日曜美術館「色彩はうたう ラウル・デュフィ」 2014.07.13

蒸し暑い台湾に暮らす人たちにとってかき氷は涼をとるだけでなく生活と共にある大切な食べ物だったんですね。
(心音)躍る線あふれる色彩子供のような素朴さ。
描いたのは「色彩の魔術師」と呼ばれた画家。
たえなる色の調和で見る者にため息をつかせてきました。
20世紀のフランスを代表する画家…その絵はちょっと不思議です。
花びらを見て下さい。
バラの赤が黒い輪郭線からはみ出しています。
しかも現実にはありえない色を塗るのです。
見て下さい。
青い馬。
一体なぜ?世界のいろんなものと色を通してつながってるって感覚持てると思うんですね。
デュフィの生涯は苦難に満ちていました。
絵が売れず晩年は病に苦しむ日々。
しかしだからこそ色に託す思いがありました。
デュフィは画家人生を通じて「喜び」を表現してきました。
その「喜び」は色で表されているのです。
喜びを沸き上がらせるデュフィの色彩。
その秘密に迫ります。
「日曜美術館」です。
今回は20世紀のフランスを代表する画家「色彩の魔術師」と言われたラウル・デュフィ。
そしてゲストはアーティストの日比野克彦さんです。
(3人)よろしくお願いします。
日比野さんこのデュフィの作品見るとなんか明るく楽しい気分にさせられるそんな作品だなと思ったんですけども日比野さんはデュフィの印象どのようなものありましたか?一番最初に見たのは小学校の頃家にあった画集で見たんですがほんとやっぱり色と躍動感。
躍動感っていうのは色もそうだけれどもデュフィの線の爽快な軽快なタッチで描いてあるの見てずっと見てても飽きないというか何度見てもいろんな発見があるというそんなデュフィとの最初の出会いがそうでしたね。
大好きな絵でしたね。
子供の頃…小学生ぐらいの頃なんですよね。
今の感覚で見るものとその時ってやっぱ何か違いってあります?印象。
結構変わらないです。
だから逆にデュフィ見ると最初見た時の小学校の田舎の自分の部屋の「あの画集のこの辺にあったな」みたいな。
今見ても逆に最初の第一印象の時の事を思い出しますね。
そうですか。
今日はそのデュフィの世界「色」をキーワードに見ていきたいと思います。
まずはこの色なくしてはデュフィは語れません。
大切な色の物語からご覧下さい。
(波の音)デュフィ50歳の頃。
南フランスニースの光景。
左右の窓からまばゆい光を浴びたニースの海が見えます。
中央には室内を映す大きな鏡。
色鮮やかな調度品が部屋を飾っています。
ですが一番印象的なのはそこかしこに塗られた青です。
この絵でとても興味深いのは青の使い方です。
空や海だけでなく本来青くない床や机にまで青を塗っているのです。
それほどまでに青はデュフィにとってお気に入りの色だったのです。
人物画にもデュフィは青を使いました。
シーツにうっすらと青。
背景一面にも青。
20世紀の画家の中で彼ほど青を使った画家はいないと言われています。
音楽家の父を持ったデュフィは最も愛する作曲家の世界を青で描きました。
ちなみにデュフィの目の色は青だったといいます。
青は掛けがえのない色でした。
フランス北西部大西洋に面する港町ル・アーブル。
デュフィは1877年ここで生まれました。
14歳の頃から港の輸入会社で働きます。
一家は10人きょうだいの貧しい暮らし。
働かざるをえませんでした。
でも楽しみがありました。
それは絵を描く事。
16歳の頃から夜学で本格的に絵を学び始めます。
才能を伸ばしていったデュフィ。
ル・アーブル市から奨学金を受け芸術の都パリの国立美術学校に進む事ができました。
そのころの絵です。
後の作風とは全く違います。
古典的な絵画を学んでいたデュフィは当初落ち着いた色調の風景画を描いていました。
しかしすぐに変化します。
デュフィは新しい絵画と遭遇するのです。
それがアンリ・マティスとの出会いでした。
とある展覧会で一目見て圧倒されます。
共鳴しせめぎ合う色色色…。
その色がデュフィに教えてくれました。
「絵画はここまで自由である」という事を。
デュフィは新しい絵画の探求に没頭していきます。
しかしそれは長い苦悩の始まりでした。
デュフィはあまりに影響され過ぎたのです。
彼はマティスの世界に近づく事ばかりにとらわれていました。
その後対象を幾何学的に捉えるキュビスムが登場するとたちまちその世界に染まってしまう。
画商たちの目にはそれがまね事のように映ります。
デュフィの絵は全く売れませんでした。
デュフィは何年も模索を重ねます。
まねではない自分自身の絵画とは何か。
そしてついにあの色のすばらしさに気付きます。
青。
それは心の奥に焼き付いていた色。
ふるさとル・アーブルの海です。
気候はイギリスに似て曇りが多く激しい雨が降る事も。
でも晴れるとまばゆいばかりの日ざしが降り注ぎます。
光が海に反射し刻一刻と変化する青。
デュフィが幼い頃から見つめていた色です。
若きデュフィにとって海の見える港が絵を学ぶ場所でした。
五感で海を感じつぶさにキャンバスに描いていったのです。
デュフィの画家としての素養は海で培われたと言えるのです。
五感で感じた海。
机や床の青は空や海の青。
その爽やかな青に染まる事で潮風や海の匂いが室内に流れ込むよう…。
机の上には画家の分身とも言えるパレットが描かれています。
そのパレットさえも青に染まっているんです。
彼はまさに青の中で生きていました。
あらゆる色調の青が画面のあらゆる所で輝く。
それがデュフィならではの世界なのです。
デュフィはフランス各地を巡り海辺の光景を描きました。
その光をその匂いをその風を色に託す。
青。
それは画家人生を決めた原点の色。
なんか一見味のある普通の風景画のようにも一見見えるんですけどもでもよくよく見てみるととても面白い要素がちりばめられてるなと思いますが。
彼の言葉の中で今「絵画は海洋性気候からしか生まれない」。
言い切ってましたね。
なかなか難解な言葉あったけどもいわゆる絵画はモチーフでもないし…というか気候だと。
気候っていうのは変わるじゃないですか当然。
台風が来たり晴れたりましてル・アーブルっていうのはすごく天候が晴れたり曇ったりと。
その時間の移ろいというものの中でこそ空気を描くというのが彼の中の絵画の一つのターゲットというか何を描くかという時に空気を描いていくんだって。
そうすると全て光というのは反射ですから壁が茶色いけれども光がグルグル部屋の中に回ってくると当然外の青色が中にも回ってくるという感覚は彼は身体的にそういうふうに感じ取って描いてたと思いますね。
青に出会ったと言うべきか青に気付いたと言うべきか青があったからこそたどりつけた境地っていう事ですよね。
彼にとって「青」っていう一つ色の武器を持ったと思うんです作家として。
「僕は青という武器を持っていればどんなものでも描ける」っていう自信を持ったと思うんですよね。
青を主役にして絵画を描いた事によってでも青の登場のさせ方をいろんなふうにする事でいろんな絵が描けるっていう自信を持つと作家は強いんですよ。
サッカー選手も自分のフェイントとかフリーキックとか一個持つとどんな敵が迫ってきても「ここはいける」って自信を持って試合に挑めるようなそんな感覚とも似てるような気がするし…。
世界中の画家の方たちが結構青に取りつかれる方たちが多いなと思うんですけども日比野さんにとって青ってどんな存在ですか?僕が生まれ育ったのは海がない所なんです。
山の緑とか川の青とかっていうのがあってそれぞれが育った土地の気候によって自分の青っていうのはあるんじゃないですかね。
ですから例えば作家の僕が川をイメージとした青を描いたとしても見る人が例えば海に対する憧れがあればそれは彼にとっては海ってものを連想させるかもしれないし。
だから青っていうのはいろんな人をつなぐ事ができる一番汎用性のあるいろんなものを想像を想起させる色なのかもしれないですね。

(「G線上のアリア」)作曲家バッハに捧げました。
一面に…赤。
力強くもどこか穏やかさを感じさせる赤。
デュフィの色は心に優しく響きます。
代表作…ローズピンクの部屋にバラの花束。
壁にもバラの絵。
バラの匂いでむせ返りそうな官能的な世界です。
ところでこの絵よく見ると不思議です。
はみ出しています。
花びらの赤が輪郭線の外にはみ出しているのです。
なぜ?きっかけは衝撃的な赤との出会いでした。
それはデュフィ49歳の頃。
とある海岸での出来事です。
デュフィの前を一人の少女が走っていきました。
その時稲妻に打たれたような衝撃が。
少女の赤い服が残像として彼の網膜に残ったのです。
デュフィは発見します。
対象が動く事によって生じる色の余韻を…。
デュフィは新たなスタイルを生み出します。
競馬場に集まる人々。
その描き方に注目して下さい。
この二人輪郭線から色がはみ出しているのが分かります。
これが揺れ動く人物の残像を表現しているのです。
色彩が絵の中の人々に動きを与え更には競馬場のにぎわいまで感じさせる。
デュフィが編み出した独自の手法です。
デュフィは色彩を輪郭という枠から解放したんです。
彼はこの時更なる色彩の自由を得ました。
そしてこの色のはみ出しによって描く対象に生き生きとした生命力を与える事に成功したのです。
バラを描いたこの絵にもデュフィのねらいが。
花が咲きやがて枯れていくバラ。
輪郭線から解き放たれた赤が移りゆく時を感じさせバラに命を宿しているのです。
デュフィがたどりついたいまだかつてない絵画の世界。
絵の左隅には「1901」年の文字。
右には「1931」年。
画家を志しパリに来た頃から30年。
長い模索の時を経てようやく自分の絵が見つかったのです。
50代にして名声を得たデュフィ。
更に探求を続けます。
その赤は会場を包む熱気でしょうか?それとも響き渡る音色でしょうか?熱気も音色も目に見えないもの。
デュフィは形なきものにまで色を塗り込めました。
赤。
それは画家を新たな境地へと導いてくれた色。
このバイオリンの存在もあると思うんですけれども周りの植物の模様とかがだんだん音符にも見えてきて音楽を感じずにはいられないなっていう。
普通一般的に赤って情熱的なものに感じたりとかなんか一見激しい音楽なのかなと思うんですけどそっちじゃなくてものすごく優しい音色が聞こえてくるようなそんな感じを受けるんですけども。
今音と色の話出ましたけども共感覚って色を見ると音を想像できる音を聞くと色が浮かぶっていうそういう感覚があるんですけども。
そしてきっと彼は描く時にまず音が頭の中にあって音を描く時に赤と共感覚が響いたと思うんですよね。
それでとにかく赤を使うっていうのは決めていてけれども我々…今井浦さんが「葉っぱが音符のように見える」と。
これはまんまとワナにはまってるわけで葉っぱなんですよ。
けども葉っぱっていうのは僕たちは葉っぱは風でなびくというものを連想させるから葉っぱの揺らぎ。
それがリズム。
それが音符音楽っていうふうに連想させていくというのがこの色と音を僕たちに感じさせる一つのワナというかフェイントというか作戦に。
あとはこの「はみ出し」ですね興味深いなって。
描くほうっていうのははみ出しのほんと何ミリの世界で「やり過ぎてしまった。
もしくは…」っていう感覚あるのかなとも。
いいはみ出し方悪いはみ出し方。
許せるはみ出しと許せないはみ出し。
それきっとあるだろうね。
そこはほんとこう経験値なんだねそこは全部。
「ここはみ出し過ぎちゃったからこっちは抑え気味でいこうか」。
主役は一人でいいわけですよ。
はみ出しの主役は。
その大きなというかいいはみ出しを引き出すためのいろんなちっちゃなはみ出し…。
オーケストラがいてみんなで歌い上げるみたいな。
自分を裏切る絵っていうのが描いてて一番楽しいんですよ。
予定どおりいく絵ほど疲れる事はなくて描いてるうちに自分の中で発見がある。
次のストーリーも読みきれない。
だから自分が最初の鑑賞者として楽しめるっていうそのプロセスっていうのはすごく楽しくって。
やっぱり絵って筆って正直だから自分のその気持ちはすぐこっちに伝わっちゃうから「あとここ10個はみ出し描いたら終わりだ」と思ってるとつまんないはみ出しで終わって絵が死んでいくんだけども自分の中で「次どうなっていくんだろう。
こんな一手が出たら次どの一手を打とうか」っていうところの連続で例えばこの辺りとかすごく描き込んであると思うからきっと封印したはみ出しもこの中にはいっぱいあると思いますよ。
足したり引いたりしながら。
そういういろんな彼なりの色でありやっぱりこの30年間の年を書くっていうのは何か自分の中で一つ達成感があったんでしょうね。
ここにデュフィの集大成と言える作品があります。
縦10m横60mの巨大な壁画。
デュフィ60歳。
それは人間と科学の叙事詩。
古代ギリシャの数学者アルキメデスや発明王エジソンなど110人もの科学者が登場。
彼らによって成し遂げられた科学技術の発展が鮮やかな色彩と共に描かれています。
最後の場面は人類の英知をたたえるオーケストラの演奏。
それに乗せて電気の精が舞う…。
この壁画は1937年パリ万博の電気館を飾るために描かれました。
そして同じ万博のスペイン館にはあのピカソの大作が…。
この年に起きたナチスの無差別空爆を告発した「ゲルニカ」です。
万博を訪れた建築家ル・コルビュジエはこう言っています。
世界が戦争へと突き進む中ピカソはこの絵を描く事で警鐘を鳴らします。
一方デュフィは暗雲立ちこめる時代に人々の心を明るく照らそうとしたのです。
デュフィは画家人生を通じて喜びを表現してきました。
その喜びは色で表されているのです。
今東京・渋谷でデュフィの展覧会が開かれています。
やって来たのは脳科学者の茂木健一郎さんです。
デュフィが色彩に込めた喜びとは?脳科学の視点から読み解きます。
いやぁ色が本当に…この色はなかなか出ないですよね。
油彩なんだけど全然重くないですよね。
この人色の感覚が独特ですね。
もともと人間の脳にとって色彩は非常に重要なシグナルなんで一見子供でも描きそうな素朴な絵に見えて実は色の配置だとかニュアンスだとかそういうものに対して非常に細かい配慮があると。
他の画家が見つけてない色の組み合わせをいつも見つけてる感じしますね。
美しいというか非常にビビッドに心にくる色の組み合わせを自分なりに極めようとしたって事だと思うんですけどね。
うぉ〜すごいねこれは。
(茂木)全体として色がシンフォニーっていうか一つの交響曲みたいに感じられますよね。
(茂木)なんか見てると一曲の交響曲を聴いてるようなそういう満足感と感動がありますね。
茂木さんが特に注目したのがこの絵。
高さ2m。
イギリス人の富豪から依頼された家族の肖像画です。
茂木さんはある色が気になりました。
青です。
どこか青みがかった人物。
馬には更に大胆な青。
そして周りには同じ色が広がっています。
空の青です。
空の青と馬を青に塗る事で空と馬ってもともと関係ないのになんか関係があるような気がしてきちゃう。
本当は全てのものっていうのはつながっているんだよというようなメッセージをねひょっとしたらデュフィは込めたのかもしれませんよね。
子供たちの帽子も空の青。
主人の帽子も青。
夫人は青ではありませんが木々の緑をまとっています。
かえってこういうふうに描かれる事によって我々が万物につながるみたいなイメージがあるんじゃないかなと。
世界のいろんなものと色を通してつながってるって感覚持てると思うんですね。
人間ってやっぱり幸せって最近の研究によると絆とかそういうものによって幸せを感じる事が分かってるんで。
やはり我々世の中のものってみんなばらばらで自分は一人だと思いがちだけどでもつながってるって思った瞬間にすごく幸福になる。
自分が宇宙とか世界とつながってる。
そういう事をデュフィの絵というのはひょっとしたら我々に感じさせるのかもしれませんね。
わあこれいいなぁ。
これ…。

(茂木)もし世界がこんなふうに色が調和とれていたらどんなにいいんだろうって思うぐらい…。
たえなる調和がありますよね。
こうやってデュフィの絵を見ていると素直な気持ちで笑顔が生まれてきたりその素直さっていうのはデュフィの人柄人間性みたいなものからあふれ出してるものなんでしょうか。
それとも僕はそこさえもデュフィのフェイントに引っ掛かってるんでしょうかね。
引っ掛かってますね。
引っ掛かってますか。
色って当然もう全てにある。
ついてるじゃないですか。
でも僕たちあんまり日常色ってそんな意識してないですよね。
色があって当たり前だから。
でも色をほんとに改めて認識させてくれるフェイントをデュフィはもう画面で絵画で投げかけてて。
だって美術館に行く時に例えば渋谷の駅から降りて美術館に行くまで色はいっぱい見てるわけじゃないですか。
美術館に入って色を見た時に「色っていいな」って。
「色今までずっと見てきたじゃん。
なに改めて色をそこで感じてるの?」って話です。
色だけを抽出したフェイントをそこにすっとかけてるから僕たちが持っていない能力を見せてくれるわけじゃなくて僕たちが持っている能力をもう一回改めて「ほら色を見てるでしょみんな。
色ってどうよ?」っていう事を問いかけてくれる絵画ですよね。
そうかぁ。
VTRでは今脳科学者の茂木さんが同じ色を使う事で絆をつながり絆ってものを感じさせるとおっしゃったんですけども日比野さんはデュフィの色の法則から何か読み取れるものってありますか?僕たちよく例えば学生時代とかに絵の勉強を例えば高校生とかが勉強する時に水彩画とか静物で描くわけですよ。
花があって花瓶があってやってる時に「まだ色が生々しいよ」って言い方があるのね。
例えば赤いバラがあって赤いバラを描く時に「これはバラになってない。
ただ赤い絵の具が紙にくっついてるだけだぞ」って。
いわゆるその物になってなくて色がくっついてるだけだみたいな言い方をされたりしたりする。
でも彼の絵はもう色はそこにあってなおかつあとから物が追っかけてくるぐらいの感じ。
だから物を描こうとしてなくって色を見せたいっていうその全面的な主張を僕たちは受け入れてあとから見ると「そこに花瓶があるからこれは花なんだ」とか「そこに窓がある。
あっこれはじゃあ風景なんだ」って色のあとから物が見えてくるみたいな。
そこはなかなか日常の中ではない逆な追体験なところはありますね。
でも彼の絵の描き方っていうんですかね結構僕は…万博の電気館で「電気の精」を描いたっていう。
この時代のどんどんどんどん時代が変わっていく。
この時代は科学。
騒音でさえもいい音色だみたいなね。
科学どんどん来いと。
人間はこれからすごくなってくぞという20世紀のこの時代に喜びとか楽しみとか未来とかそういうものを描く絵が必要だったと思うこの時代に。
やっぱり彼の持ってる才能センス感覚プラス彼がどこにいたかどの時代にいたかって事で作風というのは変わってきてると思いますけどね。
さあ最後はこれまでの色とは全く違う色から見ていきましょう。
細い路地に面したこの場所にデュフィはアトリエを構えていました。
アトリエの壁は青。
残されたキャンバスには鮮やかなピンク。
そしてパレットの上には晩年よく使っていた色が。
黒です。
「電気の精」が完成して間もない60歳の頃デュフィは激しい痛みに襲われます。
関節の痛みが全身に広がっていく病に侵され描く事すら困難になります。
そんな時に描いた絵です。
港に浮かぶ貨物船。
青や赤の代わりに広がるのは黒。
通常黒は白と共に無彩色と言われ輪郭や線などに使われます。
しかしデュフィにとっては青や赤と同様黒も光の色彩なのです。
彼はこう言っています。
「太陽のまぶしさで目がくらんだ時閉じた目の中で直前に見ていたものの形が黒の中に浮かび上がる」と。
まさにその情景を描いたのです。
光のまぶしさに目をつむった瞬間浮かび上がった貨物船。
デュフィはこの絵を日ざしに満ちた南仏で描きました。
ですがここには愛すべきふるさとル・アーブルの情景があるのです。
雨の多い港町。
しかし雨のあとには美しい虹が人々に笑顔をもたらす。
悲しみや苦しみは描きません。
その色彩で歓喜を歌う。
「色の魔術師」と言われた画家が晩年は黒にいくっていうのが感慨深いですよねやっぱり。
(日比野)実際美術館で僕も本物を見ましたけどもこれがやっぱり一番何だろうないろんな色を…まあ集大成。
ほんと全ての色が混ざってくると黒く闇に吸い込まれていく色になっていきますから港に帰ってきたあの黒い大きな船の絵が一番印象的でしたね。
デュフィの語った言葉で「私の眼は醜いものを消し去るようにできている」と。
「消し去るようにできている」と語っている事はやっぱり醜い事や悲しい事やつらい事があったと。
貧しさだったり売れなかったりだとか病気にもかかりという苦しみがあったからこその歌うような色が描けたんじゃないかなとも察するんですが日比野さんはあの言葉どのように受け止めましたか?醜いものはないと。
醜い色はないと思うんですよね。
例えば黒が怖いとか暗いとかって言い方はあるかもしれないけどその黒の横に一筋の赤い色があればすてきな永遠の空間を表す黒にも見えてくるわけじゃないですか。
だからデュフィのその言葉の醜いものを消し去るというのは醜いものでさえもやっぱりバランスによってはそれが美しく見せられる術を僕は知っているという言い方になるのかな。
だからそれは形ではなくって色が主人公であれば醜い色とか汚い色はないですからね。
汚いというか自分が苦手な色合いはあるかもしれないしすごく不快に思われる色合いはあるかもしれないですけど色単体では醜い色とか汚い色っていうのはないですから「どんな色でも僕はすてきにその色を表す術を知っている」。
「醜いものを消し去る眼を持っている」という言い方なんじゃないですかね。
なるほど。
今日はほんとにどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2014/07/13(日) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「色彩はうたう ラウル・デュフィ」[字]

20世紀フランスを代表する画家ラウル・デュフィ。まるで子供のような踊る線、あふれる色彩。そこには革新を生む驚きの体験があった。デュフィの色彩の秘密に迫る。

詳細情報
番組内容
かつてパリ万博で、ピカソの大作「ゲルニカ」を超える賛辞を浴びた画家がいる。20世紀フランスを代表するラウル・デュフィ。技術におぼれまいと、あえて利き腕ではない左手で、まるで子供のように踊る線、あふれる色彩をキャンバスに塗り込めた。絵が売れず貧困にあえぐ暮らし、体をむしばむ重い病。様々な苦難の中、豊かな色彩に込めたのは、生きる喜びをうたい上げることだった。日比野克彦が、その色彩の秘密を語る。
出演者
【出演】美術家…日比野克彦,脳科学者…茂木健一郎,【司会】井浦新,伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0×0808)
EventID:12600(0×3138)