錦光山雅子、高橋末菜、岡林佐和
2014年8月3日05時09分
7月下旬の夜、神奈川県厚木市に住む女性(38)のスマートフォンのLINE(ライン)が鳴った。夫(31)だった。7月の給与明細を見て驚いたという。
「配偶者手当が1万7千円もついてたよ」
「そんなにもらえたの」
6月半ば、15年近く勤めたメーカーを退職。「大学卒業以来初めて無職になった」。夫の扶養に入ったばかりの「主婦1年生」だ。
仕事は続けたかった。やりがいもあったし、夫に気兼ねなく欲しい物を買える収入は持ち続けたかった。母から「お金がないと離婚したくてもできないわよ」と常々聞かされてもいた。
だが一昨年に長男(1)が生まれて育児休業中、夫に転勤の辞令が出た。別居して、1人で子育てしながら仕事を続ける自信はなく、転勤についてきた。
引っ越し先で仕事の空きがないか会社の人事に相談したが、返事はなしのつぶて。揚げ句に、夫からは「結婚した時点で、僕にはいつか転勤があるとは分かってたんだし」と平然と言われた。
決して本意ではなかった退職。世帯収入は大きく減るが、扶養に入ってからというもの、目の前の「特典」の数々に驚いている。
夫の給料に配偶者手当がつくほか、働いていた間は負担していた年金保険料や健康保険料もかからない。配偶者控除も受けるので、夫の給料にかかる税金は以前より減る見通しだ。
「自分が働かなくてもお金が入ってくるなんて、ここは扶養の国?って感じ。この世界に一度入ったら、よほど稼げない限り、前のような働き方には戻れないかも」
千葉県の40代の主婦は、中3の長男が小2の時からパートタイムで働く。いまは朝日新聞社で週3日、1日6時間の仕事だ。
夫の会社の配偶者手当は月約1万5千円。パートは常に、手当が出る条件「年収103万円以下」で収まるよう気を使ってきた。それを超えると、所得税がかかる上に配偶者手当も減る。減額分は年20万円を超える。給料の3カ月分だ。
以前、働いていたパン屋ではほぼ毎日残業した。だが103万円を超えないよう、本来仕事が終わる時刻にタイムカードをいったん押して、仕事に戻った。
「安い時給で雇いたい店と、103万円以内の扶養でいたい主婦が、奇妙なかたちで依存し合っていた」
103万円を超えたパート仲間は、元を取るため毎日12時間働く人もいた。
それでも、扶養というのは、社会が回っていくために必要な仕組みだと思う。「学校のことや地域のこと、皆が働いたら、そういうの誰が担うんでしょうか」
第3号被保険者制度もありがたいと考えている。「夫が仕事に専念できる環境を私たち家族が支えている。年金はその対価のようなものでは」
長男の独立を見届けたらもっと働きたいと思うが、でも家が回らなくならないか。
資格を取り、介護施設でフルタイムで働き始めた友人の女性からは「夜勤もあり、休日は寝て過ごす」とメールが来る。
「彼女ほどアクセルを踏まないと、フルタイムの世界に移れないのかな。その外に飛び出すには、扶養の壁は思った以上に厚い」
職場の男女平等を目指す男女雇用機会均等法が成立した1985年。同じ年、夫に扶養される主婦を優遇する年金の第3号被保険者制度と、不安定な働き方を広げるきっかけになった労働者派遣法も誕生した。
社会に進出し、キャリアを積んで高い地位に就く女性が現れるようになった一方で、家事や育児、介護を担う多くの女性たちは結婚後、「扶養の国」へと引き込まれる。結果、経済的に不安定な場所から抜け出せなくなることもある。
「85年は、分断元年」
そう呼ぶ人もいる。
■離婚、扶養の立場外れ即生活苦
兵庫県宝塚市の女性(49)は12年前、扶養される身分を外れた。
突然だった。夫からほかの女性と一緒に暮らすと告白され、1年後に調停離婚。主婦から無職にかわった自分と、6歳、2歳の娘が残された。
1987年に大学を卒業、金融機関に入社。夫の海外赴任についていくため、3年半で退職した。
帰国後、2歳の長女を保育園に預けて週3回、6時間の事務アルバイトを始めた。年収103万円の「扶養の範囲内」に収めた。
「フルタイムで働く覚悟がなかった。娘が熱を出した時、誰がみるのかと考えると」。2人目の娘を妊娠し、仕事から遠ざかった。
そして離婚。1年実家に身を寄せ、2年目から公団住宅に入り、パソコン教室に通うことから始めた。
派遣会社を通じ、時給1400円、交通費なしの事務仕事で年収は約250万円。ひとり親家庭に支給される児童扶養手当と夫の養育費を合わせても、2人の娘を抱えて切り詰め通しの生活だった。
離婚直後、精神的に追い詰められた。ベビーカーを押す専業主婦らしき若い女性に「主婦って本当に危うい。気づいてる?」と声をかけそうになった。
夫を支え、子に寄り添い、家庭を守る。穏やかに見える「扶養の国」は、夫の変心や失業、死亡があれば、貧困の世界と壁一つと痛感したからだ。
6年前、勤め先の金融機関で契約社員から正社員に登用され生活は安定した。
「扶養の国」の経験者として、こう語る。
「経済的に男性から守ってもらうという意識を女性自身が捨てないと。責任を持って守ってくれる男性ばかりではありません。残念ながら」
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朝日新聞社会部
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