明日へ−支えあおう−「史上最大の津波火災〜岩手県山田町〜」 2014.07.13

ここで父の代から床屋を営む…町の消防団の部長。
訓練には欠かさず参加し町内の安全を守ってきた。
え〜出た。
(笑い声)ありがとうございます。
人情豊かな小さな町。
その町が3年前津波に襲われた。
だが床上浸水程度で済んだ建物も多く家々は流されずに残っていた。
津波が引き起こす火災「津波火災」。
被災地全体で78万m^2を焼き145人の命を奪った。
その中で最大の市街地火災が起きたのが山田町。
一晩で町の中心部が焼き尽くされた。
だがなぜこれほど大きな火災になったのかその詳細は分かっていなかった。
今回取材によって公的機関や住民のもとに山田町の火災を捉えた写真や映像が数多く残されている事が分かった。
津波で水浸しになった町でなぜか次々と爆発が起きていた。
(爆発音)目の前の命を救う事ができず地元の消防団員たちはただ立ち尽くすしかなかった。
津波を生き延びた人々に襲いかかり町が焦土と化した津波火災。
その夜現場で何があったのか。
知られざる記録。
地震発生からおよそ40分が過ぎた午後3時24分。
岩手県山田町の中心部を津波が襲った。
高さ8mほどの波が町になだれ込んできた。
当時町の中心部には2,500人近くが住んでいた。
多くの住民が小高い丘にある役場へ避難した。
消防団の部長を務める甲斐谷定貴さん。
地震のあとすぐに消防団の屯所に向かった。
津波が来る直前ポンプ車を高台の役場に避難させる事ができた。
そのあとすぐに屯所に戻ろうとした甲斐谷さん。
その時。
津波から10分とたたないうちに住宅地からうっすら上がり始めた煙。
だが住民たちは消火どころではなかった。
家族や近所の人たちが津波にのまれガレキの中で助けを待っていた。
住宅の2階や屋根の上で孤立し取り残されていた人も少なくなかった。
助けを待っていた住民の一人山田町に続く老舗割烹店の女将…あの日も佐藤さんはいつものように店を切り盛りしていた。
佐藤さんは地震のあと従業員を帰し店に残っていた。
海から300mほどの商店街にあった店。
佐藤さんは津波に襲われた時親類の女性と3階に上がり無事だった。
水が引けば高台の役場にすぐ避難できると考えた佐藤さん。
だがその逃げ道が塞がれていた。
その時200mほど離れた場所からもうもうと立ち上る黒い煙が目に入った。
だが一緒にいた親類の女性は足が悪く家の外に出られる状況ではなかった。
(自衛隊)え〜非常にひどい状態です。
火が出てから30分ほどたった午後4時ごろ。
山田町の上を自衛隊のヘリコプターが飛んでいた。
この時なぜ消火が始められていなかったのか。
当時町の災害対策本部は火元から200mほどの場所にある役場に置かれていた。
地震直後に役場の4階に設置された対策本部。
沿岸部全域が津波に襲われその対応で手いっぱいだった。
更に追い打ちをかける情報が入った。
町の消防署が被災消防機能が失われたのだ。
幸い消防車両は津波が来る前に高台に避難していた。
だが町の中心部へ向かう沿岸の国道が浸水通行不能になっていた。
(福士)ここに写ってるのは私です。
役場の災害対策本部に連絡係として派遣されていた。
役場の窓からは町の2か所で少しずつ火が燃え広がる様子がいやがおうでも目に入ってきた。
福士さんは内陸に避難した消防車に山道を迂回して現場に向かうよう指示。
それまでは消防団のポンプ車だけで対応しようと覚悟を決めた。
火災発生からおよそ1時間。
火はどこまで広がるのか誰にも予想がつかなかった。
今回各地で次々に発生した津波火災。
その数は被災地全体で…これだけ津波火災が多発した例は世界的にもありません。
津波で水浸しの町でなぜ火災が広がるのか。
カギとなるのがガレキです。
津波に流されるガレキの中から噴き上がる白く見える気体。
ガスボンベです。
ボンベが流され止まっていたトラックにぶつかります。
その数秒後。
衝撃で爆発炎上しました。
他の場所でもあちらこちらでガスを噴き出しているボンベが津波に流されていました。
危険なのはガスボンベだけではないといいます。
暖房器具がある家屋ガソリンを積んだ車など津波は可燃物を大量に浮かべた状態で町へなだれ込んでいました。
津波によって危険物があちこちで爆発し燃え広がる。
このガレキこそが発火の元凶となっていたのです。
山田町の中心部で30軒近くの家を巻き込み燃え広がる火。
家々にはまだ多くの人が取り残されていた。
火災発生直後からポンプ車で現場に向かおうとしていた。
だが思わぬものに行く手を阻まれた。
道という道を埋め尽くす大量のガレキだ。
海に面した地区の家屋がガレキとなって町じゅうにあふれ返っていた。
やむをえず歩いてガレキを乗り越え火元近くの防火水槽がある場所にたどりついた。
しかし…。
町の消火栓や防火水槽はほとんどが地下の埋め込み式。
多くがガレキで塞がれ使用できなかった。
ガレキを取り除く重機もなかった。
町の中心部全域をカバーしていたはずの42の消火栓や防火水槽。
その9割以上が機能しない状態に陥っていた。
そんな中甲斐谷さんは消防団に代々伝わってきたある場所を思い出した。
(取材者)これですか?ええこれですね。
町の外れを流れる山の沢水。
いざという時に板でせき止める方法が消防団で受け継がれていた。
即席の防火水槽。
ここにポンプとホースをつなげば火元に水をかける事ができる。
このころ1時間かけて山道を迂回してきた消防署のポンプ車などが現場に到着した。
沢水から火元までは500mほど。
しかしガレキの山を迂回しなければならず数多くのホースをつなげなければならなかった。
水源からの距離が長くなるほど水圧は弱くなる。
それでもこの水で消火するしかなかった。
日が暮れた。
そのころ新聞社の撮影機が上空を飛んでいた。
割烹店の女将佐藤尚子さんの店に火が迫る様子を捉えていた。
佐藤さんはガレキに取り囲まれまだ店から出られずにいた。
うちにガスボンベが4本ありましたからね大きいのが。
それで車が3台でしょ。
それに灯油が3台あってそして天ぷら用の缶が3缶あってそして天ぷらの鍋に油がぎっしりなってましたからね。
もう終わりだと思いました。
もう死ぬんだと。
この時消防の常識が通用しない事態が発生していました。
消防団の甲斐谷さん。
通常は火災の延焼を防ぐはずの広い道路で思わぬ事が起きていたといいます。
通常広い道路は延焼を食い止める防火帯として都市計画に取り入れられています。
阪神・淡路大震災でも広い道路が延焼を防ぎそうした道路から消火が行われました。
しかし山田町の道路はガレキで埋め尽くされていました。
灯油タンクやガスボンベなどの可燃物も散乱。
津波火災では道路にあふれるガレキが火災を広げる役割を果たしてしまったのです。
ではなぜ被災地最大の津波火災が山田町で起きたのか。
専門家はガレキの密度を理由の一つに挙げます。
今回広い平野部では津波が広範囲に広がりガレキが拡散しました。
一方山田町は住宅が密集する町の背後に山が迫り塞がれていました。
津波は山際で押しとどめられ流されたガレキは道路や家々の間に集中しました。
ガレキが密集する中火がついたためこれだけ広い範囲に火が燃え移っていったのです。
暗くなってなお多くの住民が家々に取り残されていた山田町。
消防団員たちは住民を必死に救出していた。
ふだんトラックの運転手をしている…中にはケガして挟まってたりして助け求めてる人たちとかもいるんですけど…。
停電による暗闇が救助を難しくしていた。
結構な火でこれくらいでは町も明るく照らされるんじゃないかなと思うんだろうけど結構近くじゃないと見えないんですよね明かりというのは。
外れればもう全然真っ暗。
真っ暗闇の中に閉じ込められてるような感じなんですよね。
火が迫ってきてるような状態での救助活動だったので自分たちも危ない目に遭いながら火の流れを見ながら救助してるような感じだったので一歩間違えば自分たちも危ないような状態でのギリギリの精いっぱいの活動は一応してたような感じですかね。
想像を超えて燃え広がる火。
消火も救出も思うように行えなくなっていた。
ガレキに取り囲まれた佐藤さんの割烹店にも通りの向かいから火が迫った。
何とか助けを呼ぶ手段がないか。
その時寝室に備え付けていた懐中電灯が目に入った。
(取材者)どっちに向いて?役場。
佐藤さんは必死の思いで30分近く懐中電灯を振りかざし続けた。
その時役場の2階から町を見ていた人がいた。
水産商工課の鈴木隆康さんだった。
チラッと見た時に何か光が見えるねって。
「え何?」って。
そしたら懐中電灯のようなのでこう…。
「見て!」というのかね気が付いてほしいというのか。
「ああ人がいるんだね」という感じ。
だが現場は暗くたどりつけるかどうかも分からない。
同僚と現場へ向かった鈴木さん。
ふだんなら歩いて2分の距離が果てしなく遠かった。
ようやく店にたどりついた鈴木さんに佐藤さんが助け出されたあと店は燃え上がった。
佐藤さんはやっとの思いで役場へ避難した。
「よく来たねよく来たね」ってみんなに言われてね。
「よく助かったね」って。
時間的に遅かったからね。
もう気が抜けてしまって…。
口では表せないですね。
(爆発音)なおも最前線で消火を続けていた消防団員たち。
だが消火の水は足りず車やガスボンベの爆発も続いていた。
(爆発音)町民の有志からなる消防団には危険な状況だった。
甲斐谷さんたちは高台の役場へ撤退する決断をせざるをえなかった。
水が無いと結局私たちも活動できないですし。
悔しい思いをして見てるだけの感じになりますから。
暗闇の家々にはまだ人の気配が残っていた。
苦渋の決断だった。
泣いてるような声もすれば「痛い」とか「寒い」とか「助けて」とかってね。
大きい声ではないんですけど少し小声で頑張って助けを求めてるような声とかも結構してたんで…。
高台の役場まで退いた消防団員たち。
深夜2時火はその役場近くにまで迫ってきた。
建物に避難していた800人の住民が更なる避難を迫られた。
内陸に10km離れた地区の学校などに逃げるしかなかった。
店からギリギリのところで救出された佐藤さんも再び避難を強いられた。
急でした。
急に。
急にね「避難して下さい。
危ないですから」という事で。
(取材者)じゃあ皆さん予想は?全然してないですよ皆さん。
急だったから。
ここにいれば大丈夫だって安心してた。
そしたら「もう駄目だ〜!」って。
「もう火がつくから」って。
きついきつい。
ほんとね何て言ったらいいかな…もう駄目かなと思いましたね。
800人近い住民が避難したあと風向きが変わり火は町の北側へ燃え広がっていった。
明け方まで火の勢いは衰える事がなかった。
同じ頃被災地のあちこちで避難所に指定されていた建物に火が迫っていました。
宮城県石巻市では避難先の学校に火が燃え移り住民の命が危険にさらされました。
こうした事態を防ぐ事はできないのか。
名古屋大学の廣井さんは津波火災のある傾向を知る事が重要だといいます。
大規模な津波火災が起きた場所での延焼範囲を示した図です。
多くの現場である程度海から離れた山際を中心に燃え広がっていました。
山際は津波が押し流してきた家屋や自動車などのガレキがたまりやすい場所です。
廣井さんはこうした津波火災の特徴を踏まえ避難の方法を考えるべきだといいます。
…というような事を考えなければいけないと思います。
山田町の長い夜が明けた。
一帯を焼き尽くした炎はまだくすぶっていた。
津波火災との長い闘いに区切りをつける水が空からやって来た。
夜は視界がきかないために行う事ができなかった自衛隊の大型ヘリによる空中消火だ。
ようやく落ち着いた火。
しかしその後も残った火種からあちこちで火の手が上がった。
(ニュース)「黒い煙が上がっています。
真っ赤な炎も見えます。
激しく燃えています」。
山田町の津波火災が最終的に鎮火したのは3日後の事だった。
火が消えたあと消防団員たちは焼け跡の中不明者の捜索にあたった。
そのままもう骨になってそのままの状態でいた人たちが何人もいたのでやっぱり結構いたんだなと思って。
あの時はやっぱり「ああ〜」というような感じだったんですけどね。
何もできなかったからやっぱりね…。
残念だったのはお母さんが必死になって生まれたばかりの我が子をこうやって抱いてこのままの状態で一緒に骨になって焼死しちゃったんですよ。
そういうのが一番やっぱりね…何て言ったらいいんだろう…。
あ〜…何て言ったら…言葉にできないような感じでしたね。
山田町中心部で震災によって亡くなったのは284人。
そのうちどれだけの人が火災で亡くなったかははっきりしていない。
どうすれば津波火災の悲劇を繰り返さずに済むのか。
(廣井)すごいですね。
完全に燃えてますね。
名古屋大学の廣井さんは震災の2週間後から現場へ入り調査を続けてきた。
山田町の事例では防火水槽の配置を見直すべきではないかという。
廣井さんたち研究者は消防と連携し東日本大震災全ての津波火災を調査。
今後の対策につなげたいと考えている。
最後まで現場で津波火災と向き合った消防団の甲斐谷さん。
津波火災から身を守るには基本に立ち返るしかないと実感している。
やっぱり先に避難が一番ですもんね。
結局はやっぱ逃げるしかないです。
例えば10階建てのビル絶対来ない10階には。
でも火が来たら逃げれなくなりますもん。
10階建てで津波がもう来ないって下におりようとしてもガレキで外には出られないしそこで火が来ればもう無理でしょうね逃げれませんもんね。
だからもう地震津波来る前に地震が来たらすぐ高台に避難するというのが一番だと思いますね。
今回の震災を受けようやく対策が始まったばかりの津波火災。
山田町の人々の苦闘は重い教訓を我々に残している。
大きな揺れそして津波から身を守ったとしても追い打ちをかけるように命を脅かす津波火災。
その津波火災は広い道路があれば延焼は食い止められるというこれまでの常識をも覆してガレキを導火線として燃え広がっていくという事も分かりました。
こうした怖さがある事を大きな地震が想定される他の地域でも知っておく事が重要ですよね。
さて東日本大震災から3年4か月。
大切な人を亡くして心の痛みをいまだ癒やす事ができないという方も少なくありません。
その思いに答えようと始まった…震災で亡くなった方や行方不明の方の写真と家族などからのメッセージが届けられています。
いくつか紹介しましょう。
案内役は仙台市出身の鈴木京香さんです。
茨城県常総市の内海登志子さんは地震でブロック塀と車の間に挟まれ亡くなりました。
夫の光一さんからのメッセージです。
宮城県気仙沼市の三浦敏子さんは今も行方が分かりません。
泥の中からこの写真だけが見つかりました。
義理の姉の小山はつえさんからのメッセージです。
福島県浪江町の川口重雄さんと登喜代さん。
震災の1か月前に孫と食事をした時の写真です。
長男の登さんからのメッセージです。
この「こころフォト」は放送とホームページで紹介しています。
写真とメッセージの提供も引き続きお願いしています。
詳しくはホームページをご覧下さい。
それでは被災された方々の今の思いです。
Dialogue:0,0:46:56.81,0:47:2014/07/13(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−「史上最大の津波火災〜岩手県山田町〜」[字]

東日本大震災の際、159か所で発生し多くの命を奪った津波火災。中でも最大の市街地火災が起きたのが岩手県山田町。映像や証言から火災の真実に迫り減災のよすがとする。

詳細情報
番組内容
津波が引き起こす火災、津波火災。東日本大震災では159か所の市街地で同時多発し、分かっているだけで145人の命が奪われた。中でも最大の火災が起きたのが岩手県山田町。あの日、現場では従来の消防の常識が通用しない事態が発生していた。津波で水浸しの町で次々に発火した炎。本来なら防火帯となるはずが、逆に導火線と化した道路。新たに見つかった映像や写真、証言から津波火災の真実に迫り、減災のよすがとする。
出演者
【キャスター】畠山智之

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:12523(0x30EB)