100分de名著・選 おくのほそ道 第3回「宇宙と出会う」 2014.07.13

「100分de名著」。
松尾芭蕉「おくのほそ道」。
俳人の長谷川櫂さんと女優の内山理名さんがその道をたどりながら芭蕉の思いを探ります。
(内山)この空間に立っていたら確かに岩に蝉の声がしみ入ってくという様子が分かるかもしれないです。
雄大な風景を前に自然の大きさを感じた芭蕉。
第3回は芭蕉が出会った宇宙を体感します。

(テーマ音楽)今日はスタジオを飛び出し芭蕉がかつて住んでいた深川へ。
江東区芭蕉記念館で語り合います。
松尾芭蕉の「おくのほそ道」をたどっております。
司会の…これを始めてから「古池や蛙飛こむ水のおと」という俳句がすげえなという事ばかりを考えております。
伊集院光です。
さあ今回は指南役として俳人の長谷川櫂さんそして女優の内山理名さんお二人には今回芭蕉の旅を追体験して頂いております。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
今回は第三部。
平泉を後にして当時の出羽の国に入るわけですね。
そのあと新潟県のこの市振の関まで旅も後半という感じですよね。
季節もちょうど山形新潟へ行く時はもう真夏。
そのあとの富山石川もう秋の初めに変わっていきます。
さあそして芭蕉が歩いた旅の道筋ですけれども四部に分かれて第3回。
テーマは「宇宙の旅」ですよ。
普通この文字面で「宇宙の旅」と書いてあると僕らだとこの頭に「2001年」って付くんですけどこんなに古くにある意味「宇宙の旅」をもうしてる。
第三部ね太陽の句とか月の句とかそういうものが次々に出てくる。
一気に宇宙へですからね。
そうですよね。
芭蕉さんどんな事を開眼していくんでしょう。
でもその前に芭蕉はこの旅で実は大いに苦労しているとか。
ご覧頂きましょう。
平泉をたって2日後。
たどりついたのは尿前の関。
いつもどおり関所を通り抜けようとしますが…旅人がめったに通らない場所なので番人に怪しまれ取り調べを受ける事になります。
ようやく通り抜けるとすっかり日も暮れていました。
今夜は野宿か…と思ったところに国境を守る番人の小屋が見つかりました。
無理を言ってなんとか泊めてもらう事に。
当時芭蕉と曾良が宿泊した家が今も残っています。
この辺りは馬の生産地。
人も馬も同じ家の中で暮らすという習慣がありました。
泊めてもらえてよかった…。
しかし夜中に枕元で馬の小便の音が聞こえたりノミやシラミにたかられたり…。
そこで一句。
何か苦労っていってもかわいらしい。
身近に感じますね。
でも長谷川さんこのあとも大変だったそうですね。
山越えをしなくちゃいけないんですね。
みちのくから出羽の国へ山刀伐峠という峠があってここが一番の山の難所が置いてあってここを越える時に若者が一人ついてきて彼が先導してナタで切りながら山道を進んでいくと。
山賊が出たり獣が出たりして食べられるような事もあるなんて脅されながらやっと尾花沢へたどりつくわけです。
その尾花沢ではちょっといい事があるんですね。
尾花沢には清風という芭蕉が親しくしてた俳人がいてここは紅花の産地で紅花の商売でとても裕福な商人。
そこに何日か逗留して句を詠んでいます。
実はここにも芭蕉のこだわりがあるそうでして平泉から尿前の関尾花沢に至るまでに作った句を並べてみました。
これ二部の最後。
平泉で詠んだ句です。
この美しい句が。
全然タイプが違いますね。
面白いですね。
「まゆはき」というのは今でいう眉を整える化粧ブラシみたいな。
紅の花を見てまゆはきの面影があると言ってる句なんですね。
非常に女性の面影を漂わせている句ですよね。
これ並びすごいですね。
どうですか?この3つの並び。
問題は真ん中の「蚤虱馬の尿する枕もと」という句が無いとどうなるかって話で。
そうすると「五月雨の降のこしてや光堂」これは一種荘厳な句で。
それから「まゆはきを俤にして紅粉の花」って。
これはきれいな句ですね。
だからメリハリがちょっと薄れてしまう。
その間に「蚤虱馬の尿する…」という句があると実に山谷というか。
そう考えると真ん中入る事で実際上も下もきれいになってますよね。
よりきれいになってると思う。
際立ちますね確かに。
ほんとですね。
これはコース取りみたいなものも考えてるのかしらと思っちゃうんですよね。
実はこの尾花沢で逗留するうちに人に勧められた所があるんですよ。
立石寺というお寺なんですけれども全然ルート外ですね自分たちが考えた。
もともと予定なしだった所?予定なしの所に寄り道をする事にいたしました。
人に勧められて偶然訪れた場所。
そこで芭蕉は新しい世界観をつかむ事になります。
わ〜山が…。
高い山ですね。
ええ緑の山。
だんだん「山寺」が見えてきました。
もしかしてあそこの高い位置にあるのが…。
あれが「山寺」ですね。
「山寺」と呼ばれ人々に親しまれている立石寺。
芭蕉と曾良がこの寺を訪れたのは5月27日。
日暮れにはまだ時間がある。
麓に宿をとり早速登り始めました。
山全体が一つのお寺みたいになってたり。
山の中にいろんなお寺が。
お堂があったりしてですね。
寺の奥まで行くには1,000段ほどの階段を上らなければなりません。
蝉の鳴き声が山の中に響いています。
岩がすごい。
巨大な崖が。
巨大ですね。
蝉の声が背中を押してくれる感じです。
「巨大な岩を重ねたような山松や栢も古木である。
土や石は時を経てコケに滑らかに覆われている。
いくつものお堂は扉を閉め物音一つ聞こえない。
崖を巡り岩をはって登り仏殿を拝んだ。
景色はしんと静まり心が澄みきっていくのを感じた」。
いい風が。
1,000段の階段を登りきり奥の院に到着です。
蝉の声が響く山の中で芭蕉が感じた「閑さ」とは何だったのでしょう。
蝉はしきりに鳴いてるんだけどその蝉の声を聞きながら芭蕉はきっと…「閑さ」というのはそういう閑さだったんですか?山があって空があって全空間に満ちてるような一つの閑さに芭蕉はここではたと気付いてしまったのではないかと。
宇宙の閑さを感じたんですね。
え〜…。
もともとは行く予定じゃなかったところでこれが。
そうですね。
この句はみんな「岩にしみ入」という表現がうまいとかあとは「蝉の声」の蝉は何蝉だとかそういう議論が盛んなんですが実は一番大事なのは最初の「閑さや」。
ここが一番大事。
これね蝉のボリューム自体の問題でもまたちょっとないみたいな。
そうなんですよね。
ほんとはうるさいはずなの。
だから何で「閑さや」と置くのかとみんな読む人は思ってほしい。
そうするとやっぱりこの「閑さ」というのは現実の閑さじゃなくて…蝉のかえってうるさい蝉しぐれの中にぽつんといる事によって遠くから自分を見てるみたいな。
そうですね一つの視点がね移動してるんですね。
そういう音を聞いて一つの心の世界が開けると。
あれに似てますね。
最初に教わった実際に古池を見ていない。
ほんとですね。
まさしくこの「古池や」の世界を実践した。
この句で現実と想像した世界を融合させ新しい境地を開いた芭蕉。
「おくのほそ道」はそれを実践する旅でもあったのです。
「古池」の句と並べてみるととてもよく似ていて「古池」の句は「古池や蛙飛こむ水のおと」と音が出てきますよね。
これも「閑さや岩にしみ入蝉の声」というまたこれも音ですね。
「古池」と全く同じ形で更にスケールが大きくなってるそういう句なんですね。
どんどん広がっていく「古池や」でつかんだ世界ですね。
この句がないとね「おくのほそ道」というのはほんとにつまらない文学だと思う。
さあ旅の続きにまいりましょう。
芭蕉と曾良は立石寺から最上川を経て出羽三山へと向かいます。
最上川を舟で下ります。
最上川は当時水運の要。
その流れが急な事でも知られていました。
ここで詠んだのが…この句はどのようにして生まれたのでしょうか。
こんにちは。
よろしくお願いします。
大きいですね舟が。
長谷川さんと内山さんも芭蕉と同じように舟下りを楽しみます。
行ってらっしゃ〜い。
行ってきま〜す。
・「ヨーエサノマッガショエンヤコラマーガセ−」船頭さんが歌うのは山形民謡「最上川舟唄」。
・「エーエヤエード」「最上川はみちのくに源を発し山形を川上としている。
ごてん・はやぶさなどいう恐ろしい難所もある。
板敷山の北を流れて最後は酒田の海に注ぐ。
左右からは山が覆いかぶさるように迫り樹木の茂みの中を舟は下ってゆく」。
実は舟に乗る前芭蕉は別の句を考えていました。
「あつめてすゞしもがみ川」。
「おくのほそ道」の中では…聞いた事あります。
こっちの方が皆さんよく知ってますよね。
それはどういう…?最初は「すゞし」と詠んで舟に乗ったあとで「おくのほそ道」書いてるわけですが乗った体験を元にして「早し」に直してるんですね。
「すゞし」を「早し」と変えた芭蕉の体験とは?おお!今ガタンといいましたね。
ここがどんなに穏やかでもこうして…
(内山)結構荒い。
本当に「五月雨を集めて早し」って集まって渦巻いて早い。
何かちょっと今分かってきましたよ。
「水はみなぎり舟はひっくり返りそうだ」。
芭蕉と曾良が次に向かったのは出羽三山です。
修験道の聖地として知られる3つの山羽黒山月山湯殿山に登るのです。
「雲や霧の立ちこめる中氷雪を踏んで登る事8里まるで太陽や月が運行する天の入り口に入ってゆくのかと思うほどだ。
息も絶え絶えに身も凍えてやっと山頂にたどりつくと日は沈み月が現れた」。
山道を一歩一歩登ってゆく。
山が空が次第に芭蕉の体を包み込んでゆきます。
そして宇宙と一体になる事で句が生まれました。
いや〜このくだりはちょっとすごかった。
ちょっとスケールがすごくなってきましたね。
やっぱりものすごいダイナミックな。
ダイナミックな句ですね。
ここでまさに宇宙観を体感したというところなんですが。
ここが一番重要なポイントですねこの文章のね。
こういうふうに月と太陽が回る軌道の中に自分がいますっていう。
うわ〜すばらしいね。
ちょっとこれ見てみましょうかもう一回。
相当多分風もあるような状況なのかしら。
夜の月明かりに照らされてる雲の峰自体もその場でも崩れてはいく消えていくという状況で。
(内山)何か空の様子がちょっと見えますね。
要するに月山を眺めて詠んでるんじゃなくてそこに行って山の上で野宿をしながらこれを詠んでると。
だから「月の山」っていうのは見える「月の山」ではなくて自分がその中にいるわけですよ山の中にね。
視点が動くそれこそ最新技術の360度ドームシアターのように映るわけですよね。
雲海の中の一つが「月の山」でどこかから天上から見てる感じもしなくもないし。
だけど実際は立って詠んでるわけだから足元に感じてるのかもしれないし。
もはや何か芭蕉は自由ですね。
どこにでもいるっていう。
肉体に対して自由ですね。
視点がいろんなところに。
「月の山」って言ってるのは月山の事で「月の山」と崩して言ってるわけですね。
間に「の」を入れてね。
ここで思いつくのは第一部の日光のところで「あらたうと青葉若葉の日の光」と詠んでいて。
「日の光」とあるのは日光というその地名を間に「の」を入れてまたこれ崩してるわけです。
前半の初めの方に日光の「日の光」があって後半の初めの方に「月の山」というのがあって…これは参ったね。
参ってますね伊集院さん。
日光が太平洋側にあって「月の山」が日本海側。
ちょうど折り返すように太陽と月が並んでるわけですね。
これは文章の構成上はかなり彼は意識して「月の山」と「日の光」というのを置いていると思うんですね。
行った事もないところですもんね。
初めて行ってみるところですものね。
鳥肌立ちますね月山でこれ出来た時。
俺自分がアーティストでベストアルバム2枚出すなら「月山」と「日光」だもん。
それぐらい。
宇宙を感じる事で見つけた答えというのは何だったんでしょう?それはひと言で言うと「不易流行」というふうに彼は言っているんですね。
「易」というのは貿易の「易」だから変えるという意味でこれが否定型で変わらない不変だという事。
「流行」というのは今も使いますけど次々に流れて変わっていく。
この2つを1つにした四文字熟語なんですね。
「不易」というのは要するに宇宙というのは変わらないんだというんですね。
「流行」は宇宙というのは常に変わってる。
矛盾した事を2つ言っていて。
つまり常に変わりながら何も変わらない宇宙の姿を見た時にやはり世の中も非常に変わってるように見えるけど実は何も変わらないんじゃないかという一つの考え方の入り口に立つ事ができた。
この境地にたどりついて芭蕉はやっと一つの安心を得たんじゃないかと思うわけです。
宇宙を感じた芭蕉が到達した新境地。
それは「不易流行」という考え方。
太陽は昇り月は満ち欠け季節は巡る。
自然は変化し続けているが自然を動かす大きなエネルギーは変わらない。
それが「不易流行」なのです。
さっきの最上川の句で言うと「あつめてすゞし」だとやはりそれは現象を見てるだけの句なんですね。
「流行」が主になってるんだけども「あつめて早し」に変わるとこれがやっぱり宇宙のエネルギーとか水のエネルギーとかそういうのを感じるわけですよ。
それでやっと「不易」の句になる。
だから「流行」がないと俳句というのは堅苦しくてつまんないし逆に「不易」がないと軽佻浮薄なものになって全くつまんないんで本当は両方が合体してなくちゃいけないと芭蕉は教えたんですね。
いや〜俳句に限らず全ての表現芸術もしかしたら事柄何でもこれに近いような気はするんですよね。
例えばファッションとかでも明らかにもう2度と回ってこない着る事がないものとやっぱりこれアリなんだなって。
その中には絶対的に機能の事が考えてあったり日本という風土の気候の条件に合ってたりとかそれはいわゆる「不易」なものね。
だけどそこにある水玉とかは「流行」のものみたいな。
多分何でもあるけどただたやすい事じゃないですよね。
それを575の中に入れるという事が難しい。
一回一回今日で最終回でもおかしくないぐらい教えてもらう事があるんですけどまだ1回ありますね。
次回はいよいよ旅の終点でございます。
芭蕉はここで更に新たな人生観を見つける事になります。
それは一体何だったんでしょうか。
お楽しみに。
皆さん今日はありがとうございました。
すごい。
浮かんでるみたいです山の上に。
ぜいたくな眺めですね。
いや〜…。
2014/07/13(日) 15:50〜16:15
NHKEテレ1大阪
100分de名著・選 おくのほそ道 第3回「宇宙と出会う」[解][字]

女優の内山理名と俳人の長谷川櫂が、おくのほそ道の旅を追体験!深川の芭蕉記念館をスタジオにして伊集院光・武内陶子アナと共に句にこめられた芭蕉の自然観について語る。

詳細情報
番組内容
芭蕉が山形の山寺で読んだ句「閑さや岩にしみ入蝉の声」。まわりで蝉(せみ)がうるさいのに、芭蕉はなぜそれを「しずか」と表現したのか? そこから謎ときを始める。旅も後半を迎え、芭蕉の句はさらに進化していった。出羽三山に登ると「天の入口に来たかのようだ」と感激を記し、山中で句を読む。大自然の中で芭蕉が感じたものとは、いったい何だったのだろうか? 第3回では、芭蕉の壮大な宇宙観を明らかにしていく。
出演者
【ゲスト】俳人…長谷川櫂,内山理名,【司会】伊集院光,武内陶子,【語り】森山春香,【朗読】麻生智久

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0×0808)
EventID:12619(0x314B)