「100分de名著」。
今回は松尾芭蕉「おくのほそ道」。
芭蕉はみちのくを旅した5か月を日本を代表する紀行文学に仕上げました。
俳人の長谷川櫂さんと女優の内山理名さんがその旅をたどります。
3匹の猿がいます。
あっいましたね。
芭蕉も同じものを見て感謝の心で見たかもしれないですね。
「おくのほそ道」。
芭蕉がつかんだ新たな世界をひもときます。
(テーマ音楽)「100分de名著」今回はスタジオを飛び出してここ深川にやってまいりました。
司会の武内陶子です。
どうも伊集院光です。
撮影してる今日あたりだとまだまだ日ざし強いんですけどでもこの川風がある分ちょっと救われますね。
ほっとしますね。
この方一体どなたでしょうか?ご紹介いたしましょうか。
どうぞどうぞ。
こちらのお方は江戸時代の俳人松尾芭蕉先生でございます。
かつてここ深川に住んでらしたんですね。
今回は松尾芭蕉の「おくのほそ道」を取り上げます。
指南役をご紹介しましょう。
長谷川櫂さんです。
よろしくお願いいたします。
今回は女優の内山理名さんもおいでです。
よろしくお願いします。
すてきな番組に呼んで頂けてすごくうれしいです。
「おくのほそ道」は芭蕉の人生観を決定づけた大事な旅だと長谷川さんは考えます。
今回文学が好きという内山さんと共に「おくのほそ道」を追体験する旅に出ました。
スタジオは芭蕉ゆかりの記念館。
芭蕉の木像や旅装束などが展示されています。
さあ今回取り上げますのは「おくのほそ道」松尾芭蕉ですがどんな作品かといいますとちょっとこちらをご覧下さい。
芭蕉当時46歳。
門人の曾良を連れて旅に出ました。
5か月ぐらいですね。
長い行程です。
さあこちらご覧下さい。
江戸・深川から出まして福島から宮城の方に行って岩手そして奥羽山脈を越えてこちらの日本海側に出てず〜っと下ってこの岐阜の大垣まで。
内山理名さんには芭蕉の足跡をたどって頂いたんですけれども。
俳句をたどっていく旅というのは初めてで俳句の意味も私の感じていたものよりももっと立体的に見えたり景色も立体的に見えたりとか俳句の旅ってちょっと面白いなって思いました。
ただ旅するよりも景色というかその場所に深く入っていけて詠んだ人の気持ちとか土地の風土とかよく分かるんですよね。
この「おくのほそ道」は実はただの紀行文というわけではなさそうなんです。
これ芭蕉が亡くなったあとに弟子の去来によって1702年に刊行されるんですけど原稿用紙にすると僅か400字詰め原稿用紙…短か!そうなんですよ。
だけど芭蕉は旅を終えてからもずっと亡くなるまで手を入れ続けたんですってね。
旅のあと5年間ぐらい生きるんですけどその間ずっと自分のそばに置いておいてずっと推こうを重ねていると。
実際あった事を記してる紀行文であればそれほど手を入れる必要はないんだけどつまり別のものにしようとしてたという事が考えられるわけで。
ちょっと待って下さい。
僕既に聞き捨てならないところがあるんですけどこれってドキュメンタリーじゃないんですか?一緒に旅してる曾良が記録をつけているんですけどこれと比べるとどこが違うかが分かるわけですよね。
かなり行程を入れ替えたり船で行ってるとこを馬で行ったりと書いたりその逆もあったりあるいは全くありえなかったつまりなかった話を書いたりしてるわけです。
芭蕉が思うこうあるべきだとかあの時の事を思い返すとあの時思わなかったけどこうも思えるみたいな事が。
非常に紀行文のように書かれているけど実は芭蕉の創作であると割り切って考えた方が「おくのほそ道」はいいんじゃないかなと。
まずは有名な冒頭の部分を見てみましょう。
出だしのところは「月日」という言葉が出てきて次に「年も」と出てきて要するに月日とか年とか時間は旅人であると言ってるんですね。
かっこいい。
時間は。
次の4行はその大きな時間の中で時間とともに旅をする人がいるという事を言ってて「舟の上に生涯を浮かべ」というのは船頭さんの事。
「馬の口とらえて」というのは馬をひく馬子ですね。
それと昔から詩人たちも旅のまま途中で行き倒れになった人もいるという事を次は言ってる。
最後に私もそうなりたいと。
すごくくるものはあるけどそれが何なのかを理解するのに時間がかかりそうで。
芭蕉自身も多分旅をしながらこういう事を断片的に感じてたのをまとめて書いたんだと思いますね。
さてまずは松尾芭蕉とは一体どんな人物だったのかその人生を見てみましょう。
19歳奉公に出た先で俳諧好きの主人の相手を務め次第にその才能を認められるようになります。
俳諧仲間も多くでき充実した日々。
しかし芭蕉が23歳の時突然主人が病死してしまうのです。
武士としての出世は到底望めない…。
それでも何かで名を挙げたい…。
そこでまずはと江戸へ向かいます。
芭蕉29歳の時の事でした。
句会に通ううちに頭角を現します。
6年後にはついに俳諧師として独立。
江戸でも名の知れた存在となったのです。
主が亡くなった時は困ったろうけど割ととんとん拍子なイメージですね。
江戸に出てきた頃はまずは何をやっていたんですか?若い頃はどういう生活をしてたかって記録がなくてあんまりよく分からないんですけれども俳諧師として頭角を現すというのが大体30歳前後。
俳諧と俳句という言葉が出てきましたけどここのところを長谷川さんにご説明頂きたいと思うんですが。
この図を見てもらうといいんですがもともと日本には和歌というのがあってこれは57577ですよね。
大ざっぱに言うと風流というか雅やかなものを目指していたと。
それがだんだん和歌から和歌の上の句と下の句つまり575と77があってこれを別々の人が詠み合うという連歌というのが出てくるんです。
ゲーム性がちょっと。
そういう事ですね。
その連歌が雅やかなだけではだんだん面白くなくなってつまんなくなってだんだんそこに滑稽みを入れていこうと面白みを出していこうというので俳諧連歌というのが出てくるんですね。
俳諧というのは要するに「面白い」とか「滑稽」だという意味なんですね。
これで滑稽って意味なんですか。
俳諧連歌の一番最初は575ですよね。
その575が独立して俳諧の発句となるわけです。
俳諧の発句の事を明治時代以降「俳句」と呼んでると。
俳諧連歌とは面白みを求めた江戸時代の新たな文芸。
俳諧連歌の上の句が独立し後に俳句と呼ばれるようになります。
具体的に芭蕉がやってたその俳諧という仕事は例えば今日はこのお題で作りますみたいなのをやるんですか?だから575を誰かが詠むと。
次の人が77を詠むとまた575をそれにつけて詠む。
次はこういうふうにつけたらいいよとかアドバイスしたりですね。
芭蕉は江戸の中でも「ちょっと松尾芭蕉って面白いぞ」って?有名になっていくんです。
というのは江戸というのは当時京都や大坂に比べるとかなり文化水準低いんですよ。
芭蕉というのは伊賀という関西文化圏から来てる人ですよね。
だからそれだけで格がちょっと上なんですね。
本場から来た感じなんですか。
その当時の俳諧なんですけどちょっとご紹介したいと思います。
「帰雁」というのは雁が北へ帰っていくつまり春になって北国へ帰っていくわけですね。
春になると日本は花盛りなのに何でその雁は帰っていくんだという疑問を俳句にしてるわけできっと北の国においしい団子があるからだろうと。
これが典型的な当時の俳諧。
ちょっとクスッとくるやつですね。
バリバリの雅やかなすてきだけど遊びがあるわけじゃない和歌よりもやっぱり庶民はとっつきやすいと思うんですよ。
だけどプライドを刺激するのはちゃんと本場から来た先生がそこの裏に知的水準の高いパロディがかかってるみたいな事を教えてくれたりとか。
ただ大人気でこのまま一生暮らしてもよさそうなもんですけどそうはならないですね。
芭蕉はなんと37歳の時に隠とん生活に入ってしまいます。
深川の芭蕉庵に引きこもってしまうんですけど深川というのはすごくさみしいところだった。
芭蕉がなぜそこへ行ったかというのはこれは結論から言うと謎なんですが一つ考えられるのは今までやってた言葉遊びに嫌気がさしたっていうのがあるんじゃないかなと思いますね。
結果として深川という静かな土地に移った事によって彼は自分の俳句を純粋に追求する事ができたと。
これも運がいいとしか言いようがない出来事であります。
ここで徹底的に俳句に関して追求する生活をするわけですよね。
さて俳句を極める生活を送って9年ほど。
芭蕉46歳の時にいよいよ東北の旅に出る事を決意します。
その道中が「おくのほそ道」になります。
まずその旅立ちのシーンから見てみましょう。
「おくのほそ道」その旅立ちは3月27日明け方の事でした。
「この風景を再び見る事ができるのか…」。
深川から船で出た芭蕉は次第に心細い気持ちを感じます。
「千住という所で船をあがるといよいよこれから長い旅が始まるという思いが胸に込み上げる。
この世のかりそめの別れとは分かっているがやはり別れの涙を流したのだった」。
何かしっとりと。
センチメンタルというか。
女性が詠みそうな句ですよね。
「行春や」というのに春が行くというのと同時に私と曾良はこれから旅に行くし見送りの人たちは泣いているというのを「鳥啼魚の目は泪」と言ってるわけですけど実にしんと静まり返ったようなそういうかなり違う感じの句ですね。
俳諧の世界とかと比べるともう境地が全く違いますね。
どこから変わってしまったのかという事になるわけですね。
芭蕉は実は新たな世界を切り開いたんですけれども一つの体験がそのきっかけだったんです。
その体験を通じてある有名な句が生まれるんですけれどもさあその句が何だったのかお二人に考えて頂きたいんですが。
目をつぶって頂いて「ある音」を聴いて頂きたいと思います。
芭蕉は芭蕉庵の中に居ます。
静かな中でこんな音が…。
(水の音)ポチャ…池?池ですね。
「古池や蛙飛こむ水のおと」。
超有名な句じゃないですか。
だけどこれがどういう起点に変わるんですか?この句はね「古池に蛙飛こむ水のおと」と思ってませんか?
(内山)はい。
違うんですか?順番的にもそうですから。
違うんだ。
その「古池や」って切ってるここがミソなんですけどこの句が出来た時の記録が残っていてそれによると今我々が聞いたみたいな音が聞こえてきたんですよ芭蕉庵にいると。
その音を聞いて「蛙飛こむ水のおと」って詠んだんですね。
それで上のその五文字を何とするかしばらく考えてた。
普通に松尾芭蕉がこうやって座ってたら前の池に蛙が飛び込むのを見て書いたみたいな。
いやそうじゃないんですね。
音だけ?音だけ。
その方向に古池があったわけでも…。
ない。
カエルかどうかもある程度想像。
多分カエルなんだろうなという環境なんでしょうけど古池ではなくて。
あれはカエルの飛び込む音だと。
「古池や」というのは実際芭蕉が見てたわけでもなくて実際そこにあるというのを知ってるわけでもなくて。
ただカエルが飛び込む水の音を聞いて芭蕉が想像したものなんですね。
なぜか浮かんだという事でいい。
「古池や」というそのイメージを心の中に抱いたと。
(伊集院)「いいんだこれで!」って芭蕉は思ったわけですか?この句が「蕉風開眼」の一句と言われる。
つまり俳句の世界に心の世界を取り込んだという事ですね。
つまり日本の伝統である和歌と肩を並べる事ができたと。
当時の俳句自体がそういうだじゃれであったのから要するに心の世界を詠むものにこの句を境にして変わっていくわけですね。
水音をきっかけに心に浮かんだ古池を詠んだ芭蕉。
現実と心の風景を重ねる。
それは伝統的な和歌の世界に通じるものでした。
古池の句で得た新たな世界を芭蕉はみちのくで試そうとしたのです。
出発から4日目4月1日。
芭蕉と曾良は日光東照宮を訪れています。
ここの建物にあの有名な…。
有名なあれですね。
「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の3匹の猿がいます。
あっいましたね。
日光の人気者「見ざる」「言わざる」「聞かざる」。
芭蕉と曾良も見たかもしれませんね。
東照宮は天下泰平の世をつくり出した徳川家康を祀る場所。
その威光は天下に輝き渡ると芭蕉は書いています。
芭蕉が詠んだ句です。
「あらたうと」というのは?「たいへん尊い」つまり「ありがたい」という意味ですが太陽の光が輝いてて実にありがたい感じがするという事と徳川がもたらした平和な時代がとてもありがたいと。
時代も感じられる句だったんですね。
私てっきり「青葉若葉の日の光」って日の光がありがたいなという句だと思ってたんですけどそういう意味もあったんですね。
そうですね。
東照宮の奥にある二荒山神社。
御神体となっている二荒山は別名黒髪山ともいいます。
その黒髪山を見て曾良が詠んだ句。
この旅に出るのに曾良は髪を剃り僧侶の姿となりました。
これまでの生活を捨てて旅に臨むそんな決意を表したのです。
芭蕉と曾良はその後山道を分け入り歩みを進めています。
2人が目指したのは…。
ヒヤッとしますね。
すごい!天然のクーラーみたいです。
かき氷の中にいるような感じが。
一気に冷えて…。
わ〜すごい!滝の勢いがすごいですね。
芭蕉の時代は岩を伝って滝の裏側に入りその流れを見る事ができました。
芭蕉が詠んだ句。
滝に籠もったというだけじゃなくて滝で身を清めた精進潔斎をしたという意味だと思います。
禊の意味があるんですね。
これから長い旅をするわけで身を清めてこれから出かけていくという決意の表れですよね。
確かに今ちょっとここにいるだけで滝に打たれてるわけでもなく裏にも行ってないんですけどもすごい身を清められている感じがします。
みちのくは当時危険の多い辺境の地でした。
旅の無事を祈り2人は禊を行ったのです。
滝の目の前にいたんですけどもあの滝が裏から行ける裏見の滝という事で。
芭蕉は裏から行ったみたいなので滝に入ったような句だったんですよね。
芭蕉はそこを滝に「籠る」という言葉を使っているんだけど「籠る」っていうのは何かその中に入るという事。
裏側に回ると多分滝が落ちててそれがまるで簾のようにねその中に入ったような感じがするんじゃないかという事ですよね。
すごいそれが想像する事ができて楽しかったんです違う感じ。
「おくのほそ道」の構造を考えるとここはとても大事な部分なんですね。
長谷川さんはこの「おくのほそ道」この4つのテーマに分かれているんじゃないかと。
メインはこのみちのくの歌枕を旅したいと。
歌枕というのは…だからそこへ行くために第一部つまり白河の関までは長旅の祈願をしたり神社に参ったりお寺に参ったりする事が次々にここは描かれる。
今回ねこの「おくのほそ道」を皆さんもご一緒に旅して頂こうと思うんですけど古池の句で蕉風開眼新しい世界が広がってこの「おくのほそ道」でそれを実験模索しようと考えた。
単に紀行文として書いたのではなくてですね一人の悩みを持った人間が人生をどういうふうにして生きていったらいいかというそういう疑問を心の中に抱きながらこの旅を続けていってそれで帰ってきた時に答えを見いだしたとそういう旅として見て頂けたらなと思います。
旅をしながらの俳句で宇宙とか人間界の旅というのを体感して頂けると思うのでそういう楽しみが今度どんどん出てくると思います。
ドキドキしますね。
皆さん次回もどうぞお楽しみに。
ありがとうございました。
2014/07/13(日) 15:00〜15:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著・選 おくのほそ道 <全4回> 第1回「心の世界を開く」[解][字]
女優の内山理名と俳人の長谷川櫂が「おくのほそ道」の旅を追体験!深川の芭蕉記念館をスタジオにして、伊集院光・武内陶子アナと共に、旅に込めた芭蕉の思いを推理する。
詳細情報
番組内容
芭蕉は46歳の時、ある大きな決意をした。古くから和歌に詠み込まれてきた景勝地「歌枕」の宝庫であるみちのくを訪ね、理想の句を生み出そうとしたのだ。「古池や 蛙飛こむ水のおと」という有名な句を手がかりに、旅に出た芭蕉の心境を推理する。深川を出発した芭蕉は、寺社をめぐりながら日光へと向かった。実は、日光の描写には芭蕉の周到な計算が見え隠れしている。第1回では「おくのほそ道」の意外な真実に迫っていく。
出演者
【ゲスト】俳人…長谷川櫂,内山理名,【司会】伊集院光,武内陶子,【語り】森山春香,【朗読】麻生智久
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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