美の京都遺産 2014.07.13

(ナレーション)
人は茶室の小さな窓から表を通る人を見るようにしか人を見ることができない
戦国の世を巧みな処世術で生き延びた茶人信長の弟織田有楽斎の言葉である

正伝永源院はもとは正伝院と永源庵の二ヶ寺であった
正伝院中興の祖は織田有楽斎
茶室如庵
本堂には狩野山楽の蓮鷺図
細川家の菩提寺であった永源庵のゆかりで細川護煕の襖絵も奉納されている
正伝永源院は臨済宗大本山建仁寺の本山の北にある境外塔頭である
もとは正伝院と永源庵という二つの塔頭で明治の廃仏毀釈のときに統合された
鎌倉時代創建の正伝院という寺南北朝時代の創建の永源庵という寺とお二つありまして永源庵はそのときに住職がいないので即刻廃寺になります。
建物をそのまま残して少し離れていた正伝院がこちらへ移ってきたということになるわけですね。
正伝院は鎌倉中期中国から来朝した建仁寺第12世義翁紹仁によって現在の歌舞練場の辺りに創建
戦国時代に衰退したが江戸の初め有楽斎によって再興された
織田有楽斎は住職ではありませんのでね隠居所として借るわけですよね。
それで非常に荒廃してたのを如庵なんかを建てたりして復興さすわけですね。
だから中興の祖ではあるんです。
一方永源庵は南北朝時代に建仁寺第39世無涯仁浩によって創建
細川家始祖細川頼有は無涯のもとに参禅し深く帰依
頼有以降8代にわたって永源庵を菩提寺とした
侯爵細川護立の要請で「永源」という名を残し「正伝永源院」となり現在に至る
扁額が2つ掛かっている本堂
室中の…
桃山から江戸の初めにかけて濃厚で華麗な作風を見せたのが秀吉に仕えた山楽である
豊臣滅亡後残党狩りから命拾いした山楽が有楽斎の依頼で最初に手がけた仕事である
蓮と鷺が16面の襖に描かれており人の一生を表しているとされる
右から人生の始まり蓮のつぼみ
正面の4枚が青年期壮年期
多くの蓮の花が描かれて華やかである
1本の茎に2つ蓮の花が咲く…
100年に1度という珍しいものでよいことの兆しとされている
左に行くにつれ人生の終焉
蓮も枯れていく

池泉回遊式庭園
奥に見える五重塔は有楽斎の供養塔
庭を愛でながらゆっくりと自分の心を見つめ直すという禅の教えである
5月はつつじが境内を染める

有楽斎一族の墓
有楽斎の墓は高さ4メートルを超す五重の石塔である
正室雲仙院は信長のうつけぶりを諌めて自害した平手政秀の娘清である
孫の長好は茶人として有楽流を受け継いだ
細川頼有から8代までの墓
自然石を使った墓である
有楽斎はキリシタンで洗礼名が「ジョアン」であったことに由来するといわれている
「ジョアン」とは聖ヨハネのこと
平成8年に設計図を基に露地も含めて忠実に再現されたものである
もとの如庵は国宝の茶室で日本三名席の一つである
廃仏毀釈以降三井家などを転々とし現在は犬山市にある
扁額は細川家17代当主細川護貞による
にじり口を正面に見せない外観
二畳半台目向切本勝手という様式
茶室の奥には竹を詰打ちにした有楽窓
細い隙間からこぼれる外光の変化の演出を有楽斎は取り入れた
足元は三角形の鱗板
隠れキリシタンだったということでもしかするとまあここの斜交いというか三角になった部分にキリストの像を置いていたのではないかというふうな説も残っておりますね。
腰張りには伊勢暦という古暦が張られ「暦張りの席」と呼ばれていた
板をはめて花頭形にくりぬいた有楽囲
有楽斎が始めたこれらの特徴は利休にも見られなかった斬新な空間構成である
武家茶道なんですね。
普通は袱紗を左に着けるんですけれどもこっちに本来刀を差してますので右に袱紗を着けるような形をとりますね。
まあ武将がやってたのですべてこういうふうなお辞儀をするんですね。
はい。
で女性のお手前ですとこうやったりとかですね。
これが非常に特徴的ですね。
狩野山楽筆…
70歳ごろの晩年の姿である
信長の死後は剃髪し「有楽斎如庵」と号する
千利休に茶道を学び利休七哲の一人にも数えられた
利休亡きあと秀吉の茶の湯をつかさどり後に茶道有楽流を創始
また家康とも懇意であった
要領がよく「逃げの有楽」と揶揄されながらも世渡り上手であった
利休から「茶の極意は自由と個性」と伝えられた有楽斎は武家茶道でありながらしばられない斬新な様式を茶室に持ち込んだ
茶道三昧の日々を送り75歳の天寿を正伝院で全うするのである
「茶禅一心」っていう言葉があるんですね。
人をもてなすというか心を空っぽにして相手にお茶を出すと。
感謝をしながらお茶を点てるということをするとやっぱりおいしく感じるし非常に大事なことかなと思いますね。
上間と下間には元内閣総理大臣の細川護煕が描いて奉納した水墨画四季山水図
24面2年がかりで完成したものである
すべてに月が描かれている

東山の春
漆黒の空に浮かび上がる金色の月
月が夜桜を煌々と照らしている
清朝の古い墨を塗り重ねた漆黒の空
「知音」とは心許した友のこと
西山の秋
嵐山小倉山愛宕山を淡い墨朱の墨で紅葉を描いている
朱墨は清朝の皇帝が作らせたものが使われている
北山の夏
北山杉に不如帰
実際にはない滝も描き込まれている
しんしんと雪が降っている冬
比叡山から東山三十六峰を背景に街の名所が描かれた
四条通鴨川建仁寺が見える
まあ言えば無心で描くとかいいますわね。
でもそんなことできるはずがない筆持てば。
でその道を究めれば究めるほど無心になれない。
まあなんかの拍子になんにも思わないで筆が運べるときがたまにはあるんですよね。
それがなかなか…。
そういうもんですあはははっ。
花街園に最も近い寺ということもあり禅寺でありながら粋で華やいだ雰囲気を今も伝えている
それが正伝永源院なのである
大正から昭和にかけて活躍した謎の叙情画家「小林かいち」をお送りします
2014/07/13(日) 06:15〜06:30
MBS毎日放送
美の京都遺産[字]

「正伝永源院」

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
福祉 – 文字(字幕)

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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