NHK短歌 題「地下」 2014.07.13

ご機嫌いかがでしょうか「NHK短歌」司会の濱中博久です。
今日の選者斉藤斎藤さんです。
どうぞよろしくお願い致します。
さて今日は腹が立ちましたか?腹が立っちゃいましたね。
この歌は後ほどの講座と関係がある内容ですね。
これを取り上げてお話が広がるわけですね。
ご説明します。
どうぞよろしくお願い致します。
さて今日お迎えしたゲストをご紹介致しましょうね。
シンガーソングライターのなぎら健壱さんです。
ようこそお越し下さいました。
よろしくお願いします。
なぎらさんは作詞作曲をはじめ俳優のお仕事など多岐にわたってご活躍中でございますが2011年には「詩のボクシング」というイベントの個人戦で優勝されたと伺っておりますがすごいですね優勝者ですね。
勝ち抜きで大変でしたけどね。
詩をお書きになる時に大切にされてる事はどんな事でしょうね?我々は机上での空想はなかなかできないもので現状を詩にするしかないんですよね。
その時に稚拙な部分を推敲に推敲を重ねるというただひたすら推敲。
考えて考えて直して言葉を入れ替えてという作業ですね。
短歌の番組にお招きしましたが短歌とのご縁は?私はね一応中学の時文芸部だったんですよ。
おっ文芸少年。
その時だけです。
その時に短歌をちょっと?その時「一握の砂」をちょっとパラパラしただけでね。
今日ディレクターが一首どうですかとお願いしたと聞いておりますが作って頂けました?もう何年ぶりでしょう?まあその稚拙な部分で作ってみましたけど。
楽しみですね〜。
何十年ぶりかに出来たなぎらさんの短歌ですが後ほど是非楽しみにしております。
そして短歌についてのイメージをねご出演者にいつも短い言葉にして頂いてるんですけれどもどんな言葉になりましょうか。
こうなりましたね。
お読み下さい。
常日頃やはり文章がありましてそれをどんどん削っていく。
そしていいところそれをまたパズルの作業みたいにはめていって文章を短くして集約しました。
それだけでは標語みたいになってしまうのにそこに趣をやはり入れなきゃいけないなというから非常に言葉の遊びと言っちゃ失礼ですけれどもそういう中でも割合難しい部類だと思いますよ。
このお話を是非斉藤斎藤さんに後ほど膨らませて頂いてたくさん聞かせて頂きます。
どうぞよろしくお願い致します。
さあそれでは今週の入選歌にまいりましょう。
題が「地下」または自由でございました。
斉藤斎藤選入選九首です。
思わずなぎらさんも笑ってらっしゃいますけど。
あの世って地下だったりあるいは空の向こうだったりというイメージがありますけどね。
「地下鉄」っていう妙に具体的なものから「あの世」という下の句への飛躍がとても面白いですね。
口調も力が抜けた感じですてきですよね。
では二首目にいきましょうか。
これは楽しいような施設でも業務用というかお客さんには見せないようなごみを運んだりとかあるいは病院でいったらひょっとすると例えば亡くなられた方を運ぶようなエレベーターがあったりそういったような施設を支える陰の部分みたいなものが表われていると思うんですね。
「静かに沈む」という表現からそういう事がちょっと重いものが書かれてないんですけど伝わってくるそんな感じの歌ですね。
ちょっと怖いかなと思いながら行ってみたくなる。
なぎらさんなら行くかもしれませんね。
行くでしょ?きっと。
行きますね。
書いてないから冒険しちゃいますよ。
それでは三首目にいきましょう。
これなぎらさん伺いましょう。
これは冬から春に移る季節の頃で「旬」何だか分からないですね買ってるものが。
だけど「百グラム」という春の部分が少ないんだなという表現。
それから猫の中ではまだ冬なんですね。
その春夏という言葉を出さずにそれを表現しているこのうまさ。
説明のなさがいいなという感じしました。
「百グラムだけの旬」っていう僅かな季節感がね…。
フキノトウかなとかいろいろ思っちゃうんですよ。
書かれていない部分上の句と下の句のその隙間の部分で季節の変わり目を表現されたところが非常にうまいですよね。
上の句の口調とかにも春が近づいてくる楽しさみたいなものも伝わってきますね。
猫のかわいさも伝わってきましたね。
では四首目です。
地下1階に行く時デパートの地下に行く時ってやっぱり階段使うと思うんですよね。
タンタンタンとウキウキした感じで駆け下りていく感じ。
その駆け下りていくにしたがって薄暗い階段からこの食品売り場特有の明るい所に視界が開けていく感じがこれも肉眼でカメラという感じで流れがよくできていると思います。
短い動画のような歌でしたね。
それでは次が五首目です。
東京の地下鉄で銀座線は歴史が古いので地下が比較的浅い所を走っているんですけれども大江戸線は最近出来た路線なのでもう浅い所は埋まってるんで…。
深いですよね。
深いんですよね。
地下5〜7階を走ってると思うので…。
地下鉄って結構地下に人がうごめいてるわけだからちょっと不気味なところがあると思うんですけれども人を書かずにビニール傘の動きで表現したところが…。
地下のちょっと不気味さみたいなものが出ている歌だと思います。
それでは六首目に移りましょう。
駐輪場とかの階段ですよね。
自転車を押しながら上ったり下りたりする。
あれって何回やっても自転車と体がちぐはぐな感じがして…。
自転車が先に行こうとしたりね。
下り坂はね。
押してるんだけど別々に動いてるような感じが「人間は」「自転車は」というプツプツ切れた表現でよく体の感じが出ていると思いますね。
それでは七首目です。
これなぎらさん伺いましょう。
どうでしょうか?非常に面白いなと思うのは「はやる気持ち」というスピード感がありますね。
「やんわりとお辞儀」でまあまあとゆったり感があるという両方を持っているんですけれども開店してデパ地下に何しに行こうかと。
バーゲン会場じゃないからその辺が面白いなと思うんですけどねただ何か分かりますね。
う〜という気持ちをあのゆったりしたお辞儀でやられるとね…。
両方のスピード感とそれを抑えるというのは両方が見えて面白いなと思いました。
なぎらさんご指摘のそうですねデパ地下食品だから開店すぐ売り切れるコロッケとかを買いたいとか?そこにやんわりとデパートガールいませんからね。
ああそうかそうかなるほど。
さあ斉藤さんいかがでしょう?対比が面白くてセンスがうまいんですよね。
デパートの入り口でお辞儀されるとちょっと緊張するようなところあるじゃないですかそこら辺の感じがうまく書けていると思いますね。
そんなに高いもの買いに来たんじゃないんですけどという感じが。
そんなにご丁寧に言われても…。
このお辞儀で異次元に入っていくような形ですもんね。
そういうとこですね。
さてそれでは八首目に移りましょう。
ちょっとガラーンとした地下鉄なんですかね吊革だけが前後左右に電車の揺れと共に揺れていて私たちっていうのは今いろいろな時代の状況とかに流されていくこの吊革みたいなものじゃないかという。
ちょっと時代状況の背景が伺えるような歌でしたね。
さあおしまい九首目です。
さあこれはなぎらさんどう読まれましたか?これはちょっと不気味な感じがしましてね。
病院の地下っていうと霊安室を思わせてそこに向かう自分の「吾に迫りぬ」というところで自分の死も見据えてるような感じがしてそういう不気味さがあるんですけど最初が自由律句で七文字というのが気になるんですけどでも「病院の地下」はあそこしか入らないんですね。
何となくこの静けさと「靴音」「病院の地下」というこの不気味な感じが私は好きなんですけどね。
総合病院の地下って霊安室とかレントゲン室とか救急外来とか結構非常事態の施設が並んでる所があるんですよね。
そういうのを背景にして靴音が自分に迫ってくると死というものも意識しながらそういった感じが出てますよね。
以上入選九首でした。
さあこの中から斉藤斎藤さんが選んだ特選三首です。
まず三席です。
後藤進さんの歌です。
では二席です。
吉田早苗さんの歌です。
ではいよいよ一席の発表です。
五十嵐えみさんの歌です。
非常に優しい言葉で簡単な言葉だけしか使われていないのに「地下」っていうお題の本質を捉えるような部分があって深さのある歌だと思いました。
以上今週の特選でした。
今日ご紹介しました入選歌とその他の佳作の作品こちら「NHK短歌」のテキストにも掲載されております。
是非ご覧下さい。
さあそれでは「うた人のことば」です。
外国からセルジュリファールが来て踊りをする男の人ですけどねそれを見たいと思うんですけどその余裕が全然なかったという歌ですね。
男性の踊りが好きなんですよね。
女性よりも少ないものですから殊に見たいんですけど自分は生活の事で精いっぱいで贅沢にしかすぎないんですね。
だから残念だなと思う気持ちで歌ってるんですね。
茶つぼを開けてみたらお茶はあんまりなくて粉がたまってたんですけどその粉の青い色が茶筒の内側の光ってる部分に映ってたんですね。
それが不思議な光というんですかそういったものを感じたものですからありのままに歌ってみました。
では続いて入選への道です。
ご投稿歌の中から今日も斉藤さんが一首取り上げてこう直してはというかこう改作してはという案を示して下さいますがひとつよろしくお願い致します。
どんな歌でしょう?元歌です。
これ銀座線ですね。
気持ち分かりますよこれ。
地下鉄の銀座線って渋谷の駅で結構高い所地上3階ぐらいに駅があって…地下鉄なのに。
そこが非常に印象的なんですよね。
「地下鉄が地上に上がる終点の」ってここまでの流れは非常にいいと思います。
ただ「地上に上がる終点の」っていう時点でもう電車は駅に着いてると思うんですよね。
そのあとに「渋谷の駅が」というと同じ所でずっと停滞してる感じがする。
そこでこうしてみました。
あれ?一点突破ですね「駅」が「街」になってる。
電車が終点に着いて渋谷の街に出たけどこのゴチャゴチャとした感じ好きになれないなという感じで流れを作る。
ずっと一本の短い動画のように主人公の人が駅を降りる感じにしてみました。
なぎらさんこの一文字の変化この技どうですか?私も今なるほどって聞いてたんですけど結構あそこ3階に着かれると降りるまで時間がかかるんですよ。
めんどくさいもので駅が好きになれないのかなという感じがしたんですよね。
この駅の作りが好きになれないと。
それで地下鉄で地上に上がる終点の渋谷の駅でだぶらせる事によって強調するという事ないですか?そっちの方向だとすると駅の作りでいくと「地上へ」を例えば「地下鉄が3階に上がる終点の」とかにすると駅の事がすごい言いたいんだなというのがありますね。
そっちの方向もあると思うんです。
駅を具体化するんだったら「地上へ」を「3階へ」とか建物の構造を感じさせるように書くか。
「地上へ」まで大ざっぱに書くんだったら街に展開させちゃった方がいいと思うんですね。
そこら辺の縮尺の問題だと思います。
そうするとまた銀座線を説明しなきゃいけないですね。
さすが推敲を重ねる詩人なぎら健壱さんの特徴がよく出た疑問点でございました。
どうもありがとうございます。
それでは皆さんからの投稿のご案内を致します。
さあそれでは選者のお話です。
今日は「私は激怒した」というお話です。
短歌は一人称だという事を前からお話してるんですけれどその事を今回もう少し詳しくご説明します。
例えば「走れメロス」太宰治の小説ありますよね。
これ三人称で書かれてるわけです。
「メロスは激怒した」って書かれてるんですけど怒っているのはメロスですが「メロスは激怒した」と言っているのは第三者ナレーターの人ですよね。
それが三人称の表現です。
これを無理やり一人称に直してみると…「私は激怒した」というふうになるんですね。
つまり怒っているのも私だし「私は激怒した」と説明しているのも私だと。
ここに矛盾が出てきてしまうんですね。
本当に怒ってる人が「私は激怒した」って冷静な口調で言わないですよねという問題が出てくる。
私の歌を説明するとこの歌「腹が立つ」って言ってるわけですね。
「腹が立つ」って言ってるんで私は怒ってるんですが腹が立つと説明しているのも私なのでここで私は腹が立たなくなっちゃうというか腹が立ってる私を冷静に観察している私って切り替わってしまうんです。
そのあとで自分の中を熱い血液が駆け巡ってるなっていうふうにすごい引いた目線で冷静に私を観察説明している私が出てくる。
こういうふうに一人称だと怒っている私と怒っているなっていうふうに説明する私っていうのが別の人になってくるんでこの2人の私の関係ズレを広げるなりあるいはズレを意識させないようにするなりというこの距離感を意識して頂けると一人称で書くという事が分かってくると思います。
つまり一人称でも2種類あるっていう事を知ってなきゃいけないって事ですね。
面白い!私は2人いるんですよね。
はい今日の選者のお話いかがでしたでしょうか?さあなぎらさんにも加わってお話をして頂きますよ。
先ほど「短歌はどんなイメージですか?」って短い言葉で作って頂きました。
もう一度お見せ下さい。
間違ってたら訂正してほしいんですけれども作文があるとしますね。
その中から言いたい事をどんどん削っていってさあ短くなった詩になったそれ削れって短歌にした。
更に削れって俳句にしたというようなちょっと乱暴な考え方があるんですけどそれどうなんですかね?そうですね何ていうんですかね詩とか俳句とかは凝縮していく感じがあると思うんですけど短歌というのはあんまりぐっと圧縮するというよりはいい感じのところをあまり圧縮せずに切り取るみたいな感じ。
それがね私の中で一応「趣」になるんですけどね。
つまり中学の文芸部の時なんかは三十一文字に何とかまとめようとそぎ落としてそぎ落としてという意識しかなかった?最後何もなくなっちゃって趣もなくなっちゃってこれはまずいなという事を感じたもんでそぎ落とし方にもいろいろ方法があるんだなと…。
そこに趣を添えるという事ですがなぎら健壱さんの趣とは何かという事で今日一首お願いしたでしょ?作ってきたよとおっしゃいましたね。
これはどんな趣になりましたでしょうか一首ご披露頂きましょう。
いや〜…ね。
こんな歌になりました。
どうぞお読み下さい。
これはどのような背景で生まれたんですか?戦後すぐの時代と昭和30年代までは上野の地下道っていうのは尽れた部分を持ってましてね確かに住んでる方もいたような時代があるんですけれども今歩きますと全く例えば寅さんの映画なんかのああいう趣も全くなくなりましてね。
よく出てきました。
あの地下道がね。
当然住む人もおりませんけどもその分明るくなっていろんなお店なんかも出来上がってます。
非常に飲食街としても優秀な場所になりました。
それと共にああそういう昔の地下道も忘れられていくんだなという事で本当は最後は七文字で仕上げたかったんですけど。
結句ですね。
「忘れられている」。
「忘れられてる」にして「い」抜きになっちゃうとまたよくないのかなと思ってでも流れからして「忘れられている」でいいのかなと。
「記憶の外に」としちゃうと硬くなっちゃうかなと思ってねこう致しました。
本来字数をそろえたいんだけどという事はあるんですね。
斉藤さんいかがですか?まず上の句が非常に技術的なんですよねこれ。
「地下道に住む人の居た上野駅」ってこの語順でなかなか出てこないというかここら辺に集約感がすごくある。
集約感がありながらすっと情報が伝わってくるというところですね。
下の句の今おっしゃった「忘れられている」問題ですけどやっぱり「忘れられてる」だったら死んじゃう感じがしますよね。
「忘れられている」ここの八音の余りで情感が出てくるというか趣ですよね。
このリズム感というのはさすが詩を書かれていてかつシンガーソングライターで歌も歌われているこのリズム感なんじゃないかなと思って。
いやありがたいです。
上野駅でキュッと止めて下流して趣をつけるみたいなこの出し入れはやっぱりさすがだなと思いますね。
今回は生みの苦しみという楽しみが分かりましたね。
これを作ろうとして?ちょっとやってみようかなと思ってね。
久しぶりにお作りになったわけでしょ?短歌は。
久しぶりですよ短歌はね。
雑俳なんかもありますけども。
基本的に律というかリズムを合わせなきゃとか字数を合わせなきゃというふうにお作りになったわけでしょ?そうですよ。
これはもう大変ですよ。
眠れないぐらいの。
眠れないぐらい。
そうでもなかったですけどね。
でも今言ったように久しぶりに作って楽しかったなと思ったもんでちょっとやってみようかな。
これからが難しくなるのかな?今何も考えなかったから。
そう意味で言えば斉藤斎藤さんの歌は字数が合ってないのがわりと多いんですよ。
自由律の歌ですね。
だいぶ怒られてしまうんですけど。
定型に整えろって思われてしまうかもしれない。
「詩のボクシング」の作品も読ませて頂いて「九段坂」とかとても好きでしたけどやっぱり短歌も向かれてると思いますよ。
上野駅でキュッと締めて流すみたいなその出し入れというのは多分書かれるとすごいいい歌ができる。
そういうふうに褒められちゃうと駄目になっちゃうんですよ。
いやでもやるでしょう。
やるでしょう?斉藤斎藤さんとなぎら健壱さんの短歌のボクシングというのも特別企画で考えますかね。
本日はなぎら健壱さんありがとうございます。
シンガーソングライターなぎら健壱さんでございました。
斉藤斎藤さん来月もどうぞよろしくお願い致します。
ではごきげんよう。
2014/07/13(日) 06:00〜06:25
NHKEテレ1大阪
NHK短歌 題「地下」[字]

選者は斉藤斎藤さん。ゲストはシンガーソングライターのなぎら健壱さん。「詩のボクシング」個人戦で優勝したなぎらさんだが、短歌にはあまり触れたことがないという。

詳細情報
番組内容
選者は斉藤斎藤さん。ゲストはシンガーソングライターのなぎら健壱さん。「詩のボクシング」個人戦で優勝した経験を持つなぎらさんだが、短歌にはあまり触れたことがないという。題「地下」【司会】濱中博久アナウンサー
出演者
【出演】なぎら健壱,斉藤斎藤,【司会】濱中博久

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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