日曜美術館「生きた、描いた、恋した〜関根正二の青春〜」 2014.07.13

野を行く女性たちは何をしているのでしょうか。
これは野辺送りの様子?それとも嫁入りの行列?いろいろな説が飛び交うこの絵。
確かなのは19歳の画家が見た幻想の光景だという事です。
大正時代彗星のように現れた関根正二。
画壇の脚光を浴び始めたまさにその時二十歳の若さで亡くなりました。
長屋の2畳ほどの狭いアトリエ。
絵の具も満足に買えない貧しい暮らしの中から関根は色鮮やかな絵を生み出しました。
目を射るような朱色の着物。
青い背景によって鮮やかさが際立ちます。
ほっぺも朱色に照り映えているかのようです。
実はこの絵は別の絵の上に描かれていました。
絵の具やキャンバスを買うお金が十分ではありませんでしたから気に入らなかったものはどんどん潰してその上に新たな作品を描いた。
関根は幾度も恋をしました。
時に有頂天になりやがてふられ悲しみの底に沈みました。
関根は恋しい人の姿を絵にとどめました。
右の朱色の服の女性は恋人だと言われます。
そして中央は自分自身。
耳を覆っているのは包帯なのでしょうか。
関根はゴッホ。
天才であるゴッホ。
そして世に受け入れられなかった画家ゴッホというのを重ね合わせて耳を切った。
ゴッホに倣った自画像ではないかと。
相次ぐ失恋と貧乏。
精神を病んだという噂も飛び交う中大正時代を代表する名作を生んだ関根正二。
夭折の天才画家の青春を見つめます。
長野県上田市にある信濃デッサン館。
夭折した画家たちのデッサンを中心に展示してきました。
館主の窪島誠一郎さん。
35年前この美術館を開くにあたりどうしても購入したい絵がありました。
これが我が信濃デッサン館にとっては一番中心的になっているこの絵からこの美術館が生まれたと言ってもいいぐらいの大変大切な関根正二の自画像です。
関根が17歳の時に描いた自画像。
やや斜めを向き目はじっとこちらを見据えています。
ペンによる鋭い線描で浮かび上がる顔。
その厳しい表情はとても17歳とは思えません。
「お前はどう生きるんだ」っていうかなそれがやっぱりこの絵の中にありましたね。
あの胸ぐらを揺さぶられるような強さ激しさこの自画像を見た時は何か一瞬怖さがありましたね。
怖さがあったですよ。
それが後にやっぱりだんだん何度も何度もこの絵をね手元に置いて見つめてきますとこれは恐らく関根正二自身が関根正二に向かって持っていた厳しさっていうのかな。
彼自身の青春の懊悩というか彼自身がそういう揺らいでいる自分を見据えてるっていうんでしょうかね?それは外に向かって挑むのではなくて自分自身の可能性自分の持ってる希望に向かって挑む。
簡単に言えば僕は彼の絵に胸ぐらをつかめられたけど彼自身は関根正二は関根正二の胸ぐらをつかんで揺すぶって「お前」というそういう挑みなんですね。
この自画像には2つの小さな自画像が描き込まれています。
上は沈思黙考するような顔。
下はふと何かを決意したような顔。
そしてその決意を果たしてそれでいいのかと大きな自画像が問い詰めているようだと窪島さんは見ます。
やがて来る死への恐れやがて来る生の終焉その意識がそこにぎゅっと凝縮され同時にやはり異性への憧れ恋夢言ってしまえば絶望と希望との混沌ですよね。
青年期はね。
その混沌がこの線によって表れてるっていうかな…。
明治32年福島県で生まれた関根正二は9歳の時東京・深川に移り住みます。
関根が少年期を送った大正時代の東京の光景です。
父親は屋根葺き職人。
大家族で長屋に住む貧しい生活でした。
そんな中15歳で画家を志します。
きっかけは幼なじみで後に美人画の巨匠となる伊東深水。
一足先に画家修業を始めていた伊東に触発されたのです。
この頃関根が夢中になって読んだ本が世紀末の作家オスカー・ワイルドの「獄中記」です。
投獄され破産を宣告され各地を放浪したワイルド。
その「悲哀のみ唯一の真理」という言葉は終生関根を捉えます。
ワイルドの影響もあり関根は天才には全てが許されると突飛な行動に走る事もありました。
「低劣な人間の顔が見たくない」などと言って空を仰ぎながら歩いて自転車にぶつかったり白昼往来で見ず知らずの女の頬に接吻を試みた。
16歳の頃関根は放浪の旅に出ます。
金も満足にない行き当たりばったりの旅。
信州など中部地方を3か月ほどさまよいました。
その旅から生まれたのがこの絵「死を思う日」。
夕暮れの気配が漂い木々がざわめく中男が一人肩をすぼめて歩いています。
暗い色調うねるような筆遣い。
不安な心が伝わってきます。
「人里ない日本アルプスに一人3か月道に迷い迷い歩いた。
決してのんきな事でなかった。
死を思う日はそれだ…」。
旅の途中長野で新進画家の河野通勢と知り合います。
その出会いは関根の絵に強い影響を与えます。
河野は画集を通してレオナルド・ダビンチやデューラーなどの技法を学び二十歳で既に優れた技を身につけていました。
ペンによるすばやく簡潔な線描で人物の動きを的確に捉えています。
関根は河野や西洋の巨匠たちのデッサンを目にし大きな衝撃を受けます。
それ以降ペンによるデッサンに打ち込みます。
デッサンは膨大な量に上ったと言いますが関根は二十歳で亡くなる直前そのほとんどを自ら燃やしてしまいました。
信濃デッサン館にある10点のデッサンは辛うじて焼却を免れたものです。
17歳の自画像には西洋の巨匠たちのように線によって対象を捉え尽くそうとする気迫が籠もっています。
彼が愛してたのは竹ペンですよねインクとね。
強さの中に「しなり」というんでしょうかね何て言うんですかねどこかこう弾力性が線にあってね線っていうのは見る者にとっては無限の色彩でもあるんですよね。
無限の色彩でもある。
何かこう色彩を超えたものがあるんですね。
色彩を超えたもの…それは何か人間が心の中に持っている陰影ですね陰光そういったものがね一番的確にもう必要最小限の素材によって描かれたというね。
鋭さと柔らかさを兼ね備えた魅力的な線ですね。
線にリズムがあるというか躍るような線がとても印象に残りました。
今日はですねこの関根正二の手紙日記などを編纂されまして関根正二を伝える事に専念してこられました美術史家の酒井忠康さんにお越し頂きました。
どうぞよろしくお願い致します。
酒井さんまず初めにお聞きしたいのが長く見てこられた酒井さんにとってこの関根正二の大きな魅力は何でしょう?最初見た時はね僕が間もなく30ぐらいの時かしらねだからやっぱりショックでしたよ。
ちょっとキザな言い方をするけど関根の絵に愛を感じたというか愛があるんだよなっていうようなドキドキさせるところがあったし関根正二のような独学の人と言ったらいいかしら準備期間がない画家であった関根の事を思うと時々切ないなという気持ちと同時にいや〜すごいなというのと入り交じった気持ちになるというかそういう目で見ちゃいますね。
実際残された資料などから本来関根正二自身というのはどういう人柄人物だったと?例えば奇妙な行動に走るみたいな話があったりと。
でもそれはどうしてそういうエピソードが残ってるかというとやはり自分に近しい友達が関根をよその人間として思えないところがあったんだろうと思うんですよね。
すごく気になる男というかな愛すべき人と言ってもいいしそれがまあ言い方あれだけどもポエジーというかなそういうものにずっと亡くなるまで誘われてたんじゃないかと思うなポエジーに。
じっと例えば自画像などを見ると自己と常に向き合って非常に自分に厳しい方なのかなとも…。
デッサンというのはある意味でいわば感受性の台所みたいなもんだからね。
「感受性の台所」。
だからまだ料理する前の段階かもしれない。
素材そのままというか。
それに想像力が加わればこれからどういう料理を作ろうかなというようなねいくつか作っていろいろ試してみてそれで亡くなっちゃったわけでしょ?だから本来ならもっと長く生かしていろんなもん料理をさせてみたかったなっていう。
さあそれでは引き続きその関根正二の荒々しくもたくましい青春の続きをご覧下さい。
関根の19歳の頃の自画像です。
やや斜めを向いた顔が暗い背景から浮かび上がっています。
青春のただなかにあった関根はこのころ絵に励む傍ら次々恋を重ねます。
ある春の日展覧会で出会った喜久子という女性と逢い引きします。
「初めて会った美しい女だった。
すぐ俺の肩に手を掛けて俺に話しかけた。
俺は桃の花があまり美しいので立ち止まった。
すると彼女は俺の手を発作的に握った。
俺は盲目になった。
うれしいのか恐ろしいのか分からないほどだった。
彼女に接吻を求めた。
彼女は俺のするままになっていた」。
しかし幸せはほんのひとときの事でした。
当時関根と親しくつきあった画家仲間の一人に後に作家として名を成す今東光がいました。
会えばお互いにもう絵の欠点を指摘してね練磨するんだ。
てめえなっとらんじゃないかとかどこがおかしいとかね線がおかしいとか色がどうだのっていうような事をお互いに歯に衣着せずにやりあったもんです。
それがやっぱり勉強になるんですよ。
それで俺は随分やっつけられたために絵が描けなくなった形もあるけどね。
関根は一人絵を描きながら今東光ら画家仲間たちと集いました。
「我々のグループです。
こうして毎夜本郷のカフェーに集って2〜3時頃まで騒ぎます。
それが毎日です」。
関根に新たな恋人が登場します。
田口真咲という女性でした。
田口はこの時蓄のう症を患ってふせていました。
「関根はまるで奴隷のように介添えし朝早くから夜遅くまで親切に介抱した。
自分も毛布なんか持ち込んで泊まり込みの看病。
全く心底を傾けての介抱だった」。
関根はもう泊まりきりで朝から晩まで看護をしたんですけどもどうしてもこれ嫌われちゃったんだよ。
俺も随分世話してそうやって関根に頼まれたし田口のためにやったんだけど「私は今東光って大嫌いだ」って言ったっていうんだ。
俺は腹立っちゃってなおい。
俺ら2人とも嫌われたんだその子に。
田口真咲はやがて東京を去ります。
「今夜自分の愛する真咲は大阪へ帰る。
東京駅まで行きたかった。
真咲の顔を見たかった。
しかし自分は出て恥じらうより家で静かに祈る事にする。
涙のあるだけ泣きましょう」。
失恋の痛手を負った関根は長屋のアトリエで絵に没頭します。
「今非常な制作欲が出て描かねばいられぬ。
どうしても描きたい。
金がない。
絵の具もなくなる。
実に寂しい悲しい。
今日かぎり外を出歩くのをやめる。
一心に勉強せねば駄目だ。
努力努力」。
彼はこういう事をしたいああいう所も行きたいっていうようなものをみんな押し殺して絵を描いてたんじゃないんですか。
現実に描けば絵の具ないんだよ。
色彩のない絵しかできない。
それだからイリュージョンとしては絢爛無比なものを描いてた。
それがかわいそうなんだ俺はな。
それは実に絵描きとしてこのくらいね色彩感覚が鋭敏であればあるほどどのぐらいその断層ねギャップが苦しかったかと思いましてね涙が出ちゃった僕は。
関根は資金を稼ぐため絵を買ってくれる会員を募りました。
「材料が不足しているため思うように制作ができないのでどうか入会を」。
しかし入会者は誰もいませんでした。
失恋や貧乏に病気が重なり関根は精神のバランスを崩すようになります。
赤褌一つの裸になって公園で踊ると言いだしそのまま外へ駆けだして警察の厄介になってしまった。
全く一時は狂したかと思われた。
無名の画家だったにもかかわらず関根が精神を病んだのではないかという噂が新聞沙汰になりました。
その騒動の3か月後に発表したのが「信仰の悲しみ」です。
野原を行く5人の女性たち。
白っぽい衣装を着た女性たちの中で中央の人だけが一人鮮やかな朱色の服を着てうつむき加減に歩いています。
失恋した田口真咲だとも言われます。
「信仰の悲しみ」は二科展で受賞。
その時関根はこう語っています。
「私は先日来極度の神経衰弱になりそれは狂人とまで言われるようなものでした。
しかし私は決して狂人でないのです。
真実いろいろな幻影が目の前に現れるのです。
朝夕孤独の寂しさに何ものかに祭る心地になる時ああした女が3人また5人私の目の前に現れるのです。
それが今なお目の前に現れるのです」。
関根の幻影を描いたこの絵。
幼友達の画家伊東深水は当初のタイトルは「信仰の悲しみ」ではなかったと言います。
「これはどういう画題なんだ」と尋ねますと「楽しい国土」だと言うのです。
楽しいというより誠に悲痛な人間の悲しみが感じられる。
そこで私は「悲しみの底にいるような絵じゃないか」と言ったのです。
私の感想がたまたまそんな題にしたのです。
この絵の光景が一体何を表しているのかこれまでいくつもの見方が唱えられてきました。
当初のタイトルに沿う嫁入りの行列だという回想もあれば今のタイトルに沿う野辺送りの葬列だという説もあります。
彼の中では当初楽園というイメージで描いたんだけれども「そういうふうには見えない」と言われてしぶしぶ変えたのかそれもそうだなと思って変えたのかそれは分かりませんけれども。
何か悲しみっていうのが非常に関根の心の中ではいつも住み着いているものなんだ感情なんだろうと思うんですよね。
その全てのものがやっぱり悲しみを通してしか何ものも生まれないというような…。
その自分自身の悲しみから生まれてきているこの作品。
この貧しさのどん底の中での失恋ですよね。
絶望的ですよね。
畳みかけるようにいろいろな事が起こり。
でもそういう中でももがきながらも何とかしてでも生きていくっていうそういう中から生まれてきたこの「信仰の悲しみ」。
そうですね当初は「楽しき国土」というようなね正反対といえば正反対かもしれないけれどそれが「信仰の悲しみ」になったと。
その「悲しみ」だけど泣きたいような悲しさというような話じゃなくて何かこう人間の持ってる心の痛みっていうのかな?そういうふうなものに感じる感情っていうの?これはでも画業4年にして描き上げたというところがほんとに驚きなんですけれども。
やっぱりそこが天才なんだろう。
写実的な描法で描いてるわけじゃないし。
だからどこまでも暗示的な描き方になってるわけですがそれかと言って幻想のままみたいなもので描いてるわけじゃないんでね。
どう言ったらいいんだろうな?どこかに絵づくりの妙を隠してて…いるんですよ。
僕はそれはこの目かなと思ったりして。
女性たちの瞳目。
全部違う。
そうですよね。
同じような女性が同じ方向を進んでるんだけれどもそれぞれ全員ある思いの持ち方が違うっていうかね。
だからそれもこれも関根正二という人は生き方の上手を生きたという人じゃないしいわゆる絵の描き方の上手を描いたって人でもないし何だろうな…。
でも天才なんですよね。
でも天才なんだ。
天才といえどもいろんな才があるわけですよね。
何がどの部分が天まで届く才能だったのか…。
絵描きさんの中で優れた人の一つの資質というようなものは絵を止めた時じゃない?絵を止めた時?ここでやめたっていう事ですよ。
止めどころがいい人。
そうそう。
ここで止まってるってこれはすごい事なんですよ。
急ブレーキかけてるわけですからこれはね。
だけどだから不自然な面は確かにあるかもしれないけどこれはこれ以上描いてもこの絵は壊れるしこれまでにこなければ絵にはなってないし。
だからきっと妙な言い方だけど絵の方が「関根もうここでやめろ」という声がかかってたんだと思うんだな。
関根はやっぱり僕が天才だなと思えるのはそういう声が聞こえる。
「ここでよしなさい」という。
「信仰の悲しみ」と同じ19歳の時に描かれた「姉弟」。
これもまた幻影なのでしょうか?花が咲き乱れる野原を歩む姉。
背中におぶった弟はどこか大人びた顔つきでこちらを見ています。
その着物は一面鮮やかな朱色です。
このころから関根が最もこだわり大胆に使い込んだ色でした。
関根の絵を彩った特色ある朱色は絵の具の名を取って「関根のバーミリオン」と呼ばれました。
中でも目を射るような朱色が使われているのがこの「子供」です。
背景が青いため男の子の着る朱色の着物の鮮やかさが際立っています。
顔もその照り返しを受けたように頬が赤く染まっています。
今の「子供」の絵でもね「関根のバーミリオン」と言ったくらいにこの赤が生きてるんですよ。
たっぷり赤使ってるんですね。
うれしかったんでしょこれはね。
これね本当にいい絵ですよね。
これがあんたね十九二十歳の…描いたんだよ。
関根の朱色には伊東深水も目をみはりました。
朱の色なんかどうしてこんなに美しく描けるのだろうと不思議な思いをしました。
狭くて暗い彼の家の中からどうして明るい美しい色彩が生まれるのだろう。
所蔵するブリヂストン美術館では赤外線写真を撮ってこの絵を調査。
そこから新たな事実が分かりました。
こちらに1つ線があってこちらのはこちらの輪郭とこちらの輪郭とこういう輪郭と。
3つのスカートの線というのが裾が見えてきます。
赤外線写真には「子供」の絵の下に2人の女性のドレスの下半分が映り込んでいました。
上半分は切断されていたのです。
女性2人がドレスを着た上半分の絵を探すとこの絵が浮かび上がりました。
絵には「子供」とそっくりの顔が描きかけのまま放置されていました。
二つの絵を組み合わせるとドレスの線がつながりもともとは一枚の絵だった事が分かります。
関根は女性の絵を潰して「子供」の絵を描いたのです。
それが朱色の鮮やかさを増す事になりました。
ここの「子供」の朱色の着物は全部そっくりそのままではないと思いますけれども最初に描かれたこの女性の朱色のドレスの朱色を生かしてるというふうに考えられます。
関根は潰して古い作品を潰してその上に作品を描き直したりする事を頻繁にやっていたようですけどもその絵肌のマチエールの微妙な味わいというのを生かしている。
絵の具が満足に買えなかった関根は苦肉の策として元絵の朱色を生かしたと思われます。
ドレスの線を境に着物の朱色が明らかに鮮やかさを増しています。
関根が亡くなった年に描かれた「三星」。
この絵でも朱色が際立っています。
2人の女性たちに添われ中央にいるのは自分自身。
鮮やかな朱色のマフラーを巻いています。
そして関根の顔はもとより2人の女性たちの顔も上気したように朱色に染まっています。
奇妙なのは耳に包帯のようなものが巻かれている事です。
関根がかなり崇拝していたゴッホの作品の中に「耳を切った自画像」という同じように耳の周りを包帯で巻いた絵があります。
関根はゴッホを天才であるゴッホ…芸術を極めようとするあまり一種の精神錯乱というか神経を侵されてしまうという自分の境遇と重ね合わせて憧れていましたのでゴッホに倣った自画像的なものをここで描いているのではないかと。
大正8年関根正二は病のため亡くなります。
20年と2か月の生涯でした。
体が衰弱して痩せていたが顔も非常に恐ろしい顔をしていつでも何か描いているような手つきをして死ぬ瞬間まで見るもの見るもの皆絵に見えたらしく「サインを入れるのだ」と言って上がりもせぬ手を上げて動かしていた。
関根が死の床でも描こうとしていたのはこの絵でした。
絵はその後姿を消し今も行方不明です。
絵柄を伝えるのはこの絵葉書だけです。
最期に必死でサインをしようとしましたがかないませんでした。
二十歳…本来なら成人として大人へのスタートもちょうど切った頃ですよね。
ほんとですね。
早すぎますねやっぱり。
ほんとに描きたくて描きたくてしょうがなかったんでしょうね。
もう死の間際まで。
そこまでもこう手が動くという…。
先ほどゴッホのお話が出たようにやはり非常に強烈な影響を受けたと思いますね。
だけど精神錯乱の状態で絵を描いてるわけじゃないんですよね。
絵を描いてる状態の時というのは非常に明晰で意識もしっかりしてて。
それでなければただ錯乱してるだけの話ですからね。
そうじゃなくてそこのところをやっぱり関根の狂気とか関根の幻影とか関根の幻視幻を視るというねそういう話もやはりあまりにも極端なそういった異次元の世界に日常生活の中にいたようにとられちゃうとおかしいので。
それはないんですよね。
それはないんです。
酒井さんはこのバーミリオン関根正二の何を…執着というものは一体何を表してると…。
一つの時代がはやしたてる音響みたいなものかもしれないね音楽家でいうと。
だから何かあるんでしょうね。
それによって心が熱くなるというか揺さぶられるというか。
だからある意味で言葉を打つ震源地の色であるかもしれないしあるいはイメージのもっと根底にあるような時代の色なのかもしれないし。
いろいろあるでしょうけどもやっぱり新しい時代に向き合う何というか誕生する喜びはやっぱりこの色しかないんじゃない?誕生を表していると。
誕生する喜び。
何かこう太陽っていうかそういう事だという気がちょっとしてくるよね。
何か熱いものがあるよね。
だけどただ単なる熱いというのじゃなくてしっとりと冷やされて上手に冷やされてるというの?決して単なる爆発だっていうんじゃなくてそうじゃなくて何か籠もった熱さ?そういったものがやっぱりあって。
どうもその辺が東北人の中にある僕はポエジーの質なのかなと思う事はあります。
今年関根正二が描いた一幅の掛け軸が寄贈されました。
幼なじみの画家伊東深水が関根の死後大切に持っていたものです。
これです。
水墨に簡単な彩りを添えた関根にしては珍しい墨彩画。
青春の入り口長い放浪の旅を終えデッサンに励んでいた17歳の作品です。
この木がねまるでねギューッ…何かこう地からねグーッと何かこう…根を張って生きて伸びていくね。
木に向かって薪をこう抱えて一歩一歩歩いていく。
これはね何か生きていこうとする関根正二かな。
2014/07/13(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「生きた、描いた、恋した〜関根正二の青春〜」[字][再]

二十歳という若さでよう折した画家、関根正二。絵具も買えない貧乏生活。失恋に次ぐ失恋。狂気に彩られた創作。天才芸術家ならではのエピソードに覆われた関根の青春を描く

詳細情報
番組内容
二十歳という若さでよう折した画家、関根正二。『信仰の悲しみ』や『子供』などの絵は、大正時代を代表する名作である。関根の青春は、天才芸術家特有のエピソードに覆われている。絵具も買えない貧乏生活。失恋に次ぐ失恋。狂気に彩られた創作。番組では、日記や手紙などでその青春の日々を描きながら、デッサン、色彩、幻想という3つの角度から、関根正二がどのようにして独自性を切り開いたか、その代表作を読み解いていく。
出演者
【出演】世田谷美術館館長…酒井忠康,福島県立美術館学芸課長…伊藤匡,信濃デッサン館館長…窪島誠一郎,ブリジストン美術館学芸部長…貝塚健,【司会】井浦新,伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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