこう…。
「俺たち分かってるよな?ホント分かってんだろ?俺たち」っていうそういう思いも僕の中にはすごくあったのかも分かんないしやっぱり桜島やったときも母はもう亡くなってましたからね。
で父はもう亡くなる手前でしたがやっぱり古里というものは父母がホントに先人が言ったように亡くなってからいとおしく…すごくいとおしくなるしその古里がなぜいとおしいかっていうと父と母であるからなんですね。
じゃその延長線上にあるのは古里の延長線上にあるのは国なんですね。
日本という国。
でその日本という国を壊れるのを俺たちは指をくわえてただ見てるだけではいけないはずなんですね。
絶対にみんなが何かしようと思ったはずなんですね。
かくいう僕もその中の一人であってもういちもくさんにギターしかありませんけどねギター持って駆け付けてみたんですけどね。
でもホントに周りの人への愛情が深いんだなぁっていうのをすごく感じますね。
そうね母譲りか父譲りか分かりませんけどもね先ほど出てました根こそぎ愛していくっていう。
でも相手もねそんなね根こそぎ愛さなくても別にいいわよっていう人がほとんどですからね。
東京の街はね。
だからそれでまあずいぶん嫌な思いをさせたこともたくさんあるかもしれないですね。
「愛愛愛って言うなよ。
もうここの街で」っていうなね。
だけどまあ愛してみなきゃ分かんないしね。
信じてみなきゃ裏切られるってことがどういうことか分かんないしね。
痛いことだらけですよね生きるって。
今考えたらね。
今日はもう結構たっぷりね長渕さんにいろんな話してもらいまして。
どうでした?男らしさとこまやかとか気配りみたいなものってすごく対極にあるようなイメージがあったんですけど何かそれを持ち合わせて男なんだなみたいなことを今日初めて感じました。
ホントに僕が10代のときとかに「あっすてきだな」と思った意味がまったく変わってないのと「あっこういうところもあったのか」って思ったしそして長渕さんと話してるとちょっと健康になった気ぃするね。
健康になった気?2014/07/13(日) 21:00〜21:54
関西テレビ1
ワンダフルライフ[字]【ゲスト:長渕剛】

長渕剛が語り尽くす。僕には歌しかない…
人間を根こそぎ愛す!鹿児島から夢追い、裏切られ…復活の伝説ライブ。桜島コンサートの舞台裏。今伝えたい思いとは?

詳細情報
番組内容
 今夜のゲストは、アーティストの長渕剛。1978年に「巡恋歌」で本格デビューし、1980年には「順子」が大ヒットし、トップシンガーの仲間入りを果たした。2004年には、桜島の特設ステージで、観客7万5千人を集めた“桜島オールナイトコンサート”を実施、2011年には東日本大震災の被災地を訪れ、避難所や自衛隊を慰問するなど幅広い活動を続ける長渕。番組では、いくつかのキーワードから彼の人生に迫っていく。
番組内容2
 熱狂的なステージで知られる長渕。その裏では、リハーサル、会場作りにまで自ら徹底的にこだわるという。観客だけではなく、自分が関わった人、全てを根こそぎ愛していくというスタイルを持つ長渕のこだわりは、スタッフの食事面にまで及ぶという。
 また、23歳で「順子」がヒットし、26歳で日本武道館コンサートを行うなど、順風満帆な歌手人生を送っていたかに見えた長渕だが、
番組内容3
歌手をやめようと真剣に考えた時期があったという。彼自身が語る、当時抱いていた思いとは一体どのようなものだったのか?
 さらに、番組では、彼が行った肉体改造のきっかけや、2004年に桜島で実施し、今では伝説となっている“桜島オールナイトコンサート”などについても、MCのリリー・フランキー、山岸舞彩が迫っていく。
出演者
【MC】
リリー・フランキー 
山岸舞彩 

【ゲスト】
長渕剛
スタッフ
【編成企画】
清水麻利子(フジテレビ編成部) 

【プロデューサー】
柴田裕正(イースト・エンタテインメント) 

【総合演出】
大橋圭史(イースト・エンタテインメント) 

【テーマ曲】
竹内まりや「静かな伝説(レジェンド)」(ワーナーミュージック・ジャパン) 

【制作】
フジテレビ 

【制作著作】
イースト・エンタテインメント

ジャンル :
バラエティ – その他
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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