村田、男の勲章300号!原監督「LINE」ゲキに燃えた
◆巨人2―2広島=延長12回規定により引き分け=(1日・東京ドーム)
巨人が広島との4時間9分の熱戦も決着がつかず、今季初の引き分けとなった。村田は5回に前田から12号ソロを放ち、史上40人目となる通算300本塁打を達成。菅野、前田のエース対決は、菅野が6回2失点、マエケンが9回2失点と、ともに勝敗つかず。
笑顔はない。村田は節目のアーチにも硬い表情のままだった。同点の5回先頭。前田の外角スライダーをバックスクリーンへ運んだ。一時は勝ち越しとなる12号ソロは、40人目の通算300号。16試合ぶり、59打席ぶりの一発だった。「時間がかかりましたね。いい投手から打てたことが本当にうれしい。少し楽になれた気がする」と語った。
あと1本に苦しんだ。王手をかけた6日の中日戦(東京D)から試合前まで打率1割7分3厘(52打数9安打)、4打点。27日の中日戦(ナゴヤD)では横浜時代から続けていた連続試合出場が676試合でストップした。チーム優先の打撃から本塁打を求めていく打撃スタイルに切り替えた。「ずっと(300号を)意識しないでいたが、打てなかったので早く出てほしいと意識するようにした」。アーチストとしての道を突き進み、待望の一発につなげた。
原監督のゲキにも奮い立った。連続試合出場が止まった夜、指揮官から無料通信アプリ「LINE」で、励ましの言葉をかけられた。約30分間、考え込んだ後に「心機一転、頑張ります」と返信したという。「早く返さないと、“既読無視”になっちゃう。あんなに緊張してメールを打つことなんてなかったよ」。指揮官の苦労は分かっている。屈辱のスタメン落ちを発奮材料に変えた。ただ、メモリアル弾の後は自らも打線も沈黙し、今季初の引き分けとなった。
村田には9月中旬、3人目の男児が生まれる予定。「新しい子どもがオヤジは野球選手だと意識するようになるまでは活躍しないと…40歳まではバリバリやらないといけないな」。次こそは、勝利につながるアーチを打ちたい。(小谷 真弥)
◆村田 修一(むらた・しゅういち)1980年12月28日、福岡県生まれ。33歳。東福岡高3年時に投手として甲子園に春夏連続出場。日大で内野手に転向し、02年ドラフト自由獲得枠で横浜(現DeNA)入団。07、08年に本塁打王を獲得。08年北京五輪、09年第2回WBCで日本代表。177センチ、92キロ。右投右打。年俸3億円。