歴史秘話ヒストリア選「もうダメ武将とは言わせない〜官兵衛ジュニア長政の苦悩」 2014.07.13

大河ドラマでおなじみの軍師黒田官兵衛。
黒田官兵衛が一子松寿丸にございます。
ヤァ!今日の主人公は官兵衛の息子松寿丸。
後の黒田長政です。
父・官兵衛の跡を継いだ…しかし長政には誰にも知られたくない呪われた過去がありました。
血塗られた恨みの赤壁。
何度石を取り替えても同じ所にひびが入る…長政許さんぞ…。
そして城では夜な夜な幽霊が…。
黒田家を襲ったあまたの怨霊。
原因は長政にありました。
知略を駆使して戦う天才軍師・官兵衛に対し息子の長政は短気で荒くれ者。
いつでも猪突猛進です。
その行動はやがて黒田家を窮地に陥れる事に。
長政は天才軍師・官兵衛にふさわしい跡継ぎになれるのか。
今日はちょっと頼りない2代目の成長物語です。
長政は官兵衛の長男として播磨の国今の兵庫県南部の姫路に生まれました。
幼名は松寿丸。
長寿の象徴である松のように健やかに成長してほしい。
そんな期待が込められていたのでしょうか。
えい!えい!黒田家の跡取り息子として父の愛情をいっぱいに受けて育てられたと思いきや…どうやらそうでもなかったようです。
(官兵衛)松寿丸今日より当家で暮らす事になった又兵衛じゃ。
又兵衛と申します。
ある日突然長政の前に現れたこの少年は後藤又兵衛。
父を亡くし官兵衛に引き取られてきました。
ヤァ!年上で体も大きく武芸も得意な又兵衛は松寿丸にとって歯が立たない相手でした。
ヤァ!よくやったぞ又兵衛。
官兵衛はそんな又兵衛をとても気に入り家族同然に接したと言われています。
官兵衛が又兵衛をどれだけかわいがったのかそれを物語るものがこちらのお寺に残されているんです。
境内を進んでいくと現れたのは又兵衛のお墓。
ご覧下さい。
こちらびっしりと文字が刻まれていますよね。
ちょっと見えづらいかもしれないんですけれどもここ「後藤又兵衛」と書いてあります。
そしてこちらは「如水」と書いてあります。
この「如水」というのは官兵衛の事なんですけれどもここに注目して下さい。
「實子」つまり官兵衛の実の子という事が刻まれているんです。
官兵衛の実子だという話が伝わるくらいですから官兵衛は又兵衛を我が子のようにかわいがっていたのかもしれません。
よくやったぞ又兵衛。
又兵衛にひきかえ自分は父に愛されているのか。
幼い松寿丸の心は揺れ始めます。
程なくして松寿丸はその不安が的中するかのような出来事に見舞われます。
突然父から呼び出された松寿丸。
そなたは信長様のもとへ行く事と相成った。
なんと織田信長のもとに人質に行けと命じられたのです。
当時黒田家は播磨の弱小領主。
生き残りを懸けて大勢力の織田家につく事を決めた官兵衛は二心ない事を示すため嫡男の松寿丸を人質として差し出す事にしたのです。
松寿丸は僅か10歳で住み慣れた播磨を離れはるか東琵琶湖のほとりにある長浜城へと送られていきました。
周りは知らない人ばかり。
さぞ心細い人質生活だった事でしょう。
心の声
(松寿丸)父上…なにゆえ私にはこのような仕打ちをなされるのですか?更に追い打ちをかけるように官兵衛の行動が松寿丸を窮地に追い込みます。
信長は恐ろしい命令を出します。
父のせいで命の危険にさらされる事になった松寿丸。
さあこちらへ!早う!官兵衛の同僚竹中半兵衛の計らいでなんとか助け出されたもののまだまだ試練は続きます。
なんと女の子の格好をさせられた松寿丸。
名前もお松と名乗らされたといいます。
信長の目から逃れるためとはいえ松寿丸にとっては耐えがたい屈辱でした。
人質に出されてから2年後。
ようやく信長の誤解が解け松寿丸は父との再会を果たします。
(松寿丸)父上!ところが「感動の対面」となるはずが…。
(官兵衛)松寿丸。
そなたに引き会わせたい者がおる。
入れ!
(官兵衛)玉松じゃ。
なんと官兵衛はまた子供を引き取ってきたのです。
心の声又兵衛ばかりか玉松まで。
一体父上は何をお考えなのじゃ。
こうして父への反発心が芽生えたのでしょうか。
やがて松寿丸は官兵衛とは正反対のタイプの武将になっていきます。
これまでの官兵衛の働きが評価され…松寿丸も名を「長政」と改めます。
こちらです!見えますか?私がやって来たのは大分県の中津城です。
官兵衛と長政親子は正反対の性格だったと言われていますがそれは愛用した兜にも表れています。
こちらが官兵衛の兜。
「合子形兜」と呼ばれお椀をひっくり返したようなシンプルなデザインですよね。
一方長政の兜。
大きな角ですよね。
「大水牛兜」と呼ばれています。
かなり重くてちょっとグラグラしてしまうんですが…。
この兜ど派手なデザインで官兵衛のものとは対照的ですよね。
戦場での長政は兜そのままに「荒れ狂う猛牛のようだった」と言われています。
者どもわしに続け!
(一同)オー!長政の戦い方は真っ先に敵に斬り込み自ら力ずくで手柄を上げるというもの。
知略で兵を動かし勝利に導く官兵衛とは大違い。
こんなエピソードが伝わっています。
ある戦いで長政はいつものように敵陣に突撃。
ところが深入りしすぎて川にボチャン。
助けに来た家臣たちは長政が見当たらず途方に暮れます。
その時水面から何か突き出たものが。
兜が派手だったから助かりましたが手柄どころか危うく自分の命を落とすところでした。
そんな長政にあきれた官兵衛はこうつぶやいたと言われます。
「匹夫の勇」とは思慮分別がなくただ血気にはやる事。
「己の事しか考えず周りが見えていない」と駄目出しされてしまったのです。
こんな事で黒田家の行く末は大丈夫なのでしょうか?長政さんなかなか前途多難のようですね。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
こちら長政がかぶった「大水牛兜」。
実は意外なもののモデルになっています。
「ウルトラマン」に登場する…この角の形にご注目。
実は大水牛兜が元と言われています。
しかも性格は荒々しく怒ると大阪城も粉々に。
荒くれぶりも長政そっくり。
結局ゴモラはウルトラマンに自慢の角をへし折られ倒されますが武勇には自信のあった長政もこのあと鼻を折られてしまう事になるのです。
大分県中津の大名に取り立てられた黒田家は…しかし地元の武将たちはそれに猛反発。
父上の助けなどなくともわし一人でひねり潰してくれるわ。
皆の者出陣の支度をせい!若殿!ご短慮はなりませぬぞ。
官兵衛不在の折り出陣は見合わせるべきだといさめる家臣たち。
しかし長政は制止を振り切って宇都宮攻めに向かいます。
宇都宮の城があった城井谷にやって来ました。
父・官兵衛の留守の間に宇都宮を討ち取ろうと考えた長政は城へ攻め上がりました。
しかし宇都宮は鉄壁の守りで待ち構えていたのです。
谷を進んでいくとまず見えるのが巨大な岩。
表面には数か所のくぼみがあります。
ここに潜んで敵を待ち伏せし矢を射かけるための場所です。
(弓を射る音)弓を持った者が3人いれば敵を防げる事から「三丁弓の岩」と呼ばれています。
たとえここを突破できても更なる難所が待ち構えます。
この狭い隙間。
城への入り口なんですが…。
人一人が通れるくらいのスペースしかありません。
それに坂もかなり急で登っていると息が切れてしまいます。
こんな所で待ち伏せされたらひとたまりもありませんね。
あっ!
(石が転がり落ちる音)用意周到に待ち構えていた宇都宮勢。
まんまと敵のわなにはまった長政はさんざんに打ち破られ命からがら城に逃げ帰りました。
なんたる不覚!鎮房めこのままでは済まさんぞ!戦で勝てなかった長政はとんでもない事を思いつきました。
そして…。
(長政)討て!
(家臣)ヤァ!なんとだまし討ちにしたのです。
よくもだましおったな長政!この恨み忘れぬぞ…!更に長政は…だまし討ちと容赦ない殺戮。
戦国の世とはいえこうした振る舞いは黒田家に大きな影を落とす事になります。
ひきょうなだまし討ちでなんとか宇都宮一族を倒した長政。
しかしその後長政のもとを次々とたたりが襲います。
宇都宮鎮房の家臣たちが殺された合元寺。
壁が全面真っ赤に塗られています。
外の壁も赤かったですし見て下さい。
ここも赤いですね。
ちょっと中も入ってみましょう。
あっ中も一面真っ赤です。
長政への恨みを抱いて死んだ宇都宮の家臣たち。
言い伝えによれば殺された時飛び散った…その血を隠すために壁を赤く塗り潰したと言われています。
宇都宮一族の墓にも恐ろしい話が伝わっています。
戦場となった城井谷にひっそりと残る鎮房の墓。
ちょうどお墓の真ん中にひびが入ってるんですよ。
(長政)討て!長政のたくらみにより殺害された…その刀傷と同じ位置になんと一文字の亀裂が。
隣の墓は同じく命を落とした鎮房の父のもの。
人ならば首にあたる位置にやはり亀裂がありますが父親は首を斬られたと言われています。
何度墓石を取り替えてもその度に同じ位置にひびが入ったとか。
更にたたりはお城でも。
長政許さん…許さんぞ…長政…。
(長政)うわぁっ!黒田家を襲った数々の怪奇は長政がだまし討ちをしたせいではないか。
そんなうわさがささやかれました。
父の官兵衛は悩みます。
一体どうすればこの長政を立派な跡継ぎにする事ができるのか。
そして思い切った策に出ます。
(官兵衛)長政そなたに家督を譲る。
なんと突如長政を黒田家の当主としたのです。
一番大きなのはやっぱり自分もまだ現役並みに働けるし…長政をあえて責任ある立場に置く事で黒田家を背負う者としての自覚を促す。
官兵衛の大きな賭けでした。
しかし驚いたのは家臣たちです。
心の声どうすればあの者たちの心をつかむ事ができるのじゃ。
家臣たちに長政が新たにとった行動が黒田家の記録に残されています。
長政は「腹立てずの会」という集まりを開きました。
会のルールは3つ。
何を言われても根に持たない。
ここでの話は他言しない。
そして腹を立てない。
近頃殿は酒の席にて少々はめを外し過ぎにございまする。
皆が迷惑しておりまする。
迷惑じゃと?無礼を申すな!…とここで終わるのがいつもの長政ですが。
いやよくぞ申してくれた。
これからはほどほどにいたそう。
こうして家臣とのコミュニケーションを図る事で少しずつ信頼関係を築いていったのです。
更に長政は戦場で部下の力を生かす事にも取り組みます。
これまでは真っ先に手柄を挙げようと先頭に立って戦っていた長政ですが…自らは一歩引き部下に任せて才能を引き出す。
長政は家臣たちを操るすべも身につけていきます。
長政の実力が試される時がやって来ました。
徳川家康と石田三成の天下分け目の決戦…家康率いる東軍についた長政は官兵衛譲りの策略を繰り出します。
長政が戦いの直前に書いた手紙。
敵に裏切りを持ちかける密書です。
その結果敵の主力だった小早川秀秋と吉川広家を寝返らせる事に成功します。
優勢となった家康軍は圧倒的な勝利を収めました。
家康は長政の功績をこう褒めたたえたと伝わっています。
エイエイ…。
(一同)オー!持ち前の勇気と父譲りの知略。
その双方を兼ね備えた長政は天下人すら認める名将へと変貌していたのです。
多くの苦難を乗り越えた長政はやがて名君とたたえられます。
これは長政一人の努力だけでなく頼もしい家臣たちのおかげでもありました。
こちら「黒田二十四騎図」と呼ばれる絵。
ここには長政を支えた黒田家の家臣24人が描かれています。
武勇に秀でたもの城造りの名人など精鋭ぞろい。
主君・長政を中心に鉄の結束を誇っていました。
ところがこの中で唯一後に長政とたもとを分かつ武将がいます。
官兵衛が引き取ってきたあの少年です。
兄弟同然だった2人はしかし互いを敵として戦う事になります。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
2人の運命を決する戦いが始まります。
得意の槍で数々の武功を上げ付いたあだ名は「槍の又兵衛」。
その武勇を褒めたたえる言葉は数知れず。
又兵衛は長政とは幼なじみ。
普通の主君と家臣の関係ではありません。
ある戦いで長政がいつになく苦戦し敵の武将に討たれそうになっても近くにいた又兵衛は知らんぷり。
なんとか一人で敵を倒した長政はなぜ助けなかったと又兵衛に詰め寄ります。
すると…。
あの程度の者に遅れをとるようでは我が主にあらず。
なんとも扱いにくい家臣だったようです。
そんな又兵衛ですが長政にとっては欠かす事のできない存在でした。
関ヶ原の戦いにおける功績で…しかし隣にいたのは黒田家と仲の悪い細川家。
そこで長政は又兵衛に防衛の要である益富城を任せます。
黒田家随一の猛将である又兵衛がにらみを利かせていれば細川家を封じ込める事ができると考えたのです。
益富城址にやって来ました。
ここは山の上にあってかなり…見て下さい。
見晴らしがいいんですよ。
手前の山それを越えるとすぐに細川家の領地となります。
まさに最前線なんですね。
しかしこのあと2人の関係は急速に悪化していく事になります。
その原因と考えられる出来事が黒田家の記録に記されています。
「他家」というのは細川家の事を指すと考えられています。
長政に無断で敵である細川家とやり取りを行っていたのです。
しかし又兵衛は反論しました。
黒田家のためを思ってしたまでの事。
何もやましい事はござらん。
これに対し長政は又兵衛の言質まで取ろうとします。
二度とこのような事はせぬと誓紙を書け。
長政に愛想を尽かしたのでしょうか。
黒田家を去った又兵衛は各地を転々としますがその後京都や奈良で牢人暮らしを送るしかなかったと言われています。
当時の又兵衛の心境をうかがわせるものが子孫の家に残っています。
これは後藤又兵衛が愛用した槍です。
長さ3m40cmにもなる巨大な槍。
又兵衛が数々の戦で使用したもので牢人中も肌身離さず持ち歩いていたといいます。
もう一度戦場で活躍したい。
そんな思いを胸に秘め又兵衛は牢人生活を堪え忍んでいたのでしょうか。
黒田家を飛び出して7年余り。
又兵衛にチャンスが巡ってきます。
豊臣家からの戦の誘いでした。
天下の覇権を握った徳川家と豊臣家との最終決戦…黒田長政をはじめほとんどの大名が徳川家に加わります。
しかし又兵衛は…。
後藤又兵衛必ずやご期待に応える働きをしてみせましょうぞ。
ようやく巡ってきた活躍の場。
又兵衛には何の迷いもありませんでした。
又兵衛が敵に回った事を知った長政はこうつぶやいたと言われています。
「数千の兵を指揮させたら…」。
図らずも敵味方に分かれて戦う事となった2人。
立場は変わっても又兵衛の実力に対し長政が敬意を失う事はなかったのです。
長政と又兵衛最後の戦いが始まります。
一方豊臣方の又兵衛は…者どもここを死に場所と心得よ。
(一同)オー!5月6日本格的な戦いの火蓋が切られました。
又兵衛は大坂城の南道明寺付近で徳川の大軍と激突。
相手は伊達政宗など歴戦の武将たち。
大坂城への進撃を阻止すべく10倍以上の敵を相手に8時間にも及ぶ奮戦。
多くを討ち取る活躍を見せました。
しかし多勢に無勢。
次第に押されていきます。
そして…。
放て〜!
(銃声)最後まで誇り高き武将としての生き方を貫いた人生でした。
又兵衛の死を知った長政が何を語ったのか記録にはありません。
やがて大坂城は炎に包まれ2人の戦いも幕を閉じました。
その後…又兵衛の死から8年後長政は56歳でこの世を去りました。
そしておよそ100年後の江戸時代中頃。
福岡の各地で名君・長政をたたえる絵が描かれるようになりました。
それが「黒田二十四騎図」です。
長政を象徴する兜と周りに控える24人の黒田家の忠臣たち。
そこには又兵衛の姿もあります。
一度は長政と刃を交えながらもその武勇は人々の心を捉え黒田の誇り高き家臣の一人に数えられているのです。
幕末まで続く福岡藩黒田家の偉大な祖となった黒田長政。
その輝かしい名声は家臣たちの存在抜きには語れないものだったのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
そんなお話でお別れです。
毎年10月に行われる大阪の「道明寺だんじり祭り」。
そこで奉納される勇壮なだんじりには後藤又兵衛の姿が彫られています。
自慢の槍を手に迫り来る徳川軍を撃退する又兵衛。
何倍もの敵にひるまず果敢に挑み花と散ったその生き方は今も人々の心を魅了しています。
男の美学というか男がほれる男だったのかなというそういうところに非常に魅力を感じますね。
長政が力を注いだ町福岡。
その町づくりのために長政は全国から職人を集めました。
この中から福岡を代表する伝統工芸が生まれます。
それは博多人形。
瓦職人たちがその技術を生かして作ったものだと言われています。
色づけの鮮やかさときめ細かい彫りによる生き生きとした表情。
長政の時代の華やかな福岡の雰囲気を今に伝えています。
官兵衛と長政を祭る光雲神社。
境内にある大水牛兜の銅像は長政を慕う人々が訪れる隠れた観光スポットです。
2代目として父を超えたいという思いを持ちながら…大好きです。
父・官兵衛と並び称される名君へと生まれ変わった黒田長政。
その成長の原動力となったのは数々の失敗にめげる事なく乗り越えようとした強い心なのかもしれません。
2014/07/13(日) 02:39〜03:23
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア選「もうダメ武将とは言わせない〜官兵衛ジュニア長政の苦悩」[解][字]

軍師官兵衛の息子、黒田長政。父に劣らぬ戦国きっての名将だが、長政には怨霊にたたられた知られたくない過去があった。ダメ武将から2代目名君への成長の軌跡を紹介する。

詳細情報
番組内容
軍師官兵衛の息子、黒田長政。関ヶ原の戦いを徳川家康の勝利に導き、戦国の世を終わらせた2代目名君だ。しかし、それは表の顔。若き日の長政には、知られたくない過去があった。戦での大失敗が原因で、黒田家を恐怖のどん底にたたき落とす怨霊伝説を引き起こしてしまう。ダメ武将だった長政が、どうやって名将へ生まれ変わったのか。名将誕生の裏に隠された秘話を紹介する。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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