黒田官兵衛とその時代「福岡城」 2014.07.13

築城の名手とうたわれた黒田官兵衛が最後に手がけた城…徳川家康に関ヶ原の戦いへの働きを高く評価され1600年黒田家は豊前国の一部12万石から筑前52万石へ国替えになりました。
官兵衛は黒田家の数百年先の発展を見据えこの地に城を築きました。
福岡城・三の丸に造られた…官兵衛は晩年をここで妻・光と仲むつまじく過ごしていたといいます。
官兵衛は戦の世が終わり太平の世にふさわしい城の候補地を広い筑前の中から念入りに探しました。
そうして決めたのがその時既に国際貿易の拠点だった博多に隣接する警固村福崎の地でした。
経済力を持つ事が国の繁栄を揺るぎないものにするという官兵衛ならではの発想でした。
官兵衛は新たに造る城を黒田家ゆかりの地備前国・福岡にちなんで「福岡城」と名付けました。
堀に囲まれた福岡城につながる下之橋。
かつての姿を今にとどめています。
この橋を渡ると…二の丸から本丸に上がる場所に福岡城の正門・表御門が建っていました。
明治初期に撮られた表御門の写真です。
百数十年の時を経てかつての城の姿を知る事ができます。
かつて福岡城には47の櫓と10を超える城門がありました。
官兵衛は大坂城中津城など難攻不落の城をいくつも手がけてきました。
福岡城は最後の大仕事でした。
石垣の上に残された…長さ72mの細長い櫓。
その内部は倉庫などに使う16の小部屋に分かれています。
外側に向かう壁には侵入してきた敵に備える…そして敵を狙い撃ちにする鉄砲狭間が設けられています。
自然の石の形を巧みに利用して積み上げた天守台の石垣です。
官兵衛のもとに高い技術を持った石工の集団がいた事をうかがわせます。
鉄御門の石段を上るとそこが天守台です。
天守台には建物の礎石があります。
ここに天守閣があったかなかったか。
福岡城最大の謎とされています。
ここから城下を眺める事を楽しみにしていた黒田官兵衛。
しかし福岡城の完成を見る事なく1604年に亡くなりました。
三の丸の御鷹屋敷で暮らしている頃は妻・光と城下に出て町民と親しく触れ合っていたといいます。
福岡の町はこの福岡城を礎として大きく発展していったのです。
2014/07/13(日) 03:23〜03:28
NHK総合1・神戸
黒田官兵衛とその時代「福岡城」[字]

大河ドラマ「軍師官兵衛」で岡田准一さんが演じる主人公・黒田官兵衛ゆかりの地をめぐるシリーズ。築城の名手・官兵衛が最晩年に息子・長政と共に手がけた福岡城を紹介。

詳細情報
番組内容
大河ドラマ「軍師官兵衛」で岡田准一さんが演じる主人公・黒田官兵衛ゆかりの地をめぐるシリーズ。今回は、築城の名手・官兵衛が最晩年に息子・長政と共に手がけた黒田家の居城・福岡城を紹介する。【語り】井芹美穂
出演者
【語り】井芹美穂

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドラマ – その他

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